2017/3/26 週報メッセージ

神の家族
朝位 真士
 リック・ウォレン先生の『神の家族へようこそ』より学びましょう。
 私は何のために生きているのか。()神が私を造られたのは、私を愛するためである。()神が私を造られたのは、私が神との個人的な関係を楽しみ、すべての造られたものを治めるという役割を果たすためである。
 ()神を知り、神を愛し、神が私を造られたその目的に従って生きるとき、私の人生にすばらしい祝福がもたらされる。しかし、多くの人はそのような幸いな人生を送っていない。どこに問題があるのか。人間が、神が定められた人生の原則を無視して、勝手気ままに生きようとする生まれながらの欲望を持っている。聖書はこのような態度を「罪」と呼んでいる。ウォレン博士は、「解決はどこにあるのか」と語っている。キリストは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネ14・6)と言っている。イエスはすでにあなたの罪の問題を引き受け、その代価を支払ってくださった。「罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6・23
 天国は完全な世界である。しかし私たちは不完全である。私たちはどんなに努力しても神の基準に到達することはできない。しかし、キリストは、私たちの罪のために十字架にかかって死んでくださった。そして私たち一人ひとりを招いておられる。「もしあなたがわたしを受け入れるなら、あなたを天国へ迎え入れよう。しかし、それだけではない。この地上の生涯においても本物の人生を体験するようになるだろう。」と語っている。
 次回からは、神は私に何を願っておられるのかについて、学んでいきましょう。

2017/3/19 週報メッセージ

   神の家族                                                                 
                                                                                                                       朝位 真士
  リック・ウォレン先生の『神の家族へようこそ』より学びましょう。
 Ⅰ 私は何のために生きているのか
 (1)神が私を造られたのは、私を愛するためである。
 (2)神が私を造られたのは、私が神との個人的な関係を楽しみ、すべての造られたものを治めるという役割を果たすためである。神を知り、神に知られること、そして神を愛し、神に愛されること、これが私たちが創造された目的です。
 (3)神を知り、神を愛し、神が私を造られたその目的に従って生きるとき、私の人生にすばらしい祝福がもたらされる。それは、きよい良心(ローマ8・1)、いのちと平安(ローマ8・6)、人生の目的(ローマ8・28)、確信(ローマ8・31)、生きる力と強さ(ピリピ4・13)、必要の満たし(ピリピ4・19)などです。弱さを覚えている人には助けが与えられ(ローマ8・26)、災いが降りかかってきたときには守りが与えられ(ローマ8・39)、何かに捕らわれている人には自由が与えられます(ヨハネ8・32、36)。これらはみな、キリストとの個人的な関係によって与えられる祝福です。キリスト教は、イエス・キリストとの個人的な交わりです。神は私たちがいのちと平安に満たされ、目的と確信をもって生きることを願っておられます。しかし、多くの人は幸いな人生を送っていません。次に何が問題なのか。一言でいえば、勝手気ままに生きようとする生まれながらの欲望を持っています。しかし、聖書はこのような態度を「罪」と呼んでいます。罪は、神との親しい関係を破壊します。「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」(箴言16・25)しかし、私たちの魂が本当に必要としているものは、神との交わりです。
 次回は、「解決はどこにあるのか」を学びましょう。                                                 

2017/3/12 週報メッセージ

   神の家族
                                                                                                          朝位 真士
  リック・ウォレン先生の『神の家族へようこそ』より学びましょう。
 私は何のために生きているのか
 1、神が私を造られたのは、私を愛するためである。神は言われました。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。」(エレ31・3)また、エフェソ1・4~5、「天地創造の前に、神は私たちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」みなさん一人ひとりは、神に愛されるために造られたのです。
 2、神が私を造られたのは、私が神との個人的な関係を楽しみ、すべての造られたものを治めるという役割を果たすためである。「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』」(創1・27~28)聖書はまた次のように教えています。「むしろ、私たちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。」(Ⅰテモ6・17)神は、私たち人間を全被造物の冠とされました。アダムとエバ以来、世界を治めるという仕事は、私たち人間の手にゆだねられているのです。神の代理人として誠実にその責任を全うしていくとき、私たちは真の充実感を味わうことができるのです。主イエスは言われました。「わたしが来たのは羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネ10・
10)イエスが来られた目的が、私たちにいのちを与えるためであったとすれば、私たちはイエスを知ることなしに本当のいのちを体験することができません。つづく。

