「旧週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2019/1/13 週報メッセージ

   神のなされる事は美しい

                                                                                                             朝位 真士

  「神はすべてを時に適って麗しく造り、永遠を人の心に与えた。だが、神の行った業を人は初めから終わりまで見極めることはできない。」(聖書協会共同訳、コヘレト三・一一)
 「人の心にはたくさんの企て。主の計らいだけが実現する。」(同訳、箴言一九・二一)
 「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者のためには、万事が共に働いて益となるということを、私たちは知っています。」(同訳、ローマ八・二八)
  私は右の三つの聖句には大きな想い出があります。初めの御言葉は、出生、受洗(一九六一・一二・二四)、献身(一九七一・四)、結婚(一九七六・四)、転任(一九九四・四)、会堂建設(一九九七・六)。二番目は、会堂建設の時に、周辺の反対(特に三地主)があり、工事着工が一年間延期されたこと。また、会堂建設の資金計画が困難を極めた時、教会の祈祷会で特に役員の方々が毎週熱心に祈祷を献げられたこと。当時の役員の大半は天国へ移されて現役員の方々は少数ですが、祈祷会・集会に励んでおられます。三つ目の聖句は、献身して神学校で学んでいる時、故小原十三司先生(淀橋教会牧師、群委員長、校長)によって、機会ある毎に引用され、困難な状態の時に助けられました。現在もそうです。
 私は今年に入って大きな試練に直面しています。山口県に嫁いでいる上の妹が肺がんの末期(ステージ四)で、昨年一二月二八日より危篤状態にあります。いつ召されてもよい状態です。彼女は未信者ですが、二年前、危篤状態の時、私が行って天国の話をして祈って別れました。皆様方の祈りを切に願う次第です。彼女は若くして未亡人となり、一人息子を立派に育てて老後を送っていた矢先のことです。新年から我家に一つの試練が与えられました。皆様方のお祈りをいただきたいと思います。(ヤコブ五・一三~一八)

2019/1/6 週報メッセージ

   神の国と神の義を求めよ

                                                                                                             朝位 真士

  今年はマタイ六章二五~三四節が与えられました。特に「何よりもまず神の国と神の義を求めなさい」(三四節)が中心聖句です。これが二〇一九年に与えられました。教会の年度は四月からですから、四月まで、もう一度この聖句を暗記するまでに、毎日聖書マタイ六章二五~三四節を拝読いたしましょう。
 昨年は、地震、台風、火災、爆発、水害事故、病気等の天変地異が起こり、個人的には病気や経済的困難、親しい方との死別等、教会的には伝道師の辞任や会員の減少、経済的困窮等の試練や困難に遭遇しました。今年も何が待ち受けているか、私共にはわかりませんが、しかし今年与えられた御言葉を信じて、主に従っていこうではありませんか。
 今年の聖句は、だれでもよく知っている箇所だと思います。イエス様の描く美しい自然のたとえを通して、神への信頼が単純、素朴に呼び起こされます。心配(思い悩む、思い煩い)が六回(六・二五、二七、二八、三一、三四、三四)に出ており、「天国の子」「神の国の子ら」(クリスチャン)の生活態度として「思い悩む」ことが戒められています(ルカ一二・二二~三四)。またこの「思い悩む」「心配」「思い煩い」の不必要であることを、ウィリアム・バークレーという新約学者は論じています。「まず神の国と神の義とを求めなさい。」「神の国」は神の支配、「神の義」は神との正しい関係です。私たちの祈りが「神第一」であるべきことは、「主の祈り」において教えられたところです。「求めなさい」は追求し努力せよということです。「神の国の確立と拡張、すべての人が神との関係において義しくあることを祈り、かつ実現に努力せよ」ということです。神はわれわれに何が必要であるか、「求めない先から」ご存じであり、必要なものが「すべて与えられる」のです。 
 今年は、神の前に大胆な信仰を表わし、行動して、一人が一人を神の前にお導きできるように、神様に祈ってまいりましょう。栄光在主!!

