2018/3/11 週報メッセージ

   私の霊的原動力
                                                                                                               朝位 真士
  二月一四日から三月三一日まで、四旬節(受難節、レント)に入っています。私は主の御苦難を忍びつつ時を過ごしています。最近与えられた聖句は、ヨハネの手紙三、二節「愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています」です。最近、病気の方々からメールや電話をいただくことが多くあります。二〇一七年度第二回教会総会のために大変な祈りを要し、私の出席している朝祷会(九段、代々木、青山、早稲田、池袋、イグナチオ、武蔵野)等で、皆様方にお祈りしていただきました。おかげで二月二五日、無事に終えることができ、感謝しています。
 個人的には、早朝に起床してデボーションに一時間を用いています。もちろん毎週の祈祷会の準備と礼拝メッセージの準備にも時を用いています。また多くの方々からとりなしの祈りをささげていただいています。祈って祈られているという仲間がいるというのは、なんと幸いなことでしょう。礼拝に出席してお会いする方々によって本当に祈られている幸いを神様に感謝しています。礼拝に出席する方々が常に考えなくてはならないことは、まず礼拝のために祈ることです。礼拝は前奏から後奏まで、すべてが祈りのうちに導かれなくてはならないこと、それは出席者全員が祈りつつ時間を過ごさなくてはならないということです。もし私たちが礼拝に出席して、少しも恵まれなかったとすれば、それは御用する者はもちろん、出席者の霊的責任が問われることです。
 来週の礼拝から、ぞうぞ御用する方々のためにお祈りして支援してください。あなた方もきっと霊的祝福をいただけると信じます。

2018/3/4 週報メッセージ

   二〇一七年度第二回教会総会を終えて
                                                                                                             朝位 真士
  すぐる二月二五日礼拝後、教会規則により第二回教会総会が開催されました。現住陪餐会員五〇名のうち一七
名の出席、八名の委任状提出、合計二五名で総会が成立しました。
 議案一、二〇一八年度宣教方針。二〇一八年度に与えられた御言葉はヨハネ一五・五「わたしはぶどうの木、
あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊か
に実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」であり、「実を結ぶ生活」という標語
が与えられました。二〇一七年度はエフェソ二・一九「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖な
る民に属する者、神の家族であり」という聖句が与えられ、「神の家族」という標語でした。この二つの聖句よ
り、二〇一八年度は、神の家族を増やすために宣教活動を行い、教会形成のために、ぶどうの木であるイエス・
キリストの教会に連なり、実を結ぶ生活をさせていただきたいと祈るものです。次に二〇一八年度の予定が発表
されました。一つ一つの項目のためにお祈りをしてください。
 議案二、二〇一八年度一般会計予算。S役員に説明をしていただきました。
 議案三、伝道師辞任の件。一月の役員会で、Y先生より辞任の意思が示され承認されました。健康上の理由で
桜ヶ丘教会の伝道師を辞任せざるを得なくなったということです。今後のY先生御一家のために祈りを献げてい
きたいと思います。
 採決の結果、三議案とも全会一致で可決されました。

2018/2/25 週報メッセージ

   教団浦和別所教会献堂式に出席して
                                                                  朝位 真士
  二月一八日午後三時、浦和別所教会の献堂式に出席した。一九九六年
四月に新会堂建築のための会堂基金積立を開始して約二一年経過して、
二〇一七年五月新会堂建設起工式、二〇一七年一二月新会堂完成、引渡
し。そして二〇一八年二月一八日献堂式となった。旧会堂から五〇〇m
弱の距離で、同じ町内に良き土地が与えられた。教会標語「キリストの
体を造り上げてゆく」(エフェソ四・一二)。①礼拝を大切にする教
会、②交わりを大切にする教会、③信仰の継承を祈る教会、④伝道する
教会という目標をもって出発した。
 当日は百数十名の方々が出席され、司式者の大友師がエゼキエル四七・
一~一二を通して「命の川の流れるところ」と題して、①聖霊の命の水の溢れ
出る教会でありたい、②月々に収穫の実(救われる実)が与えられるようで
ありたいと語った。私は一九九八年二月の桜ヶ丘教会献堂式のことが思い
出された。私共に働かれた生ける神は、浦和別所教会にも働かれると信じ
たい。

