「週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2021/1/1  週報メッセージ

2021年を迎えて

朝位 真士 

  新年あけましておめでとうございます。御言葉を与えてくださいと祈っていましたら、使徒18章1~11節が与えられました。特に9~10節、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いる」という御言葉が与えられて、今年も昨年に引き続いて「祈りと宣教」を目標として、密室で祈り、公的集会で祈り、時が良くても悪くても御言葉を宣べ伝えなければならないと示されています。

 昨年はコロナウイルス感染症流行のために礼拝が制限され、年輩者や病気に罹っておられる方の出席を自粛していただきました。私自身も高齢で病気に罹患していますが、神様と教会員の方々の御理解をいただいて主の御用をさせていただいています。私は神様から「使命がある限り生かされる」という信仰が与えられています。もちろん教会員の皆様方、各々の信仰の決断において行動をおとりくださって結構です。

 昨年は感謝なことに3人の方が受洗の恵みに導かれました。これはコロナ禍における神の恵みの奇跡だと思います。皆様方の強い信仰と行動によって3人の方が救いに入れられたと感謝しています。今年は神様が私共の教会にどのような恵みの業をなされるのか、期待を持って待ち望みたいと思います。

 私共の教会は開拓されて今年で98年目に入ります。1923年6月1日、初代牧師である板井康裕先生が渋谷で開拓され、1975年、西海静雄先生・満希子先生御夫妻の時にパールハイツ桜上水というマンションに会堂が与えられ、その後1997年12月17日、現在地に土地と建物が与えられて今日まで主が守って導いてくださいましたことに感謝いたします。

2020/12/27 週報メッセージ

 2020年を振り返って

朝位 真士 

  今年はⅠテモテ2・1~7を通して御言葉が与えられました。特に「まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」という聖句が与えられて、「祈りと宣教」という説教題の元旦礼拝からスタートしました。しかし、1月に中国で新型コロナウイルス感染症が発生し、日本では4月7日にコロナウイルス対応の特別措置法に基づく緊急事態宣言が発令されました。教会も三密を避け、手指の消毒、換気に留意し、各集会(婦人会、ホープ会、青年会、エリム会、ふれあい会、夕拝、昼食)は中止しました。5月10日からはU姉のご配慮により、礼拝説教をユーチューブで配信し、礼拝に来られない方は自宅で礼拝を守っています。そのためにA兄にご尽力いただき、週報を毎回郵送させていただいています。また今年も「さくらんぼ通信」と2021年カレンダーを、S姉にご尽力いただき発行しました。

 特記すべき出来事としては、4月12日イースター礼拝に11名が出席し、5月31日ペンテコステ礼拝ではO兄姉々が受洗されました。同じく5月31日に、S姉のご尽力により桜ヶ丘教会公式ホームページが公開され、ユーチューブの配信動画や週報記事を掲載いたしました。9月12日に敬老感謝礼拝で75歳以上の方々15名を祝福いたしました。12月20日にはクリスマス・チャペルコンサートで、ベアンテ・ボーマンご夫妻の演奏とメッセージがあり、M姉の受洗式が行われました。

 なお6月7日の創立記念礼拝(岸先生のチャペルコンサート)と10月18日の高田光比古ジャズコンサートは、コロナ禍のために非常に残念ですが中止いたしました。2021年は再開されることを祈っています。

2020/12/20 週報メッセージ

クリスマス・チャペルコンサート                                        

朝位 真士 

  今年もベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生をお迎えできて、心より感謝申し上げます。先生方は1999年12月よりクリスマス・チャペルコンサートを続けてくださり、今年で22回目になります。

 ベアンテ先生は1951年スウェーデンのファルン市で誕生。12歳からチェロを始められ、1971年ストックホルム王立音楽大学で最優秀賞を受賞して卒業。1971年から72年、ゴテンブルグ市の国立歌劇場の首席チェロ奏者を務められ、最終的にはフィンランド政府給費留学生として1979年シベリウス・アカデミー大学院を首席で修了。1980年から2011年までの31年間、東京交響楽団の首席チェロ奏者を務め、現在チェロ奏者として室内楽等の演奏活動の他に、チャペルコンサートをはじめとする宣教の働きに携わっておられます。またフィンランド、ヘルシンキ市のラマト・プフ聖書学校で聖書を学び、1992年カリフォルニア神学大学院より名誉神学博士号を受けられました。またインターアクトの協力宣教師でもあられます。

