榊原紀惠子 のすべての投稿

総会を前に

イメージ 12017年度も2月の中旬を経過します。
2月25日(日)は礼拝後に総会が開催されます。
今日の日曜日は、総会1週間前の聖日で、様々なことを考えさせられました。
桜ヶ丘教会の歩みを、神様の栄光があらわれる歩みにと願いつつ、2018年度の計画、予算案等が審議されます。
私たち教会に集う者は、キリストの体なる教会を構成する部分です。
それぞれの個性を大切にしてくださる神様に、感謝し、お互いに愛し合って、奉仕に励みたいと思います。
小さな一歩を大切に、神様を賛美しつつ、進んで行きたいと思います。
今週も、十字架の愛を仰いで、丁寧に歩んでいきたい。

2018/2/18 週報メッセージ

   二〇一八年度宣教方針
                                                                 朝位 真士
  二〇一八年度に与えられた御言葉はヨハネ一五・五「わたしはぶどう
の木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わた
しもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離
れては、あなたがたは何もできないからである」で、「実を結ぶ生活」
という標語が与えらました。昨年はエフェソ二・一九が与えられ、「神
の家族」という標語でした。今年も神の家族を増やすために、私共一同
が宣教活動のため、教会形成のため、ぶどうの木であるイエス・キリス
トの教会に連なって、実を結ぶ生活をさせていただきたいと祈るもので
あります。
 桜ヶ丘教会は今年創立九五年目に入ります。地域に開かれた教会とし
て救われる方が与えられ、信徒の信仰成長のため、聖書の学びを礼拝、
夕拝、祈祷会、各会で行い、愛の共同体(コイノニヤ)として、それぞ
れ神様から与えられている賜物を活かし、桜ヶ丘教会の祈祷目標である
一、個人信仰の確立、二、全家族の救い、三、教勢倍加を祈りつつ、創
立一〇〇周年に向かって前進してまいりましょう。
 私の愛唱聖句「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された
者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたち
は知っています。」(ローマ八・二八)

2018/2/11 週報メッセージ

   西東京教区一泊教師研修会に出席して
                                                                朝位 真士
 今回は「教会を建てる」というテーマで、神学者の加藤常昭先生が講
師であった。八九才とは思えない、生き生きとされた講師であった。先
生は「教会のオイコドメー、主の体である教会を、家を建てるように作
り上げる、それが牧師の課題です。その課題を果たすのは、どのような
牧師か、牧師像を求めて、語り合いましょう。神の言葉に立つ教会、慰
めの言葉とわざに生きる共同体としての教会。教会に生きる者たちのカ
リスマによって働く聖霊に生かされる教会、そのような教会に生きる牧
師とはどのような存在であるのか。何をどのように語り、生きるのか。
み言葉に聴き、祈り、語り合いましょう」と語り、私は大変新鮮な思い
を感じた。オイコドメーは、例えばⅠコリント一四章三~四節で語られ
ているように、「人を造り上げる」「教会を造り上げる」ことを意味す
る。個人的な人間にも、教会共同体にも適用される概念である。個人に
も共同体にも向けられる魂への配慮の務めであると語られ、このような
オイコドメーの言葉は、何よりも「慰めの言葉」だとされる。ここで形
成される共同体は「慰めの共同体」なのである。慰めの共同体とはキリ
ストの赦しによる共同体であるとも理解される。
 私にとっては神学校時代(一九七一年~七五年)の学びをもう一度復
習させていただき、主が許されるまで教会員の皆様と教会の在り方につ
いて研鑽したいと祈っている。最後の「牧師は、聖霊共同体の霊的なリ
ーダーなのである」という言葉が私の心に強く響いた。主に祈り求めて
このようにありたいと思う。大変有意義な学びと交わりの時であった。

2018/2/4 週報メッセージ

   最近の読書より    
                                                                 朝位 真士
  最近『いま、ここに生きる』(ヘンリ・ナーウェン著、太田和功一訳)
を読んた。一八二ページ~一八四ページに「思い煩う心」という題の文
章がある。「ときどき人はこう言います。『くよくよするな。ものごと
は結局うまく運ぶものだ。』しかし、私たちは思い煩いますし、誰かに
言われたからといって心配しないですますわけにはいきません。人生で
痛ましいことの一つは、私たちは子供のことをはじめ、友人、配偶者、
仕事、将来、家族、国家、その他あらゆることを際限なく思い悩むこと
です。イエスの言われた次の質問の答を私たちは知っています。『あな
たがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ば
すことができようか。』(マタイ六・二七)」
 私は最近あることで悩んだ。それは、将来の教会のこと、現代の教会
の様々な課題である。だが大切なのは、「どうやって心配事をより少な
くし、より平安でいられるか」「思い悩んでも何も変えられないのが本
当なら、心を空回りさせるだけの心配事の反芻で時間とエネルギーを浪
費しないように、どうやって自分たちの心と思いを訓練することができ
るか」ということだ。イエスは言われる。「まず第一に、あなたの心を
神の国に向けなさい」と。もう一度、マタイ六章二五節から三四節を読
み直してみた。ここに私のみならず、凡ての人の思い煩いの解決の糸口
があるのではないか。私の心は、この時以来、晴れやかになった。ハレ
ルヤ!!

