「週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2020/11/22 週報メッセージ

 「日本信徒前進宣教会」例会に出席して

朝位 真士 

  先日お茶の水クリスチャンセンターで開かれた月例会に出席して、その時の証しを聞き感動したので、その報告をいたします。

 90歳の老姉は生まれつき病弱で、医師もさじを投げたが、クリスチャンになって信仰により病気を治療されました。弱い身体が霊肉健康になり、信徒伝道者となりました。病人を訪問し、お祈りをすると病気の方が元気になりました。死を目前に控えている重病の方も、神様の恵みと祝福を祈ると元気になりました。特に、死に対する魂の平安が与えられ、平安の内に天国へ召されたという話や、十人以上の方々がイエス・キリストを救い主と信じてクリスチャンになられたという生きた証しに、大変感動しました。

 もう一つは牧師の体験メッセージで、イザヤ43・1~2から「感謝」というテーマでした。難病を抱えていながら様々な奇跡を体験し、中高年になって献身されました。以前は事業をされていましたが倒産し、十数億円の負債を抱えました。神様はいろいろな人を通して負債を返納され、献身を決意されました。病身で17年間牧会をされ、現在80歳を超えておられますが、生き生きとした力強いメッセージをされました。

 またある牧師夫妻は90歳を超えておられますが、毎週上野のホームレス伝道に身を挺して、300人以上のホームレスの方へメッセージをしておられます。その後の食事は、私の敬愛しているクリスチャン実業家が用意しています。これらのことが、90歳以上の牧師と高齢の事業者の信仰的善意によって行われています。

 私は伝道者として、兄姉の証しを伺いながら大いに感動させていただきました。主の御名を賛美いたします。

2020/11/15週報メッセージ

主の祈りを考える

朝位真士

朝位 真士    主の祈りは、マタイ6・9~15とルカ11・2~4に記載されている有名な祈りである。主の祈りは、祈りの模範としてキリストが弟子たちに教えたもの、初代教会から礼拝や個人の生活の中でもくり返し唱えられ、教会の宣教と信仰の成長のために役立ってきた。第一に、「天にまします、われらの父よ」である。全知全能の聖なる神を、私たちは父と呼ぶ。神は、私たちを子として訓練してくださるからこそ、天の父なのである。第二に、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ。」これは、子が父を慕うように、何でも祈りなさいと主は勧めておられるということである。第三に、主の祈りの六つの祈願である。それは二つに大別される。前半の三つは神ご自身と神の国のことであり、後半の三つは地上のことについてである。一つひとつの順序にも意味があり、またそれぞれに深い真理が込められている。前半の三つは、実に壮大なビジョンをもった願いである。偶像に満ちたこの世で、真の神のみが畏れられるように、人種差別や境界線の争いの絶えないこの世界に、神の支配(御国)が広がるように、また悲しみと不幸の世界が、真の愛の世界に変えられますようにと祈る。そして、後半の三つの願いは、この理想世界を実現するために欠かせない三つの要素を示している。日用の糧の願いから始まり、飢えからの解放、神によって罪がゆるされて得られる魂の平安、さらに、悪魔の働きからの解放を願う。第四に、主の祈りの根本には、人類の究極の希望、イエスの再臨によって実現する神の国への待望がある。第五に、この主の祈りには、かならず「われらの」とある。祈りは、ひとりで祈るようだが、実はみんなで祈っているのである。群れの祈りである。だから「われら」には、とりなしの意味がある。主の祈りは、全世界の人々が祈るべき祈りである。(『新キリスト教ガイドブック』より)                        

2020/11/8 週報メッセージ

家族伝道に期待する

朝位 真士 

  「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒16章31節)

  フィリピの獄屋でパウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、突然大地震が起こり、牢の土台が揺れ動き、看守が責任を取って自害しようとした時に、パウロが看守に語った言葉が、右記の聖句です。その時、看守が救われて、自分も家族も皆すぐに洗礼を受けたという劇的な場面です。

 1923年、初代板井康裕牧師がアメリカから帰国し、東京都世田谷区桜新町の自宅で東洋宣教会の福音使として伝道を開始しました。その後、同区駒沢に集会所を設けて駒沢ホーリネス教会となり、渋谷駅前の桜ヶ丘に家を借りて渋谷聖教会となりました。1942年、日本基督教団設立と同時に教団に加盟して桜ヶ丘教会となり、1944年、板井先生は杉並区下高井戸一丁目の借地に家を購入して疎開しました。1968年、西海牧師が赴任して、1975年、下高井戸四丁目のマンション、パールハイツ桜上水に移転。1994年に朝位が赴任し、1997年、現在の教会に移転しました。