2017/3/5 週報メッセージ

   神の家族
                                                                                                           朝位 真士
  リック・ウォレン先生の『神の家族へようこそ』より引き続いて学びましょう。
 「一つの家族」として結び合わせているものは四つあります。一、私たちの救い―神が私たちのためにしてくださったこと。二、私たちの声明―わたしたちの教会の存在意義と目的。三、私たちの戦略―その目的をどう実現していくのか。四、私たちの構造―いつどこでその目的を実現していくのか。
 一、私たちの救い―救いの象徴として行われてきた大切な二つの礼典―バプテスマと聖餐―「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3・26~28)
この箇所で、私たちが神の子どもとされたのは、教会やバプテスマや良い行いによってではなく、「キリスト・イエスに対する信仰によって」と言われている点が重要です。私たちがクリスチャンになって神の家族の一員とされたときから、神の教会に人種差別や性差別、民族主義といったものの入り込む余地はありません。
 次に、だれもが幸せになりたいと考えている主なる三つのこと。一、物を所有すること。二、快楽を経験すること。三、名声と権力を得ること。人はこれらのことによって幸せになろうとします。しかし本当の幸せは、自分の人生の目的を理解することによって得られます。自分の生きる目的を知り、理解することです。
 次回からは、私は何のために生きているのか、何が問題なのか、解決はどこにあるのか、神は私に何を願っておられるのかについて学んでいきましょう。

2月総会を終えて

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写真:2月26日礼拝のお花
本日2月26日(日曜日)に、2016年度第2回目の総会が開催されました。
①2017年度の宣教方針、②2017年度予算、③伝道師招聘の件について、議案に基づき説明があり、提案のとおり、承認されました。
また、④2017年度、2018年度の2か年間の役員選挙が行われました。結果は、来週の日曜日に報告されます。
桜ヶ丘教会の2016年度も主のお恵みの内にあることを感謝します。
昨年の12月、今年1月には、受洗者が各1人ずつ与えられ、お仲間が増えて本当に嬉しい気持ちでいっぱいです。
桜ヶ丘教会も、新しい取り組みなどを検討し、教会、信徒が成長できるように願っております。
全ては、私たちの人間的な思いからではなく、神様の御心のとおりになることを祈り、歩んでいくことを、本日の総会でも確認いたしました。
2016年度残すところ1か月となりました。今年度も様々なところを通されてきましたが、強くなり続ける教会になりたいと思います。そして、神様の愛が感じられるような教会を願っています。

2017/2/26 週報メッセージ

   神の家族
                             朝位 真士

 リック・ウォレン先生の『神の家族へようこそ』より引き続いて学びましょう。
 キリストに自分をゆだね、また神の家族である他のクリスチャンたちに自分をゆだねていくことは、クリスチャンとして成長していく上で必要不可欠な要素です。毎週、私たちの教会にはさまざまな人たちが集まって来ます。性格、家族構成、教育、仕事、出身など、みな異なった背景を持っています。このようにさまざまな人たちが集まっている私たちの教会を「一つの家族」として結び合わせているものは何か、四つの項目を学びます。
 一、私たちの救い―神が私たちのためにしてくださったこと。二、私たちの声明―私たちの教会の存在意義と目的。三、私たちの戦略―その目的をどう実現していくのか。四、私たちの構造―いつどこでその目的を実現していくのか。
 一、私たちの救い
 最初に、クリスチャンになるとは正確には何を意味するのか。そして救いの象徴として行われてきた大切な二つの礼典―バプテスマ(洗礼)と聖餐―について見ていきましょう。(つづく)

2017/2/12 週報メッセージ

   神の家族
                                                              朝位 真士
 先週に引き続き、リック・ウォレン博士の書物より「神の家族」につ
いて学んでいきましょう。「あなたがたは、まさに神の家族の一員であ
り、他のすべてのクリスチャンとともに神の家に属しているのです。」
(エペ二・一九)
 二、神はあなたが神の家族の一員(メンバー)になることを望んでお
られる。「神の家族の一員である」と教えられています。これが神の望
んでおられることです。すべてのクリスチャンは、神の家族の一員にな
るべきだということです。クリスチャンになった時から「普遍的教会」
の一員になりました。それと同時に、自分を養い育ててくれる特定の家
族(地域教会)につながる必要があります。
 三、クリスチャンが教会の交わりに加わらなければ、家族のいない孤
児のようになってしまう。クリスチャンの中には「浮草クリスチャン」
と呼ばれる人たちがいます。毎週いろいろな教会を行ったり来たりする
クリスチャンです。教会めぐりを延々と繰り返すのです。地域教会につ
ながっていなければ、やがて霊的な命が息絶えてしまいます。教会の一
員になるとは、次のように言うことができるでしょう。「これが私の教
会です。この神の家族の交わりの中で、私は与え、受け取り、仕え、仕
えられ、愛し、愛されることを学んでいきます。」
  私たちは自分の教会、桜ヶ丘教会を大事にしていきましょう。キリス
トの体の一部とされた私たちですから。

