2011/7/24 週報メッセージ

   祈りの祝福
                                                                                                           朝位 真士
  先週の礼拝の報告の後、全員で1分間黙祷をするようになり、あまり祈りに慣れておられない方はとまどいを感じておられることと思います。祈りとは神と人間との対話であり、秘義に属するものであり、不可能と見える祈りを可能にする背景は聖霊のお働きであり、神の一方的愛にほかなりません。そして祈りは神に対する最大の行為です。
 祈りの形態は、①密室の祈り(個人での祈り。毎朝そして就寝前少なくとも10分は一人で神の前に静まり、神との語らいが必要です。)②協同の祈り(共通の祈りの広場に持ち出されて協同の祈りとなります。)③公同の祈り(祈りの代表性・とりなし性を意味するものです。教会の公同礼拝では、牧会祈祷がささげられます。公同の祈りでは、祈りのための準備が必要であって、行きあたりばったりであるべきではありません。)④特殊な場合の祈り(臨終に立ち会ったときとか、結婚・出産・葬式、その他精神的また経済的危機にある人のための祈りなどです。)
 祈りの態度。祈りはおろそかにされています。日本の教会では祈祷会をしていないところが多くなっています。
教会や信徒のあらゆる問題は、祈りをおろそかにしているところから起こると言ってもよいくらいです。ある人は祈りをおろそかにしていることを合理化しようとして巧みな理論を立てます。しかし結局のところ祈りが実行されず、祈祷会が振るわない最大の理由は、本当に祈りは聞かれるということに確信と経験がないからでしょう。聖書の中には
667の祈りがあり、そのうち454の祈りがはっきりと聞きとどけられていることが記されています。神との密接な関係に立とうと思われるなら、祈りによる以外に方法はありません。私共は祈りの祝福を経験しましょう。