涼しすぎる8月末

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 8月末ですが、急に涼しくなりました。
涼しすぎる昨日、今日ですが、何か少し、寂しさも感じるくらいです。今まで側にいて暑いなあと感じさせていた夏が、一気に姿を消してしまった感じですね。
しかし、残暑は戻ってくるでしょう。
 さて、8月23日の礼拝のお話は、「大きな苦難を予告する」というテーマでのお話でした。
 終わりの日についての予言のお話でした。
 荒らすべきものの出現、苦難の日々、偽キリストの出現という3つのものの出現があると言うことでした。
 激しい迫害の中においても、聖霊の働きによって、宣教の助けがあるということでした。
 この世の混乱において、なすすべもないことが起きたとしても、忍耐の後に、産みの苦しみから喜ばしい将来への開門があると言うことでした。
 イエスをメシアであると告白することが真実の宗教、真実の信仰の印で有り、私たちはしっかりここにとどまり、偽者に惑わされることなく歩いて行かなければならないと教えていただきました。
 日本では、江戸時代においては、キリスト教に対し世界に類を見ない程残酷な迫害の歴史があります。現在は、信仰の自由が保障され、私たちは、信徒として、しっかりと礼拝を献げて過ごすことができています。
 迫害にあった多くのクリスチャンのことを考えますが、自分達も、苦難のときにも主を信じていけるようにと強く感じました。
 また、その日はいつ来るということよりも、日々の闘いであるとも考えられます。イエスキリストによりたのみ、日々を過ごしていけるように賢くありたいと思います。
 

2015/8/23 週報メッセージ

     M兄の召天の報に接して
                                                                                                         朝位 真士
  さる8月17日午前2時過ぎに急逝されたM兄の召天の連絡を娘さんから受けて、8月19日午後6時に前夜式を、翌20日午前10時45分に告別式を行いました。88歳9ヶ月の生涯でした。M兄は大正15年11月2日に5男2女の長男として浜松市で誕生され、父親の仕事の関係で浜松から東京佃島に引越し、その後結婚されるまで横浜に居住されました。昭和30年10月、K姉と結婚され、長女が昭和31年11月に誕生されました。結婚17年後初めて桜ヶ丘教会に来られ、故西海静雄牧師により昭和46年12月19日受洗されました。その後桜ヶ丘教会の会員として、教会の発展にご夫妻で尽力されました。特に新会堂建設のために財務担当役員として長くその重責を担ってくださいました。不可能と思える会堂建設では、信仰的決断をもって積極的にご奉仕くださり、物心両面の必要が与えられたのは、M兄の信仰的積極性の故だったと感謝しています。
 私がM兄に最後にお会いしたのは、7月31日の午前に訪問し、M兄姉と娘さんの4人で兄の病状を気遣い、聖書を引用し、お祈りをさせていただき、M家を出ました。その後8月3日に救急車で搬送され、4日午前2時入院。6日朝、急性心不全となり、17日午前2時過ぎ、敗血症という病名で88歳9ヶ月の生涯を全うされました。「主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。」(詩116・15)
 Mさんは、『桜ヶ丘教会90周年記念誌』に次のような文章を記載しています。「教会役員として、また会堂建設の会計担当者として私も会堂建設に関わらせていただきました。……これからは、与えられたこの立派な会堂に溢れるほどの会衆と共に礼拝を守ることを目標として頑張っていけたらと思っています。」私共は、Mさんの遺志を思い、天にいるM兄をはじめ桜ヶ丘教会の方々の祈りを実践したいと思います。

M兄弟の思い出

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 8月17日(月曜日)に、M兄弟(88歳)が天に召されました。
 いつも礼拝をお休みすることなく、奥様と御一緒に出席されていました。また、とても皆様から頼りにされてました。
 寂しさを感じてなりません。教会の会計等運営に関する事などをご心配され、「大丈夫?」とお声をかけてくださいましたこと、本当にありがとうございます。
 これからは、M兄弟の次の世代で頑張っていかなければならないと肝に銘じております。主の憐れみのうちに、今までも何とか教会の試練を乗り越えてきました。
 桜ヶ丘教会の100周年も後8年後です。その事をお伝えし、100周年の記念誌にも原稿を投稿いただけるようお願いしたことを思い出します。
 Mさん、本当にありがとうございました。会堂建設の際も、力強い分析力と確かな資金計画等で、お支えくださいました。
 奥様には、教会の昼食作りのご奉仕を長年していただき、食事会から会堂建設への献金もいただきました。この時も、Mさんのお支えがあってのことと深く感謝しておりました。
 本当に、静かに私たちを見守ってくださっておられましたが、いざというときには、しっかりした助言により責任という言葉を思い出させてくださいました。
 奥様の今後のことにおいては、神様の最善の道が整えられますようにこころからお祈り申し上げます。
 また、お嬢様やお孫さん達、M兄弟のご遺族の皆様に主の慰めがありますように。豊かな祝福がありますようにお祈り申し上げます。
 
