2015/10/4 週報メッセージ

   洗礼を受けるにあたって
                                                                                                        朝位 真士
  9月20日の礼拝で、O姉が受洗されました。姉は昨年12月21日のクリスマス礼拝より求道生活をされ、洗礼を受けるように導かれました。本人の許可を得て、次の文章を転記します。
 
  仕事をしていて人の口より神様より他に知らない事が聞こえて来たり、テレビ等で教えてもらった事など、
 神様に生かされている自分を感じました。イエス・キリスト様だとは、気づかない私が神社にお願い事を沢山
 していました。ある時、姉と私が電話していて、クリスチャンである姉が私に「御利益信仰ばかりではだめ
 よ」と言われたので、私もそうかもしれないと思い、「キリスト教は人格の神様なのよ」と言われ、どんな神
 様なのかしらと思っていたら、姉より「教会に行ってみなさい。調べてあげるから」と言われ、電話番号を教
 えてあげるからと言われ、電話番号を教えてもらい桜ヶ丘教会に問い合わせたら、午前十時半から礼拝をや
 っていますから、どうぞという答えがありましたので、二〇一四年十二月二十一日に行きました。私も最初は
 何かわからなかったが皆様に教えて頂き無事過ぎました。こちらの神様に信仰しなかったら、お恵みを沢山い
 ただけるのに申し訳がないので、こちらの教会に通う事が良いのではと思いました。生きた神様だと思いまし
 た。
  これがきっかけでした。今は神様がいつもいらして下さるのを感じ、未熟な私でも神様に教えていただきな
 がら、成長するのが楽しみです。こんな私でも神様は愛し救って下さったのだと感謝しています。皆様には今
 後とも御指導、お導き下さる様よろしくお願い申し上げます。最後に御言葉を引用します。「わたしは植え、
 アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」(Ⅰコリ3・6)
 
 O姉の信仰が成長される事を神に祈るものであります。

2015/9/27 週報メッセージ

   この頃の出来事
                                                                                                       朝位 真士
  今年の夏から秋にかけて私自身経験したことは、天国へ召される方が例年になく多かったことです。最初の方はS先生です。7月8日に82歳で召天されました。6月24日に先生のお宅を訪問し、病床の先生にお会いしました。入信・献身・結婚・牧会等についてハッキリとした口調で約1時間半語ってくださり、その後2週間余で天国へ旅立たれました。
 次は私共の教会の役員を長くされたM長老です。8月17日午前2時過ぎに天国へ旅立たれた。88歳9ヶ月の生涯でした。7月31日にM夫人と娘さんと3人にお会いし、聖書を引用してお祈りをし、家を出ました。彼は90周年誌に次のような文章を記載しています。「教会役員として、また会堂建設の会計担当者として私も会堂建設に関わらせていただきました。……これからは、与えられたこの立派な会堂に溢れるほどの会衆と共に礼拝を守ることを目標として頑張っていけたらと思っています。」私共はM長老の遺志を思い、天にいるM長老をはじめ桜ヶ丘教会の方々の祈りを実践したいと思います。
 次はT姉です。9月3日に74歳6ヶ月で召天されました。私は8月28日午後訪問させていただきました。T姉とT兄、娘さんの3人とお会いし、本人の前で葬儀で賛美する曲目や聖書の言葉、詩23編について話をしました。まだ意識がハッキリして話もできるT姉を交えての準備でした。そのお顔は平安と確信に満ちておられました。
 私は「天に一人を増しぬ」という詩を思い出しました。「天に一人を増しぬ/家には一人を減じたり」私は桜ヶ丘教会に来て、数十人の方々が天国へ旅立つお手伝いをさせていただきました。天国でこれらの方々と主イエスを中心にお交わりができることを楽しみにしています。

