2017/11/26 週報メッセージ

   信仰とは
                                                                                                               朝位 真士
  ヘブライ一一章一節に「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」とある。聖書において信仰とは、神に対する正しい関係を表現する概念である。
 一、旧約において「信じる」に当たる動詞は「確かなもの、堅固なものにする」という意味である。祈りの最後に用いられる「アーメン」も関連する用語である。神への信仰とは、神を確かなものとすること、すなわち、信頼に値する方としての神に信頼するということである。たとえば、創世記一五・六に語られるアブラハムの信仰とは、神の真実(確かな事)に信頼を寄せることであった。このように信仰とは神の確かさへの信頼であるがゆえに、信じないものは動揺せざるを得ない(イザ七・一~九)。
 二、新約における信仰の中心はイエス・キリストを信じる信仰である。それは、イエス・キリストにおいて救いの業をなされた神への信頼であると同時に、イエス自身への信頼をも含んでいる。たとえば、福音書に記録されているイエスの癒やしの記事において、求めてくる者はイエスへの信仰(信頼)をもって彼に接近する(マタ八・
一〇、マコ二・五、五・三四)。旧約にルーツを持つ「神(とイエス・キリスト)の確かさへの信頼」という意味での信仰は、イエスの死と復活を中心とする宣教内容(ケリュグマ)と結びついて展開する(ロマ一〇・九)。すなわち、キリストの十字架と復活において明らかにされた神の救いの確かさへの信頼、確信がキリスト教信仰の中核となった。たとえば、パウロはその点を「信仰によって義とされる」という信仰義認のテーマによって展開する。パウロによれば信仰は聖霊の賜物であり(Ⅰコリ一二・三、ガラ三・三)、信仰は従順(倫理)を生み出していく(ロマ一・五、一六・二六)。ヨハネ福音書の目的は「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」とされている。

2017/11/19 週報メッセージ

   教会の成長のために                                                                 
                                                                                                              朝位 真士
  「どのような時にも、霊に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」(エフェソ六・一八)
 私は最近、本田弘慈先生の『祈りは奇蹟を生む』という御本を拝読させていただきましたので、教会関係者と
恵みの分かち合いをしたく思います。
 使徒パウロはエペソにあてた手紙の中で、「祈りなさい」とすすめ、「すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい」とすすめています。祈りは個人的な神との交わりですが、その祈りの中でとりなすともすすめられています。クリスチャンが自分と自分の身のまわりのことを真剣に祈ると同時に、他人のため、格別、キリストにある人々のために祈ることも大切です。
 キリストの教会は、クリスチャンの祈りによって進展するのです。祈っている信徒の多い教会は成長し、祈りの手が下がった時、教勢も衰えてきます。祈っている人の多い教会は火が燃えているようにいのちに満ち、生き生きとしています。しかし、祈りの少ない教会は氷倉の中のようにひんやりとした冷たさを感じさせられます。バウンズ博士は「祈りの会衆は祈りの講壇を生み、祈りの講壇は祈りの会衆を生む」と語りました。私たちもパウロのように、「忍耐の限りを尽くして」祈り続けることが大切です。主はその祈りをむなしく終わらせるようなことはなさいません。そこには必ず御霊の働きが始まるでしょう。                                                               
 私はこの本を拝読して、頭をガーンとなぐられた感じがいたしました。まず教職一同がもっともっと真剣に、教会成長のために、個々人の魂のために、主に祈らねばなりません。皆様、毎日数分でもお祈りいたしましょう。

2017/11/12 週報メッセージ

   二〇一七年ホ群信徒・教職共同セミナーに出席して
                                                                                                               朝位 真士
  過ぐる一一月六日(月)~八日(水)迄、ホ群セミナーが市川サンシティ・ホテルで開催されました。今回は「ホーリネス信仰と教会形成」を主題とし、「教会規則による恵み」を副題としました。二〇一六年のホーリネスの群結成七〇周年を経て、これからのホ群の歩みを考える時、より豊かな教会形成の必要性を覚え、このための一つの学びとして、今回教会規則に焦点をあてることに導かれました。
 参加者は信徒・教職で約九五名、席上献金は二回で約二一万円でした。開会礼拝、司会森浩師、説教朝位真士。主題講演、司会木村かたる師、講師大友英樹師。聖会Ⅰ、司会鈴木恵子師、説教田中寛也師、証し中込愛子師。二日目、パネルディスカッション、司会横山基生師、パネリスト山口紀子師、潮義男師、山本修一師、原田彰久師。伝道協議会(伝道部)「地方教会から声を聞く」、発題者中西絵津子師、中村英之師、田中寛也師。分団協議、八分団に分かれて協議。聖会Ⅱ、司会深谷春男師、説教島隆三師、証し清弘和海兄。三日目、全体協議会、司会三坂幸英師、朝位真士。閉会礼拝、司会野口佳男師、説教村上義治師。
 私は教育部の責任の一端を担う者として、皆様方にお祈りとお助けをいただき、心より感謝します。なによりも主イエス・キリストの父なる神に感謝をしたいと思います。今回は、規則検討委員会と伝道部と教育部の三者合同のセミナーであった。大友先生の「教会規則の恵み」という主題講演を聞き、私自身、信仰という名のもとに、この世のルールを無視していた傾向があったと深く反省しました。宗教法人法に基づく宗教の国家による保護と教団教憲教規については、教会を健全に運営していく上で大切な学びであったと考えています。

