「皆様へのメッセージ」カテゴリーアーカイブ

10月30日(日)の音楽の集いについて

いよいよ明日10月30日(日曜日)午後1時半から音楽の集いが開催されます。
どなたでもご自由に参加できますから、お時間と興味のある方は、当教会でご一緒にボサノバを楽しみましょう。
なお、演奏前に朝位フミ子牧師による「教会音楽の歴史」についてお話をいただきます。教会で私たちが声を出して賛美の歌を歌うことができるようになった歴史を踏まえ、音楽をお楽しみいただければと思います。<桜ヶ丘教会 エリム会>

  山口夏実さん・犬塚彩子さん(ボッサ・エテルナ)によるボサノバ
ブラジル・ポルトガル語の歌声に、ギターとピアノで奏でる甘く爽やかなボサノバの音色、ブラジル音楽の神髄を追及するボサノバデユオ による音楽のプレゼント
(ボッサエテルナのお二人を紹介します)

 犬塚彩子さんの紹介愛知県岡崎市出身。ファッションの学校を卒業してから独学で歌い始め、ソ ウル、ロック、ジャズを経てボサノバ・ギター弾き語りとたどり着く。

 山口夏実さんの紹介3歳よりピアノを習い始め国立音楽大学教授児玉氏に師事。クラッシク音楽を学びながらポップス音楽にも親しむ。キリスト教系学校の関係から教会で奏楽に従事。
 開催日時:2016年10月30日(日曜日)13時30分~
 参加費:500円(茶菓・資料代等)
 場 所:桜ヶ丘教会 

いつのまにか秋に

                                 イメージ 1写真:K/Kさん提供
早いもので、明日から10月です。
皆様は暑い夏を何とか健やかにお過ごしになられましたか。
過日新米が送られてきて、実りの秋を感じています。
稲穂が金色に輝き、田んぼが一面緑の勢いから、黄金色に染まっている風景をご覧になったことはありますか。
日本のこの移り行く風景を見ながら、心豊かにされますね。
さて、桜ヶ丘教会では、10月に音楽のイベントを用意しています。
10月30日(日曜日)は、
   礼拝の後に、
      午後1時半から、
        音楽の集いがあります。
  山口夏実さん(ピアノ)、
  犬塚彩子(ボーカル・ギター)さん
       によるボサノバです。
 詳しくは 、
「2016年10月音楽の集い」の
        ページをご覧ください。
皆様がご参加くださるように、
お待ちしております。
なお、毎日曜日礼拝に出席できるお恵みに感謝し、心を新たに頑張ろうと決意し日々を過ごしています。
教会に来られて、ほっと一息つくことができることができたら、嬉しいと思います。

9月の声を聞いて

イメージ 19月になっても、暑さは厳しい状況です。
そして、台風10号の爪痕の大きさ、被害は甚大なものでした。
現在も台風が来るとということで、わたしたちは心配するところです。
北海道、岩手県の川の氾濫の映像を見るにつけ、いま、避難所で生活をおくられている方々のお気持ちを考えるときに、言葉が見つかりません。
しかし、必ず主は助けてくださることを思い、一日もはやく日常生活が戻ることを願い、ひたすら祈ります。
さて、9月第1日曜日の礼拝は、「神の御子の権威」という題で、お話をいただきました。
主イエス・キリストは、神の御子として生まれ、父なる神様の働きを現実の地上で行われたということ。
神の技は、旧約の時代は預言者を通して行われたが、イエスの時代は、直接イエス・キリストによって、なされたということ。
奇跡は、天上の神の技が地上に現れたものである。
イエスは、歴史的事実として、示されたとのこと。
メシア(救い主)性について、そのことの自覚をイエス・キリストも十分にしておられた。イエスは、自分が神の子として考え、活動する使命を知っておられ、この世にあって、孤立せるものとして立っておられた。
そうして、『命を与える』という、永遠の命について授与することができるという権威を持っておられたということ。
救われる者、滅びるものとを分けられるために来られた。
(このことを聞くと、どっきとしてしまいますが。)
イエスに従い、その声を素直に聞くことがが救いへの道。
イエス・キリストの神性を信ずるときに、神の恵みに預かることができるということ。
滅びの道へ進むことも、わたしたちは選んでしまうことができます。しかし、日々の訓練において、立ち返り思いを悔い改めて、聞き従うものになる道も歩くことができます。
イエス・キリストは愛の御方でもあります。イエスの深い愛を覚えつつ、イエスに従うことの意味を考えて過ごしたいと思いました。
暑い日が続きます。霊肉が守られますようお祈り申し上げます。