敬老感謝の礼拝

イメージ 1写真:K/Kさん提供
 2015年9月は、敬老の日を迎え、シルバーウイークと称される連続した祝日を迎え、はや最終日が過ぎようとしています。新緑の5月ゴールデンウイークとは異なり、どことなく実りの秋の落ち着きがありますね。
 9月20日(日曜日)の礼拝では、75歳以上の方々に感謝の思いをお伝えいたしました。
 高齢者になると、「1弱ってくる、2退かなくてはならない、3終わりに近づく」という3つのことに直面することについてお話がありました。また、「1整理する、2準備する、3チャレンジする」ということについてもお話をうかがい、高齢期の豊かな人生のあり方とはについて、考えさせられました。
 また、20日の礼拝では、O姉妹の洗礼式が執り行われました。とても静かで、感動的な主のお導きを感じるものでした。O姉妹の穏やかですが、明確に主に委ねて生きようとされている心を感じる洗礼式でした。これまで歩まれてきた人生の中で、泉のほとりにたどり着いた安堵感が満ち溢れていました。
 神様が新たにお仲間を加えてくださり、教会員一同本当に嬉しく思っております。主に感謝するとともに、O姉妹に心からお祝い申し上げ下ます。
 礼拝のお話は、「目を覚ましていなさい」というテーマでした。(マルコによる福音書第13章32~37節) 主の恵みは誰にでも注がれています。恵みを受けて聖霊の実を実らせて行く必要があります。愛の実を身にまとい、平和の主に仕えていくことができるように、絶えず目を覚ましていたいと思います。主は実をつけない木にも、栄養を与え、実をつけることができるように忍耐をもって憐れんでくださいます。
しかし、その日はいつ来るか誰も知らないのですから、私たちは、目を覚まして過ごすことがどのような事なのか、しっかり心に受け止めて、過ごしてまいりましょう。
 

2015/9/20 週報メッセージ

   私の洗礼式の思い出                                                                 
                                                                                                          朝位 真士
 
  私は1961年12月24日に、教団ホーリネスの群北九州復興教会の故山中日出刃先生によって受洗いたしました。18歳の高校生でした。高卒後商社に9年勤務し、1975年に東京聖書学校を卒業して、19年間、母教会の北九州復興教会で副牧師として山中先生にお仕えしました。
 何故受洗したかといいますと、人生に悩み、将来に不安をもっていた高校生の時、友人の持田倫生君から教会に誘われ、高校生の夏の特別集会に導かれて御言葉が妙に心に残りました。当時の話の内容は忘れましたが、ヨハネ福音書3章16節「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」という御言葉を通して、単純に、主イエス・キリストの父なる神は、イエス・キリストを通して、この世(私自身)を愛して下さり、私の罪の為に十字架にかかり、3日目に復活されて、目には見えませんが、信じる私達といつも共にいてすべての事を最善にして下さる愛なる神であるという事を信じました。単純ですが、その年のクリスマス礼拝の中で、山中先生に洗礼を授けて頂きました。先生が私の頭に洗礼式の水を注いで下さった時の感動は今でも忘れません。あれから54年の年月が経過しましたが、私の心は18歳の少年の如く、教会に一人でも多くの方々が来られて、洗礼を受けてクリスチャンとしての生活をしていただきたいと願うものです。
 今日一人の姉妹が受洗されます。本当に感謝なことです。聖書に「神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる」(Ⅰテモテ2章4節、口語訳)とあります。教会に出席されるすべての人々がクリスチャンになられて、共に天国の民として、また神の子としての生き方をして頂きたいと思います。      

2015/9/13 週報メッセージ

   宇都宮上町教会教師会に出席して
                                                                                                        朝位 真士
  9月7日、私共はホ群宇都宮上町教会の新会堂の訪問見学をさせていただきました。そこで牧師の澤田武先生が新会堂建設にまつわる経過報告をメッセージの中でしてくださいました。
 
  2011年3月11日、東日本大震災の日、旧会堂で礼拝準備を終えてホッとしていたところ、大きな揺れ
 に外に飛び出しました。牧師館や教会の外壁にひびが入り、ゆっくりと落ち、十字架の塔が激しく揺れている
 のを呆然と見ておりました。……旧会堂に上がると、厚い壁が割れて何箇所も落ち、床やベンチに大きな傷が
 ありました。……その日の夕方から近隣の教会員が駆けつけてくださり、懸命に片付けて、日曜日に安全と思
 われるエントランスホールで礼拝を捧げることができました。その後剥落した内壁、十字架塔の鉄骨の断裂や
 外壁の無数のひびなど、多くの補修を重ねて当面は使用に耐える礼拝堂に戻すことができましたが、建物自
 体の寿命である築50年が近づいていることも考えて、新会堂の建築という大きな決断をしました。「日本基督
 教団東日本大震災救援募金」から3千5百万円の支援を受け、自己資金2千5百万円、教団借入金3千2百
 5十万円を合わせて9千2百5十万円で、木造一部RC造、延べ床面積313.62㎡の新会堂が完成しました。
 2014年10月12日定礎式、2015年5月29日竣工引き渡し、7月19日献堂式がありました。
 
