秋期特別礼拝を迎えて
朝位 真士
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(Ⅱコリ5・17)
今日は、1年間祈り続けて参りました松岡広和先生をお迎えできて、心より感謝いたします。先生は1962年、天台宗の寺の次男として東京谷中に誕生され、大正大学大学院修士課程を修了後、僧侶となられました。交換留学生として韓国、東国大学院留学中に聖書に触れ、キリストを信じてクリスチャンとなられました。その後、東京中央神学院で学ばれ、本田弘慈師より按手(牧師となる儀式)を受けられ、現在単立のぞみ教会牧師、また巡回伝道者として、全国はもちろん海外にも行って宣教活動をされています。「もと僧侶、いま牧師」として各所で数多くの講演をしていらっしゃいます。
また先生の御本『牧師さんになったお坊さんの話』の帯に「仏教とキリスト教の違いとは? 天台宗の僧侶から一転キリストを伝える牧師となった著者。なにが彼をそうさせたのか。一途な求道心に満ちた半生と、仏教とキリスト教の根本的な差を語る」とあります。また2冊目として『イエスに出会った僧侶』(ありのままの仏教入門)があります。
先生は高校生の頃から「なぜ私は生まれてきたのか。なぜ生きていかなければならないのか」といった疑問をもち、生きる目的とは何かを見出そうと自ら望んで僧侶の道に入られ、大学では仏教の研究をされたようです。そして1988年に韓国仏教を研究するためにソウルに留学され、クリスマスの時にソウルにあるキリスト教会に行かれて、「イエス様こそ真理だ。私の人生はこのイエス様のものだ。イエス様が人生を導いていらっしゃる」という喜びで心がいっぱいになり、クリスチャンになられました。その続きはメッセージを聞きましょう。
「旧週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ
2011/10/23 週報メッセージ
秋期特別礼拝を前にして
朝位 真士
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(Ⅱコリント5・17)
「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2・4)
いよいよ来週10月30日(日)午前10時半と午後1時半の2回、松岡広和先生のメッセージが行われる予定です。期待しましょう。
先生には2冊の御本があり、1冊目『牧師さんになったお坊さんの話』の帯に、「仏教とキリスト教の違いとは? 天台宗の僧侶から一転キリストを伝える牧師となった著者。何が彼をそうさせたのか。一途な求道心に満ちた半生と、仏教とキリスト教の根本的な差を語る」とあります。また2冊目として『イエスに出会った僧侶』(ありのままの仏教入門)があります。
松岡広和先生は1962年、天台宗の寺の次男として東京谷中に誕生されます。大正大学大学院修士課程を修了後僧侶となられ、交換留学生として韓国、東国大学院留学中に聖書に触れ、クリスチャンとなられました。その後、東京中央神学院で学ばれ、本田弘慈師により按手(牧師となる儀式)を受けられ、現在単立のぞみ教会牧師、また巡回伝道者として、全国はもちろん海外にも行って宣教活動をしておられます。
私が先生と出会ったのは、201年9月9日に行われた東京聖書学校の特別公開講座の時です。2回の講演をうかがい、ぜひ桜ヶ丘教会でメッセージをと依頼しました。先生のお話は非常にわかりやすく、感動的な語り口です。どうぞお祈りと同時にご出席ください。
2011/10/16 週報メッセージ
朝位 真士
教会は醜い、汚い、だから行かない。協力しない。一見もっともらしい理屈です。しかし、信仰とはその程
度のものなのでしょうか。いったん問題が起こったら、それまで。とたんに身を引いてしまう。しかし聖書は
箴言14章4節に語っています。
