関根牧師は、定期的にクリニックでカウンセリングのお仕事をしつつ、ワーシップソングの作詞活動もされている超教派の牧師です。
先日のメルマガで、皆さんにもご紹介したいものがありましたので、その一部を記させていただきます。
2017/9/17 週報メッセージ
朝位 真士
今日は敬老感謝礼拝です。七五歳以上の高齢者に対して感謝をささげる日の礼拝です。野田秀先生(フリーメソジスト教会牧師)は、『高齢者の生き方Ⅲ』で次のように語っています。
高齢者は教会の宝――人生の先輩、信仰の先輩として礼拝に喜んで出席している姿は、模範であり、励ましであり、慰めであります。
教会が高齢者への敬愛の精神を高める必要――「白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい。わたしは主である。」(レビ19・32)ということばが表している精神は、ふだんから教会の中で教えられ、養われ、実践される必要があります。 教会が高齢者が奉仕できる場を提供する必要――その人その人に応じた奉仕が考えられてよいし、高齢者のあかしや祈りが持つ重みに捨てがたいものがあります。
最後に高齢者に配慮し高齢者が不自由しない設備を整える必要があります。――週報をはじめ各種の印刷物の字を大きくしたり、報告や案内が不徹底にならないようにする。夏冬の冷暖房なども、高齢者の健康を考えて調節することが必要です。
2017/9/10 週報メッセージ
朝位 真士
2.伝道 ― キリストは弟子たちに宣教の務めを与えましたが、聖霊の降臨(使徒2章)の後、その継続的働きとしてすべてのクリスチャンは、まだキリストを信じていない人々に語りかけて神との和解に導く使命を与えられています(Ⅱコリ5・17~19、ローマ10・14、17)。
3.仕えること ― 信仰生活はまた、奉仕の精神によって特徴づけられます。キリストは「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい」(マルコ10・43)と言われました。また、イエス様は弟子の足を洗うという奴隷の役割を実践した後に「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです」(ヨハネ13・15)と語られました。
秋の風が感じられます
写真:K/Kさん提供
いつの間にか、秋の風が吹いて、朝晩の冷たさを感じる日々です。実りの季節を連想ずる秋ですね。私たちは、自分の方向を向いている限り、神様を見ることはできないのだなあと、深く思うこの頃です。わたしたちに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。(ローマ人への手紙12:3)わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。(ローマ人への手紙12:5)賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。勤めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合に、すべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に霊の働きが現れるのは、全体の益となるためです。(コリントの信徒への手紙Ⅰ12:4~7)上記の聖句から、それぞれが、異なった贈り物を神様からいただいているということを、深くかみしめてみました。公園の道を歩いていたら。花々も木々も、生き物、どれ一つ同じものはなく、違っていてきれいで美しいと思いました。人間一人一人の違いは、外見上、しっかり見えています。さらに、人の行動の違いを、心の目で見つめ、一人は全体を構成しているということを心に受けとめ、違いを尊重できることがとても大切と思いました。私たちは。主からいただいている賜り物を用いながら、主の恵みの中で、丁寧に、ひたすら、教会とそれぞれが生活する場所で、主に仕えさせていただきますようにと祈ります。キリストの体なる教会に、集う一人一人は、働きが違っていても、キリストの体の一部分であることを、かみしめて過ごしましょう。主の憐みと恵みに感謝して。
2017/9/3 週報メッセージ
朝位 真士
二五日(金)午前、羽田から新千歳空港まで飛行機で行き、空港より札幌からJRで砂川まで行き、車でS牧師の入院されている病院を問安いたしました。先生はフミ子牧師と同期の女性教職であり、四回ほど骨折で入院され、現在も入院中ですが、なお牧師としての御用をされています。二七日は北海道の教会で礼拝の御用をされる予定です。車イスに乗り、妹さんの運転で高速道路片道二時間かかる教会の礼拝説教をされる予定だと言われていました。私より一~二才年長で、四十数年の牧会伝道をされているファイトに満ちた先生とお会いして、こちらが励まされたのです。
二六日(土)は新千歳空港より女満別空港まで四五分間フライトして、空港より高速バスに乗り、網走駅でM牧師の出迎えを受け、網走観光、特に網走監獄(現在の網走刑務所の前身)の博物館に案内していただきました。
網走監獄の一二七年の歴史には、涙せずにはいられません。中央道路開削工事では、一一一五人の囚人の方々が極寒の突貫工事で二二八KMの道路を八ヶ月で完成させたため、二一一人の方が死去され、看守の方々も犠牲になったということでした。
二七日(日)の礼拝もA伝道所で礼拝の御用をさせていただきました。M牧師より一三年間の開拓伝道の涙と苦悩の歴史を聞かされました。なお戦いの中にあることを覚えます。人数的にも経済的にも(牧師夫妻はアルバイトをしながら三人の子供の養育中)試練の中にあり、私達はもっと困難にある教会・伝道所の宣教のために祈りと経済的支援をしなくてはならないと感じました。二七日午後五時頃、羽田空港に到着し、高速バスで新宿に到着。そして教会に帰りました。皆様のお祈りに感謝しています。ハレルヤ!!