2017年召天者記念礼拝を終えて

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写真:K/Kさん提供
11月5日(日)10時30分~
召天者記念礼拝を終えることができました。
71名の信徒、関係者の方々を覚え、礼拝を捧げることができ、感謝申し上げます。
また、T兄弟が11月1日天に召されました。
もう一度、お元気なT兄弟にお会いできたらと願っておりましたので、残念な気持ちが残っておりますが、主の御心のうちにあることを受け止めて、T兄弟のご家族に平安があることをお祈り申し上げます。
私共、桜ヶ丘教会につながる者が、今後とも教会の発展のために主に仕えて、T兄弟の信仰に倣っていきたいと思います。
礼拝では、ヨハネの黙示録6章9節~17節を通して、朝位真士牧師から、お話をいただきました。
「救われた者の賛美」というテーマでのお話です。
日々、どんなときにも、主を賛美をすることがとても重要であると伺いました。そのことによって、私たちの心に平安が宿ると教えていただきました。
「この白い衣を着た者たちはだれか。」
「彼らは大きな苦難を通ってきた者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」
「それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、
昼も夜もその神殿で神に仕える。
玉座に座っておられる方が、
この者たちの上に幕屋を張る。
彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、
太陽も、どのような暑さも、
彼らを襲うことがない。
玉座の中央におられる小羊が彼らの牧舎となり、命の水の泉へ導き、
神が彼らの目から涙をことごとく
ぬぐわれるからである。」
今週も、主にあって、日常をかみしめ味わいながら、感謝の日々を歩みたいと思います。

2017/11/5 週報メッセージ

   召天者記念礼拝に思う
                                                                                                            朝位 真士
  今日一一月五日、日本キリスト教団では召天者記念礼拝を行っています。一一月の第一聖日を永眠者記念日としています。これは九世紀の教皇グレゴリウス三世が定めた「諸聖人の祝日」(一一月一日)、また一一世紀に定められた聖人以外の一般信徒を記念する「諸死者の記念日」(一一月二日)に由来するもので、固定祝日を第一主日という移動祝日にしたものです。聖人の日の意味を調べてみると、初めは迫害による殉教者を記念するものでした。その死を通して地上に残された者たちが励ましを受けると共に、訓練の模範とするために記念の集会が行われたのです。この日は、信仰の先輩たちのことを想起しながら、お互いが担っている使命を自覚することが必要です。
 「召天者記念礼拝」には特別な基準はありませんが、キリスト教の歴史と伝統の中では、死後三日目、九日目、四十日目など、主の復活を表す三またはそれをさらに三倍した九、聖書的に象徴的な四十に基づいた日数、年数などによる考え方があったようです。教会の暦に関連して死者を記念することがキリストにあって意味づけられ、関係者が集まってもつ記念会の「主にあって共に生き、共に主をあかしする」性格が明らかにされるのです。教団の教会として公同の記念礼拝をもつのは、聖徒の日、復活節、あるいは地方によっては日本のお盆の頃などです。
 私は一九九四年四月に桜ヶ丘教会に赴任して、教会員並びに関係者の方々の告別式をさせていただいたのが、数十人に及びます。告別式を行った方のご家族や関係者で、教会に続けてこられなかった方々が多くいらっしゃるのは残念なことで、私共の責任を強く感じます。尚祈り続ける必要を感じます。

