2018/9/23 週報メッセージ

    東京聖書学校公開講座に出席して
                                                                                                             朝位 真士
  今回は「キリスト教葬儀の理論と実際」というテーマで、久多良木先生(実践神学)と奥田幸平兄(キリスト教専門葬儀社輝会長)の二人の講師による学びでした。
 まず講演Ⅰ「キリスト教葬儀の理論的側面」について、久多良木先生が語ってくれました。先生は、聖書詩編二三編・九〇編、イザヤ四〇章、ルカ一六章、ヨハネ六章・一一章・一四章、Ⅰテサ四章、Ⅱテサ一章、ヨハネ黙示二〇~二一章等、多くの聖書箇所と、『牧師の仕事』(鈴木崇巨著)第二二章「葬式、諸式」を引用され、「一人の人の死に臨んで牧師が語るべきことは、その死者がこの世でなした良いことへの賛辞や人間的な慰めの言葉ではなく、イエス・キリストの福音です。」「葬式の主目的は神に栄光を帰することです。このために他の礼拝式と同じように聖書(神の言葉)と祈りが中心になります。葬式の背後には永遠の神がおられます。それが遺族への本当の慰めになります。あくまでも神を中心にすることにより、聖書による深い慰めが流れ出てきます。」「死と復活の中で、死とはアダムとエバの罪の結果。そしてイエス・キリストを信じることによってこの罪は赦され、永遠の生命を得て復活します。」と語られた。
 次に奥田兄が「キリスト教葬儀の実際」を、パソコンのデータを画面に映して説明してくださいました。「キリスト教の葬儀は礼拝として行われます。故人の一生を守り導かれた創造主である神を礼拝するため、悲しみの中にあるご遺族の慰めとなるため、参列された方が葬儀を通して自分の人生と死について考えるきっかけとなるため、故人に敬意を表し、ご遺体を丁寧に葬ります。しかし、故人を拝むことはしません。」その他、様々な具体的な実例について、わかりやすく語ってくださいました。
 高齢化社会の中で、私達もやがて召天します。そのための予備知識として、私にとって大きな学びとなったことを感謝しています。