2017/6/18 週報メッセージ

   教会とは                                                                 
                                                                                                                                   朝位 真士
 『クリスチャン生活百科』(いのちのことば社)の中に「教会について」という項目がある。
  神はその民をご自身との交わりに導き入れ、その生活を正しく保持するため、また福音の正しい継承と宣教
 のために教会を建てられました。教会はイエスを救い主と信じる信仰の告白の上にキリストご自身によって建
 てられます(マタイ16・16~18)。
  教会の本質は建物(教会堂)でなく、キリストとの交わり、また彼を信じる人々の交わりです(Ⅰヨハネ1 ・3)。
 大きな群れもあれば、小さな群れもありますが(ローマ16・5)、たいせつなのはイエスを救い主として信じる信仰
 によって集められているかどうかなのです。各地にある信者の群れすべては「唯一の聖なる教会」に属し、「見
 えない教会」には、この世を去ったクリスチャンたちも含まれています。神はイエスを救い主と信じ、その名に 
 よって集まる人々とともにおられます(マタイ18・20)。
  教会の目的は、神との真実な交わりを土台として、全世界の民をキリストの救いに導き入れ、弟子とするこ
 とにあります。伝道・信仰教育・いやしなどの活動はすべて、この目的にそってなされるべきです。大宣教命
 令(マタイ28・19~20)は、そのような内容を含みます。それはまた、キリストのみわざの継承でもあります
 (マタイ4・23、9・35)。教会の重要性についてある神学者は「神を父として持ち、教会を母として持つ」
 と表現しました。
 先々週は九四周年記念礼拝で、ペンテコステ礼拝でもあった。私共の教会が、かつてのように礼拝五〇名、祈祷会二〇名、夕拝三〇名を祈りたいものである。もちろん数だけがすべてではないが、まず祈って人を集めて、一人でも多くの方々にイエス・キリストの福音を宣べ伝えようではないか。                               

2017/6/11 週報メッセージ

      詩「人生の祝福」
                                                                                                               朝位 真士
 ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁に作者不明の「人生の祝福」という詩が刻まれていることを最近読んだ。
   大事をなそうとして、力を与えてほしいと神に求めたのに、慎み深く従順であるようにと、弱さを授かった。より
 偉大なことができるようにと、健康を求めたのに、より良きことができるようにと、病弱を与えられた。幸せになろ
 うとして、富を求めたのに、賢明であるようにと、貧困を授かった。世の人々の賞賛を得ようとして、権力を求め
 たのに、神の前にひざまずくようにと、弱さを授かった。人生を享楽しようと、あらゆるものを求めたのに、あらゆ
 ることを喜べるようにと、生命を授かった。求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞きとど
 けられた。神の意に沿わぬ者であるにもかかわらず、心の中に言い表せない祈りは、すべてかなえられた。私
 はあらゆる人生の中で、もっとも祝福されたのだ。
 
  私はこの祈りの答えを見て、私の祈りがいかに自己的であったかを深く反省させられた。確かに祈りは自分の願望を神に伝えることだが、しばしば自分の祈り通りにならないことがある。祈りが答えられないように思われることがある。例えば、教勢を倍加してくださいと長く祈っているが、なかなかその祈り通りには答えられていない。しかし私は考えた。人数が増加することよりも、数が少なくても一人ひとりの信仰が確立されて、大人の信仰者として自立して、自分で聖書を読み、祈り、キリストの証し人として働く人が出てくるように祈っていかなくてはいけないと、神様に示された。祈り通りに答えられなくても、神様の答えは最高の解答であるということである。