2017/10/29 週報メッセージ

    宗教改革とは何か
                                                                                                               朝位 真士
  一五一七年一〇月三一日、ドイツのヴィッテンベルクの城教会の門の扉に、若き修道士マルティン・ルターが「九五カ条」を掲示しました。それが宗教改革運動の始まりです。内容は、免罪符の問題です。それを買うと死後、地獄や煉獄でなく天国に行けると、カトリック教会が販売していたのです。救いはお金どころか、どんな人間の力をもってしても獲得できるものではなく、ただ、神の恵みによるのではないだろうかとルターは考えたのです。「恵みのみ」です。そこで彼はこの問題についての討論会を呼びかけました。ところが、その五〇年程前に発明されていた活字印刷術のおかげで「九五カ条」がたった二週間で全ヨーロッパに広がったのです。ローマ教皇庁との激しい論争が始まり、やがてそれは信仰上の問題を越えて政治上の問題となり、ルターはヴォルムスの国会に呼び出され、皇帝カール五世から自説の撤回を迫られますが、彼はそれを拒否し「われ、ここに立つ」と言いました。ルターは異端として破門されました。改革運動はプロテスタント教会の形成へと向かい、礼拝改革から教会制度の改革、教育改革、さらには社会改革へと広がり、ついに近代という時代の扉を開いたのです。
 宗教改革の三大原理の第一「信仰義認」の義認とは救いのことですが、救いはあくまで神の贈り物(恵み)であり、それを信仰を通して感謝をもっていただくのです。第二「聖書の権威」です。一人ひとりが聖書に向かい合い、そこから響いてくる神の声(心)を聴きとることが大事です。ルターは聖書を民衆の一人ひとりが読めるようにドイツ語に翻訳しました。第三「万人祭司」です。神の前にはすべての人が平等です。一人ひとりが、あたかも祭司のように神に仕えるのです。一人ひとりが、それぞれ神に与えられた務めを果たすということです。
(江口再起先生より引用)
 私は先生の講演を聴いて、宗教改革の意義を今更ながらよく理解することができ、先生に深く感謝するものです。

2017/10/22 週報メッセージ

   奥羽・東北問安を終えて
                                                                                                             朝位 真士
  九月二三日から二八日まで問安いたしました。
 二五日は、脇本教会の早天祈祷会に出席して、数名の方々とデボーションの時を持ちました。教師と共に数名の方々が出席されました。食事をいただき、阿部先生の車で信者の方が経営しているホームを見学し、その足で男鹿教会の飯田先生を訪問。最近建築された素敵な会堂と牧師館で、新卒の若々しい先生の活動的な行動に感動しました。
 阿部先生に男鹿半島周辺を案内していただき、東能代一四時四〇分発、弘前一六時二一分着、一七時二三分に三沢に到着しました。本来問安予定であった大三沢教会の牧師が手術後であり、面会できないというお断りがありましたが、私は栗澤牧師に一目でもお会いして祈りを共にしたいと願い、翌二六日午前中、先生ご夫妻にお会いすることができました。会堂にて三人でお祈りをして、教会を後にしました。
 八戸一五時〇六分発のはやぶさ二四号で盛岡に一五時四四分到着。その夜は盛岡のホテルに宿泊しました。村上先生の舘坂橋教会付帯事業の保育園と幼稚園の各施設を、先生自ら一つひとつ丁寧に説明していただきました。先生が盛岡に行かれてから建築された会堂も二〇〇人収容の大会堂でした。夜は車道より十字架がはっきりと輝いているのが見えました。二七日昼、舘坂橋教会の祈祷会でメッセージをさせていただきました。
 盛岡から仙台に移動して、仙台青葉荘教会の潮先生の出迎えを受け、夜の祈祷会のメッセージをさせていただきました。御教会は昼は二〇名位、夜は一二名位で、信仰と霊に燃えた信者の方々は大変活き活きとされていました。
 翌二八日は福島新町教会の滝山先生の出迎えを受け、先生の牧会苦労談を聞かせていただきました。御主人を亡くし、震災に遭いましたが、二人の娘さんは献身され、牧師・伝道師として主の働きをされている話を伺い、主の御名を崇めさせていただきました。

