2017/2/26 週報メッセージ

   神の家族
                             朝位 真士

 リック・ウォレン先生の『神の家族へようこそ』より引き続いて学びましょう。
 キリストに自分をゆだね、また神の家族である他のクリスチャンたちに自分をゆだねていくことは、クリスチャンとして成長していく上で必要不可欠な要素です。毎週、私たちの教会にはさまざまな人たちが集まって来ます。性格、家族構成、教育、仕事、出身など、みな異なった背景を持っています。このようにさまざまな人たちが集まっている私たちの教会を「一つの家族」として結び合わせているものは何か、四つの項目を学びます。
 一、私たちの救い―神が私たちのためにしてくださったこと。二、私たちの声明―私たちの教会の存在意義と目的。三、私たちの戦略―その目的をどう実現していくのか。四、私たちの構造―いつどこでその目的を実現していくのか。
 一、私たちの救い
 最初に、クリスチャンになるとは正確には何を意味するのか。そして救いの象徴として行われてきた大切な二つの礼典―バプテスマ(洗礼)と聖餐―について見ていきましょう。(つづく)

2017/2/12 週報メッセージ

   神の家族
                                                              朝位 真士
 先週に引き続き、リック・ウォレン博士の書物より「神の家族」につ
いて学んでいきましょう。「あなたがたは、まさに神の家族の一員であ
り、他のすべてのクリスチャンとともに神の家に属しているのです。」
(エペ二・一九)
 二、神はあなたが神の家族の一員(メンバー)になることを望んでお
られる。「神の家族の一員である」と教えられています。これが神の望
んでおられることです。すべてのクリスチャンは、神の家族の一員にな
るべきだということです。クリスチャンになった時から「普遍的教会」
の一員になりました。それと同時に、自分を養い育ててくれる特定の家
族(地域教会)につながる必要があります。
 三、クリスチャンが教会の交わりに加わらなければ、家族のいない孤
児のようになってしまう。クリスチャンの中には「浮草クリスチャン」
と呼ばれる人たちがいます。毎週いろいろな教会を行ったり来たりする
クリスチャンです。教会めぐりを延々と繰り返すのです。地域教会につ
ながっていなければ、やがて霊的な命が息絶えてしまいます。教会の一
員になるとは、次のように言うことができるでしょう。「これが私の教
会です。この神の家族の交わりの中で、私は与え、受け取り、仕え、仕
えられ、愛し、愛されることを学んでいきます。」
  私たちは自分の教会、桜ヶ丘教会を大事にしていきましょう。キリス
トの体の一部とされた私たちですから。

2017/2/19 週報メッセージ

   神の家族
                             朝位 真士
 前号に引き続き、「神の家族」について、リック・ウォーレン先生の書物より引用します。
 一、教会は神の家族である。
 二、神はあなたが神の家族の一員(メンバー)になることを望んでおられる。すべてのクリスチャンは、神の家族の一員になるべきだということです。聖書においては、「教会」という言葉は二つの異なった意味で使われています。一つは歴史上のすべてのクリスチャンを指して使われている場合で、これを「普遍的教会」と呼んでいます。イエス・キリストを唯一の救い主と信じているクリスチャンはすべて、この「普遍的教会」の一員です。一方「教会」という言葉が、ある特定の地域の限定されたグループを指して使われていることもあります。これを「地域教会」(各個教会)と呼んでいます。クリスチャンになったその瞬間に神の家族の一員とされた私たちは、自分を養い育ててくれる特定の家族(地域教会)につながる必要があります。
 三、クリスチャンが教会の交わりに加わらなければ、家族のいない孤児のようになってしまう。あなたはキリストの体の一部とされたのだと教えています。あなたは、キリストの手であり、耳であり、目であり、鼻であり、内臓なのです。私たちはキリストに人生をささげる(ゆだねる)ことによってクリスチャンになります。そして、他のクリスチャンに自分自身をささげる(ゆだねる)ことによって教会の一員となるのです。

