「週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2021/5/30 週報メッセージ

教会の働き

朝位 真士 

  先週5月23日はペンテコステ礼拝で、教会の誕生について学びました。教会には、これだけは絶対に欠かせないという三つの働きがあります。それらは神から託されている教会独自の使命です。

 ①世界宣教――「それから、イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受けるものは救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。』」(マルコ16・15~16)教会はキリストの福音の証人です。神はこの教会に世界伝道を命じられました。キリストを信じ、その救いを体験した人々は、その心の内から溢れでる大きな喜びをもっています。伝道は、その喜びを人々に分かつものであります。福音は喜びのおとずれです。教会はいろいろな事業、運動をします。しかし、その根幹にあるものは、あくまでも福音の宣教です(Ⅱテモテ4・2)。

 ②信仰教育――教会の教育もまた、大きな使命です。神への信仰と聖書の真理を、この世のあらゆる反神的な思想、生活、習慣から守り、また神の恵みを代々に伝えるために、この教育はなされます。そのため教会には教会学校があり、礼拝堂のほかに教育館を建てるところもあります。また、クリスチャン・スクールといわれるキリスト教主義学校(幼稚園・小中高・大学・専門学校など)を建て、宣教と教育を推進しています。キリスト教教育の根本にあるものは「魂の教育」というものです。人間の魂がキリストの愛に触れ感動する教育が、教育の原点であります。

 ③社会福祉――教会はこの地上に置かれています。キリストの愛のうちにこの世との深いかかわりをもち、与えられた神の祝福を共に分かち合うためです。具体的には地域の生活相談をはじめ、恵まれない人々や社会的にハンディを負っている人たちのために、積極的な福祉活動を展開しています(ヤコブ1・27)。(『新キリスト教ガイドブック』より)

2021/5/23 週報メッセージ

「人間万事塞翁が馬」の話を聞いて

                 朝位 真士 

  「人間万事塞翁が馬」は中国の故事に基づきます。単に「塞翁が馬」ともいいます。中国北境の塞(とりで)近くにいた老人(塞翁)の馬が胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言いました。やがてその馬は、胡の駿馬を連れて戻ってきました。人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言いました。すると胡の馬に乗った老人の息子が落馬して足の骨を折ってしまいました。人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言いました。1年後、胡軍が攻め込んできて戦争になり若者達はほとんど戦死しました。しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため戦死しなくて済みました。人間は「じんかん」とも読み、「人類」ではなく「世間」を意味します。

 この故事は中国の古い書物『淮南子(えなんじ)』に書かれているようです。この話をユーチューブで山中伸弥博士より聞き、大変感動しました。彼自身の医者として、生物学者としての経験について、ユーモアを交えて赤裸々に語られました。ノーベル賞受賞までの年月を正直に語られたことに、大変共感を覚えました。私達の長い人生で楽しいことや嬉しいこともあれば、不幸なことや悲しいこともあるけれども、何が幸福で何が不幸かは、直ぐに決まるものではありません。嬉しい時には自己を律して、悲しい時には将来必ず幸せが訪れるものと信じて、毎日を明るく元気に過ごしてくださいというような講演内容だったと思います。

  私はこの話を聞きながら、コヘレト3章1~11節を思い出しました。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。……神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」私達はこの世の事柄と同時に永遠の世界を垣間見ることが許されているとは、なんと素晴らしいことではないでしょうか。

2021/5/16週報メッセージ

『スマホ脳』という本を読んで                                            朝位 真士 

  著者はアンデシュ・ハンセン。精神科医、経営学修士。彼は1974年スウェーデン生まれである。私はこの本を読んで大変ショックを受けた。現在、大人は1日4時間をスマホに費やしている。十代の若者なら4~5時間費やしている。なぜ、これほど多くの人が物質的には恵まれているのに孤独を感じるのか。著者は、私たちを取り巻く環境と人間の進化の結果が合っていないことが、私たちの心に影響を及ぼしていると語っている。睡眠と他者との関わりと運動という、精神的な不調から身を守る三つの重要な要素が欠落していると著者は語る。彼はデジタル時代のアドバイスとして次のように語っている。