2019/1/1 週報メッセージ

      二〇一九年を迎えて   
                                                                                                            朝位 真士
 新年あけましておめでとうございます。
 祈りの中で御言葉を与えてくださいと願いましたら、マタイ六章二五~三四節が与えられました。特に三二節、「何よりもまず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」という聖句が心に強く残ってきました。このマタイ六章全体は、イエス様が山上の垂訓の中で語られた箇所です。一節、
偽善に対する戒め。二~四節、天国の民の施し。五~一五節、天国の民の祈り。特に九~一三節、祈りの典型である主の祈り。一四~一五節、祈りと人の罪を許すこと。一六~一八節、天国の民の断食。一九~二四節、天国の民の財産ー金銭に関する警告。二五~三四節、天国の民の衣食ー衣食について思い煩ってはならないという警告が記されています。
 この世に生存する以上、これを得るために努力しなければなりませんが、しかしそのために思い煩うのは、私たちのすべての必要を知り、すべての恵みを供給してくださる父なる神を信じないことです。「まず神の国と神の義を求めるならば、物質上の必要は必ず与えられる」(三三)とは、すべての時代を通じて、神を信ずる者に対する不変の約束です。「ああ、信仰の薄い者たちよ」(三〇)とは、主の嘆きで、マタイには数回記されています。そしてその前後についている言葉は「思い煩うな(思い悩むな)」です。神は全能の神であり、また私たちの父であられます。事情や境遇や自分の弱さを見ないで、この全能の神であり私たちの父なる神を信じていこうではありませんか。
 桜ヶ丘教会が開拓されて九六年目に入ります。一九二三年六月一日、初代牧師である板井康裕先生が開拓され、一九七五年、西海静雄先生、満希子先生ご夫妻の時にパールハイツ桜上水というマンションに会堂が与えられ、その後宗教法人格を取得しました。一九九七年一二月一七日、現在地に土地と建物が与えられ、今日まで主が守ってくだいました。教会員一同と共にこの地域の宣教活動をさせていただく所存です。どうぞ皆様、お祈りご支援ください。

2018/11/18 週報メッセージ

   ホーリネス信仰ー神の言葉に生きる                                                                                                                                                                                                                                     朝位 真士
  私はホーリネスの群の教会で救われ、五八年目になります。献身して、伝道者として四三年経過しています。信者としてホーリネス・メッセージを聞いてきました。私を導いてくれた牧師は祈りの人であり、愛の人であり、救霊に燃えていて、いつも聖書の言葉が私の信仰生活に働いていました。いつも祈って説教準備されていました。私はそういうホーリネスの牧師に大きな感化を受けています。メッセージはいつも聖書の言葉が中心でした。
  私も説教準備には祈りに時間をとり、具体的には聖書箇所に関する参考文献、注解書を調べ、教会員や求道者の方々のことを心に留めつつ、実存的な内容を考えて準備するように心掛けています。理想通りにはいきませんが、忘れてはならないことは、ホーリネス信仰の特色である聖潔(愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制)の九つの聖霊の実を考えながら、神様に祈りつつ説教をさせていただいています。ある学者が語っていましたが、キリスト教には三つの特色があります。①歴史宗教である、②教理的宗教である、③実践的宗教である、ということです。わたしはこのことも心に留めつつ準備をします。そして語った後は、全て神に栄光があるようにと祈って終わります。
  「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。」(ヘブライ四・一二)
 最後に、私には二人の恩師がいます。母教会、北九州復興教会の山中日出刃牧師からは信仰の指導を受け、淀橋教会の小原十三司牧師からはホーリネス伝道者の心意気を指導されました。感謝しています。(一一月ホ誌より転載)                                                             

2018/11/11 週報メッセージ

   二〇一八年度ホ群セミナーに参加して
                                                                                                                                      朝位 真士
  一一月五日~七日まで、ホーリネスの群信徒・教職共同セミナー「私たちの信仰」ーホーリネス信仰の継承ーが開催され、参加者一〇九名、献金約二一万円が与えられました。一日目、開会礼拝、司会中山契生師、説教伊奈聡師。主題講演Ⅰ、司会野々川康弘師、講師中島聡師。主題講演Ⅱ、司会川崎信二師、講師三枝道也師。二日目、分科会、①教会学校の諸問題、②神学校を考える、③子育ての悩み、④女性教職の問題、⑤実践的ホーリネス信仰。伝道協議会(伝道部)、「地方教会から2」。分団。聖会、司会中西絵津子師、説教横山基生師、立証鈴木優子師、賛美東京聖書学校。三日目、全体協議会、司会貴村かたる師。閉会礼拝、司会森浩師、説教山口紀子師。以上のプログラムでした。
 今回は大変ユニークなプログラムで、一日目の主題講演Ⅰでは、清水ヶ丘教会牧師の中島聡師のお話がありました。清水ヶ丘教会のCSの状況を事細かく説明され、大変力を入れている様子に感動しました。主題講演Ⅱの三枝道也師のお話では、Ⅱテモ一・三~七を通してテモテの信仰継承のルーツを聞くことができました。二日目の分科会では、私は「実践的ホーリネス信仰」というテーマで西海満希子師の講演を伺いました。「ホーリネスの群は日本基督教団の中にホーリネス信仰を表明するグループであり、戦後七〇年経過し、一般教団との交わりが深くなっている今日、ホーリネス信仰とは何なのか、他の教会との違いは何なのか、新生・聖化・神癒・再臨の信仰の意味は何なのかを考えます」と語られた。レジュメが用意され、先生の経験を通して、ホーリネス信仰の柱、四重の福音の歴史的考察、信仰共同体としてのホーリネス信仰について熱く語られた。
 有意義なセミナーであり、まだ完全に消化していませんが、徐々に消化していきたいと思います。

