今日はローマ16・17~27節を通して学んで行きましょう。このローマ16・17~18厳粛な警告。19~20推賞と祝祷。21~24伝言と祝祷。25~27頌栄。パウロは16章において、美しい信徒の交わりを思いつつ、1人ひとりの名をあげて挨拶を書き送った後、17節以下において厳しい警告を与えています。17節それは美しい聖徒の交わりが成り立つのは、「主であるイエス・キリスト」(18~20)とのいける交わりによるのであり、この主との関係が切れるならば、それは源をふさがれた井戸、ぶどうの幹から切り離された枝のように、霊的生命を失うのであります。キリスト者が「聖徒」(16・2、15)であるのは、自分の力による「聖人」ではなく、キリスト・イエスに選ばれ清められるからであります。そして、信徒の交わりは1人ひとりが主に従うという狭き門を通して、真の連帯の広場にでることが出来のであります。最後の16・25~27では、パウロこれまで詳細に説きあかしてきた福音をローマの信徒1同に思い起こさせ、「この福音は、世世にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものであります。その計画は今や現わされて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべてに異邦人に知られるようになりました」(16・25~26)とその意義を確認しています。そして「この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように」(16・27)と、いえす・キリストにある神の栄光を讃美して結びとしたのであります。わたしたちも「ただ神の栄光にのために」(soli Deo gloria)と主を讃美しつつ生きたいものであります。