 ルリ子先生は武蔵野音楽大学ピアノ科卒業後、西ドイツ国立フォルンバンク大学、シベリウス・アカデミーの各マスタークラスで学ばれ、ベアンテ先生と共に各地で良い奉仕を続けておられます。  1999年、最初にベアンテ先生夫妻が来られた時は62名の出席でした。今年は新型コロナウイルス感染症流行のため、いつものように新聞折り込み広告で外部にお知らせしたり、トラクトを配布したりすることを控えました。そして少人数でベアンテ・ボーマン先生のチェロ演奏とメッセージをうかがいたいと思います。2千年前にイエス様が誕生された時も、ヨセフとマリア夫妻は静かにお祝いしたのではないでしょうか。今年も私たちの心の中に主イエス・キリストをお迎えしましょう。ハレルヤ!!

2020/12/13 週報メッセージ

イグナチオ朝祷会に出席して

朝位 真士 

  私は月1回、カトリックとプロテスタントの合同祈祷会であるイグナチオ朝祷会に出席しています。11月13日朝7時半の朝祷会に出席して、カトリックの協力司祭ヘネロソ・フローレス神父のお話を聞き、大変感動しました。先生は11月25日で86歳になられ、日本に来られて60年と言われました。「喜んで生きたい、喜んで死にたい」というテーマで、ローマ8章28節「神を愛する人、すなわち、ご計画に従って神に召された人々のために益となるように、すべてが互いに働き合うことを、わたしたちは知っています」という聖句より語られました。以下に内容を記します。

 やっぱり、万事は益になるように働き合うことを知っています。信じています。どんな恐ろしい状況の中でも、失望したり、あまりにも悩んだりする余事がありません。現在のコロナウイルスの状況も、そしてまた、それがもたらしているたくさんの迷惑さえも、「益になる」ことを信じています。その信仰は、あらゆる失敗、あらゆる苦しみや迷惑をじっと喜んで耐え忍ぶ勇気をもたらします。「益になる」からです。幸せに生きたいだけでなく、幸せに死にたいのです。これは可能でしょうか。普通人間には「死」という言葉さえもタブーに聞こえます。怖い、やばい、・・・・・・。しかし、ある人には「死」という言葉や考えは喜びを起こすことがあります。これも、パウロのフィリピの信徒への手紙1章21~23節ではっきりと表れています。死は人生の終わりではなく、命の新しい状態への移行、すなわち、この地上の生活におけるあらゆる制約や制限のない、キリストとともに生きる命の始まりです。だから、パウロは「死ぬことはまさにもうけものである」という表現をしました。「喜んで生きること」と「喜んで死ぬこと」の可能性の秘訣は、イエス・キリストの福音”Good News”を受け入れることにあります。すなわち、神の無限で無条件の愛を信じることです(ローマ8:39)。アーメン。

2020/12/6 週報メッセージ

2020年度クリスマスを迎えるにあたって

朝位 真士 

  今年も12月20日(日)午前10時半にベアンテ・ボーマン先生をお迎えすることができて、感謝しています。今年は6月の創立97周年記念の集会に岸先生をお迎えすることができず、また10月に高田光比古先生のジャズ・バンドをお迎えすることもできませんでした。本当に期待して祈っていたのに、大変残念でありました。しかし、クリスマスは桜ヶ丘教会のファミリークリスマスとして、普段教会に来られている信者の方々を中心に、チャペルコンサートを開催する予定です。外部には宣伝しませんが、ベアンテ・ボーマン先生ご夫妻が講師をお引き受けくださいました。今年は2月頃から、コロナウイルス感染症拡大のために各集会が休会という事態となって大変残念なことですが、ベアンテ・ボーマン先生は、「たとえ集会に集まる方々が少人数であっても、私共は御用させていただきます」という強い意志と信仰をお持ちであることをうかがい、先生方は音楽家である前にキリストの宣教者でいらっしゃいますことを強く感じました。

  そのような宣教の情熱と信仰をお持ちの先生方の集会ですから、一人でも多くの方にご来会いただきたいところですが、なにぶん三密を避けなければなりません。残念ですが、宣伝は控えることにいたしました。マスク、手指消毒、換気をして、感染が生じないように祈りつつ、注意してこのクリスマス集会を開催したいと願っています。また当日は、特別に神様のプレゼントが用意されています。一人の方が受洗に導かれています。主許し給わば、私が洗礼式の司式をさせていただきたいと思います。教会員の友人で、ずっと皆様方に祈られておられた方です。是非この洗礼式が挙行できますように、皆様方の祈りを切に要請したいと思います。主に栄光を帰しつつ。ハレルヤ!!