2017/2/5 週報メッセージ

神の家族
                            朝位 真士
 
二〇一七年度の標語はエフェソ二章一九節「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり」で、私たちは神の家族のメンバーであるということが強く心にとどまっています。何回かにわたって、「神の家族」についてリック・ウォレン先生の本より学んでまいりましょう。
 「あなたがたは、まさに神の家族の一員であり、他のすべてのクリスチャンとともに神の家族に属しているのです」(エペソ二・一九)「神の家族」「一員」「神の家」「属している」という聖句から、聖書が教会について何と教えているでしょうか。
 一、教会は神の家族である
 「教会は家族のようなものだ」ではなく、「教会は神の家族である」というのです。教会というのは霊的な家族です。この霊的な家族関係は、実際の血縁関係よりも長く続く関係です。聖書は「天国においては、結婚関係はありません。そこには、永遠に続く、クリスチャンの交わりがあるのです」と教えています。
 家族の中にはいろいろな人がいるものです。強い人もいれば、弱い人もいますし、大きな人もいれば、小さい人もいます。体の丈夫な人やそうでない人もいるでしょう。神の家族である教会においても同じことが言えます。霊的に健康になるために何が必要かについては、後日学んでいきましょう。(『神の家族へようこそ』より)

2017/1/29 週報メッセージ

     聖書の基本的な教え

朝位 真士
 
  神について 父なる神 神は時間と空間とを超越して永遠に存在する生ける霊であり、直接目で見ることはできませんが(ヨハネ四・二四、Ⅰテモテ六・一六)、あらゆる所に存在します(詩編一三九・八)。神は唯一であり(申命記六・四)、絶対的な超越者、また他の何ものにも束縛されない主体性と完全性を保持する人格的存在であり、「聖なるお方」と呼ばれるにふさわしい方です(イザヤ六・三)。神にはすべてを見とおす力(全知)、あらゆる事柄を生じさせる力(全能)といった属性があります。
  世界の創造と統治 神は「天と地」と称される全宇宙と、そこに存在するすべてのものを造られました(創世記一・一、二・二)。神は「万物の存在の目的であり、また原因でもある方」です(ヘブル二・一〇)。神によって造られたのは美しい調和のとれた世界でした(創世記一・三一)。神は世界の究極の所有者、統治者でもあります。神は被造世界を愛し(ヨハネ三・一六)、保護し、その歴史の中に、直接的、人格的に介入される場合があります。神は「今に至るまで働いておられます」(同五・一七)。この神の愛は、人間が罪を犯す前も、その後も不変です(ローマ五・八)。神は人を死から復活させる力をも有し(ガラテヤ一・一)、「父なる神」と呼ばれて敬われます(マタイ六・二六)。
  子なる神、キリスト イエス・キリストは「子なる神」と呼ばれます。キリストは天地万物の創造以前から父なる神のもとに存在しましたが(ヨハネ一・一~二)、人類の救いのためにイエスという具体的な肉体をとってこの世に下りました。
  聖霊なる神 聖霊はみことばとともに人に働きかけ、聖霊のもっとも重要な働きは「イエスは主です」との信仰告白のなされる所で明らかにされます(Ⅰコリント一二・三)。
  三位一体 父、子、聖霊という三つの位格を持つ神は「三位一体」の神としてあがめられます(Ⅱコリント一三・一三)。つづく。

2017/1/22 週報メッセージ

病める人の為祈って欲しい
朝位 真士

 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」(マタイ九・
一二)
 「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。……あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。」(ヤコブ五・一三~一五)
 私は最近病気の方々のことを思い、祈っている。いろいろな病気があり、中でもガンにかかっている人が数人おられる。その中には私の親類も含まれている。私の実妹は肺ガンにかかって、昨年三月には余命三カ月と宣告された。私は九州に見舞いに行ったが、本当に体は衰弱して、医師の宣告通りだと直感した。彼女と一時間キリスト教の死に対する教え、また天国の素晴らしさを説明した。彼女はそれを受け入れ、覚悟をして私は四月中旬に帰京した。最近の電話では、以前は一週間に一度治療に博多まで行っていたが、現在は三週間に一度の検査で良いという風にドクターから言われたとのことである。
 またある方はドクターから死の宣告をされたが、現在五分でも十分でも主を証しするために生きていたいと言っておられる。彼女の絵が多くの方々の救いのために用いられることを願う。別の方はガンの治療を受けながら教会の御用に当たっている。個人的になるが私もいくつかの病院にかかっている。
 私たちは病気の方々の為にお祈りさせていただく。今年も「神の家族」が一人でも元気で、主の集会(礼拝、夕拝、祈祷会など)に出かけて、祈っていただきたい。