飼葉おけをきれいに保つ最も手っ取り早い方法。それは牛を追い出すことです。しかし、そのように考えて
しまったら、元も子もありません。教会は聖人君子の集まりではありません。赦された罪人の集まりです。そ
こに様々の問題や苦しみが起こることは避けられないのが現実です。しかし、だから教会を去るというのは本
末転倒の信仰のあり方なのです。醜い面のみを見つめ、教会に何か思いがけないことが起こったかのように
2011/10/9 週報メッセージ
伝道の秋に祈りを
朝位 真士
「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1・36)
あわただしい1日を終え、翌朝早く、イエスは祈られました。ひとり静かに神と交わる姿は、神に遣わされ、神の御心を食物とするイエスを描いています。
神様につながらない人生は、どんなに金持ちになったとしても、どんなに有名になったとしても、またどんなに楽しくてもやがては枯れる人生です。祈りという方法を通してもっともっと神様からの無限の霊的な恵みを吸収すべきなのです。星野富弘さんの詩の中に、「花が上を向いて咲いている 私は上を向いてねている あたりまえのことだけど 神様の深い愛を感じる」というものがあります。どんな草花も暗闇に向かって咲きはしません。みな光の方、天に向かって咲きます。冬が来れば枯れますが、春になるとまたいのちが芽ぶきます。私たちにはさまざまな人生の葛藤の冬がありますが、それは春になって芽ぶくためです。光に向かって咲くためです。この異教社会の中でも主が生きておられるということを、祈りによって深く体験し、感動してそれを証しするためなのです。
さて、今月10月30日(日)午前10時半、秋期特別集会が桜ヶ丘教会で開催されます。「僧侶からキリスト教牧師」になられた松岡広和先生です。先生は日本全国を始め海外の方へ精力的に宣教活動を展開されておられる器です。私共の教会の特伝のため、1年前より祈ってきました。教会関係の皆様、毎日1回この特伝のために祈ってください。特に礼拝ならびに祈祷会、密室の祈りの時は必ず祈ってください。この伝道の秋、収穫の秋に、まず祈りをもってこの集会に期待しましょう。皆様方の熱祷を期待しています。主は必ず応えて祝福を与えてくださいます。
2011/10/2 週報メッセージ
朝位 真士
日本キリスト伝道会主催の「東京チャペル・コンサート」が9月25日(日)午後2時半、桜ヶ丘教会で開催された。3人の方々が御用された。音楽部門では、黄原亮二先生(チェロ)。東京芸大大学院修了。JT音楽賞受賞。ジュリアード音楽院に留学。日中国際コンクール第2位。東京交響楽団副首席奏者。 ソロの他、TV音楽、CD・DVD出版。上海万博でも演奏。小西優子先生(ピアノ)。大阪音大卒業。米国留学、演奏活動。WHS神学科卒業。北本福音キリスト教会音楽主事。T・C・U非常勤講師。メッセンジャーは江上環先生(日本ナザレン教団横浜青葉台教会牧師)。私共の教会は、この特別集会を自分たちの教会の宣教の働きとして全面的に協力させていただいた。4千枚のチラシのうち3千枚は三社の新聞折込として、1千枚は個別配布とした。
音楽は最高の演奏であった。曲目は、白鳥、リベルタンゴ、G線上のアリア、You Raise Me Up、超技巧練習曲「回想」より、いつくしみ深き友なるイエスは、スピリット・ソング、チャルダッシュ。チェロとピアノの素晴らしい演奏会であり、数十分があっという間に過ぎていった。まるで大きなホールの演奏会に出席した雰囲気であった。
立証は東京聖書学校神学生、野々川藍姉であり、不幸な家庭から救われて、献身に導かれた明確な救いと献身の証しであった。
メッセージは江上環先生がヨハネ5章1~10節、「もう大丈夫」というテーマで、ユーモアとウィットに富んでおり、初心者にも信仰者にも大変有意義な内容であった。
最後に、協力してくださった関係者各位ならびに桜ヶ丘教会の方々に深く深く感謝申し上げつつ、主に栄光を帰したい!!
