2020/12/13 週報メッセージ

イグナチオ朝祷会に出席して

朝位 真士 

  私は月1回、カトリックとプロテスタントの合同祈祷会であるイグナチオ朝祷会に出席しています。11月13日朝7時半の朝祷会に出席して、カトリックの協力司祭ヘネロソ・フローレス神父のお話を聞き、大変感動しました。先生は11月25日で86歳になられ、日本に来られて60年と言われました。「喜んで生きたい、喜んで死にたい」というテーマで、ローマ8章28節「神を愛する人、すなわち、ご計画に従って神に召された人々のために益となるように、すべてが互いに働き合うことを、わたしたちは知っています」という聖句より語られました。以下に内容を記します。

 やっぱり、万事は益になるように働き合うことを知っています。信じています。どんな恐ろしい状況の中でも、失望したり、あまりにも悩んだりする余事がありません。現在のコロナウイルスの状況も、そしてまた、それがもたらしているたくさんの迷惑さえも、「益になる」ことを信じています。その信仰は、あらゆる失敗、あらゆる苦しみや迷惑をじっと喜んで耐え忍ぶ勇気をもたらします。「益になる」からです。幸せに生きたいだけでなく、幸せに死にたいのです。これは可能でしょうか。普通人間には「死」という言葉さえもタブーに聞こえます。怖い、やばい、・・・・・・。しかし、ある人には「死」という言葉や考えは喜びを起こすことがあります。これも、パウロのフィリピの信徒への手紙1章21~23節ではっきりと表れています。死は人生の終わりではなく、命の新しい状態への移行、すなわち、この地上の生活におけるあらゆる制約や制限のない、キリストとともに生きる命の始まりです。だから、パウロは「死ぬことはまさにもうけものである」という表現をしました。「喜んで生きること」と「喜んで死ぬこと」の可能性の秘訣は、イエス・キリストの福音”Good News”を受け入れることにあります。すなわち、神の無限で無条件の愛を信じることです(ローマ8:39)。アーメン。