新年も1月が過ぎていきます

イメージ 1新年1月も第4の日曜日を迎えて、雪の残る寒い冬を過ごしています。
皆様は、健康も守られてお元気にお過ごしでしょうか。
桜ヶ丘教会も新年のスタートをきることができて、神様に感謝し礼拝を捧げております。
2018年は、どのような年になるかということを、リフレッシュした思いで、希望をもって歩んでいきたいと考えております。
本日の礼拝メッセージは、朝位牧師による「新しい掟」についでした。
「ヨハネの手紙第一第2章7節~17節」からのお話でした。
「兄弟を愛しなさい」ということが神の掟。
兄弟愛は、創造主が人間の心に植え付けてくださった戒めということです。
兄弟愛は、神を愛する愛の上にあるもので、世を愛する愛の上にあるものとは異なるということを改めて教えていただきました。
人間的な思いで、様々な揺れる思い、揺れる感情を持つことがありますが、そのことを越えたところに、神様の憐みとお恵みに満ちた愛が私たちを包んでくださっていることを覚えます。
「世を愛している人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。」ヨハネの手紙第一2章16節
まずは、神の義を求めて、今週も歩んでまいりたいと思います。

2018/1/28 週報メッセージ

   最近思うこと
                                                                                                             朝位 真士
  最近スマホが流行して私も愛用しているが、『スマホ廃人』(石川結貴著)や『ネットリンチで人生を壊された人たち』(ジョン・ロンソン著・夏目大訳)を見て考えさせられた。『スマホ廃人』の中に「コミュニケーションやゲームのみならず、しつけや子守もこなすなど、単なる端末の域を超えて活用の幅が広がるスマホ。一方で高い中毒性が指摘され、長時間の使用による身体への影響が懸念されている。文明の利器は諸刃の剣なのか?豊富な取材をもとに最前線を追う」と記載されていた。
 ある精神科の医者で伝道師である先生が、こんなことをCGNTVの講演の中で語っておられた。「現代は、スマホ病とゲーム病の患者が多くなっている。そのため、眼科の病院や、整形外科の病院、精神科の病院の患者が増加傾向にある。」恐るべき現代人の病気である。便利すぎたスマホ・インターネット等には危険が潜んでいる。聖書を読むよりスマホを利用。勿論、利用価値はあるが、祈る時間を削ってスマホ・インターネットに時間を費やすことは如何かなと、自戒を込めて感じている。『スマホ廃人』のようにならないように、まず神様を第一にした生活、五分間の聖書朗読、五分間の祈り、五分間の黙想を継続していきたいものである。
 私があえて申し上げたいことは、スマホやインターネットは便利で今後も必要だと思うが、私たちの信仰生活でまず第一のことは、神の国と神の義とを求めていくことだということである。それと同時に、現代社会における必要な事は学んでいかなければならないと思う。二一世紀に生きるキリスト者として、神の御心を問い続けなければならない。

2018/1/21 週報メッセージ

   断食祈祷聖会2018に出席して
                                                                                        朝位 真士
  一月八日~一〇日迄、東京中央教会で一二人の講師による聖会が開催されました。今回の主題は「王の帰還に備えて荒野に道を」で、福音派の先生方のメッセージでした。私は、八日に阿佐ヶ谷教会で開催された西東京教区全体研修会に出席して、東京英和女学院院長であり牧師である深井智朗先生の話を伺ったので、九日~
一〇日と二日間出席しました。
 九日、開会礼拝は小林佳師(インマヌエル王子教会牧師)。講演④「チャーチ・スクールの意義と苦悩」西村希望師(みどり野キリスト教会牧師)、講演⑤「衰退していく教会」渡部信先生(日本聖書協会総主事、常盤台バプテスト教会牧師)、講演⑥「激動する格差社会の中での教会」佐々木満男先生(国際弁護士)、聖会Ⅱ「次世代への自覚と重荷ー栄光の日まで伝え続ける」井上義実師(荻窪栄光教会牧師)。
 一〇日、開会礼拝は朝位真士(教団桜ヶ丘教会牧師)。講演⑦「再臨に備えて」竿代照夫師(イムマヌエル総合伝道団牧師)、閉会礼拝、高木康俊師(蓮根バプテスト教会牧師、実行委員長)。
 それぞれの先生方が専門的なお立場から語ってくださいました。西村先生は、教会学校を発展させてフリースクールのような学校を造り、若者達に福音を語っておられます。実際に二~三〇人の若者を連れて来られ、彼らの生き生きとした姿に感動して来ました。渡部先生は、衰退していく教会の具体的な事例を踏まえながら現状をアピールされました。佐々木先生は、弁護士のお立場から福音宣教をされておられるお話でした。井上先生は、福音宣教の重要性を熱く語られ、主の再臨に対する心構えについて例話を交えて語られました。私は、エフェソ六・一〇~二〇より、「神の武具」を身につけてサタンに勝利するための秘訣は、聖霊の力による祈祷であると結びました。                                                               