2018/11/4 週報メッセージ

   キリスト教式葬儀の意味
                                                                                                               朝位 真士
  キリスト教式の場合、葬儀は、①故人への愛と敬意の表現、またその死を惜しむ思いの表明とともに、②遺族に対する慰めと励ましを目的とします。①に関して言えば、それが行き過ぎて死者礼拝になると、天地万物の創造主なる神のみを礼拝の対象とするキリスト教信仰に抵触しますので、特に注意を要します。具体的には、遺体、遺骨、遺影などを拝んだり、香をたいたりすることを教会ではしません。②に関しては、聖書の教える死観、死後観が深い意味を帯びています。死によって身体と霊は分離し、身体は土に帰りますが、霊はこれを人に授けた創造主なる神のみもとに帰ると聖書は教えています。多くの人が死に対して不安と恐怖と絶望を感じるのは、この神との関係が罪のために破壊されたことが原因となっています。しかし、神のひとり子キリストの十字架における身代わりにより、信じて罪を赦され、永遠のいのちを与えられているなら、死はもはや恐るべきものではなく、その意味と性格は一変し、永遠なる神の御国への入り口となります。
 このような信仰による希望が、キリスト教葬儀の特色となります。会葬者は、故人をしのび、その生と死に深く思いをいたすとともに、遺族の悲しみ、寂しさなどへの理解と共感にあわせて、この希望について留意するなら、より一層心のこもった弔慰ができましょう。「霊は神のみもとに」という根本の意味をおさえて、プログラムの一つ一つの意味を理解しつつ、祈りの心をもって葬儀に参列することは、故人、遺族のためだけでなく、意義深い経験となるに違いありません。(『クリスチャン生活百科』より引用)

2018/10/28 週報メッセージ

   教誨師とは
                                                                                                             朝位 真士
  私は教団の教師として、女子少年院の教誨師を十数年務めさせていただいています。最近「教誨師」という映画が上映されています。皆様に「教誨師」についてご理解いただき、祈っていただきたいと思います。
 国の機関である矯正施設が宗教活動を行うことは、憲法上許されていません。しかし受刑者や少年院在院者等の矯正施設の被収容者の中には、信仰を持っている人や信仰を持とうとしている人が少なくありません。そこで、これらの人たちに対して信仰の自由を実質的に証しする観点から、できる限り便宜を図ることが必要となります。このため矯正施設においては、被収容者の希望に基づいて、宗教家による説話、宗教行事、経典の読唱等を行うことを民間の篤志家に依頼し、実施しています。これらの活動を「宗教教誨」と言い、その活動に従事している人たちのことを「教誨師」と呼んでいます。なお、宗教教誨には、同じ宗教教誨を希望する者を集めて行う「集合教誨」と個人に行う「個人教誨」とがあります。教誨師は、矯正施設に収容されている少年や被収容者に、自ら信じる宗教観、倫理観に基づき、心情の安定と改善更生を願って行うボランティアです。
 教誨師は宗教家でなければなりませんが、希望すれば必ず教誨師になれるわけではありません。希望する矯正施設の収容状況、教誨師の人数から見て、新たに教誨師になった方が活躍できる余地がなければなりません。このような諸条件をクリアして初めて教誨師となります。今まで私の行っている女子少年院で、被収容者の少年が信仰を持ち、その母親も信仰を持ち、婦人牧師となって今神学校で教えているということを伺いました。どうぞ教誨師のため、刑務所、拘置所、少年院に収容されている方々のためにお祈りしてください。元ヤクザの親分で、信仰を持って今牧師になっている人もいます。施設に入所している人々が救われるように祈ってください。