 自分のスマホ利用時間を知ろうー1日に何度スマホを手に取り、どのくらい時間をかけているのかを把握するために、アプリを使ってみるといい。スマホに奪われている時間が一目瞭然だ。自分を知ることが変化への第一歩になる。

  目覚まし時計と腕時計を買おうースマホでなくてもいい機能は、スマホを使わないようにしよう。

 毎日1~2時間、スマホをオフにー毎日2時間オフにすることを周りの人にも伝えておこう。そうすれば、返事がないという怒りのメッセージが届いたり、人をイライラさせたりせずにすむ。プッシュ通知もすべてオフにしよう。

 スマホの表示をモノクロにー色のない画面のほうがドーパミンの放出量が少ない。それによって、どのくらいスクロールを続けたくなるかが大きく左右される。

 運転中はサイレントモードにー危険な瞬間に気が散るリスクが減る。悪いタイミングでお知らせや通話が来ると、いちばん必要なときに集中が妨げられる可能性がある。それに応答しなかったとしてもだ。  私はこの『スマホ脳』という本を読んで、未だ全てを理解していないが、目から鱗が落ちた感じで、もう少しスマホの使用方法を考えなくてはと思った。                   

2021/5/9週報メッセージ

コロナウイルス感染症流行の中で

                        朝位 真士 

  コロナウイルス感染症流行が終息しない中、さまざまな礼拝形式がある。先日親しい牧師達に、この時期の礼拝をどのように守っているのか、率直な意見を聞いてみた。それをこの紙上で皆様にお伝えして、私自身の意見を述べたいと思う。

 意見1、昨年のコロナウイルス流行のきざしの1月より教会の礼拝を中止している。教会の方々へ週報や説教原稿を1週間前に郵送して、当日の礼拝は各自の自宅で守っている。牧師は一人、礼拝堂で礼拝を守っている。高齢者が多い教会なので、万が一感染した場合に社会的責任を問われるので、その点を注意して現在も継続している。たしかにその牧師の主張は常識で大事である。

 意見2、昨年のコロナウイルス流行の際にも、礼拝を会堂で継続している。礼拝は主イエス様を礼拝するものである。世間の情報は大切であるが、私達の罪のために十字架に掛かり、死んで3日目に復活された神の子イエス・キリストを礼拝する。主は私達のために命をかけて罪を赦してくださった。命をかけてくださった神様、イエス様に命をかけて礼拝するのは当然である。たしかにこの牧会姿勢は大切である。私は役員達と相談して、基本的には礼拝を会堂で守っている。しかし様々な理由で教会の礼拝堂で守れない方のために、当日の礼拝をユーチューブで配信している。その前に週報や説教原稿を持って近隣を訪問したり、郵送したりして、1週間後の礼拝を守れるように配慮している。

 これが最善ということはないが、とにかくどんな方法でも、私達を愛して十字架の死をとげられ、復活された主イエス・キリストを毎週礼拝したいと思う。

2021/5/2 週報メッセージ

目的のある人生

朝位 真士  

 聖書の中に「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい」(Ⅰコリ10・31)とあります。なぜ「神の栄光のため」が人生の目的なのか、人生の目的の条件は何かということから考えてみましょう。

 人生の目的の条件(1)魂を満足させる人格的なものー人間は欲望の存在です。食欲、性欲、名誉欲などさまざまな欲望の満足を求めて生きています。しかし、これらの欲望を充足させるだけでは、決して満足できません。何故なら、人間は魂をもつ人格的な存在だからです。真の人生の目的となりうるのは、物ではなく完全な人格的なものでなければならないのです。人生の目的の条件(2)無限の欲求を満たす永遠的なものー人間の無限の欲求を満たすものでなければなりません。人間の魂の欲求は無限です。人生の目的の条件(3)心と心を結ぶ共感を得るものー人と人とを結びつける普遍的なものであるべきです。