2011/9/25 週報メッセージ
朝位 真士
フミ子牧師の母ウメ姉は1911年(明治44年)9月2日誕生で、百歳のお祝い会を開催した。親類縁者が30名近く集まり、私共も出席した。ウメ姉の四男のY牧師がメッセージを語った。聖書箴言16章31節「しらがは栄光の冠、それは正義の道に見出される」、イザヤ46章3~4節「わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。あなたがたがしらがになってもわたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って救い出そう。」(新改訳)その中で、参加者一同で声を出してウメ姉に語った言葉をお伝えする。
ばあちゃんの100歳のお誕生日がお祝いできるなんて、なんと幸せなのでしょう。
おばあちゃん、私たちに信仰の遺産を残してくれて、本当にありがとうございます。私たちもおばあちゃん
のように、常に喜んで、絶えず祈って、すべてのことに感謝して生きていきたいと思います(Ⅰテサ5・16
~18)。これからもよろしくお願いいたします。おばあちゃんの上に、神さまの恵みと祝福がいっぱい、い
っぱいありますように、子どもたち、孫たち、ひ孫たち一同、心からお祈りしています。
2011/9/18 週報メッセージ
もと僧侶 いま牧師
朝位 真士
「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2章8節)
秋は伝道の時期です。勿論、伝道は毎回がチャンスです。その絶好のチャンスを与えてくださるのが松岡広和先生です。1年前より先生にお願いし、10月30日(日)午前10時半に桜ヶ丘教会でメッセージを語っていただくようになりました。
先生は寺の住職の息子として1962年に誕生されて、高校生の頃から「なぜ私は生まれてきたのか。なぜ生きていかなければならないのか」といった疑問が先生の心を支配するようになったそうです。生きる目的とは何かを見出そうと自ら望んで僧侶の道に入られ、大学では仏教の研究をされたようです。先生は、仏教は深遠で、その思想、哲学の中には偉大な真理が隠されているように思え、いつかきっと真理に目覚める時が来るだろうという期待を持ち、山に行ってさまざまな修行もしたようです。そのような人生の問題の解決を得たのは、「仏教を究めるため渡った韓国でイエス・キリストに出会った」ことからでした。先生は1988年に韓国仏教を研究するためにソウルに留学され、クリスマスの時にソウルにあるキリスト教会に行かれました。僧侶としての宗教的教養として聖書も学ぶ必要があるのではないかと考え、その教会で聖書の勉強を始められました。聖書の言葉が先生の心に響いてきて、「神さまはいらっしゃる」という力強い確信が心に刻まれ、「イエスさまこそ真理だ。私の人生はこのイエスさまのものだ。イエスさまが人生を導いていらっしゃる」という喜びで心がいっぱいになり、クリスチャンになられました。やがて神学校に行かれ、キリスト教の牧師となられて、現在全国を福音のために回り、イエス・キリストのメッセージを語っておられます。どうぞお祈りと同時に期待してください。
2011/9/11 週報メッセージ
東京チャペル・コンサートを期待して
朝位 真士
日本キリスト伝道会東京地域主催で、「東京チャペル・コンサート」が9月25日(日)午後2時半に桜ヶ丘教会を会場として開催されます。
講師は江上環先生(ナザレン教団青葉台教会牧師)です。先生は50代のまさに油の乗った器です(勿論聖霊の油です)。ナザレン教団の中で一番成長している教会の牧師です。特に青年伝道には大きな賜物が与えられ、家族伝道にも祝福されている教会の牧師先生です。期待しましょう。
黄原亮司兄はチェロの名手です。東京芸大大学院修了、JT音楽賞を受賞され、ジュリアード音楽院に留学。第2回中国国際コンクール弦楽部門第2位。現在、東京交響楽団副首席奏者(近い将来に首席になられます。なぜなら、ボーマン・ベアンテ先生が東京交響楽団の首席を引退されました)。私は黄原先生のチェロの演奏を何回も聴かせていただきましたが、本当にベアンテ先生と同じように優れた演奏です。期待してください。小西優子先生は伝道者でありピアノ演奏家です。大阪音楽大学ピアノ科卒業後、米国に留学して演奏活動をされています。超教派の大集会には、必ず先生のピアノ伴奏があります。細身の体ですが大変大胆で、エネルギッシュな奏法です。乞うご期待です。
