いつのまにか秋に

                                 イメージ 1写真:K/Kさん提供
早いもので、明日から10月です。
皆様は暑い夏を何とか健やかにお過ごしになられましたか。
過日新米が送られてきて、実りの秋を感じています。
稲穂が金色に輝き、田んぼが一面緑の勢いから、黄金色に染まっている風景をご覧になったことはありますか。
日本のこの移り行く風景を見ながら、心豊かにされますね。
さて、桜ヶ丘教会では、10月に音楽のイベントを用意しています。
10月30日(日曜日)は、
   礼拝の後に、
      午後1時半から、
        音楽の集いがあります。
  山口夏実さん(ピアノ)、
  犬塚彩子(ボーカル・ギター)さん
       によるボサノバです。
 詳しくは 、
「2016年10月音楽の集い」の
        ページをご覧ください。
皆様がご参加くださるように、
お待ちしております。
なお、毎日曜日礼拝に出席できるお恵みに感謝し、心を新たに頑張ろうと決意し日々を過ごしています。
教会に来られて、ほっと一息つくことができることができたら、嬉しいと思います。

2016/9/4 週報メッセージ

   「教会存続の危機」を感じて
                                                                                                       朝位 真士
 
 上記のテーマがキリスト教会の中で記事となることが多くなりました。桜ヶ丘教会も現住陪餐会員の半数以上を天国へ送り、礼拝出席も大変厳しい状況になり、それに比例して財的にも厳しい状況になってきました。高齢化と受洗者の減少もあります。
 「教会に人が来ない」という事実に対して、その原因をどうとらえるのか。大切なことは、その原因が教会に来ようとしている人の側にあるのではなく、教会の側にあると自覚することです。日本キリスト教団の信仰告白は変わりませんし、変える必要もありませんが、教会のあり方は変える必要があるということ。そのことに真剣に取り組む時代が来たのです。当教会では、まず一つの変化として教会の看板を新しくしました。教会の行事等を入口に掲示して、集会の内容を外部にお知らせします。成果はすぐに表れませんが、少しずつ外部の方々が気づいて下さると思います。次に、誕生月の方へカードを出します。また教会に来られない高齢の方のために、教会員の有志の方々と主張聖餐に出かけています。
 もちろん、基礎となる四つの習慣が必要です。①御言葉と共に過ごす時間を持つこと。「私の言葉にとどまるならば、あなた達は本当に私の弟子である。あなた達は真理を知り、真理はあなた達を自由にする。」(ヨハネ8・31~32)②「祈り」(ヨハネ15・7~8)③「定期的/定額的な献金」④人々と交わりを持つこと。(ヨハネ13・34~35)「み言葉」と「祈り」は神様と共に過ごす時間、「献金」と「交わり」は人間関係を表します。人生の主要な要素、「時間」「お金」「人間関係」において、神を第一とすることを学んでいくことが大切です。

2016/9/11 週報メッセージ

   敬老に感謝する
                                                                                                        朝位 真士
  今日の礼拝において、75歳以上の教会関係者のためにお祈りさせていただきます。
 ところで「感謝」ということについて考えてみましょう。キリスト教大辞典によると、感謝は神の民の最大の特質の一つです。聖書全体は、生ける唯一の真の神とそのみわざに対する感謝に満ちあふれています。旧約聖書では、特に詩編において感謝が繰り返されており、136編はその代表的なものです。「恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」(詩136・1)
 新約聖書にはいると、感謝の内容がイエス・キリストの「救いのみわざ」に集中します。たとえばコロサイ1章12~14節においては、過去・現在・未来にわたる「キリスト者の霊的祝福」が感謝の理由として挙げられています。キリスト者生涯の美は、神への感謝に満ちていることです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」(テサ5・16~18)は、主イエス・キリストにあって神がすべてのキリスト者に要求しておられる最も標準的な勧めです。キリスト者の祈りは、異教的な願い事の羅列ではなく、神とその大いなる救いのみわざを深く瞑想するところから発する感謝に満ちていることこそ願わしいのです。
 一人の兄弟のことを証ししたいと思います。私の母教会の兄弟ですが、彼は苦学をしてアメリカ留学し、教会においては伝道部長として積極的に奉仕をされました。週間は商社を経営し、祈祷会(水)と日曜日は1日中主のために時間と財を献げられました。私はその兄弟の生き様を見てクリスチャンになり、彼のようになりたいと祈っていました。彼はいつも「感謝です」と語って、笑顔で主の奉仕をしていらっしゃいました。彼の心の中は、いつも主イエスの愛と恵みで満ちていました。今は天国で主イエス様と多くの聖徒達とともに感謝の賛美を歌っていることでしょう。

