2017/10/29 週報メッセージ

    宗教改革とは何か
                                                                                                               朝位 真士
  一五一七年一〇月三一日、ドイツのヴィッテンベルクの城教会の門の扉に、若き修道士マルティン・ルターが「九五カ条」を掲示しました。それが宗教改革運動の始まりです。内容は、免罪符の問題です。それを買うと死後、地獄や煉獄でなく天国に行けると、カトリック教会が販売していたのです。救いはお金どころか、どんな人間の力をもってしても獲得できるものではなく、ただ、神の恵みによるのではないだろうかとルターは考えたのです。「恵みのみ」です。そこで彼はこの問題についての討論会を呼びかけました。ところが、その五〇年程前に発明されていた活字印刷術のおかげで「九五カ条」がたった二週間で全ヨーロッパに広がったのです。ローマ教皇庁との激しい論争が始まり、やがてそれは信仰上の問題を越えて政治上の問題となり、ルターはヴォルムスの国会に呼び出され、皇帝カール五世から自説の撤回を迫られますが、彼はそれを拒否し「われ、ここに立つ」と言いました。ルターは異端として破門されました。改革運動はプロテスタント教会の形成へと向かい、礼拝改革から教会制度の改革、教育改革、さらには社会改革へと広がり、ついに近代という時代の扉を開いたのです。
 宗教改革の三大原理の第一「信仰義認」の義認とは救いのことですが、救いはあくまで神の贈り物(恵み)であり、それを信仰を通して感謝をもっていただくのです。第二「聖書の権威」です。一人ひとりが聖書に向かい合い、そこから響いてくる神の声(心)を聴きとることが大事です。ルターは聖書を民衆の一人ひとりが読めるようにドイツ語に翻訳しました。第三「万人祭司」です。神の前にはすべての人が平等です。一人ひとりが、あたかも祭司のように神に仕えるのです。一人ひとりが、それぞれ神に与えられた務めを果たすということです。
(江口再起先生より引用)
 私は先生の講演を聴いて、宗教改革の意義を今更ながらよく理解することができ、先生に深く感謝するものです。

2017/10/22 週報メッセージ

   奥羽・東北問安を終えて
                                                                                                             朝位 真士
  九月二三日から二八日まで問安いたしました。
 二五日は、脇本教会の早天祈祷会に出席して、数名の方々とデボーションの時を持ちました。教師と共に数名の方々が出席されました。食事をいただき、阿部先生の車で信者の方が経営しているホームを見学し、その足で男鹿教会の飯田先生を訪問。最近建築された素敵な会堂と牧師館で、新卒の若々しい先生の活動的な行動に感動しました。
 阿部先生に男鹿半島周辺を案内していただき、東能代一四時四〇分発、弘前一六時二一分着、一七時二三分に三沢に到着しました。本来問安予定であった大三沢教会の牧師が手術後であり、面会できないというお断りがありましたが、私は栗澤牧師に一目でもお会いして祈りを共にしたいと願い、翌二六日午前中、先生ご夫妻にお会いすることができました。会堂にて三人でお祈りをして、教会を後にしました。
 八戸一五時〇六分発のはやぶさ二四号で盛岡に一五時四四分到着。その夜は盛岡のホテルに宿泊しました。村上先生の舘坂橋教会付帯事業の保育園と幼稚園の各施設を、先生自ら一つひとつ丁寧に説明していただきました。先生が盛岡に行かれてから建築された会堂も二〇〇人収容の大会堂でした。夜は車道より十字架がはっきりと輝いているのが見えました。二七日昼、舘坂橋教会の祈祷会でメッセージをさせていただきました。
 盛岡から仙台に移動して、仙台青葉荘教会の潮先生の出迎えを受け、夜の祈祷会のメッセージをさせていただきました。御教会は昼は二〇名位、夜は一二名位で、信仰と霊に燃えた信者の方々は大変活き活きとされていました。
 翌二八日は福島新町教会の滝山先生の出迎えを受け、先生の牧会苦労談を聞かせていただきました。御主人を亡くし、震災に遭いましたが、二人の娘さんは献身され、牧師・伝道師として主の働きをされている話を伺い、主の御名を崇めさせていただきました。