94周年記念礼拝を終えて

イメージ 1写真:K/Kさん提供
<6月4日(日)の礼拝について>
主の御名を賛美いたします。
岸義紘先生を講師にお招きして、17回目のチャペルコンサートと記念礼拝をすることができました。
「油断大敵!!予備の油はありますか?」というテーマでのお話でした。
 聖書箇所:
マタイによる福音書25章1節~13節
花婿を迎える乙女たち、賢い乙女と愚かな乙女の箇所です。
岸先生は、マタイによる福音書におけるたとえ話は、福音書全体を見て考えることの重要性をお話されました。
最初のたとえ話には、岩の上に家を建てる賢い人、砂の上に家を建てる愚かな人の話が、マタイによる福音書には書かれているということ。
そして、最後のたとえ話が、賢い乙女たちと、愚かな乙女たちということ。
これは、何を示しているか。
この聖書の箇所には、様々な矛盾ともいえる要素があるとのこと。何故か。そこを分かりやすく解説いただきました。
「天国は次のようにたとえられる。」といお話で、花婿を迎えるための油は、結婚を執り行う家が用意するものであるが、天国では、乙女がそれぞれ用意しなければならないとあります。自分が用意しなければならない予備の油とは何か。賢い乙女と愚かな乙女は、どういうことを意味しているのか。
予備の油を持った賢い乙女たちが花婿と一緒に婚宴の席に入ることができる。
愚かな人とは、知識はあるが本質が見えていない人。宗教指導者たちは欲に溺れて金と権力をもって本質を追及していない。この状況下で、宗教改革はイエス様によって初めてなされているということ。ルターの宗教改革500周年の年でありますが、2000年前に、イエス様がなされたということ。イエス様は、十字架につけられることを知りながら、「お願いですから、指導者たちよ、目を覚まして、聞く耳を持ってください」というような思いで訴えておられたということ。
予備の油は、キリストを信じるということ、イエス様から恵みと信仰によっていただくものだということ。
主イエスキリストによって、聖霊をいただくことが私たちには可能です。主の恵みと信仰で賢い者になることができる。誰か他の人から分けてもらうものではなく、自分が用意しなければならない予備の油。
運命を分けるもの。予備の油を持つか持たないか。予備の油は、恵みと信仰によって、主から、誰でも、ただで、いただけるもの。良い行いが必要なのではなく、恵みと信仰によって、主から、ただで、いただき、賢い者いなることができる。
最も貧しい地域から、知識人には重要な地域ではなかったガリラヤから、イエス様は、主の働きを開始されたということ。この意味についても、改めて考えさせていただきました。
        真夜中に「花婿だ。迎えに出なさい。」と叫ぶ声がした。
        乙女たちは皆起きてそれぞれのともし火を整えた。
                         主の恵み深いことを、心から味わい知る1週間でありますように。
                         本質が見えますように。

2017/6/4 週報メッセージ

   創立九四周年記念礼拝を迎えて
                                                                                                                                       朝位 真士
 今年も岸義紘先生をお迎えすることができて感謝いたします。今年で17回目になります。
 私共の教会は1923(大正12)年6月1日、初代教師である板井康裕先生が世田谷桜新町の自宅で伝道を開始したことで始まりました。1930年、渋谷区栄通りに移転して「祈りの家渋谷ホーリネス教会」と改称。1942年、日本基督教団設立とともに教団に加盟し、「桜ヶ丘教会」となりました。
 創立記念礼拝に岸先生をお迎えできたことは、先生のご厚意はもちろんのこと、神様のお導きだと感謝しています。先生は日本全国、どんな小さな集会でも御用してくださる方です。今回はマタイ25章1~13節を通して「油断大敵!予備の油はありますか?」という題でメッセージを取り次いでいただきます。
 今日は大変記念すべきペンテコステの礼拝でもあります。2千年前、イスラエルの120人の人々がエルサレムの
2階座敷で熱心に10日間祈っていた時に約束の聖霊が降り、人々は聖霊体験をしました。弟子のペトロが説教したときに3千人の人々が救われたと使徒言行録2章に記されています。これは創世記11章1~9節のバベルの塔の崩壊からの回復です。そしてペンテコステの時に新約の教会が誕生したと言われています。
 岸先生が来られた、この記念すべき時に、もう一度ペンテコステの恵みによって私たち一人ひとりが神との交わりを回復し、人々との関係も聖霊の力によって回復させていただきましょう。渋谷ホーリネス教会時代の礼拝平均
50名、祈祷会20名、伝道会30名に戻って100周年記念礼拝を持てるように、教会員の皆様方のお祈りを切に願うことであります。今の時代に大切な魂の救いを神様は願っておられるのではないでしょううか。