9月の声を聞いて

イメージ 19月になっても、暑さは厳しい状況です。
そして、台風10号の爪痕の大きさ、被害は甚大なものでした。
現在も台風が来るとということで、わたしたちは心配するところです。
北海道、岩手県の川の氾濫の映像を見るにつけ、いま、避難所で生活をおくられている方々のお気持ちを考えるときに、言葉が見つかりません。
しかし、必ず主は助けてくださることを思い、一日もはやく日常生活が戻ることを願い、ひたすら祈ります。
さて、9月第1日曜日の礼拝は、「神の御子の権威」という題で、お話をいただきました。
主イエス・キリストは、神の御子として生まれ、父なる神様の働きを現実の地上で行われたということ。
神の技は、旧約の時代は預言者を通して行われたが、イエスの時代は、直接イエス・キリストによって、なされたということ。
奇跡は、天上の神の技が地上に現れたものである。
イエスは、歴史的事実として、示されたとのこと。
メシア(救い主)性について、そのことの自覚をイエス・キリストも十分にしておられた。イエスは、自分が神の子として考え、活動する使命を知っておられ、この世にあって、孤立せるものとして立っておられた。
そうして、『命を与える』という、永遠の命について授与することができるという権威を持っておられたということ。
救われる者、滅びるものとを分けられるために来られた。
(このことを聞くと、どっきとしてしまいますが。)
イエスに従い、その声を素直に聞くことがが救いへの道。
イエス・キリストの神性を信ずるときに、神の恵みに預かることができるということ。
滅びの道へ進むことも、わたしたちは選んでしまうことができます。しかし、日々の訓練において、立ち返り思いを悔い改めて、聞き従うものになる道も歩くことができます。
イエス・キリストは愛の御方でもあります。イエスの深い愛を覚えつつ、イエスに従うことの意味を考えて過ごしたいと思いました。
暑い日が続きます。霊肉が守られますようお祈り申し上げます。

10月30日(日)の音楽の集いについて

       10月エリム会による「音楽の集い」についてのお知らせ

桜ヶ丘教会「エリム会」は、男女年齢を問わずどなたも参加いただける会です。第5週目の日曜日午後に開催し、お茶を飲みながら様々なトピックのお話や、聖書の学びなどをしております。

10月のエリム会では、当教会のピアノ奏者でもある山口夏実さんに、ボサノバの音楽を演奏していただくことになりました。「音楽の集い」ということで、興味のある方どなたにもご参加いただけるよう企画しました。
ボサノバは1950年代にブラジルのリオで生まれた新音楽ということです。リオ五輪の年に、是非、ボサノバの音楽に触れてみませんか。

なお、演奏前に朝位フミ子牧師による「教会音楽の歴史」についてお話をいただきます。教会で私たちが声を出して賛美の歌を歌うことができるようになった歴史を踏まえ、音楽をお楽しみいただければと思います。<桜ヶ丘教会 エリム会>

  山口夏実さん・犬塚彩子さん(ボッサ・エテルナ)によるボサノバ
ブラジル・ポルトガル語の歌声に、ギターとピアノで奏でる甘く爽やかなボサノバの音色、ブラジル音楽の神髄を追及するボサノバデユオ による音楽のプレゼント
(ボッサエテルナのお二人を紹介します)

 犬塚彩子さんの紹介愛知県岡崎市出身。ファッションの学校を卒業してから独学で歌い始め、ソ ウル、ロック、ジャズを経てボサノバ・ギター弾き語りとたどり着く。

 山口夏実さんの紹介3歳よりピアノを習い始め国立音楽大学教授児玉氏に師事。クラッシク音楽を学びながらポップス音楽にも親しむ。キリスト教系学校の関係から教会で奏楽に従事。
 開催日時:2016年10月30日(日曜日)13時30分~
 参加費:500円(茶菓・資料代等)
 場 所:桜ヶ丘教会 





暑い8月の中で

イメージ 1写真:K・Kさん提供
今日は曇りの1日です。
暑さも厳しさが増しておりましたが、曇りの今日は少しほっとしています。
しかし、台風がまたやってくることを思うと、自然災害が拡大しないようにと祈る気持ちでいます。
各地の台風が去った後の爪痕をテレビで見ます時に、自然の力の前にどうすることもできない私たちの現実を考えさせられます。
また、イタリアの地震もとても気になります。多くの方が犠牲になられたというニュースに心が痛みます。
大災害の前に祈ることしかできません。「主がお慰めくださることを、力を与えてくださることを、最善の道を備えてくださることを」
引き続き祈り続けていきたいと思います。
さて、過ぐる8月日曜日における牧師先生のお話は、見ないで信ずる信仰によって、どのようにイエス・キリストの恵みに預かることができるかということでした。(ヨハネによる福音書を通して)
しるしを見て信ずるのではなく、イエス・キリストの言葉を聞いて信じた人々が、罪赦されて、癒されて、立ち直っていくことができたということです。
水をくみに来た罪に悩むサマリヤの女、息子が病気のカファルナウムの役人、38年間も病気で苦しんでいたベドサダの池の病人と、それぞれが、どのようにイエス・キリストに出会い、その恵みにあずかることができたのか。
わたしたちも、日々の生活の中で、しるしを見ないで信ずる心を忘れかけるときがあります。
「ヘブライ人への手紙11章1節」に信仰とは何かについて記されています。
  <信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。>
明日は、8月28日(日曜日)10時30分~礼拝があります。
「神は今も働く」という題でのお話です。