2020/11/29週報メッセージ

初代教会の信仰を伝える

朝位 真士 

  前々号で主の祈りを学びました。今日は使徒信条を考えてみたいと思います。毎月聖餐式の時に、使徒信条を称えています。

  「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり、かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の命を信ず。アーメン。」

  使徒信条は初代教会で140年頃にまとめられた最古の信仰告白文で、当時のものは今より短く、今日の形態は5世紀頃に作られました。信条とは神とその働きについて信じる内容を要約したものです。作られた目的は二つあり、一つは信者がバプテスマを受ける時の信仰告白のため、二つには異端に対して聖書の真理を守るためでした。内容は、三位一体の神、すなわち父・子・聖霊なる神の働きを順に要約し、体系的な聖書理解を助けます。

 主の祈りや使徒信条を礼拝や集会の時にそらんじることがありますが、一つひとつの字句や内容を深く考えないで口ずさみ、何かマンネリ化していることはないかと深く反省させられました。皆様方はいかがでしょうか。初代教会の信仰を伝える主の祈りと使徒信条を、もう一度真剣に考える必要があるのではないでしょうか。私はもう一度、一人で静かに主の祈りと使徒信条を読みながら、一息一息、主の祈りと使徒信条の深い意味を、神様から問われた感じがしました。皆様も、主の祈りと使徒信条を一呼吸一呼吸味わいながら称えてはいかがでしょうか。きっと今までにない新鮮味を感じるのではないでしょうか。

2020/11/22 週報メッセージ

 「日本信徒前進宣教会」例会に出席して

朝位 真士 

  先日お茶の水クリスチャンセンターで開かれた月例会に出席して、その時の証しを聞き感動したので、その報告をいたします。

 90歳の老姉は生まれつき病弱で、医師もさじを投げたが、クリスチャンになって信仰により病気を治療されました。弱い身体が霊肉健康になり、信徒伝道者となりました。病人を訪問し、お祈りをすると病気の方が元気になりました。死を目前に控えている重病の方も、神様の恵みと祝福を祈ると元気になりました。特に、死に対する魂の平安が与えられ、平安の内に天国へ召されたという話や、十人以上の方々がイエス・キリストを救い主と信じてクリスチャンになられたという生きた証しに、大変感動しました。

 もう一つは牧師の体験メッセージで、イザヤ43・1~2から「感謝」というテーマでした。難病を抱えていながら様々な奇跡を体験し、中高年になって献身されました。以前は事業をされていましたが倒産し、十数億円の負債を抱えました。神様はいろいろな人を通して負債を返納され、献身を決意されました。病身で17年間牧会をされ、現在80歳を超えておられますが、生き生きとした力強いメッセージをされました。

 またある牧師夫妻は90歳を超えておられますが、毎週上野のホームレス伝道に身を挺して、300人以上のホームレスの方へメッセージをしておられます。その後の食事は、私の敬愛しているクリスチャン実業家が用意しています。これらのことが、90歳以上の牧師と高齢の事業者の信仰的善意によって行われています。