2018/10/21 週報メッセージ

   関東聖化大会に出席して                                                                 
                                                                                                              朝位 真士
  私共は一〇月一四日~一六日の三日間開催された関東聖化大会のうち、一五日~一六日にお茶の水クリスチャンセンター八階チャペルで開催された集会に出席した。今回のテーマは「聖霊に導かれる喜び」で、「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて進もうではありませんか」(ガラ五・二五)の聖書箇所を中心に三人の講師が御用された。私共は二人の講師、松木従子師と石田学師のセミナーに参加し、メッセージを伺った。まず一五日のセミナーはナザレン教団の石田師の「パウロ大好き! パウロの実践的聖化論」で、「聖なる者」の姿をパウロより学んだ。特に、聖化をめぐる歴史的問題、パウロの牧会的、実践的神学構造をⅠコリント書を中心に学ぶことができた。聖会Ⅰは、「聖化を生きるー聖霊の導きに信頼すること」で、使徒一五・二六~一六・一〇を通して語ってくださった。
 一六日は女性大会で、松木師(ホーリネス教団八王子教会)より先生の救いと献身について語ってくださった。夫松木祐三師召天後、二〇〇二年から一二年まで主任牧師として新会堂を建設された方で、素晴らしいメッセージであった。当日は青年委員会の企画で学びを深める時「教会におけるホーリネス」が実施され、夜の聖会Ⅱでは、石田師より「賛美と祈りに生きること」(使徒一六・一一~四〇)についての力強いメッセージが語られた。ナザレン神学校校長であり牧師である先生のメッセージは、私の心を熱く燃やした。キリスト教信仰の三つの特徴、①歴史的宗教、②教理的宗教、③実践的宗教を、先生が見事に実践された感があった。特に、召天された教会関係者の家族三人の救いの話で、まさに使徒言行録の「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(一六・三二)の御言葉を証明してくださった。                                   

2018/10/14 週報メッセージ

   伝道に熱くなる教団へ
                                                                                                             朝位 真士
  私は「船の右側」一〇号の日本基督教団議長石橋秀雄先生の対談を読んで感動したので、ここに少しく記したい。全国に一七〇七の教会、礼拝出席者数五万一千人を擁する日本基督教団。「社会派」と「教会派」の長い戦いを経て、伝道路線に大きく舵を切った同教団は、石橋議長のリーダーシップのもと「伝道に熱くなる教団へ、伝道に熱くなる教会」とのビジョンを掲げている。牧師と信徒の高齢化により信徒数の大幅な減少にも直面する同教団は、この時代にあってどのように伝道の使命を果たそうとしているのだろうか。石橋先生にインタビューした記事である。
  教団伝道推進基本方針を定めました。大まかに言うと、①祈祷運動ー共に祈ろう、②信徒運動ー共に伝えよ
 う、③献金運動ー共に献げよう、の三つです。①の祈祷運動では、毎月第三主日を「日本伝道を祈る日」とし
 て、全教会挙げて祈ります。②の信徒運動ですが、信徒が養われるのは、やはり礼拝です。信徒一人ひとりが
 礼拝において力を受け、聖書を読み、熱心に祈り、喜びをもって主の恵みと福音を宣べ伝える者とされる。そ
 のために、信徒の学びや役員の研修を教会、教区、教団において行います。③の献金運動ですが、財政的な
 危機を抱えながら日夜苦闘している教会・伝道所を覚えて献げること、また献身者を生み出す教会となるため
 に献げていくこと。祈りと共に実際の支援もしていくということです。この伝道推進基本方針が決議され、それ
 に基づいて教団の機構改正を行うことになりました。
 私は石橋先生と何十回もお会いしているが、いつも明るく前向きであり、信仰的・実践的伝道者、牧師リーダーである。キリスト教会の将来を思うと、まことに暗いニュースばかりだが、福音の宣教・牧会のリーダーは、全能の父なる神、御子なるイエス・キリスト、聖霊の三位一体の神である。不可能を可能としてくださる神を信じて前進していきたい。勇気と励ましを与えられて感動であった。

2018/08/19 週報メッセージ

   幼な子を私のもとへ                                                                 
                                                                                                               朝位 真士
  聖書のマタイ一八章一~五節に、「そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、『いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか』と言った。そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。『はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである』」(マルコ九・三三~三七、ルカ九・四六~四八)と聖書に記されている。
 弟子たちはしばしば互いの順位争い(誰が誰より上の地位か)に心を奪われた。マタイは地上での順位争いを語る伝承を「だれが、天の国で一番偉いか」に改めているが、これでは弟子たちは天の国でも序列があるという前提をもっており、彼らの「天の国」理解が浅いものであることになる。偉い人の基準を求める弟子たち(二~五)に対し、イエスは序列という発想自体を否定し「子供を呼び寄せ」「子供のようにならなければならない」と教える。こうしたイエスの言葉は、彼の思想の中核と関連している。当時、子供は一般に愚かで不完全、無価値な者と見られていた。このような当時の常識に反して、イエスは子供の姿をあるべき信仰者のモデルとする。それは子供が親に対して無条件の信頼を抱き、親と一緒にいるとき大きな安心感をもつからであろう。
 私共の教会学校は、人数は少数であるが、毎週二~三家族の子供たちが出席している。そして、子供たちが献金の奉仕をし、お祈りをしている。先日は五歳の幼女が献金の奉仕をしたいと言って、電車で一時間以上かけて母親と出席した。車で一時間以上かけて家族で毎週出席している者もいる。教会の近くからも姉妹で出席している。この幼な子たちの姿に、私は前記のイエス様の御言葉が浮かんできた。子供たちに見習いたいものである。