 私は先生のお話を伺いながら、よく皆様が信仰の決断をされて、震災後のさまざまな試練の中を今日まで守られて完成に導かれたと、本当に全能の神、イエス・キリストの父なる神を心から賛美いたしました。これからの課題は、地域の方々が救われ、健全な牧会運営がなされ、教団借入金を20年で返済することです。お祈りをさせていただき、私共も少しでも献金ができればと祈る次第であります。(ローマ8・28)

2015/9/6 週報メッセージ

   ある牧会訪問より
                                                                                                         朝位 真士
  最近私は重病の方々を見舞う時が与えられています。先日もT姉を訪問させていただきました。家人の許可を得てのことですが、死後のことを語らせていただきました。大変落ち着いて、自分の葬儀のプログラムまで私に指示をしてくださいました。T姉は、死は恐怖でもなく、あきらめでもなく、天国に行くプロセスであり、愛するイエス様を始め、召天された方々と再会できる希望があり、地上におられる方々ともやがて天国で再会できるという確信に満ちていました。
 私も伝道師・牧師になって40年間に多くの方々の臨終の場面に接してまいりましたが、こんなにも平安と死後の世界の確信に満ちている方も珍しいと思いました。死は、一般的に未知の世界に行くのですから、恐怖であり、死にたくないと思うのが普通ですが、T姉は「すべては、神様の御手にあります」と、やさしい笑顔ではっきりと述べておられました。人間的に大変苦しい病気との戦いですが、それも全て神様に委ねておられる御顔は、天の輝きのような感じがいたしました。
 私はT姉の葬儀で歌われるであろう讃美歌や、語って欲しいと言われた聖書を引用しました。詩編23編全部です。まるで生前葬のようであり、天国の婚宴のようでした。御家族にとっては、大変悲しいつらい出来事だと思います。しかし、主イエスは私達の罪の身代わりとなって十字架にかかって死に、3日目に復活されて、今も目には見えませんが聖霊様という姿で私共と常にいてくださるインマヌエルの神でいらっしゃいます。T姉は、この確信を信仰によって持っておられたと、私は信じます。
 「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」(コヘレト3・11)

T姉の召天に思う

イメージ 1写真K/Kさん提供
 9月3日(木曜日)夜間に牧師先生から、T姉が召天されましたというご連絡をいただきました。
 T姉が筆で書かれた「書(聖書の御言葉)」が、桜ヶ丘教会に飾られていますが、T姉と教会員との数々の思い出は、桜ヶ丘教会のそこここにあります。
 何よりも、私たちの心の中に刻まれております。寂しいですね。教会堂で今一度お会い出来たらどんなにか嬉しかったことでしょう。
 T姉の夫であるT兄におかれましては、とても寂しいことと思います。どうぞ、T家に神様のお慰めとお癒やしがありますように。
 いつも祈りに覚え、T姉が病の中にあっても神様とともに平安の内に過ごすことができるように願ってきました。
 T姉とともに旅行にも行きましたね。
 いつも、とてもしっかりされていました。絵もお描きになり、書もされていました。
 8月にM兄を天に送り、9月早々にT姉が天に召されました。
 お二人とも、桜ヶ丘教会をお支えくださったことを覚えて、これからは、私たちがしっかりと信仰にたって進んでいかなければならないと思います。
 「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紬もしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。」
  マタイによる福音書6章28~29

2015/8/30 週報メッセージ

   ある信徒の奇蹟
                                                                                                           朝位 真士
 
