榊原紀惠子 のすべての投稿

2010/8/15 週報メッセージ

   ヤベツの祈りから学ぶ                                                                 
                                                                                                         朝位 真士
 「『どうか、わたしを祝福して、わたしの領土を広げ、御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください』と祈ると、神はこの求めを聞き入れられた。」(歴代誌上4章10節)
 岸先生の解説によると、「ヤベツの祈りは、罪と死の悲しい連鎖の中から、救い主イエス・キリストを待望する叫び、信仰の叫びである」ということである。「わたしを祝福して」はキリストによる祝福である。罪の赦し、永遠の命、聖霊の証印によって神の国の相続者とされる祝福である。「わたしの領土を広げ」は、ペンテコステの聖霊により誕生する新約時代のキリストの体なる教会が取り組むことになる世界宣教。ヤベツの祈りは、家族、親族、友達、同僚、そして地の果てまで、キリストの体なる教会の地境が拡大することを祈り求める預言者的祈りである。
 「御手がわたしと共にあって」は、新しい時代の聖霊を求める祈りである。ヤベツの祈りは「世の終わりまで信じる者とともにいてくださる、内住の聖霊、キリストの不変の臨在」を求める祈りである。「災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください。」宣教には苦難が伴う。証には迫害が伴う。信仰人生は試練との戦いでもある。ヤベツの祈りは、勝利者キリストへの信仰から出る預言的期待である。そして世界宣教に向かう教会が、悪から守られることを求める祈りである。これらすべての祈りは、キリストの到来において、その十字架と復活、ペンテコステの聖霊降臨によって、すでにそこに、過去のこと、そして現在のこととして、実現、成就しているのである。
 ヤベツの祈りに対して、神様はヤベツの生涯の中で答え、大いに彼を祝福し、彼の地境を広げ、災いから彼を守られた。                                                               

2010/8/8 週報メッセージ

   「義と信仰と愛」について
                                                                                                         朝位 真士
  旧約聖書は「義」を「聖」などとともに神の属性と解する見方もあるもが、むしろ元来法廷用語であり、関係を表す言葉である。神は良い関係、社会的秩序を保証する。
 新約聖書の義の概念は、ギリシャ的徳論において総括的位置を占めている。適正を意味し、沈着、洞察力、親切、博愛、忍耐、自制などと並んで出てくる。パウロにおける「神の義」は新約聖書の中心的使信出あり、神の前に立ち得ない罪ある人間が神の一方的な愛、神の子キリストの贖罪死、その血と肉に与る聖餐、古き自分に死ぬ洗礼により、赦しと救いに入る。
 信仰とは、神に対する正しい関係を表現する概念、旧約において「信じる」に当たる動詞は「ヘエミーン」、「確かなもの、堅固なものにする」という意味である。新約における「信仰」の中心はイエス・キリストを信じる信仰である。それはイエス・キリストにおいて救いの業をなされた神への信頼を含んでいる。旧約にルーツをもつ「神の確かさへの信頼」という意味での信仰は、イエスの死と復活を中心とする宣教内容と結びついて展開される。ヘブライ人への手紙は「信仰を望んでいる事柄(神の約束)の確信、見えない事実の確認」として定義する。
 愛を表すギリシャ語が4種類ある中で、新約聖書に現れるのは2つのみである。もっぱら神の愛、徹頭徹尾相手に仕える愛としてのアガペーと、一般的な愛を表すフィリアの2つである。後者は厳密には友情を表すのに用いられるが、それと同時に肉親同士の愛や恋愛、美しいものを求める情熱的な愛である。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。隣人を自分のように愛しなさい。」(マタイ22・37~39)「義」と「信仰」と「愛」のことばを再確認しよう。

2010/8/1 週報メッセージ

   K姉の召天に際して
                                                                                                                         朝位 真士
  先日7月22日午後6時過ぎ、虚血性心不全のために87歳6ヶ月余の生涯を終えて召天されたK姉のことを、少し語ってみたいと思います。
 K姉は1923年(大正12年)1月1日に東京で誕生されました。1954年(昭和29年)8月1日、佐野良夫牧師より受洗。1974年5月19日、西海静雄牧師のときに、教団和泉教会より桜ヶ丘教会へ転入され、当教会員となられました。私共が1994年4月に九州より赴任して以来、お交わりをさせていただきました。以前のマンション教会(パールハイツ桜上水)のときは、下高井戸のご自宅から、礼拝はもちろん祈祷会、婦人会等、教会の集会にはできる限り出席しておられました。人とは余り話さない方ですが、気心が知れると本当に長くお話をされました。
 新会堂ができても、しばらく礼拝や祈祷会に積極的に出席しておられました。一見無口のようですが、大変存在感のある方でした。K姉はヨブのような試練に会われたようですが、不信仰な言葉を一言も聞いたことはなく、いつも信仰的な言葉を語っておられました。私が訪問したときはいつも信仰の話を熱心にされて、「桜ヶ丘教会のためにいつも祈っています」と語っておられました。祈りと同時に、質素な生活を心がけて倹約し、教会のために捧げておられました。
 7月27日(火)午後6時前夜式、28日(水)午前9時半告別式を、当教会にて私の司式でさせていただきました。
  「『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」〝霊〟も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、
  安らぎを得る。その行いが報われるからである。」(ヨハネ黙示14・13)
 御遺族の上に神の慰めと平安を祈ります。

