新年おめでとうございます。2011年新年おめでとうございます
新年おめでとうございます。
新年おめでとうございます。 年末感謝礼拝を迎えて
朝位 真士
「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」(Ⅱコリ4・7)
右の聖句が与えられ、「土の器の宝キリスト」という題で2010年元旦礼拝を迎えて、1年が経過した。今年は、受洗者は未だ与えられていない。召天された方々は3名。一人は1月21日午後、Y長老である。87歳であった。彼は桜ヶ丘教会の開拓当時から導かれた。1939年、路傍伝道でI牧師に導かれ、1940年、18歳の時受洗され、約70年間教会員として忠実に信仰生活を全うされた。教会のリーダー的存在であった。
二人目はT姉である。6月15日召天。99歳4ヶ月であった。T姉はT長老の奥様で、八王子の団地より約2時間くらいかけて御主人と共に礼拝に出席されていた。晩年はホーム(老人施設)で生活をされていた。安らかな天国への旅立ちであった。
三人目はK姉である。7月22日、87歳6ヶ月で召天された。お元気な時は、礼拝は勿論、婦人会や祈祷会にも積極的に出席しておられた。大変試練に会われた方であったが、教会のことを常に覚え、特に新会堂建設には特別の祈りをしていただいた。つつましい生活の中で、ご自分の生活を切りつめて、教会のために思いきって献げられた。天国に多くの宝を献げられた方であった。
他に2名の求道者の親子が1月と5月に召天された。教会は少し淋しくなったが、新年度は素晴らしい会堂に、伝道と祈祷と献金をもって主の栄光を表し、救われる方々が与えられ、教会全体が活性化するように教会員の方々、ならびに関係者の方々、お祈りのご支援をよろしくお願いいたします。(ローマ8章28節)
新年礼拝を迎えるにあたって
朝位 真士
新年2011年あけましておめでとうございます。今年与えられた御言葉は、Ⅰテサロニケ5章16~18節、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」です。
2010年は、世界において、日本において、教会において、個人において、いろんなことがありました。特に教会関係者が数名召天されたことは、教会にとって大変大きな試練でありました。反面、15年来、多額の負債を抱えて会計を悩ましていた会堂ローンが、12月27日に完済となりました。未だ教会債や会堂補修の件は課題が残っています。しかし神様は「小さな群よ、恐れるな。御国を与えて下さる」(ルカ12・32)とありますように、少ない人数ですが、御国、神の国を与えてくださると約束してくださいます。
先の御言葉、Ⅰテサロニケ5章16~一18は「キリスト者の特色」であると言っても過言ではありません。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい」の3つは、きよめられた生活を示します。この3つができれば、三拍子そろった立派なキリスト者です。順境にも、逆境にも、いかなる場合、いかなる境遇にも、「いつも喜ぶ」ことができるのは、心の中から「苦い根」(ヘブル12・15)が除去され、全くきよめられてこそできることです。
「絶えず祈る」とは、いついかなる場合にも主との交わりを保つことで、聖霊を受けなければできません。また、どんなことに出会っても「すべてのことについて感謝する」とは、「神を愛する者たちには万事を益となるようにして下さる」(ローマ8・28)ことを知ってこそできることです。この3つとも、きよめられて聖霊に満たされた「キリスト者の特色」です。
この1年もこの御言葉を信じて実践させていただきましょう。栄光神にあれ!!
北九州復興教会の四恵主義(Ⅱ)
朝位 真士
私の恩師山中日出刃牧師は北九州復興教会を開拓され、信徒数名の中より九州で有数の教会へと成長された。清水会堂は建坪(定地)130坪余に、エレベータ付鉄筋コンクリート4階建を建設され、曽根会堂は340坪の土地に建坪50坪で建設された。1979年6月に74歳で召天された。「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした」(第2テモテ4章7節)の御言葉を最後に、断食祈祷の最中に召天された。先生は四恵主義、「全員礼拝」「全員献財」「全員伝道」「全員祈祷」の4つの恵みを教会の目標とされて、北九州の一角でホーリネス信仰を掲げて、病身で完全燃焼された。私は1975年から5年余、副牧師として先生にお仕えさせていただいた一人である。前回は「全員礼拝」「全員献財」を記したので、今回は「全員伝道」と「全員祈祷」の2つを記してみたいと思う。
(3)全員伝道ー伝道の恵み
復活のイエスは「すべての民をわたしの弟子としなさい」(マタイ28章19節)と言われた。「伝道することによって人が救われることは、天において大いなる喜びがある。伝道する教会と信者は主が共にあって、祝福を与え恵んでくださる」と先生は言われた。一人の兄が受洗希望を出したときに私は驚いた。そんな方は洗礼を受けないだろうと思った。しかし彼は私に言った。「先生、洗礼を授けてください。」彼は母教会の役員となって、忠実な生活を続けておられる。(彼は1989年受洗した。)
(4)全員祈祷ー祈祷の恵み
祈祷は信者の呼吸であり、神との対話であり、御言葉を通して神に聴くのである。聖書はわれらの祈りを導き、力を与えてくださる。祈祷は恵みである。山中先生は「祈祷と信仰の生涯」を全うされた方である。ハレルヤ!!
12月19日(日)10:30~
メシア・イエスの誕生は野宿していた羊飼いたちに告知された。「恐れるな、大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」素朴なベツレヘム郊外の羊飼に第一に知らされ、彼らが最初に救い主を礼拝することができた。
写真:K/Kさん提供 北九州復興教会の四重主義(Ⅰ)
朝位 真士
私は1961年に教団北九州復興教会で受洗をし、今年で49年目になる。その間信徒として、牧師として、心がけていたのは、母教会の山中日出刃牧師が教会の目標としていた「四重主義」である。
(1)「全員礼拝」ー礼拝の恵み
キリスト者の生活の中心は神を第一とした聖なる礼拝から始まる。イエス様の十字架と復活を覚え、喜びと感謝と希望を持って礼拝できることは、神様のお恵みである。
(2)「全員献財」ー献財の恵み
パウロはⅡコリント8章1~8節で、マケドニアの教会に与えられた献財について、「献財は神の恵みである」と3回も繰り返し訴え、「この恵みに富んで欲しい」と言っている。私の恩師山中日出刃牧師は1959年9月27日の週報に、「什一献金の祝福」と題して次のように記載されている。①什一献金により我等の心を世の物欲から潔める。②経済面に豊かな祝福を得る。残りの十分の九プラス神の祝福。③霊性に計り知れない恵みを与える。④教会に神の栄光が現れる。
聖書の引用をする。マラキ3章8~10節。「人は神を偽りうるか。あなたたちはわたしを偽っていながら、どのようにあなたを偽っていますか、と言う。それは、十分の一の献げ物と、献納物においてである。あなたたちは、甚だしく呪われる。……十分の一の献げ物をすべて倉に運び、わたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと、万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き、祝福を限りなく注ぐであろう。」
次回は四重主義の(3)(4)を引用して、私見を論じたい。