  8月25日朝、信徒の妻より夫が危篤であるという電話をいただき、私はすぐに身支度を整えて彼が入院している救世軍のホスピス病棟を訪問した。癌が全身に転移して痛み止めの薬も効かない状態である。私は病室に入り、O兄と夫人がいたので早速聖書を3ヶ所引用した。新約ヤコブ4章13~17節「よく聞きなさい。『今日か明日、これこれの町へ行って1年間滞在し、商売をして金もうけをしよう』と言う人たち、あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないからです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。むしろ、あなたがたは、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです。……」旧約コヘレト3章1~11節「何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある。……神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」新約ローマ8章28節「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」
 私は先に挙げた聖句を元に、聖霊の御導きをいただきながら、真剣に祈らせていただいた。その時、神の奇蹟が起こった。意識が朦朧としていたO兄が目をぱっちりと開き、はっきりした声でお祈りをして、私に何度も御礼を言われた。私は神の奇蹟を久々に経験させていただいた。確かにO兄は癌が全身転移して、ドクターからはここ2~3日が山場と言われているが、主の御心ならば、生かしてもう一度立ち上がらせて、主の御用のために兄を用いてくださいと、切に祈る者の一人である。主に栄光を帰しつつ!!

涼しすぎる8月末

イメージ 1写真:K/Kさん提供
 8月末ですが、急に涼しくなりました。
涼しすぎる昨日、今日ですが、何か少し、寂しさも感じるくらいです。今まで側にいて暑いなあと感じさせていた夏が、一気に姿を消してしまった感じですね。
しかし、残暑は戻ってくるでしょう。
 さて、8月23日の礼拝のお話は、「大きな苦難を予告する」というテーマでのお話でした。
 終わりの日についての予言のお話でした。
 荒らすべきものの出現、苦難の日々、偽キリストの出現という3つのものの出現があると言うことでした。
 激しい迫害の中においても、聖霊の働きによって、宣教の助けがあるということでした。
 この世の混乱において、なすすべもないことが起きたとしても、忍耐の後に、産みの苦しみから喜ばしい将来への開門があると言うことでした。
 イエスをメシアであると告白することが真実の宗教、真実の信仰の印で有り、私たちはしっかりここにとどまり、偽者に惑わされることなく歩いて行かなければならないと教えていただきました。
 日本では、江戸時代においては、キリスト教に対し世界に類を見ない程残酷な迫害の歴史があります。現在は、信仰の自由が保障され、私たちは、信徒として、しっかりと礼拝を献げて過ごすことができています。
 迫害にあった多くのクリスチャンのことを考えますが、自分達も、苦難のときにも主を信じていけるようにと強く感じました。
 また、その日はいつ来るということよりも、日々の闘いであるとも考えられます。イエスキリストによりたのみ、日々を過ごしていけるように賢くありたいと思います。
 

2015/8/23 週報メッセージ

     M兄の召天の報に接して
                                                                                                         朝位 真士
  さる8月17日午前2時過ぎに急逝されたM兄の召天の連絡を娘さんから受けて、8月19日午後6時に前夜式を、翌20日午前10時45分に告別式を行いました。88歳9ヶ月の生涯でした。M兄は大正15年11月2日に5男2女の長男として浜松市で誕生され、父親の仕事の関係で浜松から東京佃島に引越し、その後結婚されるまで横浜に居住されました。昭和30年10月、K姉と結婚され、長女が昭和31年11月に誕生されました。結婚17年後初めて桜ヶ丘教会に来られ、故西海静雄牧師により昭和46年12月19日受洗されました。その後桜ヶ丘教会の会員として、教会の発展にご夫妻で尽力されました。特に新会堂建設のために財務担当役員として長くその重責を担ってくださいました。不可能と思える会堂建設では、信仰的決断をもって積極的にご奉仕くださり、物心両面の必要が与えられたのは、M兄の信仰的積極性の故だったと感謝しています。
 私がM兄に最後にお会いしたのは、7月31日の午前に訪問し、M兄姉と娘さんの4人で兄の病状を気遣い、聖書を引用し、お祈りをさせていただき、M家を出ました。その後8月3日に救急車で搬送され、4日午前2時入院。6日朝、急性心不全となり、17日午前2時過ぎ、敗血症という病名で88歳9ヶ月の生涯を全うされました。「主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。」(詩116・15)
 Mさんは、『桜ヶ丘教会90周年記念誌』に次のような文章を記載しています。「教会役員として、また会堂建設の会計担当者として私も会堂建設に関わらせていただきました。……これからは、与えられたこの立派な会堂に溢れるほどの会衆と共に礼拝を守ることを目標として頑張っていけたらと思っています。」私共は、Mさんの遺志を思い、天にいるM兄をはじめ桜ヶ丘教会の方々の祈りを実践したいと思います。

1923年6月1日創立