 三重苦の試練の中で生き抜いたヘレン・ケラー女史は「人間にとってもっとも悲惨なのは心の世界がないことだ」と記し、最大の苦痛は「わからない」ことではなく、「わからせることができない」ことだと自伝に記しています。ヘレンの言う心の世界とは、心が結ばれる世界です。しかし、人間は心が狭く、罪のゆえに争いに巻き込まれていくのです。真の人生の目的はこの罪と自我の鎖を破り、本当に心と心とを一つに結ぶものでなければなりません(コロサイ3・14)。真の愛、この愛の支配こそ、人間が求めている目的です。神の愛こそが、私たちのあらゆる欲求に本当の満足を与えてくださるということです。(『新キリスト教ガイドブック』より)

 キリストご自身こそ、神の栄光です。このキリストを信じ、愛し、生きることが神の栄光を目的とする人生です。私たちは、一人でも多くの方々がキリストを信じて、神の栄光を現していただくことを祈りたい!!

2021/4/25 週報メッセージ

聖書を読みましょう(マルコ)

朝位 真士 

  マルコ福音書について米田豊先生はこのように注解しておられます。

  記者マルコという信者の子で別名はヨハネと言い(使徒12・12)、バルナバのいとこである(コロサイ4・10)。パウロとバルナバに伴われて、その第1回伝道旅行に出たが、途中から帰ったため、第2回目にはパウロに見捨てられ、バルナバに伴われて、その伝道に出た(使徒15・36~39)。のちにパウロと和らぎ、彼の同労者となった(第2テモテ4・11、ピレモン24)。本福音書は、伝説によれば、紀元60年頃、ローマにおいてペテロがとらわれていた時、彼の指揮の下にマルコが記したものであるという。それは、彼がペテロに浮かれたことと、書中にペテロに関しては詳しく記され、また本書の書き様がいかにもペテロの性質を表わすところが多い(「たちまち」「直ちに」などの言葉多いのはその一例である)ことからもうかがわれる。

  マルコはローマ人および一般の異邦人のために記されたものであることは、ユダヤ人の風習や土地言語などに注意深く説明を加えたこと(5・41、7・34など)、またイエスの系図を省いたこと、旧約からの引用の少ないことなどから、知ることができる。マルコは、勝利者たるローマ人に適すように、勝利者たる神の子キリストの働きを簡単に記している。

  皆様、マルコによる福音書を前提なしで読んでみましょう。キリストの働きが直裁的に、単刀直入に書かれています。

2021/4/18 週報メッセージ

聖書を読みましょう

朝位 真士

  「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」(Ⅱテモテ3・16)

 イースターを迎え、マタイ伝より読むことを実行しています。注解書なしで、御言葉の力で1日の生活を始めたらいかがでしょう。

 米田豊先生の注解によると、福音書の記者であるマタイは12弟子の一人で、別名をレビと称し、収税を業としていたが、主の召命を受けて弟子となったものです(9章9節)。この書はユダヤ人のために書かれたもので、記者が目的としたところは、イエス・キリストが旧約聖書に預言されているメシヤすなわち救主であることを証明することです。したがって旧約の預言からの引用が多く、その数は65を下りません。紀元50~60年頃、パレスチナで書かれたもので、キリストの言行を分類的に記しています。簡単に分類すると、5章から7章までが説教、8章から9章が奇跡、10章が使徒に対する教訓、13章がたとえ、23章が律法学者やパリサイ人に対する譴責、24章から25章が再臨に関する警告および比喩集であります。

 マタイ福音書は28章ありますが、1日4章読んでいくと1週間で終了します。皆様もチャレンジしてはいかがでしょうか。もちろん、毎日15分間の御言葉と祈りの習慣を継続していくと、さらに御言葉の恵みに充足されるのではないでしょうか。