2017/1/15 週報メッセージ

   断食祈祷聖会に出席して
                             朝位 真士
 
 一月九日~一一日迄、東京中央教会で開催されました。私は九日の一日しか出席できませんでしたが、大変大きな恵みと祝福をいただきました。
 まず一〇時から開会礼拝で、M師のメッセージがあり、一〇時半~一二時迄、H夫妻による「性と結婚と家族形成」という話がありました。牧師夫妻の四四年間の結婚生活、家庭生活についてユーモアを交えながら赤裸々に語られました。クリスチャンの夫妻は、結婚生活、家庭生活にいろいろなことが起こってくるが、心を合わせて全能の神様にお祈りをして解決を与えられたということと、二人は全く性格の合わない方々であるということがハッキリしました。だから神様の導きが大切であるということが理解できました。私共も四一年目になりますが、全く性格、気質が合わない二人です。ただ二人がクリスチャンで、同じ使命に生きているということが共通しているだけで、今日まで支えられてきました。勿論、教会他の方々の祈りによっても支えられています。大変感謝なことです。
 次に、一三時~一四時半迄、「イスラムとIS」というテーマでイスラム圏宣教師A師の講演がありました。生命をかけて家族で宣教しておられるA師の講演から、大変多くのことを教えられました。先生は、「イスラム世界を概観し、ムスリムが私たちにとっての大切な隣人であることを理解し、特にISに代表される『イスラム過激派』を正しく理解し、愛をもって祈るべきである。今日二一世紀イスラム世界で神の驚くべきみわざが進行中で、特にイランのみわざに注目して祈りたい」とアピールしておられた。
 一五時半~一七時迄、K師による「自然災害と世界気象」についての話があり、具体的な実例と将来に対する心備えを教えられました。聖会Ⅰではアーサー・ホーランド師の話があり、六五歳とは思えない若々しさが印象的でした。命をかけて十字架を背負っての沖縄から北海道まで三千三百キロ走行の伝道旅行に、私は度肝を抜かれました。宣教の方法はいろいろあることをあらためて教えられました。ハレルヤ!!
 
 

2017/1/8 週報メッセージ

   ホ群首都圏新年聖会に参加して
                              朝位真士
 
 二〇一七年ホ群首都圏新年聖会が、桜ヶ丘教会を会場に二回開催されました。一月二日午後一時半と四時です。
 今回の主題は「起きよ、光を放て」(イザヤ六〇・一)。聖会Ⅰ、説教町田さとみ先生(初雁教会)、説教題「あなたを照らす光は昇る」(イザヤ六〇・一~七)、立証・音楽ユース。聖会Ⅱ、説教横山義孝先生(東京新生教会協力牧師、東京聖書学校教授)、説教題「喜び楽しむ民の創造」(イザヤ六五・一七~二〇)、立証合田やす子神学生、聖歌隊合唱。出席人数は九七名、献金は聖会Ⅰ八一、六三〇円、聖会Ⅱ七三、一六〇円、合計一五四、七九〇円。
 私は町田先生の話を聞きながら、若年婦人教職のわかりやすいメッセージに感動しました。二〇一七年はどういう年になるか不透明で、先行き不安な時代の幕開けですが、「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り」とあるように、世の中が暗ければ暗いほど、キリストの光を照らし続けなければなりません。先生はまた前任牧師の山岡先生のヴィジョンと信仰を語られました。「教会に人が続々と導かれていく中で、町の人々に『何があるのか』と問われたら、『教会の礼拝に行くのです』とハッキリ地域の人々に伝える。これを宣教といいます。」私は町田先生の女性らしいやさしい語り口の中に見えた、しっかりした信仰と使命感に感動し、教えられました。
 横山先生は九〇歳を越えておられるとは思えない溌溂とした口調で、キリストの福音を率直に語られました。七〇年近い伝道の経験に基づく、力強い確信とユーモアを交えた生き生きとしたメッセージに、私の心は久しぶりに燃えました。
 聖会委員の一人として、また会場教会の一人としての責務を、皆様方のご協力と祈祷支援によって果たし、神様の栄光を現すことができたことを、神様と皆様方に心から感謝申し上げます。ハレルヤ!!