 

2015/8/16 週報メッセージ

   夏期休暇が与えられて                                                                 
                                                                                                         朝位 真士
  皆様のお祈りとお支えをいただきまして、8月10日~13日迄夏期休暇を与えられ今日迄守られたことを感謝いたします。今回は、四国の琴平教会と香川教会を問安させていただきました。10日午前11時過ぎ、高松空港に香川教会の隅野牧師と憲義牧師の出迎えにより、まず腹拵えをするために名物のうどんをいただきました。その後、香川教会の会堂と付属施設カナン福祉センターを見学しました。香川教会は、現住陪餐16人、礼拝17人、CS2人、経常収入4,463,009円、ご夫妻で牧師として活躍しておられます。現在、老人介護施設も開設中であり、40代の若手のホープです。東京聖書学校を卒業されて、四国の香川で宣教牧会をしておられる先生方です。祈りの課題は、救われる魂が起こされること、病や試練にあって教会に来られない方々のために、カナン福祉センターに関わる方々が救われるように、などが与えられました。
  次に、琴平教会に到着して、憲義牧師の牧会2年目の教会に2泊させていただきました。現住陪餐40名、礼拝25名、CS9名、経常収入5,283,670円、祈祷課題1、何よりも主日礼拝を第一に守ること、2、聖書を毎日読み、御言葉を蓄えること、3、他者のために日々覚えて祈り、御言葉を伝えること、4、病床の方を覚えて、健康が守られるように、5、新年度に洗礼志願者が新しく生み出されるように覚えて。私共は地方伝道、牧会を
19年間させていただきましたが、何よりも地元の方との関係を築くことに時間がかかります。本当に忍耐のいる種まきです。憲義牧師に良きパートナーが与えられると、苦しい伝道の中でも二人で楽しく祈りながらできると思います。
 孫家族にも同行してもらったので、オプションとして高知のアンパンマン・ミュージアムを見学し、坂本龍馬記念館にも行くことができました。飛行機が遅れ、大きく振動した時、ガリラヤ湖の小舟の上の弟子たちの心境になり一寸心配でしたが、守られ感謝でした。                                   

戦後70年目を覚えての礼拝

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 本日は幾分しのぎやすい暑さの1日でした。
 このところの暑さに関しては、記録的という言葉を何度も耳にしましたが、今日すこし穏やかな暑さの中で、日曜日の礼拝を守ることができ、感謝です。
 
 70年前に広島、長崎に原爆が投下された日を覚えながら、大きな犠牲の上に現在の平和があることを改めて認識するとともに、この平和を守ることを大切しなければならないこと、主にある平和が世界に訪れることを祈りました。
 私たちは、平和の使者として、主から遣わされているとも言えますから、日々、心にシャローム、平和であれという思いで、生活をしていかなければと強く思います。
 さて、 今日の聖書のお話しは、「律法学者とやもめの信仰」といテーマでの内容でした。(マルコによる福音書第12章38節~44節)
 律法学者は、特権階級の衣を身にまとい、その社会的地位からも人から敬われたということですが、問題は、彼ら
がそのことを好み、執着さえするよになり、自我に生きる人間のエゴともいうべき醜い現実を持っていたということです。そこを、イエス様は、厳しく指摘され、非難されたということです。
 私たちも、そのように弱い一面を持ち合わせており、人の上に立つ者は、ともすると、執着してしまう傾向を持っておりますね。
 律法学者とは対照的な存在として、「やもめ」が取り上げられていて、このやもめの話を通し、献金することの真の意味を教えていただきました。
 金持ちたちは、多額のお金を神殿において献金箱に入れましたが、その金額は、彼らにとってなんら彼らの生活に影響を与えるようなものではありませんでした。次に貧しいやもめが神殿にやってきて、彼女にとっては生活費のすべてであった硬貨を献金箱に入れました。その額は、とても少額ですが、それは、生活のすべてを神にささげ、完全に神に献身しているからこそできた行為であったとのことでした。
 そして、イエスは、やもめの態度と生き方に感動され、弟子たちにやもめは誰よりもたくさん献金をしたと言われました。富んでいてもわずかしか捧げることができないという現実があります。神への礼拝で1番大事なことは魂の問題であるということです。
 貧しいやもめのように、自分をすて神に生きることができるということは、神の人といえるということです。
 献金とは、献身のしるしであり、感謝の表現であり、信仰の実践であるということです。
 神の福音のため、人を支えるために用いていただける献金について、私たちはつまずくことがないように、貧しいやもめの信仰にならって、真の豊かさを手に入れたいと思います。
 まだまだ、暑さが続いていますので、教会の皆様が、熱中症にならずに乗り切ることができるように祈りつつ、過ごさせていただきます。