  ここで私は桜ヶ丘教会に関係の皆様に、主にあってお願い申し上げたいと思います。私たち一人ひとりが家族伝道を徹底していかないと教会の存続は危機を迎えると思います。自分の家族のために毎日5分でも10分でも祈ってください。キリストの証し人、キリストの伝道者として、言葉もしくは生活を通して福音を語り、終末期のこの時代、一人でも多くの方々をキリストの救いに導いてください。もちろんそれは神の働き、聖霊の導きです。そのために毎日祈ってください。祈りは不可能を可能にします。「人にはできないが、神にはできる。」神は何でもできます。今いる方々全員で神の国、天国へ参りましょう。

2020/11/1 週報メッセージ

ハイデルベルク信仰問答より

朝位 真士 

  第1問 生きるにも死ぬにも、あなたの唯一の慰めは、何ですか。

  答 わたしの唯一の慰めは、生きるにも死ぬにも、わたしの体も魂も、わたしのものではなく、わたしの真実の救い主イエス・キリストの所有であるということです。

   主は尊い血をもって、わたしのすべての罪の代価を完全に支払ってくださり、わたしを悪魔のすべての支配から贖い出してくださいました。主は、今も、天にいますわたしの父のみこころでなければ、わたしの頭から髪の毛1本も落ちることのないように、いな、すべてのことがわたしの救いに役立つように、わたしを護っていてくださいます。それゆえ、主は、ご自身の聖霊によって、わたしに、永遠の生命を保証し、今からのちは、主のために生きることを、心から喜び、進んでそうすることができるようにしてくださるのです。(春名純人訳)

  第2問 この唯一の慰めの中で、あなたが喜んで、生き、また死ぬことができるために、あなたはいくつのことを知らなければなりませんか。

 答 三つのことであります。第一に、わたしの罪と悲惨がどんなに大きなものであるかということ。第二に、わたしは、どのようにして、わたしのすべての罪と悲惨から救い出されるかということ。第三に、わたしは、どのように、この救いを神に感謝すべきかということです。

 私はこの問1、問2の答を見てくると、私たち自身の唯一の慰めは真実の救い主イエス・キリストの所有であるということと、私たちが知るべき三つのことをもう一度確認することができました。キリスト教の信仰問答の模範であるハイデルベルク信仰問答をもう一度この機会に学ぶことは、キリスト者として必要なことであると感謝しています。

2020/10/25週報メッセージ

コロナウイルス感染症のこの時期に

朝位 真士 

  コロナウイルス・パンデミックは中国から始まり、現在全世界に広がっています。人類の歴史は黒死病やペストなど感染症との闘いで、前の世紀においても1918年にアメリカから流行したスペイン風邪がありました。当時の総人口の4分の1ほどにあたる5億人が感染し、4千万人が死亡したとされます。

 私共の国も東日本大震災とそれに伴う原発事故に見舞われました。それから十年足らず、復興の証としてオリンピックを開催する直前にパンデミックに襲われるとは、誰が予想したでしょうか。私は最近、『コロナウイルスとキリスト』(ジョン・パイパー著)という本を読みました。この中に、神はコロナウイルスを通して何をしようとしておられるのかについて記されていました。著者は道徳的な恐怖を目に見える形で示します。

  神は、コロナウイルスの大流行によって、ほかのどのような大災厄の場合とも同じく、神を軽んじる罪が、どれほど道徳的に恐怖すべき、霊的に醜悪なものであるかを、目に見える物理的な形で世界に示しておられる。「神は、私たちが御怒りを受け(ない)・・・・・・ように定めてくださったからです。」(Ⅰテサ5・9)私たちも、ほかの人々と同じように、病や災害によって死ぬ。しかし、キリストにある者らの場合、死の「とげ」は取り除かれている(Ⅰコリ15・55)。「死ぬことは益です。」(ピリ1・

