2020/7/12 週報メッセージ

朝祷会の恵み 

朝位 真士 

  私は牧会の助けの一つとして朝祷会(超教派の祈り会)に出席しています。信徒(1961年12月、北九州復興教会の山中日出刃牧師より受洗)の時も、9年間サラリーマンとして仕事に支障のない限り、北九州と東京で早朝七時過ぎからの祈祷会に出ていました。牧師になってからも朝祷会によく出席しています。これが超教派の方々との交わりの原点となっています。

 最近出席した青山朝祷会で、浜田耕司郎牧師の『祈りの道』という御本に出会って、いくつかの感銘を受けました。その中の「神との時間」という項目の中で、「祈」という八木重吉の詩が記載されていました。「ゆきなれた路のなつかしくて耐えられぬように、わたしの祈りのみちをつくりたい」とありました。浜田先生は「私たちが歩んでいるキリスト者の道は、地図にもない未踏の小道ではありません。使徒・聖徒・先輩兄姉らによって踏み固められた大道なのです。それと同じく、祈りの道は主イエスによって切り拓かれた父神に至る道、イエス御自身がそのものでもあります。そして、その道を進む原動力は聖霊である祈りの霊です。」と述べておられます。

 他の箇所では「優先順位」として、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6・33)が紹介され、祈りの習慣をつくることや、神との時間をつくることの大切さを訴えておられます。例話としてアサヒビールの樋口廣太郎兄が出てきます。会社の危機を救うために社長として派遣された時のこと。彼は「主よ、何とかしてください」とは祈らず、「主よ、感謝します。シェアが拡大し、社員とその家族全員が喜んでいます。お客様にも喜ばれています。ありがとうございました」と、既にそうなったこととして祈り続けました。領収書の祈りに徹し、請求書の祈りは一切しませんでした。結果はと言えば、彼の祈りと熱意によって新商品が生み出され、会社の危機は救われ、感謝した通りになったということです。私たちも領収書の祈りに徹しましょう。