夏を感じて

2017/8/20 週報メッセージ
2017/8/13 週報メッセージ
山本 潤
2017/8/6 週報メッセージ
永遠への道
朝位 真士
前号からの続きです。
(四)汎神論 ― (1)日本における汎神論 日本人の神観は仏教系や神道系、その他複数の宗教が多層的に重なり合っています。その種類は八百万(やおよろず)の神々というくらい多いものです。太陽・月・山・湖・滝・木・石・動物などの自然を神としたもの、先祖・英雄・偉人などの人間を神としたもの、結婚や出産など人間生活をつかさどる神、農業や漁業、海運などをつかさどる神など、種類も働きも様々なものです。
(2)汎神論のおもな型(西洋) ①唯物的汎神論 物質がすべての生命と精神の原因であると主張します。宇宙こそ、ただ一つの神であるいうのです。②物活論=汎霊論 すべての物質の分子は生命の原理を持っており、究極の単位は小さな霊魂(単子)であるという論理です。後者は精神と物質が個別に存在し、分離できないと主張します。③中性論 究極の実在は、精神でも物質でもなく、その二つを持つ中性的な実体が神であるという理論です。④観念論 実在とは思考、理性であって、世界は一つの偉大な思弁過程(精神の産物)であるという理論です。
(3)汎神論の共通するまちがい ①人間個人は無限者の一部分に過ぎないということは何の証明もされていない仮定であって、現実の自己意識と矛盾します。②神の人格性を否定するが、意識的な人間の存在が無意識な精神からどのように発展するのか説明できません。③人間を神の一部分とすることによって神格化します。神は人間においてのみ意識を持つものであるとすれば、人間はこの世界で神の最高の顕現ということになりますが、それは現実を調和します。
2017/7/30 週報メッセージ
朝位 真士
講師は山口陽一先生(東京基督教大学院神学研究科委員長、同盟教団市川福音キリスト教会担任牧師)と神代真砂実先生(東京神学大学教授、橋本教会協力牧師)、音楽ゲスト姫野徹先生(オーボエ奏者、ユーオーディア・メンバー)、シモン合唱団の方々が御用してくださった。山口先生はヨハネ四章三四~三八節より「目を上げて畑を見なさい」というテーマで、(1)サマリヤのどこに色づく畑、(2)J・サバラの喜び、(3)バラの悔い改め、(4)日本宣教一七〇年の回顧と展望、次にⅠコリ一章二六~三一節より「キリストは私の知恵、義、聖、贖い」という題で、(1)わたしたちの召しのこと(二六~二九)、(2)キリストこそ知恵、義、聖、贖い(三〇~三一)、(3)内村鑑三「われらの万事なるキリスト信仰の単純」、(4)宣教の情熱について語られた。神代真砂実先生はヨハネ四章二七~四二節より「喜びを共にする」で、教会は神の愛と熱意によって建てられていることを語られた。私達のイエス・キリストの「御心を行い、その業を成し遂げること」を喜びとして、一人でも多くの方を招き続ける者でありたい。実りに感謝し、また、結果を目に出来なくても、喜んで種を蒔き続けていきたいと結んだ。
講演では「宗教改革者ルターが説いた『信仰』とは」、(1)マルティン・ルターによって始まった宗教改革の「原理」、(2)ルターの「神の義の発見」、(3)「外なるもの」は「神の言葉」とも言い換えられる。以上、大変有意義な集会であった。