6月4日創立94周年記念礼拝について

イメージ 16月4日(日曜日)10時30分~
岸義紘先生をお迎えし、創立94周年の記念礼拝を捧げます。
お話のテーマ
「油断大敵!! 予備の油はありますか」
いつも岸先生は、サクソフォンの演奏をしてくださいます。
チャペルコンサートと礼拝のひと時を、日曜日に桜ヶ丘教会で、ご一緒に過ごしてみませんか。
どなたもご自由に参加できます。
主のお恵みの雨に打たれて紫陽花のように咲きたいと思います。
祈りつつ、主のご栄光を拝し、日曜日を待っております。

2017/5/28 週報メッセージ

   山本潤先生を迎えるにあたって
                                                                                                朝位 真士
  この度、桜ヶ丘教会の伝道師・担任教師として山本先生をお迎えできることを心より感謝しています。先生は今年神学校を卒業して、教団の補教師試験に合格し、今度、西東京教区総会にて伝道の准允を受けられます。日本基督教団以外の教派での経験が三五年近く、また社会人としての経験も三〇年以上あり、神学校において様々な年齢層、生い立ちの献身者と切磋琢磨されました。知識や経験に頼るのではなく、一功を主にお委ねするところに道が開けていくことを体験して今日に至っていることです。教団調布教会で役員として、教会学校教師として良き働きをされていたと伺っています。教会の宣教・牧会のために、きっと神様に用いられる器となられると期待しています。桜ヶ丘教会に新しい聖霊の風が吹き込むことでしょう。
 先生は、「職場でのキリスト者としての役割を終える頃の自分について祈っていた五〇歳頃、神様からいただいた恵みを伝えるための基礎を学ぶ機会が与えられ、聖書六六巻が一つにつながった。……所属する調布教会での信仰の歩みをする一方、それまで生かされてきた恵みを神様にお返しする場での神様の弟子としてのフルタイムの奉仕者として、今後の社会を担う若者や企業の中で悩みながら生活している社会人に神様の愛を伝えさせていただくことを祈り、使徒五・三八~三九によって献身が示された。」と語っておられます。
 桜ヶ丘教会は創立九四年を迎えようとしています。ここでもう一度、この地域に開かれた教会としての意識を再確認して、山本伝道師と私共夫婦の教職と役員、信徒、求道者の方々と一致して、主の宣教の使命を果たしたいと思います。どうぞ皆様、お祈りとご支援をいただきたいと思います。

2017/5/21 週報メッセージ

   ペンテコステ礼拝を前にして                                                                 
                                                                                               朝位 真士
  神様は弟子たちに聖霊降臨の約束をなさった。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒一・八)今年のペンテコステ礼拝は六月四日(日)、ちょうど岸先生をお迎えしての特別集会の時である。そのために、私共はもっともっと祈りを献げなければならない。
 旧約聖書創世記一一章にバベルの塔の記事が出てくる。世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。しかし人類はバベルの塔を建設しようとした。塔が崩壊して、神は彼らを全地に散らされたので、彼らは町の建設をやめた。「こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。」(創世記一一・九)それ以来、人間関係の難しさが出てきた。特に、お互いの言葉が通じ合わないようになった。人が一番苦しんでいるのは、人間関係だと言われる。私たちは人間関係がうまくいかない時には「話し合いが十分できていなかった……」と後悔してしまう。しかし、話し合えばうまくいくのだろうか。「自分の思い、考えだけでことを運ぼうとし、相手を巻き込もうとしていなかったか」と自ら問いかけなければならない。キリスト者として、聖霊が働く空間を作っておいただろうか。私たちと隣人の間に聖霊の働く場を置くことが大切だと思う。親子の間、夫婦の間、嫁姑の間、友人の間、複雑な人間関係の中で、疲れてしまうことのないように、思い通りにいかない時、予期しない出来事に出会った時「間を取り」、聖霊なる神様の働きに身を委ねつつ前進していきたいものである。                       

2017/5/7 週報メッセージ

   教会が強くなるために                                                                                                                                                                                                                                             朝位 真士
 