2015/8/9 週報メッセージ

   ホ群首都圏夏期聖会に出席して
                                                                                                        朝位 真士
 
  第26回ホ群首都圏夏期聖会が7月21日~23日迄、ハートピア熱海で82名の参加を得て行われた。今回の主講師はホ群委員長村上義治先生で、聖会ⅡとⅣの2回のメッセージを語られた。主題は「きよきに生きる喜び」(Ⅰテサロニケ5章12~20節)であった。
 開会聖会、司会横山基生師、説教大友英樹師、「真理による聖別」(ヨハネ17章1~19節)。聖会Ⅱ、司会西海満希子師、説教村上義治師、「信仰・希望・愛」(Ⅰテサ5章1~10節)。早天聖会、司会野口佳男師、説教東海林昭雄師、「どんなことにも感謝」(Ⅰテサ5章16~24節)。聖化講演、司会貴村かたる師、講演深谷春男師、イザヤ6章1~13節より「『聖』という概念」という題で、神学的・実践的に語られた。
 聖会Ⅳ、司会朝位真士、説教村上義治師、「常時喜悦、不断祈祷、万事感謝」(Ⅰテサ5章1~22節)と題して、今回の主題である「きよきに生きる喜び」について、聖書から神学的に具体的に、またご自分の牧会体験を通して語られた。牧師としての四十年の集大成を心おきなく語られた。招きには、ほとんど全員が恵みの座に出て、神の前に再献身の思いをさせていただいた。村上先生は神学校の同期(75年卒業)で、本当に共に群や教団の歴史の中を歩んできた。
 聖会Ⅴ、司会深谷美歌子師、説教横山義孝師、「忠実な良い僕」(マタイ25章1~30節)、牧会六十年の大ベテランとして、88歳とは思えない溌剌とした、若々しい、力強いメッセージであった。先生は「これが私のダイイング・メッセージだ」と語っていたが、まだまだこれからも我ら若輩をご指導していただきたい。
 今回も聖会実行委員長として責任が果たせたことは、桜ヶ丘教会の皆様方並びに朝祷会の方々、ホ群教会の皆様の力強いお祈りのお陰だと、神様に深く感謝を申し上げたい。なお暑さに負けずサタンに勝利しよう。ハレルヤ!!

8月の教会

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 厳しい暑さの真っ只中にいる感じですね。
 それでも、風が吹くと気持ちがホッとします。
 また、扇風機の風を十分活用し、夏の暑さも楽しめるように工夫したりしていますが、皆様は暑さをどのように乗り切っておられますでしょうか。
 さて、昨日8月2日(日曜日)の礼拝の説教は、「ダビデの子」というテーマでした。(聖書箇所:マルコによる福音書第12章35~37節)
「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか」というダビデの子についての問答について、イエスが言われたことについての、お話でした。
<ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。『主(神なる主)は、私の主(主なるキリスト)にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵を、あなたの足もとに屈服させるときまで」と>
キリスト(救い主)として.この世に到来したイエスは、旧約の預言通り、ダビデの家系から生まれたものであっても、ダビデの子ということは出来ない。
キリストは肉の系図を超えたものであって、神の子であるとうことを明らかにされることにより、人間的な血筋をはるかに超えたものであることを、証明されたと言うことです。
 権威問題に対する律法学者たちの認識の誤りを指摘され、メシアがダビデの子孫から現れるという一面だけを強調することから、神から遣わされた世界の救い主であるという肝心な点を見失っていたことを指摘されたと言うことです。
 私たちは、この世が示す権威、人間が形作った見える権威に従属しやすい弱い面があります。しかし、この世の権威からはほど遠い石ころのような無力な者さえも、主は用いてくださり、主の権威により、わたし達を様々なところに遣わされていることを思います。この世の間違った権威に従うことなく、主の権威の下に希望をもって歩みたいと思います。
 自分を主に委ねて、日々の一歩を、主に仕えて踏み出したいと思いますね。
 主の憐れみの目を通して、私たちはこの世界を見つめていきたいと思います。