2018/1/7 週報メッセージ

   今年の聖句と標語が与えられて
                                                                                                             朝位 真士
  今年はヨハネ一五章一~一七節が与えられた。特に「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(五節)が桜ヶ丘教会の中心聖句であり、標語は「実を結ぶ生活」である。
 旧約聖書ではぶどうの木やぶどうの園は神の民イスラエルを例えるのに用いられる。この新約聖書ヨハネ一五章では、イエス様ご自身がまことのぶどうの木として描かれ、このイエスに接ぎ木される時、私たちは真の神の民イスラエルとして回復されるということが描かれている。そしてイエスは弟子との密接な交わりを表している。パウロはこの木と枝の関係をキリストと教会との関係、体と肢体として示している。弟子たちは、信者たちは、イエスにつながっている限りにおいて生きることができ、実を結ぶことができる。しかしイエスから離れるとその機能を失い、ついに枯れて死んでしまう。イエスにつながるものは、単なるご利益や感情の安らぎだけでなく、神と人とを愛する実践となってくることでなければならない。良い実は魂の勝利に限定されない。ガラテヤ五章二二~二三節には「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」とある。実を結ぶとは、キリストにある品性と信仰の成熟ということである。キリストのようになるための条件は剪定(刈込み)である。信仰生活の中で経験する苦しみ、悲しみ、病気、失望、野望の挫折によって枝は生き、きよめられ、実を結ぶ。キリスト者の喜びは神との関係に源がある。
 この一年、実を結ぶために主から刈込みをされるが、主はまた共にいて助け、私たちに勝利と恵みと祝福を与えられる。

2018/1/1 週報メッセージ

      二〇一八年を迎えて   
                                                                                                               朝位 真士
 新年あけましておめでとうございます。
 祈りの中で御言葉を与えてくださいと願いましたら、ヨハネ一五章一~一七節が与えられました。特に、一五章五節「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」という御言葉が私の心に強く響いてきて、「実を結ぶ生活」という標語が与えられました。私共が桜ヶ丘教会に遣わされて今年で二四年目になります。前任の西海静雄先生、満希子先生が牧会しておられた時の標語が「実を結ぶ生活」で、ヨハネ一五章五節の聖句が与えられていました。二十数年ぶりにこの聖句に戻ったのは理由があります。桜ヶ丘教会の祈祷目標(一、個人信仰の確立、二、全家族の救い、三、個人伝道による教勢倍加)を、今年も祈りの中で達成させていただきたいと祈っているからです。
 昨年の聖句は「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属するもの、神の家族であり」
(エフェソ二・一九)と「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒一六・三一)でした。
 桜ヶ丘教会が開拓されて九五年目に入ります。一九二三年六月一日、初代牧師である板井康裕先生が開拓され、一九七五年、西海先生夫妻によってパールハイツ桜上水というマンションに会堂が与えられ、その後宗教法人格を取得しました。一九九七年一二月一七日、現在地に土地と建物が与えられ、今日まで主が守ってくださっています。二〇一八年は、私達一人ひとりが主にあって実を結ぶ生活を実現させていただきたいと祈っています。

2018/1/14 週報メッセージ

   西東京教区全体研修会に出席して
                                                                                                             朝位 真士
  一月八日(月・祝)、阿佐ヶ谷教会において集会があり、参加教会四六、参加者二二〇名、献金一四四、八三六円であった。テーマは「伝道とは何か」で、主講師は深井智朗先生(東京英和女学院院長)であった。「私たちが救われたこと、私たちが伝えたいこと」という題で、ユーモアを交えて一時間一五分のお話を伺った。レジメを用意して、御経験を交えながら、牧師として、ミッションスクールの院長として、大変具体的な内容を語ってくださった。要旨を左に記載します。
 はじめにー反省と「よしもう一度」という思い。(1)昨年のルターの改革から五〇〇年から学んだこと。「伝えてほしい」「もっと深く」。(2)「学ぶこと」と「変わること」。(3)「伝道論」ではなく。
 1.伝道はどこからはじまるのか。なぜ伝道するのか。(1)「救われた喜び」からはじまる。(2)神学生時代の経験と幼稚園での体験。(3)ペテロとザアカイの事例、そして私たちは?
 2.私たちは知っているのか?何を伝道するのか。(1)「いかに」ではなくて、「何を」。(2)神の国と教会、「神の国」の希望を語っているか、その前で止まっていないか。福音なのか、処世術なのか。
 3.伝道と礼拝。(1)喜びの礼拝。(2)通じる言葉。
 4.家族や友人、家庭や職場。(1)礼拝を出て、家に帰る。(2)日本の家庭とキリスト教。(3)母のこと。
 5.「教会外のキリスト教」?(1)ドイツの「教会外のキリスト教」と日本の「教会外」のキリスト教。(2)私たちは答えているか。。
 6.これまでと同じように、しかしいつも新しいことばで。(1)「新しいことば」とは救われた経験。(2)マラソンではなく駅伝としての伝道。(3)それでも種を蒔き続ける。(4)教務教師としての経験。
 結論、伝道は自分の体験を身をもって証しする、生活それ自身を通して証しすることである。