2017/10/15 週報メッセージ

   奥羽・東北問安を終えて                                                                 
                                                                                                               朝位 真士
  私はホ群問安使として九月二三日から二八日まで、奥羽・東北六県の六つの教会を問安いたしました。
 九月二三日(土)、大宮駅九時五四分発、上越新幹線MAXとき三一三号に乗車。新潟より一二時三三分発、白新線いなば五号に乗車、一四時三九分に酒田駅(山形県)下車。酒田暁星教会の合田先生の出迎えを受け、酒田暁星教会に到着。合田先生、役員と合流、懇談。豊かな夕食を先生と役員達といただきました。先生の琴演奏も大変熱演で、教会員も先生の特技に驚嘆していました。夕食後近くのリッチ&ガーデン酒田というホテルに車で送ってくださった。初めての山形の経験では、私の田舎(九州大分)を想い出しました。一人ホテルで翌日の礼拝準備に静かな時を持ちました。翌朝、先生のお迎えで教会に到着。脇本教会の副牧師阿部先生が到着されていて、礼拝の司会をしていただきました。私は礼拝説教と聖餐式の司式をさせていただき、数人の礼拝出席者と食事をさせていただきました。
 一三時三〇分、脇本教会の阿部先生の車で脇本教会へ到着。中西主任牧師、ジャネット宣教師、教会役員、信徒の方々の歓迎を受け、一七時より夕拝の御用をさせていただきました。讃美を数曲歌い、私のメッセージ、信徒の方々とのお交わり、茶会の後、阿部先生の車で中西先生、ジャネット宣教師、私の四人で一時間ほどの距離にある大潟温泉に入りました。その後夕食をいただき、教会内にある阿部先生の一軒家に宿泊しました。早朝六時四〇分より早天祈祷会が毎日行われていて、レギュラー数人が集まり、約一時間の霊的時間を継続しています。礼拝も夕拝も祈祷会も、この数人の方々が集まって熱心に祈っています。いつかリバイバルが起こると私は信じています。
つづく。

2017/10/8 週報メッセージ

   奥羽・東北問安を終えて
                                                                                                               朝位 真士
  私はホ群の問安使として、九月二三日から二八日まで、奥羽・東北六県の六つの教会を問安いたしました。その目的は、ホ群委員長のメッセージを携えて、その教会・伝道所を把握して、共に祈り、何か群でお助けできることがあれば、祈って具体的に課題を共有し、教団内ホ群としてお互いに信頼関係を保持すること、またホ群のためにお祈りしていただき、具体的な支援をお願いするということです。同じホーリネス信仰を持っている仲間として、同労者として助け合っていくということです。特に今回は、ホーリネス教会創設百周年を迎えて、「時来たりて実を結ぶ」(ガラテヤ六章九節)という主題と、「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。」という聖句が与えられました。以下、村上委員長挨拶文より引用します。
 ホーリネス教会は一九一七年(大正六年)十月三一日に、中田重治を中心にホーリネス教会が設立されてか ら一〇〇周年を迎え、弾圧から七五周年を迎えて、現在、群に関わりのある教会は、名簿上八九教会です。只、 意識的に属する教会は六〇教会です。意思疎通を図るため、具体的に、年齢や、信徒・教職合同研修会(セミ ナー)、聖会等を通じて絆を深めています。一方、教団認可神学校「東京聖書学校」を運営してきました。私 たちの群は、拘束力を持つ「教会」ではなく、「運動体」であり、自主団体です。現実のこととして、各教会、 各教師に人事配置の難しさがあります。もう一つの課題は、教勢の課題です。教会員の高年齢化による教会の 体力減退です。このままでは、教会に教職を迎えられなくなるということです。それと同時に伝道力の低下で す。この回復がなければ、発展どころか存続の危機に直面することになります。是非各教会の進展のためお祈 りください。最後に貴教会の皆様の祝福を祈りつつ。

2017/10/1 週報メッセージ

   奥羽・東北問安を終えて
                                                                                                               朝位 真士
  「主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。」(詩編一二一・七~八)
 私はホーリネスの委員として、今回は奥羽・東北の六県、山形、秋田、青森、岩手、宮城、福島の各教会を問安させていただきました。詳細のエピソードは次回に記載させていただきます。今回は総論というか、感想というか、私の感じたことを簡単にお知らせいたします。
 まず感じたことは、奥羽・東北地方は大変遠いということです。九月二三日から九月二八日までの旅行でありました。本当に長く感じました。日数にしては数日間ですが、実際に行ってみて大変長旅であったと思います。また、その教会、教会にはいろんなドラマがあったと思います。しかし、その地方で伝道牧会されている先生方、信徒の方々が大変あたたかく、親切であり、初めて派遣された新卒の先生や、二十数年おられる先生方のご苦労を拝見して、私はなんと幸せな教会に遣わされているのだろうと、あらためて神に感謝しました。
 私共が桜ヶ丘教会に遣わされて二十数年経過していますが、今更ながら皆様方の愛の心遣いに感謝したい思いで一杯です。私は伝道者となって四十二年経過しますが、もし奥羽・東北の地で牧会を命じられたら、早晩ギブアップしただろうと思いました。後期高齢者の私共が、こんなに良い教会、環境に恵まれているのは勿体ない感じで、神様と皆様方に心より感謝を述べたい思いです。
 次回より、各教会での素晴らしい働きの報告をさせていただきます。