2017/2/19 週報メッセージ

   神の家族
                             朝位 真士
 前号に引き続き、「神の家族」について、リック・ウォーレン先生の書物より引用します。
 一、教会は神の家族である。
 二、神はあなたが神の家族の一員(メンバー)になることを望んでおられる。すべてのクリスチャンは、神の家族の一員になるべきだということです。聖書においては、「教会」という言葉は二つの異なった意味で使われています。一つは歴史上のすべてのクリスチャンを指して使われている場合で、これを「普遍的教会」と呼んでいます。イエス・キリストを唯一の救い主と信じているクリスチャンはすべて、この「普遍的教会」の一員です。一方「教会」という言葉が、ある特定の地域の限定されたグループを指して使われていることもあります。これを「地域教会」(各個教会)と呼んでいます。クリスチャンになったその瞬間に神の家族の一員とされた私たちは、自分を養い育ててくれる特定の家族(地域教会)につながる必要があります。
 三、クリスチャンが教会の交わりに加わらなければ、家族のいない孤児のようになってしまう。あなたはキリストの体の一部とされたのだと教えています。あなたは、キリストの手であり、耳であり、目であり、鼻であり、内臓なのです。私たちはキリストに人生をささげる(ゆだねる)ことによってクリスチャンになります。そして、他のクリスチャンに自分自身をささげる(ゆだねる)ことによって教会の一員となるのです。

2017/2/5 週報メッセージ

神の家族
                            朝位 真士
 
二〇一七年度の標語はエフェソ二章一九節「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり」で、私たちは神の家族のメンバーであるということが強く心にとどまっています。何回かにわたって、「神の家族」についてリック・ウォレン先生の本より学んでまいりましょう。
 「あなたがたは、まさに神の家族の一員であり、他のすべてのクリスチャンとともに神の家族に属しているのです」(エペソ二・一九)「神の家族」「一員」「神の家」「属している」という聖句から、聖書が教会について何と教えているでしょうか。
 一、教会は神の家族である
 「教会は家族のようなものだ」ではなく、「教会は神の家族である」というのです。教会というのは霊的な家族です。この霊的な家族関係は、実際の血縁関係よりも長く続く関係です。聖書は「天国においては、結婚関係はありません。そこには、永遠に続く、クリスチャンの交わりがあるのです」と教えています。
 家族の中にはいろいろな人がいるものです。強い人もいれば、弱い人もいますし、大きな人もいれば、小さい人もいます。体の丈夫な人やそうでない人もいるでしょう。神の家族である教会においても同じことが言えます。霊的に健康になるために何が必要かについては、後日学んでいきましょう。(『神の家族へようこそ』より)

2017/1/29 週報メッセージ

     聖書の基本的な教え

朝位 真士
 
  神について 父なる神 神は時間と空間とを超越して永遠に存在する生ける霊であり、直接目で見ることはできませんが(ヨハネ四・二四、Ⅰテモテ六・一六)、あらゆる所に存在します(詩編一三九・八)。神は唯一であり(申命記六・四)、絶対的な超越者、また他の何ものにも束縛されない主体性と完全性を保持する人格的存在であり、「聖なるお方」と呼ばれるにふさわしい方です(イザヤ六・三)。神にはすべてを見とおす力(全知)、あらゆる事柄を生じさせる力(全能)といった属性があります。
  世界の創造と統治 神は「天と地」と称される全宇宙と、そこに存在するすべてのものを造られました(創世記一・一、二・二)。神は「万物の存在の目的であり、また原因でもある方」です(ヘブル二・一〇)。神によって造られたのは美しい調和のとれた世界でした(創世記一・三一)。神は世界の究極の所有者、統治者でもあります。神は被造世界を愛し(ヨハネ三・一六)、保護し、その歴史の中に、直接的、人格的に介入される場合があります。神は「今に至るまで働いておられます」(同五・一七)。この神の愛は、人間が罪を犯す前も、その後も不変です(ローマ五・八)。神は人を死から復活させる力をも有し(ガラテヤ一・一)、「父なる神」と呼ばれて敬われます(マタイ六・二六)。
  子なる神、キリスト イエス・キリストは「子なる神」と呼ばれます。キリストは天地万物の創造以前から父なる神のもとに存在しましたが(ヨハネ一・一~二)、人類の救いのためにイエスという具体的な肉体をとってこの世に下りました。
  聖霊なる神 聖霊はみことばとともに人に働きかけ、聖霊のもっとも重要な働きは「イエスは主です」との信仰告白のなされる所で明らかにされます(Ⅰコリント一二・三)。
  三位一体 父、子、聖霊という三つの位格を持つ神は「三位一体」の神としてあがめられます(Ⅱコリント一三・一三)。つづく。

1923年6月1日創立