2016/6/19 週報メッセージ

   誕生から 受洗まで
                                                                                                         山本 潤
 私の所属教会は、京王線調布駅前にある調布教会です。
 私は、父親の仕事の関係で、小学校を3校、中学校を2校、転校しました。私の両親は、キリスト者ではありませんが、それぞれの転校した学校で始めて友達になった友人が教会学校に集っており、すぐに教会学校に誘われて、いつも毎週教会学校に通っていました。高校時代も、同様に友人に誘われ、礼拝に出席していました。神様は私を離しては下さらなかったのです。今、中風の人が友人によって主の前に出されたように、多くの友人の祈りによって支えられていたことが思い起こされます。
 しかし、大学生なると誘惑も多く、教会を離れる日々が続いていました。教会学校での奉仕も与えられていましたが、土曜の夜も夜遅くまで遊んで帰宅することが多くあり、日曜日の朝起きることはできません。教会学校が始まる時間にかかってくる教師から電話で起こされ、目を擦りながら徒歩5分の教会に駆けつける日々が続きました。神から離れてしまいそうな私の救いについて、教会学校教師や牧師も祈り続けて下さっていたのです。
 ある電機メーカに就職した頃には、毎週礼拝に出席していましたが、始めに与えられた仕事は、自分の希望とは全く異なる「光」に関連する装置の開発でした。なぜ、これを自分が担当しなければならないのかと悶々とし、数ヶ月間上司にそれを何度も訴えました。今思うと、自分の技術に傲慢になっていました。そのようなことにも気がつかず、悶々とした数か月を過ごしていました。ある時、ふと聖書を開くとヘブル書12章「主の訓練」の御言葉が入ってきました。そこで、今の状態は、「神がこれまでも導き続け、今は私を訓練してくださっている」ことに気づかされ、「主」を受けいれました。神様は、私のような放蕩息子の帰りを待っておられたとことへの感謝から、仕事に懸命に取り組み始めました。そして、27歳のクリスマスに受洗に導かれました。