2016/8/21 週報メッセージ

   「日本伝道の幻を語る会」Ⅲ                                                                 
                                                                                                         朝位 真士
 
  講演Ⅱ、大住雄一先生(東京神学大学教授)、「幻を語り合う」。
 序、私たちは伝道の幻を語り合おうとしています。しかし、私たちが今見ているものは何でしょうか。それは、主イエスもすでに直面しておられたことです。(1)伝道の困難な時代ー笛を吹いたのに踊ってくれなかった(マタイ11・17)。そもそも宗教が困難な時代ー宗教とか終末と言ったとたん毛嫌いされる。耳障りのよい話ばかりが好まれる(Ⅱテモテ4・3)。人間の本当の問題や苦悩に直面できない。なんでも「ありのまま」で(が)よい時代。(2)伝道献身者が立てられない時代。リバイバルが起こっても、それに対応できない教会。専従の牧者がいない教会はいよいよ衰退する。(3)伝道献身者が送られるように祈っているか。祈りの課題として認識されているか(マタイ9・38)。(4)教会の高齢化。
 1、教会には将来がない? 老齢(90歳以上)になって受洗された人は恵みではないか。高齢者による伝道は意味がないのか。力に欠けるのか。そんなことはない。
 2、それにもかかわらず、「収穫は多い」(マタイ9・37)。伝道の幻に見ているものー主イエスも、困難の彼方に望み見ておられたこと。(1)主イエスの業としての伝道。主がすでに先立っておられる。「ここまで来い。」「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」(マタイ28・7)(2)シラスとテモテが追いついてきてパウロがテント張りをやめ、み言葉を語ることに専念すると、パウロ迫害が本格化する(使徒18・5~6)。自分たちの中から伝道者が立てられ、自分たちがこれを支えるために祈る。(3)私たちの挫折は、神の挫折にはならない(Ⅱテモテ2・9)。私たちがたとい不誠実でも、神の誠実は変わらない(Ⅱテモテ2・13)。(4)先立ちたもう主を幻に見る。幻に見て喜ぶ。

2016/8/14 週報メッセージ

   「日本伝道の幻を語る会」Ⅱ
                                                                                                                         朝位 真士
  前号に引き続き二人の講演の内容を簡単に記載します。
 講演Ⅰ、岩間剛先生(山口福音教会牧師)、「この群から出てくる」(ゼカリヤ10・4)。序論、先生の今までの歩み。本論1、2004年教会のビジョン決定、十の教会(千名)と150人礼拝。(1)教育と訓練。チャーチスクール(2004年)、神の人を建てあげるスクール。信仰塾(クリスチャンホームの子供対象)。地方伝道のための神学校。(2)礼拝の変革ー若者にも焦点を合わせた礼拝。若者が増えていく中で二部礼拝にした。会堂取得。(3)伝道。①キッズ伝道、②留学生伝道、③家庭集会、④ゴスペル教室、⑤聞き屋、⑥私たちの群の会堂と礼拝。(4)交わりと祈り。①シルバーサロンー六五歳以上のクリスチャンを対象、②家庭集会ー若者の交わりやセルや主婦のセル、③メンズ・ミーティングー牧師と中年男性との交わり会、④金曜リバイバル集会、⑤毎月の合同礼拝と食事会(教会全体の礼拝と交わり会)、⑥キッズ祈祷会(キッズの奉仕者の祈り会)、⑦チャーチスクールの日に三度の祈り、イエス様時代の日に三度の祈りの回復。
 2、「この群から出てくる」ー何が出てくるだろうか。①「かしら石」が出てくる。偉大な信仰のリーダー。②「いくさ弓」が出てくる。福音の矢を携えて出てゆく勇者たち。③「すべての指揮者」が出てくる。各種のリーダーが出てくる。
 3、主に雨を求めよ(10・1)。①主に求めなさい。神に期待しよう。②神の訪れ。問題のあるご自分の群。「羊のようにさまよい、弱っている」状態。求めてゆくなら「神の訪れ」を経験する。戦場の素晴らしい馬のように変えられた。イエスの訪れ。「小さな群よ。」