暑い8月の中で

イメージ 1写真:K・Kさん提供
今日は曇りの1日です。
暑さも厳しさが増しておりましたが、曇りの今日は少しほっとしています。
しかし、台風がまたやってくることを思うと、自然災害が拡大しないようにと祈る気持ちでいます。
各地の台風が去った後の爪痕をテレビで見ます時に、自然の力の前にどうすることもできない私たちの現実を考えさせられます。
また、イタリアの地震もとても気になります。多くの方が犠牲になられたというニュースに心が痛みます。
大災害の前に祈ることしかできません。「主がお慰めくださることを、力を与えてくださることを、最善の道を備えてくださることを」
引き続き祈り続けていきたいと思います。
さて、過ぐる8月日曜日における牧師先生のお話は、見ないで信ずる信仰によって、どのようにイエス・キリストの恵みに預かることができるかということでした。(ヨハネによる福音書を通して)
しるしを見て信ずるのではなく、イエス・キリストの言葉を聞いて信じた人々が、罪赦されて、癒されて、立ち直っていくことができたということです。
水をくみに来た罪に悩むサマリヤの女、息子が病気のカファルナウムの役人、38年間も病気で苦しんでいたベドサダの池の病人と、それぞれが、どのようにイエス・キリストに出会い、その恵みにあずかることができたのか。
わたしたちも、日々の生活の中で、しるしを見ないで信ずる心を忘れかけるときがあります。
「ヘブライ人への手紙11章1節」に信仰とは何かについて記されています。
  <信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。>
明日は、8月28日(日曜日)10時30分~礼拝があります。
「神は今も働く」という題でのお話です。

7月31日の礼拝に思うこと

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写真:K・Kさん提供
7月第5誠実の礼拝は、朝位真士牧師によるお話で、「イエスとサマリヤの女」についてでした。
聖書箇所はヨハネによる福音書4章第1節~26節です。
サマリヤの一人の女性が、イエス・キリストに出会い、信仰を持つようになったお話でした。
この女性は罪も深い女として描かれています。
また、当時のユダヤ人はサマリヤ人を軽蔑していたということで、ユダヤ人のイエス・キリストが、この女性に話しかけられるということは、驚くべきことであったと考えられます。
まず、イエスは、自分を低くされて近づき真の神様についてお話をされたということです。
伝道のためにへりくだる熱心さと、主の知恵と愛が溢れていたということです。イエスは、水汲みに来たサマリヤの女に「水を飲ませてください」と言われたのです。
「ユダヤ人のあなたがサマリヤの女のわたしに、どうして水をほしいとと頼むのですか」と女は聞きます。
「もし、あなたが、神の賜物を知っており、また『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことだろう」とイエスは答えられます。
わたしたちも、ここで、生きた水とはどんな水?と思います。
お話では、「生ける水は求めて得られる神の賜物である」ということです。
イエスは、井戸の水をさして「この水を飲む者は誰でも渇く。しかし、私があたえる水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧きでる。」と言われます。
この話をきき、女は生ける水をほしいと言いますが、イエスは、女についてその過去を言い当てます。女は、とても驚いたことと思います。生ける水を飲む前に、罪なる過去を捨て去り、罪の生涯から離れなければならないということです。
「渇くことがない水、さらに、飲めば泉となって湧き出る水」を、想像するとどのような水なのかと思いがめぐっていきますね。『神の賜る恵みは、こんこんと湧き出る泉の生ける水のように、私たちの心の中に湧き出て尽きることはない。喜びも力も愛も、この泉から湧き出て流れる恵みの流れである。自分の力で絞り出すものではなく、枯れることがない生ける水、すなわち永遠の命に至る水で、尽きることがない。』というお話を伺いました。
そして、イエスは、イエスを通し生ける水を与えてくださる神について、礼拝する場所は、山でもなくエルサレムでもないところであるとも言われます。
「霊と真理をもって礼拝する時が来る。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」と言われます。
「キリストの体なる教会」では、礼拝を日曜日ごとに捧げます。教会は教会堂の建物ではなく、神によって召し出された者たちの集合体を意味すると言われています。それぞれが仕え、教会を建て上げています。
わたしもサマリヤの女のように、イエス・キリストに出会い、教会に行くことが許されています。
「教会ってなんですか」、答えは「キリストをかしらとしたキリストの体です」ということですので、私たちは、体の一部として、誠を尽くして働き、霊と真理をもって礼拝を捧げたいと思います。

