2016/7/10 週報メッセージ

   全き愛への全き明け渡し
                                                                                                           朝位 真士
  「実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。」(Ⅰテサ4・3)
 「きよめは、私たちに対する神の御意であり、神の命令であり(Ⅰテサ4・7)、神が私たちに分与したく願っておられるものであり(ヘブル12・10)、神が私たちのためになそうとしておられるものであり(Ⅰテサ5・23)、それなしには主に見えることのできない不可欠のものである(ヘブル12・14)からです。」(F・アボット『聖化』、福音文書刊行会)
 ホーリネスの特色の一つ「聖化」を説明した文章を引用しましたが、私はホーリネス系の教会(教団北九州復興教会)で18歳の時に救いにあずかり、箱根のケズィック・コンベンション(聖会)に出席して、ジョージ・ダンカン博士よりメッセージを聞き、一晩中徹夜で祈り、1975年神学校を卒業して41年目を迎えています。その時きよめ(聖化)の経験をしました。私のきよめの理解は、神が聖なる方であるから、私たちもきよくならなければならいということです。それは、自分の努力や修行でなされるものではなく、神の一方的な働き、聖霊の働き以外のなにものでもありません。どうしたらきよめを体験できるのでしょうか。私の場合、聖書と信仰と祈祷と聖霊の満たしによって体験させていただきました。
 ホーリネス(聖化)は、神の全き愛であり、私共の全き明け渡しであり、聖霊に満たされた信仰による確信です。「私心無きように」というある恩師の言葉が心に残ります。きよめは他者と比較することではなく、神の言われるままに素直に従うことです。神に心を明け渡して信仰をもって従うことであり、神に栄光を帰することです。私共一人ひとりもホーリネス人として、きよめの体験をさせていただきたいものです。