 私は伝道者として、兄姉の証しを伺いながら大いに感動させていただきました。主の御名を賛美いたします。

2020/11/15週報メッセージ

主の祈りを考える

朝位真士

朝位 真士    主の祈りは、マタイ6・9~15とルカ11・2~4に記載されている有名な祈りである。主の祈りは、祈りの模範としてキリストが弟子たちに教えたもの、初代教会から礼拝や個人の生活の中でもくり返し唱えられ、教会の宣教と信仰の成長のために役立ってきた。第一に、「天にまします、われらの父よ」である。全知全能の聖なる神を、私たちは父と呼ぶ。神は、私たちを子として訓練してくださるからこそ、天の父なのである。第二に、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ。」これは、子が父を慕うように、何でも祈りなさいと主は勧めておられるということである。第三に、主の祈りの六つの祈願である。それは二つに大別される。前半の三つは神ご自身と神の国のことであり、後半の三つは地上のことについてである。一つひとつの順序にも意味があり、またそれぞれに深い真理が込められている。前半の三つは、実に壮大なビジョンをもった願いである。偶像に満ちたこの世で、真の神のみが畏れられるように、人種差別や境界線の争いの絶えないこの世界に、神の支配(御国)が広がるように、また悲しみと不幸の世界が、真の愛の世界に変えられますようにと祈る。そして、後半の三つの願いは、この理想世界を実現するために欠かせない三つの要素を示している。日用の糧の願いから始まり、飢えからの解放、神によって罪がゆるされて得られる魂の平安、さらに、悪魔の働きからの解放を願う。第四に、主の祈りの根本には、人類の究極の希望、イエスの再臨によって実現する神の国への待望がある。第五に、この主の祈りには、かならず「われらの」とある。祈りは、ひとりで祈るようだが、実はみんなで祈っているのである。群れの祈りである。だから「われら」には、とりなしの意味がある。主の祈りは、全世界の人々が祈るべき祈りである。(『新キリスト教ガイドブック』より)                        

2020/11/8 週報メッセージ

家族伝道に期待する

朝位 真士 

  「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒16章31節)

  フィリピの獄屋でパウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、突然大地震が起こり、牢の土台が揺れ動き、看守が責任を取って自害しようとした時に、パウロが看守に語った言葉が、右記の聖句です。その時、看守が救われて、自分も家族も皆すぐに洗礼を受けたという劇的な場面です。

 1923年、初代板井康裕牧師がアメリカから帰国し、東京都世田谷区桜新町の自宅で東洋宣教会の福音使として伝道を開始しました。その後、同区駒沢に集会所を設けて駒沢ホーリネス教会となり、渋谷駅前の桜ヶ丘に家を借りて渋谷聖教会となりました。1942年、日本基督教団設立と同時に教団に加盟して桜ヶ丘教会となり、1944年、板井先生は杉並区下高井戸一丁目の借地に家を購入して疎開しました。1968年、西海牧師が赴任して、1975年、下高井戸四丁目のマンション、パールハイツ桜上水に移転。1994年に朝位が赴任し、1997年、現在の教会に移転しました。

  ここで私は桜ヶ丘教会に関係の皆様に、主にあってお願い申し上げたいと思います。私たち一人ひとりが家族伝道を徹底していかないと教会の存続は危機を迎えると思います。自分の家族のために毎日5分でも10分でも祈ってください。キリストの証し人、キリストの伝道者として、言葉もしくは生活を通して福音を語り、終末期のこの時代、一人でも多くの方々をキリストの救いに導いてください。もちろんそれは神の働き、聖霊の導きです。そのために毎日祈ってください。祈りは不可能を可能にします。「人にはできないが、神にはできる。」神は何でもできます。今いる方々全員で神の国、天国へ参りましょう。

2020/11/1 週報メッセージ

ハイデルベルク信仰問答より

朝位 真士 

  第1問 生きるにも死ぬにも、あなたの唯一の慰めは、何ですか。

  答 わたしの唯一の慰めは、生きるにも死ぬにも、わたしの体も魂も、わたしのものではなく、わたしの真実の救い主イエス・キリストの所有であるということです。

   主は尊い血をもって、わたしのすべての罪の代価を完全に支払ってくださり、わたしを悪魔のすべての支配から贖い出してくださいました。主は、今も、天にいますわたしの父のみこころでなければ、わたしの頭から髪の毛1本も落ちることのないように、いな、すべてのことがわたしの救いに役立つように、わたしを護っていてくださいます。それゆえ、主は、ご自身の聖霊によって、わたしに、永遠の生命を保証し、今からのちは、主のために生きることを、心から喜び、進んでそうすることができるようにしてくださるのです。(春名純人訳)

  第2問 この唯一の慰めの中で、あなたが喜んで、生き、また死ぬことができるために、あなたはいくつのことを知らなければなりませんか。

 答 三つのことであります。第一に、わたしの罪と悲惨がどんなに大きなものであるかということ。第二に、わたしは、どのようにして、わたしのすべての罪と悲惨から救い出されるかということ。第三に、わたしは、どのように、この救いを神に感謝すべきかということです。

 私はこの問1、問2の答を見てくると、私たち自身の唯一の慰めは真実の救い主イエス・キリストの所有であるということと、私たちが知るべき三つのことをもう一度確認することができました。キリスト教の信仰問答の模範であるハイデルベルク信仰問答をもう一度この機会に学ぶことは、キリスト者として必要なことであると感謝しています。