2017/10/15 週報メッセージ

   奥羽・東北問安を終えて                                                                 
                                                                                                               朝位 真士
  私はホ群問安使として九月二三日から二八日まで、奥羽・東北六県の六つの教会を問安いたしました。
 九月二三日(土)、大宮駅九時五四分発、上越新幹線MAXとき三一三号に乗車。新潟より一二時三三分発、白新線いなば五号に乗車、一四時三九分に酒田駅(山形県)下車。酒田暁星教会の合田先生の出迎えを受け、酒田暁星教会に到着。合田先生、役員と合流、懇談。豊かな夕食を先生と役員達といただきました。先生の琴演奏も大変熱演で、教会員も先生の特技に驚嘆していました。夕食後近くのリッチ&ガーデン酒田というホテルに車で送ってくださった。初めての山形の経験では、私の田舎(九州大分)を想い出しました。一人ホテルで翌日の礼拝準備に静かな時を持ちました。翌朝、先生のお迎えで教会に到着。脇本教会の副牧師阿部先生が到着されていて、礼拝の司会をしていただきました。私は礼拝説教と聖餐式の司式をさせていただき、数人の礼拝出席者と食事をさせていただきました。
 一三時三〇分、脇本教会の阿部先生の車で脇本教会へ到着。中西主任牧師、ジャネット宣教師、教会役員、信徒の方々の歓迎を受け、一七時より夕拝の御用をさせていただきました。讃美を数曲歌い、私のメッセージ、信徒の方々とのお交わり、茶会の後、阿部先生の車で中西先生、ジャネット宣教師、私の四人で一時間ほどの距離にある大潟温泉に入りました。その後夕食をいただき、教会内にある阿部先生の一軒家に宿泊しました。早朝六時四〇分より早天祈祷会が毎日行われていて、レギュラー数人が集まり、約一時間の霊的時間を継続しています。礼拝も夕拝も祈祷会も、この数人の方々が集まって熱心に祈っています。いつかリバイバルが起こると私は信じています。
つづく。

2017/10/8 週報メッセージ

   奥羽・東北問安を終えて
                                                                                                               朝位 真士
  私はホ群の問安使として、九月二三日から二八日まで、奥羽・東北六県の六つの教会を問安いたしました。その目的は、ホ群委員長のメッセージを携えて、その教会・伝道所を把握して、共に祈り、何か群でお助けできることがあれば、祈って具体的に課題を共有し、教団内ホ群としてお互いに信頼関係を保持すること、またホ群のためにお祈りしていただき、具体的な支援をお願いするということです。同じホーリネス信仰を持っている仲間として、同労者として助け合っていくということです。特に今回は、ホーリネス教会創設百周年を迎えて、「時来たりて実を結ぶ」(ガラテヤ六章九節)という主題と、「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。」という聖句が与えられました。以下、村上委員長挨拶文より引用します。
 ホーリネス教会は一九一七年(大正六年)十月三一日に、中田重治を中心にホーリネス教会が設立されてか ら一〇〇周年を迎え、弾圧から七五周年を迎えて、現在、群に関わりのある教会は、名簿上八九教会です。只、 意識的に属する教会は六〇教会です。意思疎通を図るため、具体的に、年齢や、信徒・教職合同研修会(セミ ナー)、聖会等を通じて絆を深めています。一方、教団認可神学校「東京聖書学校」を運営してきました。私 たちの群は、拘束力を持つ「教会」ではなく、「運動体」であり、自主団体です。現実のこととして、各教会、 各教師に人事配置の難しさがあります。もう一つの課題は、教勢の課題です。教会員の高年齢化による教会の 体力減退です。このままでは、教会に教職を迎えられなくなるということです。それと同時に伝道力の低下で す。この回復がなければ、発展どころか存続の危機に直面することになります。是非各教会の進展のためお祈 りください。最後に貴教会の皆様の祝福を祈りつつ。

2017/10/1 週報メッセージ

   奥羽・東北問安を終えて
                                                                                                               朝位 真士
  「主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。」(詩編一二一・七~八)
 私はホーリネスの委員として、今回は奥羽・東北の六県、山形、秋田、青森、岩手、宮城、福島の各教会を問安させていただきました。詳細のエピソードは次回に記載させていただきます。今回は総論というか、感想というか、私の感じたことを簡単にお知らせいたします。
 まず感じたことは、奥羽・東北地方は大変遠いということです。九月二三日から九月二八日までの旅行でありました。本当に長く感じました。日数にしては数日間ですが、実際に行ってみて大変長旅であったと思います。また、その教会、教会にはいろんなドラマがあったと思います。しかし、その地方で伝道牧会されている先生方、信徒の方々が大変あたたかく、親切であり、初めて派遣された新卒の先生や、二十数年おられる先生方のご苦労を拝見して、私はなんと幸せな教会に遣わされているのだろうと、あらためて神に感謝しました。
 私共が桜ヶ丘教会に遣わされて二十数年経過していますが、今更ながら皆様方の愛の心遣いに感謝したい思いで一杯です。私は伝道者となって四十二年経過しますが、もし奥羽・東北の地で牧会を命じられたら、早晩ギブアップしただろうと思いました。後期高齢者の私共が、こんなに良い教会、環境に恵まれているのは勿体ない感じで、神様と皆様方に心より感謝を述べたい思いです。
 次回より、各教会での素晴らしい働きの報告をさせていただきます。

1923年6月1日創立