夏の中の桜ヶ丘教会

イメージ 1<写真の礼拝お花:7月25日>
暑い毎日が続いています。
皆様は、体調を管理されて、お元気に過ごされていますか。
過日、K・K姉妹が召天されて、7月27日に前夜式、28日には告別式がもたれました。
K・K姉妹の静かで、確かな信仰の歩みに、私達もならって行けたらと思います。
 
さて、8月1日は、8月最初の日曜日です。
桜ヶ丘教会では、毎週日曜日いつものように礼拝があります。
 
猛暑の中では、外に出るのも面倒になりがちですね。
 
礼拝で、気を引き締めることも、夏を乗り切るための力になります。
どうぞ、この夏も、自分らしい過ごし方で暑さを撃墜したいものです。
ご高齢の方々や、ご病気の方が、この夏も主にあって支えていただき、教会にも来ることができるように、お祈りしましょう。
 
 

2010/7/25 週報メッセージ

   福音とは
                                                                                                                         朝位 真士
  「福音とは何か。」福音書とはギリシア語のエウァンゲリオンによって表された。だがこのギリシア語は「よいことを伝達するところの」という語から派生したもので、元来戦争に勝った知らせを意味した。やがてローマの帝政下にあって皇帝継承者の誕生などが「福音」の告知となった。最初期の教会はこの語を旧約聖書に由来する「喜びの知らせを宣べ伝える」から解釈した可能性がある。いずれにせよこの語は教会では「福音」、すなわち人々への神の「喜ばしい知らせ」を意味した。
 「イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」(マルコ1・14~15)
 「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」(ローマ1・16)
  しかし少し後になると教会ではエウアンゲリオンが「福音書」として用いられ始める。イエスの生涯と教えを内容とする本を意味し始めたのである。それを証言する文献が出現するのはイエスの死後70年ほどたった2世紀初めの頃である。それ以前に完成した新約聖書の四福音書には、ほぼ「福音書」を意味するエウアンゲリオンという言葉はない。むしろマルコ、ルカ福音書では、この語は大切な「福音」として用いられた(マコ8・35、マタ4・23)。(聖書辞典より引用)
 私は「福音」とは「イエス・キリスト、その事実」であると考える。イエス・キリストの十字架の死と復活を信じることによって、どんな人でも救われ、人生が変えられ、新しい人生の歩みを踏み出すことができる。
 「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(Ⅱコリ5・17)

2010/7/18 週報メッセージ

   牧会雑感                                                                 
                                                                                                        朝位 真士
 最近病気の方を訪問する機会が与えられています。一人はI姉です。足をけがされて2ヶ月余、教会出席ができなくなっていましたので、フミ子牧師と二人で訪問しました。大変喜ばれ、共に交わりと祈りの一時を過ごしました。外は大雨でしたが、心は恵みの雨で満たされました。
 次にS牧師をフミ子牧師と訪問しました。以前も記しましたが、彼は末期の病気で聖ヨハネ病院のホスピスに入院されています。私共がまいりますと、奥様が付き添っておられました。そのときK牧師も一緒でした。K牧師は聖餐式をするための見舞いでした。S牧師と夫人の二人が聖餐に与られました。私共も同席させていただきました。死期が迫っている方の聖餐式は大変厳粛でした。もちろん教会での通常の聖餐式も厳粛ですが、また違った意味で、大変意味ある聖餐式でした。私は聖餐式の前にS牧師に御言葉を引用させていただきました。「よく聞きなさい。『今日か明日、これこれの町へ行って1年間滞在し、商売をして金もうけしよう』と言う人たち、あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。むしろ、あなたがたは、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです。」(ヤコブ4章13~15節)私たちの生活は、「主の御心」を優先することが大切であるということを語りながら、私も本当に厳粛な気持ちになりました。
 S牧師の顔は霊の輝きに満たされて、「毎朝6時半からのミサ(カトリックの礼拝)が唯一の楽しみです。今は、祈ることがどんなに大切なことであるか、しみじみと感じています」と述べていたことが印象深く残りました。すでに彼の心の準備はできていました。                                                           