2017/9/24 週報メッセージ

   幸せになるための7つの言葉
                              山本 潤
 
私は、関根一夫牧師の「いてくれてありがとう」というメルマガを購読しています。

関根牧師は、定期的にクリニックでカウンセリングのお仕事をしつつ、ワーシップソングの作詞活動もされている超教派の牧師です。
 先日のメルマガで、皆さんにもご紹介したいものがありましたので、その一部を記させていただきます。

 
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ある整骨院に「幸せになるための7つの言葉」というのが貼ってありました。誰の言葉かわかりませんが、楽しく読みました。思わず、治療が終わってからメモしてしまいました。
それらは
1)私ってラッキー
2)ありがとうございます
3)私ってステキ
4)感謝します
5)楽しかった
6)大丈夫
7)良かった
そして、その説明文が書かれていました。
これらの言葉が自分の心の中で「口癖」になったら、たしかに心が軽くなるだろうと思います。
「私ってラッキー」「私ってステキ」って私はなかなか言えないように思いますが、それでも、きっと「私はダメだ」「私なんかどうしようもないや」って考えているよりは、遥かに明るい表情にはなれるだろうなと思いました。おそらく、曲者があるとすれば「大丈夫」かな。
自分の心に言い聞かせる意味での大丈夫という言葉はとても大切なのだと思います。
問題は、他者に向かって、これを連発する時、案外大丈夫じゃない場合がありますね。
体裁、やせ我慢、へんな頑張りが言わせる言葉でもありますから。
でも、基本的に、こういう肯定的な表現はどこかで心に持っていたいですね。
そして、私は幸せになるためのもう一言加えたいと思います。
「いてくれてありがとう」
                             関根 一夫
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私たちもこの7つの言葉、「口癖」にできればいいなと思っています。

2017/9/17 週報メッセージ

   敬老の日に思う                                                                 
                                                                                                             朝位 真士
  「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け、わたしの救いの右の手であなたを支える。」(イザヤ41・10)
 今日は敬老感謝礼拝です。七五歳以上の高齢者に対して感謝をささげる日の礼拝です。野田秀先生(フリーメソジスト教会牧師)は、『高齢者の生き方Ⅲ』で次のように語っています。
  幸いな教会生活――高齢者にとって、教会の存在は、何重もの意味で幸いであると言うことができます。教会につどい、その交わりの中に身を置くことは、肉体的にも、精神的にも、霊的にも良い結果につながるからです。
  高齢者は教会の宝――人生の先輩、信仰の先輩として礼拝に喜んで出席している姿は、模範であり、励ましであり、慰めであります。
  教会が高齢者への敬愛の精神を高める必要――「白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい。わたしは主である。」(レビ19・32)ということばが表している精神は、ふだんから教会の中で教えられ、養われ、実践される必要があります。                                                            教会が高齢者が奉仕できる場を提供する必要――その人その人に応じた奉仕が考えられてよいし、高齢者のあかしや祈りが持つ重みに捨てがたいものがあります。
  最後に高齢者に配慮し高齢者が不自由しない設備を整える必要があります。――週報をはじめ各種の印刷物の字を大きくしたり、報告や案内が不徹底にならないようにする。夏冬の冷暖房なども、高齢者の健康を考えて調節することが必要です。
 日本キリスト教団の年齢構成は、七〇歳以上四〇%、六〇歳以上二三%、五〇歳以上一四%、四〇歳以上一二%、三〇歳以上六%、三〇歳未満五%となっています。これから益々高齢化が進む世の中で、高齢者の対応について教会は考えていかなければなりません。

