2011/2/20 週報メッセージ

   ホ群の教師会に出席して
                                                                 朝位 真士
  「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」
                                    (詩133・1)
  首都圏30教会のホ群教師会がK教会で開かれた。私は2年間の教師
会の責任者として、最後のお役目を果たさせていただいた。30名近く
の教師たちが一堂に会した。まず礼拝を行い、会場教会の牧師のメッセ
ージ。続いて話し合いと親睦。議題が数多く、内容も一つ一つ重要であ
った。
 私は首都圏教師会に18年位出席している。今回の主な事は、新年聖
会報告、首都圏教師会の日程、ユース委員会の予定、2011年首都圏
夏期聖会(7月25日~27日迄、熱海)。私はその聖会の責任をもつ
ことになった。十数年前も委員長をさせていただいたが、二度目の御用
である。重責が果たせるよう、また聖会が恵まれ、多くの参加者が与え
られるよう祈って欲しい。この聖会を機に各地での聖会がスタートし、
神学生たちはキャラバン派遣として夏期の奉仕が始まるのである。
 この聖会は、主に首都圏(関東地区14教会、東京地区9教会、千葉
地区3教会、神奈川地区2教会、東海地区5教会)の多くの人々が集ま
る。群の中心的な業をなして行くためには霊的に向上する必要がある。
ホ群全体の宣教の前進のため、教団の浄化のために祈り、参加者が与え
られるように期待したい。

Hさんとのお別れ

イメージ 1Hさんが天に召されて、礼拝のいつものお席にお座りになることや、各集会にご出席になられることがないことを思いますときに、とても寂しい気持ちになります。
Hさん、ご病気になられてから、とてもはやく別れのときがまいりました。
2月5日前夜式、6日(日)の告別式と出席させていただき、お別れができて感謝です。
何よりも、最後の礼拝を2月6日にご一緒に守ることができて嬉しかったです。
ご家族の方々に、主の慰めがありますようにお祈り申し上げます。
桜ケ丘教会の、今後の歩みを天からご覧くださいますように。私たち、桜ケ丘教会は、愛の光を灯し、家族のような教会を目指して進んでまいります。各自が主から頂いている賜物を活かし、罪をを主からお許しいただき、主の御名を賛美しつつ、日々を過ごしたいと思います。Hさんとの正直な語らいを思い出しながら、あのような時間を持ち続けることを大切にいたしますね。さようなら、Hさん。ありがとうございました。

2011/2/13 週報メッセージ

   H姉の召天に際して
                                                              朝位 真士
  「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時があ
る。」(コヘレト3・1)
 H姉は過ぐる2月4日午前2時16分、入院先のU病院で84歳6ヶ月余
の生涯を終えて召天された。姉はY姉の導きで1986年8月24日、
前任の西海牧師より受洗された。それ以来、教会の礼拝に忠実に出
席され、婦人会、エリム会、ふれあい会、時には青年会の修養会にも参
加された。小柄な方であったが、その存在は際だっておられた。年齢を
感じさせず、自分の主張をハッキリと述べられて、いつも真実・忠実に
事を成しておられた。家庭では良き母親であり、自分の事は自分でして
おられた。家庭にとっても教会にとっても本当に大切な存在であった。
 昨年の夏、自宅で転倒され、それが原因となって歩行困難となり、数
ヶ月後に天国に急いで旅立たれた。私がお見舞いさせていただいたのは
1月24日(月)午後で、娘さんとお孫さんも一緒であった。大変喜ばれ
て私の手をしっかりと握って、何か語りたい様子であった。「先生、桜
ヶ丘教会をよろしく」とでもおっしゃりたかったのか、「子どもたち、
孫たちをよろしく」とでもおっしゃりたかったのかわからないが、本当
に悔いのない生涯を一生懸命に送られた方だと思う。
 ご遺族の上に神の慰めと祝福を祈ります。