2021/4/11 週報メッセージ

フィリピの信徒への手紙を読んで

朝位 真士 

  フィリピの教会は、パウロの第2回伝道旅行の結果生まれたヨーロッパにおける最初の教会です。紀元51~53年の頃と思われます。その設立事情は、使徒16章6~15節に記録されています。創立会員は、テアテラ市の紫布の商人ルデヤという婦人と、占いの霊につかれていた女奴隷、それからフィリピの獄舎の看守とその家族でした。これらのキリスト者が教会形成の礎石となったわけです。フィリピの教会には、その後アジア人、ギリシャ人、ローマ人などのいろいろな民族、またいろいろな国籍をもった人々、上流階級、中流・下層階級からの人々が加わって、教会が形成され成長していったと考えられます。パウロの宣教によって教会の関係者は愛と信頼に固く結ばれました。彼の生んだ教会には、深く親しい交わりが見られています。4章10節、15節、16節から、フィリピの教会の信徒のパウロに対する愛の心と愛の贈り物が読み取れます。

 私の好きな聖句は、フィリピ4章11~13節「物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」短い四章の中に、「喜ぶ」「喜びなさい」等が十数回記録されています。喜びの少ない不安と恐怖のこの時代に、キリストの御言に耳を傾けましょう。

2021/4/4 週報メッセージ

 イースター礼拝を迎えるにあたって

朝位 真士 

  2月17日(水)より4月4日(日)までの四旬節(レント、受難節)にキリストの受難と復活を学ぶ時期を過ごせたことを感謝します。主の復活を祝うキリスト教最大のお祭りがイースターですが、春分の後の最初の満月の次に来る日曜日ということになっています。当時のユダヤの暦が太陰暦に基づいていたからです。このため私たちの使用しているグレゴリオ暦では、毎年日付が変わってしまいます。教会では主の復活を記念して早天野外礼拝を行うところが多くあります。また、死んだような殻を破って新しい生命が出てくることの連想から、彩色された卵が配られます。キリストの新しい命を象徴しています。

 今はコロナ禍の時代です。3密を避け、手指の消毒をし、マスクをして生活しなくてはなりません。ある牧師が「3密(密集、密閉、密接)を避けなければならないが、イエス・キリストには3満があります」と言いました。クリスマスによく読まれるヨハネ1章14節に「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」とあります。①栄光、②恵み、③真理の3つの満があります。つまり、イエス・キリストは栄光、恵み、真理に満ちておられました。このコロナ禍の時、3満に充足していただきましょう。イースターの時、大いにキリストの3満に充たしていただきましょう。

2020/3/28週報メッセージ

2020年度最後の礼拝にあたって

朝位 真士 

 教会の年度は4月から翌年3月までとなっている。昨年3月の役員会で感染症対策について話し合った。礼拝は休まず粛々と行う。法令に基づいての規制には従い、牧師は礼拝堂にて、各々は家庭など自らの場で礼拝を行う。新型コロナウイルス感染症流行が続いている中で、手洗い、マスク、手指の消毒をして礼拝を守り、しばらくは例会(婦人会、ホープ会、青年会、エリム会、ふれあい会、夕拝、昼食)は中止する。その時、私に御言葉が与えられた。「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」(箴言19:21)神様は最善以下のことはなさらない御方である。

 教会の礼拝形式として、U姉にユーチューブ配信をしていただくようになり、礼拝に出席できない方も自宅で礼拝を守ることができるようになった。コロナ禍における神様のお導きだと感謝している。U姉のためにお祈りしてほしい。そのような中で、3人の方々が受洗された。神様は試練を通してこのようなお恵みを与えてくださった。O夫妻は5月31日のペンテコステ礼拝に受洗された。高齢の方々だが、若い頃からキリスト教について大変多くの知識をお持ちの方である。コロナウイルス感染防止策を考えながら洗礼を授けさせていただいた。健康が許される限り毎回礼拝にご夫妻で出席されておられる。Y姉は12月20日のクリスマス礼拝で洗礼式をさせていただいた。ベアンテ・ボーマン先生御夫妻の御用の日であった。Y姉は女優さんで、2月に結婚されて他教会へ転出された。このように困難の1年の中にも神様の祝福が与えられた。ハレルヤ!!