22)を去ることは「キリストとともにいる状態になること」です(ピリ1・23)。神が物理的世界を呪いの下に置かれたのは、この世の病や大災厄に見られる物理的に恐怖すべき現実を、罪のすさまじさが生々しく示された写し絵とするためではないか。物理的な悪は、神への反逆という道徳的な暴力を指し示すたとえ話であり、劇であり、道しるべなのである。その苦難は、訓練であって、滅びではない。「主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子にむちを加えられる」(ヘブル12・6)のだから。

2020/10/18 週報メッセージ

ハイデルベルク信仰問答より                                              朝位 真士 

  ハイデルベルク信仰問答は、入門講座で学ぶべきテキストです。私の教会では部分的にしか学んでいませんが、大変信仰の手助けになる問答です。第1~第2の問は唯一の慰めについて。第3~第4、第11問は人間の悲惨について。第12~第85問は人間の救いについて。その中で、第26~第28問は父なる神について。第29~第52問は子なる神について。第53~第64問は聖霊なる神について。第65~第68問は聖礼典について。第69~第74問は聖なる洗礼について。第75~第85問はイエス・キリストの聖なる晩餐について。第86~第129問は感謝について。その中で、第116~第129問は祈りについて。

 一つひとつを学ぶには時間がかかりますが、各人でハイデルベルク信仰問答を学ばれると、大変信仰が充実してくると思います。私は全部を完全に理解していませんが、部分的にでも学ぶと大変有意義だと思います。例えば、問3~11、人間のみじめさについて。問3~5、罪の認識。問6~8、原罪。問9~11、罪に対する罰。問12~85、人間の救いについて。問12~15、罪責、償い、仲保者。問16~19、真の仲保者(福音)。問20~23、まことの信仰。問24~25、三位一体。問26、父なる神。問27~28、摂理。問29~30、救い主イエス。第31~32、キリスト、キリスト者。問33~34、神の子、われらの主。問35~36、処女降誕。問37~39、苦難と十字架。問40~44、十字架の死の意義。問45~48、復活、昇天、臨在。問49~50、昇天と支配。問51~52、かしらなるキリストと再臨。問53、聖霊。問54~56、教会、聖徒の交わり、罪のゆるし。問57~58、体の甦り、永遠の生命。問59~61、信仰による義。問62~64、信仰とわざ。問65~68、説教と聖礼典。問69~71、洗礼。  問129まで恵みが満載で、信仰生活の手引書です。                            

2020/10/11週報メッセージ

ハイデルベルク信仰問答より                                              朝位 真士 

  ハイデルベルク信仰問答は、入門講座で学ぶべきテキストです。私の教会では部分的にしか学んでいませんが、大変信仰の手助けになる問答です。第1~第2の問は唯一の慰めについて。第3~第4、第11問は人間の悲惨について。第12~第85問は人間の救いについて。その中で、第26~第28問は父なる神について。第29~第52問は子なる神について。第53~第64問は聖霊なる神について。第65~第68問は聖礼典について。第69~第74問は聖なる洗礼について。第75~第85問はイエス・キリストの聖なる晩餐について。第86~第129問は感謝について。その中で、第116~第129問は祈りについて。

 一つひとつを学ぶには時間がかかりますが、各人でハイデルベルク信仰問答を学ばれると、大変信仰が充実してくると思います。私は全部を完全に理解していませんが、部分的にでも学ぶと大変有意義だと思います。例えば、問3~11、人間のみじめさについて。問3~5、罪の認識。問6~8、原罪。問9~11、罪に対する罰。問12~85、人間の救いについて。問12~15、罪責、償い、仲保者。問16~19、真の仲保者(福音)。問20~23、まことの信仰。問24~25、三位一体。問26、父なる神。問27~28、摂理。問29~30、救い主イエス。第31~32、キリスト、キリスト者。問33~34、神の子、われらの主。問35~36、処女降誕。問37~39、苦難と十字架。問40~44、十字架の死の意義。問45~48、復活、昇天、臨在。問49~50、昇天と支配。問51~52、かしらなるキリストと再臨。問53、聖霊。問54~56、教会、聖徒の交わり、罪のゆるし。問57~58、体の甦り、永遠の生命。問59~61、信仰による義。問62~64、信仰とわざ。問65~68、説教と聖礼典。問69~71、洗礼。  問129まで恵みが満載で、信仰生活の手引書です。                          

2020/10/4 週報メッセージ

今日まで守られて感謝

朝位 真士 

  「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)