人生の目標を目指して

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写真:k・kさん提供
7月24日の礼拝のお話は「人生の競技」というテーマで、朝位フミ子牧師によるお話でした。
人生の目標について、考えさせられるお話でした。
スポーツの祭典2016年オリンピックももうすぐ始まります。
アスリート達は、オリンピックの出場に向けて日々訓練を重ねて、一握りの選ばれた方々が出場し、賞を得ることができます。
わたしたちは、人生においてどのような目標をもって歩き、走り、そして賞をえることができるのでしょうか。
聖書
フィリピ人への手紙
    第3章13から14節
「兄弟たち、私自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」
わたしたちは、与えられた人生を歩む中で、イエス・キリストに出会い、罪を赦されて、新たに生きることが許されています。この新たなスタートラインに立って、日々歩みますが、主の訓練の内容は、人によって様々ですね。
後ろのものを忘れて、前のものに全身を向けて歩むには、勇気も必要です。
ただ神がイエス・キリストによってお示しくださる賞を得るために歩むということは、どのようなことなのかと改めて考えさせられました。
命あるものは、この神様の競技の祭典に、誰でも参加できます。ビリでも、完走すれば良いということ。
神様の競技には、トレーナーとしてイエス・キリストが側にいてくださり、導いてくださるということを教えていただきました。そして、神様の賞を得るためにあきらめずに、走り続けることが大切なことと教えていただきました。
今週は、梅雨も明けて暑くなりそうです。霊肉を強めていただき、歩いていきましょう。

7月海の日が過ぎて

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暑い日がいよいよやってきた感じですね。
自然界は、緑豊かな風景が勢いをましています。
桜ヶ丘教会では、6月には特別集会があり、力強いメッセージに各自が励まされ、イエス様につながることについての恵みを理解することができました。
この夏も、霊肉を強めていただき、それぞれが平安の内に歩むことができるようにとお祈り申し上げます。
わたしたちそれぞれが生活している場所で、イエス様をおつたえできるようにと願っています。
朝夕に、静かな祈りの時を心がけてすごしてまいましょう。


梅雨の晴れ間

イメージ 1昨日は32度まで気温が上がったようで、とても暑い1日となりました。
今日はやや雲があって、涼しく感じますが、湿度感から梅雨の季節を思いっきり感じます。
先週の日曜日のお話は、「カナでの婚礼」、今日のお話は「宮清め」についてのお話でした。
がリラヤのカナでの婚礼の時に、イエス様は水をぶどう酒に変えるという最初の奇跡を起こされたということ。
続いて、宮を清めるというところの神殿での出来事を教えていただきました。
イエス様自身が神の宮であり、そのことを示されるために、神殿において、俗気や金銭欲にみなぎる神殿について、怒りをあらわにされたというお話です。
私たち自身もまた神の宮であるということですが、私たちは主の血をもってきよめられ、祈りの場所、内住の主イエスがくつろぐことがおできになる御臨在の場所として保たなければならないことについても教えていただきました。
また、イエス様は、人間の心を知っておられるということです。
イエス御自身が、私たちを信用するまでには、どのようなことがあるのでしょうか。
気分によって、自分自身の思いや願いを一番としてしてしまう私たち弱い人間は、いつまでたっても主イエスを本当に信じているのか問われ続けます。
うわべの信仰か、本当の信仰か、私たちは日々の生活で問われます。
イエス様が汚れた宮を清めたように、私たち自身も清めていただく必要があります。
この世の思いでいっぱいになっていないかどうか。主に誠を尽くすという覚悟をもって、自分自身を点検してみましょう。
神の宮とは何かを、確認しながら1週間を過ごしていきたいと思います。