2017/9/10 週報メッセージ

      信仰生活について
                                                                                                               朝位 真士
 『すぐに役立つクリスチャン生活百科』の中で、信仰生活について大変示唆に富んだアドヴァイスがあるので、ここに引用させていただきたいと思います。
    1.祈り ― キリストは弟子たちに祈ることを教え(ルカ11・1~4)、また救いにあずかった人々を祈りへと招かれます。福音書に示される「主の祈り」は、私たちの祈りの模範的パターンを示しています(マタイ6・9~13)。キリストのみこころにそった祈りは、必ず聞きとどけられると確信を持つことができます(ヨハネ14・13~14)。ヤコブ5・13において「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい」と勧められているように、祈りと賛美とは健全なクリスチャン生活のしるしです。
    2.伝道 ― キリストは弟子たちに宣教の務めを与えましたが、聖霊の降臨(使徒2章)の後、その継続的働きとしてすべてのクリスチャンは、まだキリストを信じていない人々に語りかけて神との和解に導く使命を与えられています(Ⅱコリ5・17~19、ローマ10・14、17)。
    3.仕えること ― 信仰生活はまた、奉仕の精神によって特徴づけられます。キリストは「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい」(マルコ10・43)と言われました。また、イエス様は弟子の足を洗うという奴隷の役割を実践した後に「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです」(ヨハネ13・15)と語られました。
 私は右の記事を読み、キリスト者として大切な要素、祈り、伝道、仕えることの三つを、三位一体の神に祈って実践していきたいと思います。信仰生活の成長の三要素であるといっても過言ではないと思います。桜ヶ丘教会の皆様方も、この三つをもう一度考える時ではないでしょうか。

秋の風が感じられます

イメージ 1写真:K/Kさん提供
いつの間にか、秋の風が吹いて、朝晩の冷たさを感じる日々です。
実りの季節を連想ずる秋ですね。
私たちは、自分の方向を向いている限り、神様を見ることはできないのだなあと、深く思うこの頃です。
わたしたちに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。
自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。(ローマ人への手紙12:3)
わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。(ローマ人への手紙12:5)
賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。勤めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合に、すべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に霊の働きが現れるのは、全体の益となるためです。(コリントの信徒への手紙Ⅰ12:4~7)
上記の聖句から、それぞれが、異なった贈り物を神様からいただいているということを、深くかみしめてみました。
公園の道を歩いていたら。花々も木々も、生き物、どれ一つ同じものはなく、違っていてきれいで美しいと思いました。
人間一人一人の違いは、外見上、しっかり見えています。
さらに、人の行動の違いを、心の目で見つめ、一人は全体を構成しているということを心に受けとめ、違いを尊重できることがとても大切と思いました。
私たちは。主からいただいている賜り物を用いながら、主の恵みの中で、丁寧に、ひたすら、教会とそれぞれが生活する場所で、主に仕えさせていただきますようにと祈ります。
キリストの体なる教会に、集う一人一人は、働きが違っていても、キリストの体の一部分であることを、かみしめて過ごしましょう。主の憐みと恵みに感謝して。

2017/9/3 週報メッセージ

   北海道問安を旅して
                                                                                                             朝位 真士
  私は、八月二五日(金)~二七日(日)迄、ホーリネスの群委員の一人として北海道の関係教職並びに教会・伝道所を問安いたしました。
 二五日(金)午前、羽田から新千歳空港まで飛行機で行き、空港より札幌からJRで砂川まで行き、車でS牧師の入院されている病院を問安いたしました。先生はフミ子牧師と同期の女性教職であり、四回ほど骨折で入院され、現在も入院中ですが、なお牧師としての御用をされています。二七日は北海道の教会で礼拝の御用をされる予定です。車イスに乗り、妹さんの運転で高速道路片道二時間かかる教会の礼拝説教をされる予定だと言われていました。私より一~二才年長で、四十数年の牧会伝道をされているファイトに満ちた先生とお会いして、こちらが励まされたのです。
 二六日(土)は新千歳空港より女満別空港まで四五分間フライトして、空港より高速バスに乗り、網走駅でM牧師の出迎えを受け、網走観光、特に網走監獄(現在の網走刑務所の前身)の博物館に案内していただきました。
網走監獄の一二七年の歴史には、涙せずにはいられません。中央道路開削工事では、一一一五人の囚人の方々が極寒の突貫工事で二二八KMの道路を八ヶ月で完成させたため、二一一人の方が死去され、看守の方々も犠牲になったということでした。
 二七日(日)の礼拝もA伝道所で礼拝の御用をさせていただきました。M牧師より一三年間の開拓伝道の涙と苦悩の歴史を聞かされました。なお戦いの中にあることを覚えます。人数的にも経済的にも(牧師夫妻はアルバイトをしながら三人の子供の養育中)試練の中にあり、私達はもっと困難にある教会・伝道所の宣教のために祈りと経済的支援をしなくてはならないと感じました。二七日午後五時頃、羽田空港に到着し、高速バスで新宿に到着。そして教会に帰りました。皆様のお祈りに感謝しています。ハレルヤ!!

1923年6月1日創立