 辻宣道師の『教会が強くなるために』という本に出会って、私は信仰の原点を感じた。イースター礼拝が終わり、ペンテコステに向かって教会の業が進んでいる。使徒時代に一二〇名の信徒達がエルサレムの二階座敷で祈っていると、聖霊が一人ひとりの上に降ったとある。
 私共の教会はホーリネス系の教会である。特色は四重の福音、新生、聖化、神癒、再臨であるが、最も強い特色は聖化(きよめ)である。その根本は祈祷と宣教である。最近、祈祷会も少しずつ祝福され、夕拝も祝福されている。私の母教会の北九州復興教会は、山中日出刃先生の時代に開拓伝道された教会である。先生は祈祷と宣教のビジョンに燃えていた人であった。私はその教会で救われた。辻先生の本に、「わたしは祈祷会は教会の柱だと考える。素朴な祈りを心の中でかみしめ、終わりに一緒にアーメンという時、ここで教会が支えられていると思う。弟子たちが祈っているところに聖霊はくだった(使徒一、二章)。聖霊の働きは教会をつくった。我々の教会もつくられている。たしかに。」とある。「我々の中には誰一人としてえらい人はいない。上から命令したり支配したりする者はなく、みんなキリストの体なる教会の一肢である自覚を持って、教会に仕えていくのである。」とも書かれていた。
 二〇一七年度、神の家族の一員として教会関係者一同、教会のために、個々人のために、他者のために祈り、神の業のためにお祈りしていこう。それによって教会が強化され、日本宣教・世界宣教の業が進展していくのではないだろうか。

2017年度第1回総会を終えて

イメージ 1写真:K/Kさん提供
2017年度の桜ヶ丘教会は、新たな思いをもって、歩み、進み始めました。
本日は、2017年度第1回教会総会が開催され、2016年度の活動報告や、決算報告がなされ、教会員の皆様にご承認をいただきました。
今年度から、山本伝道師を迎え、桜ヶ丘教会も、様々な工夫や取り組みを検討しております。
本日は、山本先生の奥様が桜ヶ丘教会の会員になられ、私共のお仲間として山本姉妹をお迎えすることができ、心から嬉しく思っております。
この写真の桜の花のように、桜ヶ丘教会が、主によって祝福されることを、信じます。
ご高齢で94歳のS姉妹も息子さんとご一緒に、久しぶりに礼拝に来られました。
お元気そうで、爽やかな笑顔が輝いておられ、昼食もご一緒にいただき、感謝なひと時になりました。
「イエスは良き羊飼い」というテーマで朝位牧師から、お話をいただきました。
私たちは、主なる神様が導いて下さる良き羊飼いの声を聴き分けて、導かれ歩むことができるようにと祈らなければならないと思いました。
良い羊飼いとは
・羊に仕える
・羊を養い育てる
・羊のために命を捨てる
・一つの群れをつくる
 と教えていただきました。
イエス様の宣教の使命と性格を描き出しているということです。
教会の使命を考えさせられました。 私たちは、教会に集う羊の群れとして、生命の道を歩ませていただいていることを感謝したいと思います。
この1週間も、主の憐みの内に歩むことができますように。

2017/4/16 週報メッセージ

   イースター(復活節)を迎えて
                                   朝位 真士
 今日はイースター(復活節)礼拝である。原始教会において、イエス
の復活の出来事は終末論的出来事として、また信仰者の将来における復
活を保証する救済論的出来事として捉えられている。最古の復活のケリ
ュグマは、早期に信仰告白伝承(Ⅰコリ15・3b~5)と伝道説教型
(使2、3、4、5章)に組み込まれ、両者は原始教会において内と外
に方向づけられて併存した。Ⅰコリ15・3b~5と四福音書の復活顕現
伝承は、一部同一の復活顕現に淵源すると想定されるが、直接の接点を
もたない。両者の関係は従属的ではなく、相互補足的に捉えられねばな
らない。四福音書には「空の墓」の記事が記されている。この伝承の古
層は、もともと受難史のコンテキストにおいて復活のケリュグマとして
の機能を担ったのであり、おそらくはエルサレム教会にまで遡る。ヨハ
ネ20・3~10には「空の墓」の使徒的証明という弁明的動機が観察され
る。四福音書には「空の墓」の記事に続いて、復活者の「顕現伝承」が
記されている(マル16・9~18、マタ28・9~10、16~20、ルカ24・13
~35、36~48、ヨハ20・11~18、19~23、24~29、21・1~14、15~
25)。これらの諸伝承の伝承史的相互関係には、明らかでない点が多い
が、少なくともマル16・9以下は昇天記事(19、20節)も含め、他の福
音書の顕現を形成している。(『聖書辞典』より引用)

1923年6月1日創立