2015/8/2 週報メッセージ

   「改訂宣教基礎理論」二次草案
                                                                                                        朝位 真士
  Ⅳ宣教の対象 2.異教国日本に生きる同胞たち ⑤キリスト者の証しの生活は多様です。夫婦、親子、兄弟姉妹、友人などとの関係において、キリスト者は多くのよい証しを立てることができます。また、葬儀や結婚式など、教会で行われる儀式は重要な伝道の場となります(Ⅰペト2・12、同3・15、フィリ4・8、ロマ12・2)。
 ⑥他宗教の儀式に参列するときには、相手の信仰を重んじ、また、品位ある態度で祝意や弔意を表すことは大切です。しかし、そこで行われているのと同じような宗教的しぐさが必ずしも求められているわけではありません。また、お墓のあり方など、福音と日本人の宗教意識、家族意識などがぶつかる場面には、十分な配慮の下にふさわしいあり方が求められます。
 Ⅴ宣教の方法 では、どのようにして宣教の業を進めていったらよいのでしょうか。言うまでもなく、各個教会の形成とその充実はもっとも基本的に求められているものです。その中でも、説教と聖礼典の充実は何よりも急務でありましょう。なぜなら、説教と聖礼典を通してキリストご自身が現臨され、聖霊の助けにより、神との和解が現実に起こることが宣教の中心だからです。そこから信徒の証しの生活が必然的に生まれます。それと同時に、宣教のためには常に、全体教会の健全な育成と成長により、各個教会の伝道協力がとどこおりなく行われることが必要不可欠です。ここでは具体的に、日本基督教団の形成について論じられます。
 1.各個教会の形成と充実 ①宣教においては、神の招きの御言葉が宣べ伝えられ、それによってキリストの体なる教会が形成されていき、さらに教会によって宣教が進められていきます。すべてのキリスト者は、そのために、その全存在が、全生涯にわたって召されています。また、「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです」(Ⅰコリ9・22)とあるように、それは基本的に言って、神に仕え隣人に仕える奉仕の業です。つづく。

梅雨も明けて本当に暑いですね

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今日の日曜日も厳しい暑さの1日でしたね。
主のお恵みの中にあり、礼拝に出席することができ、平安な気持ちと新たな勇気を得させていただきました。
また、今日はそうめんの昼食で、少人数でしたが、家族のようにホッとする団らんの一時をもたせていただき、感謝いたします。
本日のお話は、「最大のいましめ」というテーマでした。
『「心をつ尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する」ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。』
という箇所からのおはなしです。
この教えは旧約の律法の中にもあった言葉ですが、イエス・キリストによって、律法から愛の教えとしてお話がなされたということです。
神の国の真理に近いと言うことでした。
私たちは、形にとらわれてしまいがちで、献げ物をすることが大切と思ってしまいがちですが、愛を実践することが優れた献げ物であるということを、きちんと心に刻まなければなりませんね。イエスは、「神への愛と人への愛が、真の信仰者の態度であり、基本的なものであることを教えられた。」とお話いただきました。
また、「他人にあだを返したり、恨みをいだくことをいましめ、愛をもって対する事が真の人間の態度である」とも、お話に出てきましたが、現実の生活での実践は難しい時もありますね。
しかし、私たちは陥りがちであることを肝に銘じて、愛の実践とは何かを、毎日の生活で考え行動して行けたらと祈り、この1週間も過ごしていきましょう。
 病の中で闘っておられる兄弟姉妹のためにも、今日の礼拝では皆様で心をあわせて祈りました。日々、祈っていきます。

2015/7/26 週報メッセージ

   病気の方のために祈って欲しい
                                                                                                          朝位 真士
 
  最近病気の方が多くなっているので、より多くの時間祈りを必要としています。私が病気訪問させていただいた時必ず引用する聖書箇所があります。ヤコブ5章13節から18節です。次のように書いています。
 
  あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。あなたがた
 の中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基
 づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が
 赦してくださいます。だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正
 しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、
 雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、3年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈
 ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。
 
必ずと言っていいほどこの言葉を読んで、お祈りをさせていただきます。
  教会には最近、癌患者の方が3人おられます。1人は男性で、今月末頃に手術をされます。彼は以前癌の手術をされ、転移して他の箇所の手術となりました。2人は女性ですが、1人は手術をされて現在治療中です。もう1人は在宅でケアをされています。高齢の御婦人で加齢黄斑変性という目の病気で、現在も治療中です。年齢を重ねると病気になりやすくなります。私自身も現在医者にかかっています。最近浮かんでくる御言葉は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに求めておられることである」(Ⅰテサ5・16~18、口語訳)です。神の御心を求めつつ過ごしている毎日です。

1923年6月1日創立