3月を迎えて

イメージ 12017年度も残すところ1か月になりました。
桜の開花宣言も順次南からやってくるのでしょうね。
豪雪で大変な地域を思うと、春の到来に胸を弾ませることは、ちょっと控えたいと思ったりします。
2月25日(日)に、無事に総会が終了しました。
議事も承認され、新たな年度に向かおうとしている3月です。
神様の豊かなお恵みに感謝しております。
新たな季節を迎えることができるという日常が、どんなにかかけがいものかと感じております。
教会になかなか出席できない方々の上にも。神様の慰めとお恵みが豊かにありますようにお祈りいたします。
ご病気の方のためにも。教会では祈り続けております。
この春も、小さい春を沢山見つけていきましょう。
後ろのものを忘れて、前に向かって主に預かる栄光を目指して、頑張りましょう。

総会を前に

イメージ 12017年度も2月の中旬を経過します。
2月25日(日)は礼拝後に総会が開催されます。
今日の日曜日は、総会1週間前の聖日で、様々なことを考えさせられました。
桜ヶ丘教会の歩みを、神様の栄光があらわれる歩みにと願いつつ、2018年度の計画、予算案等が審議されます。
私たち教会に集う者は、キリストの体なる教会を構成する部分です。
それぞれの個性を大切にしてくださる神様に、感謝し、お互いに愛し合って、奉仕に励みたいと思います。
小さな一歩を大切に、神様を賛美しつつ、進んで行きたいと思います。
今週も、十字架の愛を仰いで、丁寧に歩んでいきたい。

2018/2/18 週報メッセージ

   二〇一八年度宣教方針
                                                                 朝位 真士
  二〇一八年度に与えられた御言葉はヨハネ一五・五「わたしはぶどう
の木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わた
しもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離
れては、あなたがたは何もできないからである」で、「実を結ぶ生活」
という標語が与えらました。昨年はエフェソ二・一九が与えられ、「神
の家族」という標語でした。今年も神の家族を増やすために、私共一同
が宣教活動のため、教会形成のため、ぶどうの木であるイエス・キリス
トの教会に連なって、実を結ぶ生活をさせていただきたいと祈るもので
あります。
 桜ヶ丘教会は今年創立九五年目に入ります。地域に開かれた教会とし
て救われる方が与えられ、信徒の信仰成長のため、聖書の学びを礼拝、
夕拝、祈祷会、各会で行い、愛の共同体(コイノニヤ)として、それぞ
れ神様から与えられている賜物を活かし、桜ヶ丘教会の祈祷目標である
一、個人信仰の確立、二、全家族の救い、三、教勢倍加を祈りつつ、創
立一〇〇周年に向かって前進してまいりましょう。
 私の愛唱聖句「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された
者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたち
は知っています。」(ローマ八・二八)

2018/2/11 週報メッセージ

   西東京教区一泊教師研修会に出席して
                                                                朝位 真士
 今回は「教会を建てる」というテーマで、神学者の加藤常昭先生が講
師であった。八九才とは思えない、生き生きとされた講師であった。先
生は「教会のオイコドメー、主の体である教会を、家を建てるように作
り上げる、それが牧師の課題です。その課題を果たすのは、どのような
牧師か、牧師像を求めて、語り合いましょう。神の言葉に立つ教会、慰
めの言葉とわざに生きる共同体としての教会。教会に生きる者たちのカ
リスマによって働く聖霊に生かされる教会、そのような教会に生きる牧
師とはどのような存在であるのか。何をどのように語り、生きるのか。
み言葉に聴き、祈り、語り合いましょう」と語り、私は大変新鮮な思い
を感じた。オイコドメーは、例えばⅠコリント一四章三~四節で語られ
ているように、「人を造り上げる」「教会を造り上げる」ことを意味す
る。個人的な人間にも、教会共同体にも適用される概念である。個人に
も共同体にも向けられる魂への配慮の務めであると語られ、このような
オイコドメーの言葉は、何よりも「慰めの言葉」だとされる。ここで形
成される共同体は「慰めの共同体」なのである。慰めの共同体とはキリ
ストの赦しによる共同体であるとも理解される。
 私にとっては神学校時代(一九七一年~七五年)の学びをもう一度復
習させていただき、主が許されるまで教会員の皆様と教会の在り方につ
いて研鑽したいと祈っている。最後の「牧師は、聖霊共同体の霊的なリ
ーダーなのである」という言葉が私の心に強く響いた。主に祈り求めて
このようにありたいと思う。大変有意義な学びと交わりの時であった。