2016/8/7 週報メッセージ

   「日本伝道の幻を語る会」に出席して
                                                                                                        朝位 真士
  7月26日(火)~27日(水)まで、市川サンシティホテルで「第四八回日本伝道の幻を語る会」に出席した。テーマは「今こそ福音の時」ーこの終末の時代にー、主題聖句はマルコ1章14~15節、「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」
 講師は柏木哲夫先生(淀川キリスト教病院理事長)で、「生きること、寄りそうこと」というテーマで語られた。ホスピスという臨床の場で約2500名の患者さんを看取り、お一人おひとりの人生の総決算の場面に参画されて、人が生きること、生きることに寄りそうことを通して、良き死を死すためには良き生を生きる必要があることを学んだ。そして良き生のキーワードが「感謝」であることも教えられた。周りの人々に感謝して生きてきた人は、臨終の床で周りの人々から「ありがとう」と感謝の言葉をかけられる。良き生のもう一つのキーワードは「散らす人生」である。時間を自分のために使うか、人のために使う(散らす)かによって、その人の人生の色合いが決定する。
 次に岩間剛先生(山口福音教会牧師)が、ゼカリヤ一〇章四節から「この群から出てくる」というテーマで、Ⅱコリント5章13~17節を通して「今こそ福音の時」と題して語られた。地方教会の困難の中から、積極的に宣教の業が進展されている。2004年に「この群から出てくる」という教会の大きなビジョンが与えられた。2040年に、1000名会堂と1万人礼拝というものである。2016年時点で、五つの会堂と150人礼拝を有している。最後に大住雄一先生(東京神学大学教授)で、「幻を語り合う」というテーマで語られた。1、伝道の困難な時代。2、それにもかかわらず「収穫は多い」。(マタイ9・37)(1)主のわざとしての伝道、(2)シラスとテモテが追いついて来て、(3)私たちの挫折は神の挫折にはならない、(4)先立ちたもう主を、幻を見る、幻に見て喜ぶ(イザヤ2・1~5)。主の言葉がそこで語られているからである。

7月31日の礼拝に思うこと

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写真:K・Kさん提供
7月第5誠実の礼拝は、朝位真士牧師によるお話で、「イエスとサマリヤの女」についてでした。
聖書箇所はヨハネによる福音書4章第1節~26節です。
サマリヤの一人の女性が、イエス・キリストに出会い、信仰を持つようになったお話でした。
この女性は罪も深い女として描かれています。
また、当時のユダヤ人はサマリヤ人を軽蔑していたということで、ユダヤ人のイエス・キリストが、この女性に話しかけられるということは、驚くべきことであったと考えられます。
まず、イエスは、自分を低くされて近づき真の神様についてお話をされたということです。
伝道のためにへりくだる熱心さと、主の知恵と愛が溢れていたということです。イエスは、水汲みに来たサマリヤの女に「水を飲ませてください」と言われたのです。
「ユダヤ人のあなたがサマリヤの女のわたしに、どうして水をほしいとと頼むのですか」と女は聞きます。
「もし、あなたが、神の賜物を知っており、また『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことだろう」とイエスは答えられます。
わたしたちも、ここで、生きた水とはどんな水?と思います。
お話では、「生ける水は求めて得られる神の賜物である」ということです。
イエスは、井戸の水をさして「この水を飲む者は誰でも渇く。しかし、私があたえる水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧きでる。」と言われます。
この話をきき、女は生ける水をほしいと言いますが、イエスは、女についてその過去を言い当てます。女は、とても驚いたことと思います。生ける水を飲む前に、罪なる過去を捨て去り、罪の生涯から離れなければならないということです。
「渇くことがない水、さらに、飲めば泉となって湧き出る水」を、想像するとどのような水なのかと思いがめぐっていきますね。『神の賜る恵みは、こんこんと湧き出る泉の生ける水のように、私たちの心の中に湧き出て尽きることはない。喜びも力も愛も、この泉から湧き出て流れる恵みの流れである。自分の力で絞り出すものではなく、枯れることがない生ける水、すなわち永遠の命に至る水で、尽きることがない。』というお話を伺いました。
そして、イエスは、イエスを通し生ける水を与えてくださる神について、礼拝する場所は、山でもなくエルサレムでもないところであるとも言われます。
「霊と真理をもって礼拝する時が来る。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」と言われます。
「キリストの体なる教会」では、礼拝を日曜日ごとに捧げます。教会は教会堂の建物ではなく、神によって召し出された者たちの集合体を意味すると言われています。それぞれが仕え、教会を建て上げています。
わたしもサマリヤの女のように、イエス・キリストに出会い、教会に行くことが許されています。
「教会ってなんですか」、答えは「キリストをかしらとしたキリストの体です」ということですので、私たちは、体の一部として、誠を尽くして働き、霊と真理をもって礼拝を捧げたいと思います。

1923年6月1日創立