2011/2/6 週報メッセージ

   T兄の召天に際して
                                                                朝位 真士
  T兄は過ぐる1月25日午前2時25分、M病院で60歳8ヶ月余の
生涯を終えて召天された。
 彼はJ姉とY姉との3人家族で、J姉にとっては素敵な夫として、Y
姉にとっては素敵な父として幸福な家庭であった。三十数年前ご結婚さ
れ、娘さんが与えられ、仕事は現在の会社に40年間一筋で営業畑を歩
いてこられ、経営陣の一人として先代社長の時から会社を成長させた重
要なメンバーの一人であった。昨年10月に病気が発見されて余命数ヶ月
と言われ、治療に専念された。夫人や娘さんの手厚い看護の中、愛する
人々に囲まれて惜しまれながら天国へ旅立たれた。召天2週間前の1月
12日午後、洗礼を受けられてクリスチャンとしての最後の時を家族の
愛に囲まれながら過ごされた。1月25日から3日間、家族3人で教会
に宿泊され、27日の前夜式を迎えられた。200人近い会衆者であっ
た。28日の告別式には約90名の出席者があり、彼の生前の人となり
が偲ばれた。大変ユーモアに満ちた方であり、周囲をいつも笑いの渦の
中に引き込まれた。また気遣いのある方であり、誰一人として彼を悪く
言う方はおられない、素敵な男性であった。天国で再会する日を楽しみ
にしている。
 御遺族、親類の方々の上に神の慰めと祝福を祈ります。
 「地上で一人減じたり。天国で一人増したり。」

Tさんの病床受洗と告別式

イメージ 1Tさんは、1月中旬に病院にて、奥様のJ子さんの見守る中で、受洗をされ、過日1月25日に天に召され、前夜式、告別式が桜ケ丘教会で執り行われました。
式に参加して、思うことは、主にあってご家族がお過ごしになった日々は、何物にも代えがたい貴重な時間であり、主から頂いた本当の幸福と感じたことです。
病の中で、様々な闘いを、主とともに、ご家族と一緒に、走るべき道程を闘い抜かれ、桜ケ丘教会から天へ凱旋されたことを、思います。
病床において、12月のクリスマスに、お会いできてお話もできたことは、私にとっても誠に感謝でした。
奥様のJさんとお嬢さんのYさん、今、どのようにTさん亡き時を過ごしていらっしゃいますでしょうか。
別れは、悲しいものですね。
どうぞ、疲れを主が癒してくださいますように。
また、いま病と闘っておられるHさん、そしてご家族の方々に、主がともにいてくださいますから、最善がなされますから、引き続きお祈り申し上げます。

2011/1/30 週報メッセージ

   病める方々のために祈ろう
                                                                     朝位 真士
  「愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての
面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。」(ヨハネ手紙三・2)
 「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。」
                                (エフェソ6・10)
  最近、牧会をしていて、病気に悩まされている方やさまざまな問題を
抱えて教会に来ることが困難になった方々を多く見うけます。先日も何
人かの方々を見舞ったり、電話で安否を尋ねたりしました。その方々が
語ることは、元気になって教会に出席したいということです。私共は健
康が支えられ、教会に来て問題に対して主イエス様にお祈りしたり、聖
書を読んだり、メッセージを聞いたりすることに何の障害もないという
ことは、どんなに大きな恵みであり、祝福であり、感謝でしょうか。
 先日山陰に行ってまいりました。数十年ぶりの大雪のために交通機関
に障害が出て、礼拝に一人も来られなかったという報告を聞きました。
私共にも、来週も来られるという保証はありません。一回一回の礼拝、
集会を最後だと思って真剣に祈り、守りたいものです。
 「あなたがたは、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこ
のことをしよう』というべきです。」(ヤコブ4・15)

2011/1/23 週報メッセージ

   T兄の受洗に立会って                                                                 
                                                                                                        朝位 真士
  「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒16・31)「シモン・ペトロが、『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた。」(マタイ16・16)「それは人間にできることではないが、神は何でもできる。」(マタイ19・26)
 私が最近大変恵まれたことを読者に伝えたいと思います。2011年1月12日、T兄が受洗されたことです。夫人と娘さんの長年の祈りの課題でした。ご結婚されて30年以上になります。娘さんは13年前に受洗されて、留学し、大学卒業後就職してキャリア・ウーマンとしてご活躍の方です。母親共々父のために長い祈りを要したことでしょう。神はついにその親子の祈りを聞かれたのでした。
 私は山陰聖会のために1月8日~10日まで米子に行ってきました。御用を終えた翌々日の12日、夫人より電話があり、ご主人が「洗礼を受けたい」とおっしゃったことを聞き、早速フミ子牧師と共に彼等のいる病院にかけつけました。彼にその意志を確かめると、しばらく沈黙が続きましたが、ハッキリと意志表示をされました。私は感動をもって洗礼式を挙行させていただきました。
 何回か彼の病院にお見舞いさせていただき、彼と話をする機会にキリスト教の話をしようと思いましたが、彼が無宗教であるということを伺っていたので、あえてそうしませんでした。娘さんの小さい頃はよく教会に来られていて、大変好意的であったと聞いていました。私は彼が主イエス・キリストを信じて受洗してほしいと祈っていました。神は真実なお方で、我等の小さな祈りをお聞きくださったことだと思います。主イエス・キリストに感謝し、ご家族を始め教会員の方々に心より感謝したいと思います。ハレルヤ!!                         