岸義紘先生のチャペルコンサートに思う

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写真:K/Kさん提供

6月5日(日曜日)は、桜ヶ丘教会でチャペルコンサートが開催されました。
お話:岸義紘先生
音楽:サクソフォン演奏
メッセージテーマ
「逆転は人生にこそ何度でも」
聖書:ローマ人への手紙8章28~29節
岸先生の誕生日は、8月28日で、幼少の頃から、ローマ人への手紙8章28節は、お母様から事あるごとに、お話をお聞きになられたということです。
家訓のような聖書の御言葉ということです。
「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています。
神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。」
主は、全てのことを最善にしてくださる。
恐れることはない。全てのことが後になって、最善になるよう神が導いて下さる。私には、わかっています。いろんなことがマイナスに動いても、最後はプラスにしてくださる。マイナスとマイナスでもプラスになる。
神の計画とは何であったのか。神は、はるか昔に知っておられた者たちを、最善に導いて下さる。私たちが生まれるより前に、天地が創造される前に、神は知っておられた者たちを、最善に導かれる。
何という力強い言葉でしょう。
全て失う、足元が崩れる、自信を無くす、・・・そのような経験があります。背負いきれない重荷もある。
背負いきれない十字架も負っている。しかし、別のこともできる。未解決で厳しいけれど、やがて神が最善へと導いてくださる。苦しみを乗り越えて生きてこられた。
イエス様は、神の一人子で長子であられます。わたしたちは神の養子、養女として、天の国に加えられます。
一人が救われるということは、その人に関係する多くの方がやがて救いに預かることができるという大きな祝福も約束されているということもお話いただきました。
招かれる人は少ない。イエス・キリストに出会い、神の計画にかかわることが許されるということは、大きな恵みであるということをお話いただきました。
笑いを誘う、岸先生ご自身のご経験をお話いただきました。
先生は、高校を中退するというマイナスの経験を通じ、神様に出会い、次のステップへと導かれ今日に至っておられるというお話。
力がこみあげてくるメッセージを聞き、本当に喜びを覚えます。
岸先生と奥様を交えて、昼食、愛餐会をすることができました。
岸先生は、今年て16回目の桜ヶ丘教会へのご訪問です。私共のように小さい教会に、毎年ご訪問くださり、愛してくださることを心から神様に感謝します。

6月の朝

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写真:K/Kさん提供
6月は、緑深く、自然の生命が力強く迫りくる日々が続きますね。
公園の樹々も、風に揺れてこの季節の命の息吹を感じさせてくれます。
6月は桜ヶ丘教会の創立記念の月です。今年で93年目を迎えます。93年という記念の年月は、すごいものだと思います。
毎年、創立記念礼拝に、岸義紘先生をお迎えして、チャペルコンサートを開催しています。これも、大いなる神様のお恵みです。お忙しい岸先生が、毎年桜ヶ丘教会に来てくださって、お話と音楽をご提供くださいます。
この豊かなお恵みを何と感謝したらよいのでしょう。
 どうぞ、皆様も
 6月5日(日曜日)10時半~
 岸義紘先生による
 サックス演奏・チャペルコンサート  にお出かけください。
 説教題「逆転は人生」
 ローマ人への手紙8章28節~30節
 「神は愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。
神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。」
皆さま、チャペルコンサートに御出席ください。そして、ご一緒に6月の花嫁のように、主から祝福をいただきましょう。
祈りつつ、お待ちしております。