2010/7/11 週報メッセージ

   S牧師を見舞って
                                                                                                         朝位 真士
 先日の首都圏の教師会で、S牧師が末期のガンであり、医者からは余命1週間位と宣告されているので、皆様祈って欲しいという要望があった。約30名集まっていた教師たち一同は、心を一つにして熱心に祈らせていただいた。
 私は教師会の責任者の一人として是非訪問したいと願い、7月6日午後に郊外のキリスト教関係のホスピス病棟へ見舞いに伺った。S牧師の奥様は毎日付き添っておられるので、その日は休むようにと言われて、おられなかった。S牧師と二人でしばらく過ごし、先生の証しを伺うことができた。彼は大手の会社の管理職を定年になり、時間が空いたので60数歳になって求道され、信者になり、70歳近くで献身をして、72~3歳で伝道者となり、牧会されていた。体調の不良をうったえて病院で診察してもらったところ、末期のガンということが判明した。手術をしても何年といわれたので、彼はホスピスを希望されたようすであった。体は少し細身であったが、私たちの面会(後にW牧師と同席)に大変喜んでくださり、一人で一気に30分以上も話された。ご自分の証しである。顔は輝き、気力は充実しておられ、死期が迫っているような状態とは思われない感じであった。見舞った私たちが反対に勇気づけられ励まされた。
 カトリックの挨拶に「メメント・モリ(死を覚えよ)」という言葉があるそうだが、本当に私共も、いつ主が来られてもよいように、また人生の最後が来てもよいように備えたいものである。「イスラエルよ、神に会う備えをせよ。」(アモス4・12b)
 S牧師の病気を通して、多くの方々が慰められ救いに入ることができるように、切に神に祈る次第である。

2010年ホ郡弾圧記念聖会が桜ヶ丘教会で開催されました

イメージ 16月27日(日)午後3時から4時45分、桜ヶ丘教会にて開催されました。約90名相当の方々が参加されての集会でした。
弾圧の歴史について、赤羽教会の大友牧師からお話をうかがいました。
1941年(昭和16年)治安維持法への違反として発動された国家による宗教弾圧であったこと、日本基督教団の中でも、ホーリネス教会が弾圧を受けたという歴史的な事実について、うかがいました。
メッセージは「愛と信仰」というテーマで、志気教会の潮牧師のお話でした。
ペテロのお話が印象に残りました。三度イエス様を知らないと言って裏切ってしまったペテロが、最後は、キリストの使徒として、十字架の逆さ磔によって、処刑される道を選択したお話。弾圧は、神から選ばれた者のみが経験できる恵みであるという、逆説的な結論によって、ホ群の日本における歴史が語られました。
現在DVDを作成しております。
どうぞ、当日のお話をうかがうことができなかった方、DVDによって、お話をお聞きいただきますように。
1枚、500円で販売。実費以外は、ホ群に寄付されます。
 

2010/7/4 週報メッセージ

   病める人のため祈って欲しい
                                                                                                                       朝位 真士
 「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。……あなたがたの中で病気の人は、……祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。」(ヤコブ5章13~15節)
 私自身も持病をかかえていますが、私の知り合いの牧師、信者の方、求道者の方と、多くの方々が病気になっています。勿論、病気になることは決して喜ばしいこととは思いません。しかし人間の弱さを自覚することは、神の恵みかもしれません。私の恩師、Y師も持病のデパートのような方でした。
 聖書の中にパウロという人物が出てきます。彼はキリスト教初期の時代に大変素晴らしい働きをした使徒です。病気が癒されるよう一生懸命神様にお祈りしましたが、病気は癒されませんでした。しかし彼は、その病気の弱さの中で神に信頼して、キリスト教伝道者として歴史に名を残すような働きをしました。「主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(Ⅱコリ12章9節)
 先のY師も病気の中で悩みつつ、いつも祈りに集中して、牧会も教会建設(3回の会堂建設)も主に祝福されました。家庭的には戦いが多くあったようですが、彼は病気で悩んでいる姿を一度も見せたことがなく、いつも笑顔で、温厚な態度で人々に接していました。多くの方々が彼を通して導かれ、献身しました。全国で主のために、使徒として、伝道者としてよき証しをしています。
  病気の弱さは、神の恵みの根源です。

2010/6/27 週報メッセージ

   T姉の召天に際して
                                                                                                         朝位 真士
  6月15日午後1時56分、T姉の召天の報を聞いた。T姉は1911年(明治44年)2月17日、千葉県で誕生された。99歳4ヶ月余の地上の生涯であった。女学校卒業後、郵便局勤務の時、1936年(昭和11年)銚子聖教会の松本牧師によって受洗。1967年(昭和42年)桜ヶ丘教会に転入会されている。72年前に結婚され、4人の男子に恵まれた。御主人を1994年12月に天に送り、2005年7月にはご長男を天に送り、悲しみの中にあった。生前、御主人と東京郊外の住まいより約1時間半かけて、桜ヶ丘教会の礼拝に毎週のように出席しておられた。無口な方であったが、いつもお会いするときはニコニコされる温厚な方で、いつでも御主人に黙々と従っておられたようであった。4人の男子を育てられたのは並大抵ではなかったと思うが、キリスト教信仰を忠実に守って従っていかれたのではないだろうか。
 御遺族の意向で、6月18日(金)自宅で前夜式、6月19日(土)告別式、出棺、火葬と、親しい方々と共に自宅から天国に旅立った。私は不思議な導きで御主人の葬儀も、御長男の葬儀もさせていただいた。司式者としてなんと御遺族に言葉をかけてよいか迷ったが、聖書の言葉をもって語ることができた。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。……神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」(コヘレト3章)
 御遺族の上に神の慰めと祝福をお祈りいたします。