2011年1月23日の礼拝のめぐみ

イメージ 1
シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」と答えた。
ルカによる福音書第5章5節
 
「お言葉ですから」というテーマでお話を伺いました。
わたしたち人間の目では、不可能と思える、限界と思えるときに、主は思いもかけないご判断をされて、私たちにお言葉をくださいます。シモンペテロが従ったように、私たちも「お言葉ですから」と網を降ろす時に、何も起こらなかった状況に変化を生みだすことができます。
「いつも喜んでいないさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」という主の御言葉をいただいたとき、状況に、人に怒る前に、私たちは、「お言葉ですから」という素直な気持ちで、毎日の生活で、この御言葉を実践し過ごしたいものです。
今日のお話も、力にあふれる朝位牧師のメッセージでした。
 

2011/1/16 週報メッセージ

   山陰聖会に招かれて                                                                 
                                                                                                        朝位 真士
  「たとえ、お前たちの罪が緋のようでも/雪のように白くなることができる。/たとえ、紅のようであっても/羊の毛のようになることができる。(イザヤ1章18節)
 私は1月8日から10日までの3日間、ホ群の山陰地区(東中国地区八教会、西中国地区四教会)に招かれて、御用してまいりました。山陰地区は、年末から豪雪で、特に米子市は89センチの積雪で多くの雪害が出ており、旅行が危ぶまれていました。しかし、皆様方の熱いお祈りと信仰によって、無事8日午後米子空港に到着し、米子教会の牧師、信徒たちの出迎えを受けました。9日の米子教会の礼拝と聖餐式、役員懇談会、10日の山陰新年聖会2回の御用を終えることができたことを深く深く神様と皆様方に感謝する次第です。
 今回はⅠテサロニケ4章~5章を通して、「きよめられた者の特色」~喜び、祈り、感謝せよ~(Ⅰテサロニケ5章16~18節)という主題のもと、2回の御用をさせていただきました。参加者は約六十数名、9教会からの参加でした。雪道を片道3時間近くかけて10名近くの信徒たちを連れて牧師先生が来られたり、無牧の教会からも数名来られました。
 何よりも感謝したのは、招きをさせていただいたとき、①きよめを求める方、②神様のためにこれから奉仕したい方、③直接献身(神様のために身を捧げる)したい方等の呼びかけに、参加者の8割の方々が次々と応え、お祈りの一時をもつことができたことです。聖霊様の著しいみ業を感じました。今後山陰地区にリバイバルの業を見ることができるように、主イエス様に祈りと期待をこめて、山陰を後にしました。10日夜遅く、東京に到着しました。ハレルヤ!!                                                               

2011/1/9 週報メッセージ

   2011年の聖句が与えられて
                                                                                                       朝位 真士
  「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサ5・16~18)
 キリスト教とは一口に言うとこれです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」これがクリスチャンライフのすべてと言っていいのです。簡単な言葉ですが、努力だけではできません。「いつも喜んでいなさい。」「はい!喜びます。」「喜べ!」なんて喜べません。喜びというのは、内側から湧いてくるものです。与えられるものですから、自分で作り出すことはできません。
 「絶えず祈りなさい。」大切なことです。イエス様が共におられることをどうして自覚できるかと言ったら、具体的にはお祈りです。
 「すべてのことについて感謝しなさい。」これも難しいことです。私たちはうまくいったことについては感謝できます。けれども「すべてのことについて感謝しなさい。」辛いこともです。神は思うようにいきっぱなしにはなさらないから、必ずトンネルを通されますし、通ります。しかし必ず神は共にいてくださり、神を信頼するものに対する約束を果たしてくださいます。私たちは忍耐をもってこのお方に従っていくことが大切です。感謝できないような時にも感謝するというのは、本当に神は最善以下のことをなさらないお方で、万事を益としてくださる(ローマ8・28)という信仰です。
 この1年、いや私たちの生涯において、「常に喜べ。絶えず祈れ。すべてのことについて感謝せよ。」これは神の恵みの三原則であります。

1923年6月1日創立