2017/1/1 週報メッセージ

   新年を迎えて
                              朝位真士
 
 新年あけましておめでとうございます。祈りの中で、御言葉を与えてくださいと願いましたら、エフェソ二章一一~二一節と使徒一六章二五~三四節が与えられました。昨年九月一八~一九日に箱根で教会修養会が開かれた時のことです。
 私共が桜ヶ丘教会に遣わされて今年で二三年目になります。桜ヶ丘教会の祈祷目標(一、個人信仰の確立、二、全家族の救い、三、個人伝道による教勢倍加)が、未だに個人にとっても教会にとっても達成されていません。これには、私共の責任が大きくありますが、皆様方の霊性も守られていないのではないかと心配します。毎日多忙で、礼拝や祈祷会、夕拝、各会に出席するのが困難であることを神様はすべてご存知です。「しかし、なくてならないものは、多くはない。マリアは良い方を選んだ」(ルカ一〇章四二節)とあるように、私達の日常生活で優先順位をつけることが大事です。まず神第一の生活、神様のことを一番に考えて行動することです。
 私達は「もはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民の属するもの、神の家族であり」(エフェソ二・一九b)とあり、また「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒一六・三一a)とあります。二〇一七年は酉年です。私達は飛躍しなくてはなりません。礼拝目標二〇名の二割アップ、受洗者が与えられ、教会財政が健全にならなければなりません。献金でつまずく方のないように祈ると同時に、神様に身を献げる働き人が桜ヶ丘教会に与えられ、お客様信者をなくし、全員が神の家族であり、神様からの祝福を与えられるお互いでありたいものです。それには、身内、友人、知人が一人でも救われることを、この一年祈って労したいものです。二〇一七年が桜ヶ丘教会にとって前進の一年であるように神に祈りましょう。

新年おめでとうございます

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写真:K/Kさん提供

新年おめでとうございます。
暖かいお正月ですね。
桜ヶ丘教会では、1月1日(日曜日)の聖日礼拝から、2017年が開始しました。
また、1月2日(月曜日)には、
【2017年ホーリネスの群
「首都圏新年聖会」】が
当教会を会場として開催され、
「起きよ、光を放て」という主題で
お話をいただきました。
聖会は、ⅠとⅡに分かれて、2回持たれました。
東京聖書学校神学生の方々のご奉仕があり、当教会の受付当番においてもご協力をいただました。
新年早々で出かけている会員も多く、私は、聖会Ⅱに参加することができました。
「喜び楽しむ民の創造」というテーマで横山義孝牧師(東京新生教会協力教師)のお話をきくことができました。
横山先生は90歳という年齢ですが、とても若々しく、お声も響きわたっていました。
悔い改めと信仰によって新しくされることや神の真実と人間の真実が一致するところに聖霊が働かれるということ等を力強く語られてました。
無駄なことは何もないというお話も心にとまりました。
西南戦争の時に、政府軍に属されていた先生の祖父が、薩摩藩の兵士を殺してしまったという悔いをずっと持たれ、他の信仰にすがったけれども救われず、キリスト教に出会って、導かれたお話を伺いました。
本当の平和とは何かを考えさせられました。
ホ群も政府によって迫害されるという歴史があり、日本のキリスト教における迫害の歴史を忘れてはならないと思います。
イエスキリストの十字架の死、復活による新生によって、私たちは生かされ、喜びをもって生きていくことができるのだとも考えさせられました。
2017年、どうぞ私たちの道を主が導いてくださり、祝福が豊かにありますようにお祈り申し上げます。

1923年6月1日創立