  私は1961年12月24日クリスマスに受洗した。当時18歳の高校生であった。九州で友人のM君によって教会に導かれた。伝道者として献身する前は小さな会社に九年間勤務し、東京転勤と同時に淀橋教会の故小原十三司先生にご指導をいただき、1975年、神学校(東京聖書学校)を卒業と同時に母教会である北九州復興教会に赴任。清水会堂と曽根会堂(当初は農家の民家、後に新会堂)の二つの教会において、家族(フミ子牧師、憲義牧師(琴平教会)、真奈)4人で19年間御用させていただく。

 1994年、ホ群人事で西海静雄、満希子両師の後任として、当時マンション教会であった桜ヶ丘教会に赴任。フミ子師は東京聖書学校の音楽教師と牧師の二足のわらじ。その間、長男憲義は献身して東京神学大学に編入して四年間の神学の学びを終え、藤沢教会に伝道師として赴任。数年前より琴平教会に赴任して牧会にあたる。娘真奈は結婚して二人の子供のママとなり、子育てに専心。私は前立腺がんを発症し、治療しつつ牧会に励んでいる。2003年より、女子少年院の教誨師、篤志面接員を委嘱され、社会奉仕にあたらせていただいている。

 桜ヶ丘教会赴任26年目を過ぎて、創立100周年(1923年創立)記念を目指して、教会員一同と共に祈りと牧会、宣教に励んでいる。現在新型コロナウイルス流行の中、教会は工夫しながら礼拝を守っている。ユーチューブ配信も、役員の配慮によって継続されている。

 「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8:28)

2020/9/27 週報メッセージ

高齢者の生き方

朝位 真士 

  高齢者にとっての教会、教会の高齢者への対応について考えます。

高齢者にとっての教会 

  • 幸いな教会生活

高齢者にとって、教会の存在は何重もの意味で幸いであると言うことができます。教会に集い、その交わりの中に身を置くことは、肉体的にも精神的にも霊的にも良い結果につながるからです。歌う、聴く、人と交わり「祈り合う」ということをすることによって、心身に刺激が与えられ、霊性に祝福がもたらされるからです。教会出席は、すばらしい老化対策であると言えます。たとえ健康の理由で出席が許されないとしても、教会の祈りに覚えられていることは、それはそれで、いかに大きな祝福でありましょうか。

  • 高齢者は教会の宝

人生の先輩、信仰の先輩としての高齢者たちが礼拝に喜んで出席している姿は模範であり、励ましであり、慰めであるからです

 教会の対応

  • 教会が高齢者への敬愛の精神を高める必要

教会において、高齢者が尊ばれ大切にされることは神のみこころであり、聖書の教えにかなったことです。「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である」(レビ19・32)ということばが表している精神は、普段から教会の中で教えられ、養われ、実践される必要があります。これらのことについて、どのようなことが考えられるでしょうか。①教会が高齢者への敬愛の精神を高める必要。②教会が高齢者の奉仕できる場を提供する必要。③教会が高齢者に配慮し、高齢者が不自由しない設備を整える必要。何よりもあたたかい言葉をかけ、失礼のないようにしたいものです。(『クリスチャン生活百科』より)

2020/9/20週報メッセージ

牧会雑感                                                                 

朝位 真士 

  聖書マタイ7章7節~11節、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。・・・・・・このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」

 少し長い箇所を引用しました。私は社会人になってからも、4年間の神学生時代にも、早起きしてまず聖書を読み、祈りに30分から1時間かけて、デボーションの時間をもたせていただいています。テキストとしてアパルームや『信徒の友』の日課の聖書を拝読し、黙想し、具体的な祈祷課題について時間をかけて祈っています。多忙な現代人には、このような至福の時間をもつことは不可能でしょうが、私は幸い神様に仕える主の僕として、このような尊い時間をもたせていただいています。

 先日、ある方から祈祷課題が示されました。具体的には申し上げられませんが、その方の会社員が39度の高熱を出していて、もしコロナに感染したら会社も家族も大変だという緊急課題でした。日頃から良き交わりをしている兄弟の祈りの要請でした。その課題について何十回祈ったことでしょうか。神様の御心を示してくださいと、本当に真剣にお祈りさせていただきました。その翌日、兄弟から喜びの電話をいただきました。風邪であったということです。私がこの件で考えたことは、祈りは神様の御旨が優先するのだということです。必ずしも私共の願い通りには答えられないかもしれませんが、「ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8章28節)ハレルヤ!!