「初代教会の誕生」2020・5・31 説教要旨 

                       朝位 真士

今日はペンテコステ(聖霊降臨節)の礼拝です。使徒2章14~21節を通して。ペテロの説教を見ていきましょう。この2章は聖霊降臨の状況が記されています。2・1~4節ペンテコステにおける聖霊降臨、5~13群衆の驚き、14~41ペテロの説教,42~47当時の初代教会の信者の生活と礼拝が記されています。弟子たちは主の約束を信仰の雄一の根拠として、祈りに祈って10日間も祈り続けた。キリストを十字架につけたエルサレムの町の真っただ中において、滅び行く魂に福音を説く、主の復活をあかしして、聖霊の力の必要を痛切に感じて、忍耐を持って祈った。そのために(一緒に集まって)(心を合わせて)一致の祈りを捧げた(1)神はこのような祈りに必ず答えられる。今日の教会が、その使命と責務を深く自覚し、このような熱心さと忍耐と一致をもって祈るならば、必ず証の原動力である聖霊が下ります。五旬節は原名そのままにペンテコステとも

言われ、また聖書には別名「七週の祭り」とも言われている(出34・22)。安息日の翌日の初穂(復活の初穂なるキリストの予表―1コリ15・23)を献げる日より七週過ぎた50日目に新殻の素祭をささげる日で(レビ23・15~16)。この日に聖霊が下り、教会が誕生された。主の復活から50日目に教会が新しく形成せれることが、このように律法の中に模型的に予告されたのである。

使徒2・14~21節を見て下さい。ここでは聖霊降臨に関するヨエルの預言(2・16~21,ヨエル3・1~5)

p1425。が成就するのは、世の終わりの大リバイバルの時であるが、ペンテコステの日にその予表的成就があつた。聖霊降臨はキリストの復活と昇天の結果で、聖霊を受けるということは、すべて神に召され、悔い改めて罪ゆるされた人々に与えられる約束である。この恵みの時代における私達が信仰によって受けることのできる特権である。今日教会に必要なのはこの聖霊である。きよめる聖霊、また聖霊の力である。

もう1度2・14~21節を見て下さい。この箇所は全体を通じて、旧約聖書と新約聖書にあらわれている大いなる主の日の基本的内容を教えています。ここではヨエル3・1~5節から自由に引用したものである。ヨエルは、メシヤの来臨とイスラエルの信仰復興に関して語っているが、その信仰復興は聖霊の注ぎによって起こると言っています。その預言が、実に今実現したのだとペテロは解説している。神の霊が人間に与えられるというのは、決して当たり前の出来事ではなく、そこには異常現象が起こったりもする。この新約時代には天変

地異が起こることも予告されている(使徒2・19~20)。これは特に、主の再臨の時に起こるものと見ることができます。しかし、その混乱の中でも、「主の名を呼ぶ者は,みな救われる」(21)との約束が与えられています。すなわち、天地宇宙がその根底より揺り動かされる時にも、神により頼む者、主イエス・キリストを信じている者には救いがあると言うのです。

結び

この2・14~21節は、旧約の預言者ヨエルの預言が成就したこと。すなわち、メシヤ時代が到来したこと。22~28節はイエスこそ旧約で預言されたメシヤであること。すなわち、イエスの復活によってメシヤとしての資格があること。29~35節は、旧約のダビデがメシヤではなく、イエスが復活と昇天と聖霊の注議によって、真のメシヤであることが実証されたこと、彼らがみなその証人であること。ヨエルはいつ頃の預言者であるか判明していませんが学説によるとペルシャ時代の末期紀元前400年から333年頃の預言者と言われています。ヨエルとは(ヤーウエーは神)という意味だそうです。ペルシャ時代が滅んで、その後神はユダヤ人の全ての人々に(霊)を注がれる(ヨエル3・1)これがヨエル書の信仰の根本であり、このヨエル書の預言が、新約聖書では「聖霊降臨」の預言として引用されていることは良く知られていることであります。(使2・17~21。ヨエルの預言は、神が世の終末の時に全ての国民に対して行う審判を説いたものであるが、ペテロは、今や旧約の預言の時代は終わって、キリストによって始まる終末の時代がきたのであると見ています。

預言、幻、夢は、聖霊に満たされた時に与えられる賜物であって、性や年齢や、地位、男女の僕や境遇によって、区別されることはない。また天に奇跡、地にしるし、の天変地異が、キリストの再臨の前に起こる(マタイ24・29)。主の大いなる輝かしい日は、すべての人の目にあらわとなる、主の審判の日である。太陽の光は消えて暗やみとなり、月は血の色を呈して、やがて地上に血を流す大虐殺の来るエルサレムの滅亡の預言の型を呈している。こうしたたとえは、旧約の預言者エゼキエル、イザヤ、アモス等も用いている。そのとき、主の名を呼ぶ者は、みな救われるであろう。終末の預言において救われる者は、「残れる者」である。ペテロは、この「残れる者」をイエスを信じ、御名を呼び求める少数の群れと見たのである。

今日洗礼を希望しておられる方は皆救われます。ハレルヤ!感謝であります・