今回は桜ヶ丘教会が会場ですが、ただ会場教会というだけではなく、桜ヶ丘教会の秋期伝道として、私達たちは受け止めたいと思います。1万枚のチラシを各教会、施設に配布しましたが、そのうち4千枚は桜ヶ丘教会で使用させていただき、3千枚は三つの大手の新聞折込に入れる予定です。どうぞ皆様一人が一人をお導きして、会場に百名以上の人達が与えられるように祈ってください。その十分の一が教会にとどまって信仰に導かれればと祈っています。収穫の秋です。主に期待して全員で伝道しましょう。
2011/9/4 週報メッセージ
牧会雑感
朝位 真士
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサ5・16~18)
今年の元旦礼拝でこの御言葉が与えられて、九ヶ月目に入った。私は最近一つのことを始めた。ある尊敬する老姉が100歳の記念に、私にマンドリンの演奏をしてくださいというリクエストがあった。高校時代にマンドリン・クラブに3年間在籍して練習に励んだことがよみがえった。私は20年近く前に友人からプレゼントされたマンドリンを取り出して練習を始めている。しかし、もう50年前にやっていた楽器の練習である。なかなかうまく上達しないので、意を決して先生に指導していただくようになった。月2回、プロの先生に教授していただくことになった。しかしなかなか思うように上達しない。自分は少しガッカリしていた。しかし前述の老姉の依頼に、私は意を決して練習しているのである。曲目は2~3曲であるが、練習中ときどき手を休めて、神様に感謝している。なぜなら、私には趣味というものが何もないからである。しかしマンドリンという素晴らしい楽器演奏が与えられている(勿論現在は、未だ人前でお聴かせする迄にはいたっていない)。
聖書のマタイ25章14~30節に「タラントンのたとえ」がある。5タラントン、2タラントン、1タラントンの賜物を与えられた人達が神(主人)の前に精算する記事である。私は1タラントンかもしれないが、その賜物を地に埋めていた。活用していなかった。これからは、時間があれば積極的に活用したいと祈るものである。皆様方も賜物を地に埋めないで、主のために大いに活用してください。主はあなたを祝福してくださいます。
2011/8/28 週報メッセージ
N兄の召天に際して
朝位 真士
過ぐる8月14日(日)朝、礼拝前にK兄より電話があった。「N兄が13日召天した」という内容であった。私は受話器を置いた時、まだ信じられないことであった。日曜日の礼拝と役員会を終えてすぐ、私はN兄が入院されている病院に向かった。担当看護師の案内で霊安室でN兄と対面した。安らかな死顔であった。私は式文に基づいて簡単なセレモニーを終えて、病院を後にした。教会に戻り、翌日病院の担当者(ソーシャル・ワーカーのKさん)と葬儀について電話で打ち合わせをした。病院の事情と高齢の兄さんが遠方におられることのため、病院から出棺するということになり、8月16日午前11時、私とフミ子師は病院に行き、N兄の葬儀・告別式を行った。親族は参加されなかったが、病院側の配慮でN兄の病院関係者20名近くが出席して、キリスト教式による葬儀・告別式を私が行った。幡ヶ谷斎場で火葬と収骨式の司式をさせていただき、葬儀社にN兄の御遺骨を親族へ送っていただいた。N兄は生前、彼の自分史を私に語っていた。国立大学教育学部を卒業して数年教師をされ、人間関係で悩み、20代のとき沖縄で洗礼を受けられた。その後数十年間病院を転々として、現在のS病院に入院された。治療に専念され、日曜日にはタクシーでK兄と教会の礼拝に出席されて、タクシーで帰って行かれた姿を思い出す。元気で体が動くときは毎週会堂清掃をしてくださった。プライベートの時間には、よく教会に電話をされていた。76歳6ヶ月の生涯であった。
「『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。然り、彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」(ヨハネ黙示14・13)