2018/2/4 週報メッセージ

   最近の読書より    
                                                                 朝位 真士
  最近『いま、ここに生きる』(ヘンリ・ナーウェン著、太田和功一訳)
を読んた。一八二ページ~一八四ページに「思い煩う心」という題の文
章がある。「ときどき人はこう言います。『くよくよするな。ものごと
は結局うまく運ぶものだ。』しかし、私たちは思い煩いますし、誰かに
言われたからといって心配しないですますわけにはいきません。人生で
痛ましいことの一つは、私たちは子供のことをはじめ、友人、配偶者、
仕事、将来、家族、国家、その他あらゆることを際限なく思い悩むこと
です。イエスの言われた次の質問の答を私たちは知っています。『あな
たがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ば
すことができようか。』(マタイ六・二七)」
 私は最近あることで悩んだ。それは、将来の教会のこと、現代の教会
の様々な課題である。だが大切なのは、「どうやって心配事をより少な
くし、より平安でいられるか」「思い悩んでも何も変えられないのが本
当なら、心を空回りさせるだけの心配事の反芻で時間とエネルギーを浪
費しないように、どうやって自分たちの心と思いを訓練することができ
るか」ということだ。イエスは言われる。「まず第一に、あなたの心を
神の国に向けなさい」と。もう一度、マタイ六章二五節から三四節を読
み直してみた。ここに私のみならず、凡ての人の思い煩いの解決の糸口
があるのではないか。私の心は、この時以来、晴れやかになった。ハレ
ルヤ!!

新年も1月が過ぎていきます

イメージ 1新年1月も第4の日曜日を迎えて、雪の残る寒い冬を過ごしています。
皆様は、健康も守られてお元気にお過ごしでしょうか。
桜ヶ丘教会も新年のスタートをきることができて、神様に感謝し礼拝を捧げております。
2018年は、どのような年になるかということを、リフレッシュした思いで、希望をもって歩んでいきたいと考えております。
本日の礼拝メッセージは、朝位牧師による「新しい掟」についでした。
「ヨハネの手紙第一第2章7節~17節」からのお話でした。
「兄弟を愛しなさい」ということが神の掟。
兄弟愛は、創造主が人間の心に植え付けてくださった戒めということです。
兄弟愛は、神を愛する愛の上にあるもので、世を愛する愛の上にあるものとは異なるということを改めて教えていただきました。
人間的な思いで、様々な揺れる思い、揺れる感情を持つことがありますが、そのことを越えたところに、神様の憐みとお恵みに満ちた愛が私たちを包んでくださっていることを覚えます。
「世を愛している人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。」ヨハネの手紙第一2章16節
まずは、神の義を求めて、今週も歩んでまいりたいと思います。

2018/1/28 週報メッセージ

   最近思うこと
                                                                                                             朝位 真士
  最近スマホが流行して私も愛用しているが、『スマホ廃人』(石川結貴著)や『ネットリンチで人生を壊された人たち』(ジョン・ロンソン著・夏目大訳)を見て考えさせられた。『スマホ廃人』の中に「コミュニケーションやゲームのみならず、しつけや子守もこなすなど、単なる端末の域を超えて活用の幅が広がるスマホ。一方で高い中毒性が指摘され、長時間の使用による身体への影響が懸念されている。文明の利器は諸刃の剣なのか?豊富な取材をもとに最前線を追う」と記載されていた。
 ある精神科の医者で伝道師である先生が、こんなことをCGNTVの講演の中で語っておられた。「現代は、スマホ病とゲーム病の患者が多くなっている。そのため、眼科の病院や、整形外科の病院、精神科の病院の患者が増加傾向にある。」恐るべき現代人の病気である。便利すぎたスマホ・インターネット等には危険が潜んでいる。聖書を読むよりスマホを利用。勿論、利用価値はあるが、祈る時間を削ってスマホ・インターネットに時間を費やすことは如何かなと、自戒を込めて感じている。『スマホ廃人』のようにならないように、まず神様を第一にした生活、五分間の聖書朗読、五分間の祈り、五分間の黙想を継続していきたいものである。
 私があえて申し上げたいことは、スマホやインターネットは便利で今後も必要だと思うが、私たちの信仰生活でまず第一のことは、神の国と神の義とを求めていくことだということである。それと同時に、現代社会における必要な事は学んでいかなければならないと思う。二一世紀に生きるキリスト者として、神の御心を問い続けなければならない。

1923年6月1日創立