「旧週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2009/2/15 週報メッセージ

イメージ 1

   神の業がこの人に
                                                朝位真士
 ヨハネ9章の盲人のいやしの奇跡物語を見ると、ヘレン・ケラーのことを想い出します。

彼女は耳がきこえない、話すことができない、盲目である三重苦を経験しました。
信仰厚いサリバン先生は神の力を信じ、幼いヘレンの指を自分の唇にあて、「ウォーター」と繰り返しゆっくり発音し、もう一方のヘレンの手を水にさわらせました。

人の忍耐をこえる必死の努力を数千、数万回繰り返し、とうとうヘレンは「ウォーター」と言ったのです。しかし、サリバン先生はたんにしゃべることを教えただけではありません。彼女はまず第一にヘレンに神とキリストの愛、ヘレンへの愛を教えました。

ヘレンはこの神の愛への信仰を心に刻んで、その力で三重苦を乗りきり、大学を出て博士となり、全世界を廻って神の愛、人の罪、人生の意味などについて人々に語り、証しをしたのです。

 私は三十数年前、下関のミッションスクールに修養会の講師として招かれた時、ある講堂に通されました。

担任の先生から、この講堂にヘレン女史が来られた時、讃美歌の合唱に合わせてタクトを振るかっこうをされたという話をお聞きして、深く感動を覚えました。

2009/2/8 週報メッセージ

イメージ 1

   教会の鐘について
                                   朝位 真士
 「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなけれ
ば、わたしは騒がしいどら(鐘)、やかましいシンバル」(第1コリ13
章1節)とある。

 桜ヶ丘教会の鐘は、2000年4月に長崎の「西田鋳物」に発注し、
西田社長が長崎から取り付けに来てくださった。

 私は、毎週礼拝前に、この教会の鐘を鳴らしている。
 いつも、祈りを込めて鳴らしている。

 この鐘の音を聞いて、ある方は教会に来られ、近くの方は鐘の音を聞
いて家を出て教会に出席されるそうだ。

 この鐘は、T兄弟が高額の献金をされ、不足を教会の献金で補い与え
られたものだ。
 献堂が1998年2月なので、約2年後に鐘が取り付けられた計算に
なる。

 ある方は、お寺の鐘はゴーン(GO)と鳴り、教会の鐘はカーン(COME)と
鳴ると云っていた。
 私は教会に、いろいろな方が多く来られることを、この鐘を鳴らしな
がら祈っている。

 地域に開かれた教会として、今年も一人でも多くの方が、また新しい
方が教会に来られて、イエス・キリストと出会うことを祈っている。

2009/2/1 週報メッセージ

イメージ 1

   オバマ大統領就任に思う
                                    朝位 真士
 オバマ前上院議員が、1月20日正午(日本時間21日午前2時)、第
44代大統領に就任し、米史上初のアフリカ系大統領が誕生した。
就任演説で、「今求められているのは、新たな責任の時代」と述べた。

その他引用すると、「これまで四四人の米国人が大統領の宣誓をしてきたが、
しばしば雲が集まり、嵐が吹き荒れる中で発せられてきた。」

「そのような時に米国が生きながらえてきたのは、指導者の巧みさや思想だ
けによってではなく、国民が先人の理想に誠実で、建国時の文書に忠実だっ
たからだ。」

「米国よ、この苦難の冬の中で、希望と美徳をもって凍て付いた流れに再び
立ち向かい、これから来る嵐に耐えよう。……そして我々は偉大な自由とい
う贈り物を受け継ぎ、未来の世代にそれを確実に引き継いだと伝えられるよ
うにしよう。」

 私はテレビでオバマ氏の演説を聞きながら、これは単に政治的指導者
の演説ではないと思った。
彼の信仰的決断と行動、これから多くの試練と困難に立ち向かおうとする彼
のメッセージと受けとめた。

 ひるがえって我が教会に目を向ければ、規模も内容も違うが、経済的危機に
瀕していて、人数も減少している。

しかし「希望の源なる神、平 和の神、愛の神」である主イエス・キリストの
父なる神は、この教会に素晴らしい祝福を用意しておられるように感じる。

一人一人がなすべきことを忠実に果たすことが大切である。

主よ我が教会を正しく導きたまえ!!

2009/1/25 週報メッセージ

イメージ 1

   北森先生より学ぶ
                                                朝位 真士

 私は、神学校(東京聖書学校)の時に北森嘉蔵先生の授業を受けたことがある。
神学者であり、文学者であり、牧師であられた方だ。大変学問について厳しい方だったが、プライベートでの交わりは(個人的に話す位)大変優しい方であった。

 彼が召天されて10周年になり、山北先生(教団議長)が教団新報の中で新春メッセージとして記載されていたものが大変印象深い。

文章を引用したい。それには、北森先生の「人生と教会との関係を大地と水との関係に喩えて教会の交わりを語った」とあり、それによると3つのタイプがあるという。

 その第1が砂漠タイプ。掘っても掘っても水の出てこない砂漠の如く、教会生活を重ねても、人生という大地を潤してくれるような水に相当する真実の交わりが与えられない。
これは教会の生命を失う。兄弟姉妹と言いつつ、赤の他人にすぎない時、教会の交わりは形骸化する。

 第2は湿地帯タイプ。湿地帯というのは水の過剰になった場合に生ずる。終始ベタベタくっついていなければ不安というのでは教会生活を不健全にする。あまりに過剰な交わりは腐敗を招く。

 第3は地下水タイプ。これは、普段は淡々としているが、いざという時には真実の兄弟姉妹の交わりが噴き出してくいるという姿勢をさす。荒野、枯野の如き世界にあって、地下水の如き交わりが人生を潤す。

 北森先生、山北先生の話をお聞きして、私自身考えさせられた。

私共の教会は3つのタイプのどのタイプに属しているか。
皆様方も考えていただきたい。
砂漠、湿地、地下水、桜ヶ丘教会の将来にかかっている。

大変大きな示唆をいただいた思いがした。2009年の総会が3月に開催されるが、教会員としての責任を果たそう。

2009/1/18 週報メッセージ

   祈りに答えたもう神
                                                朝位 真士

「求めなさい。そうすれば、与えられる。
 探しなさい。そうすれば、見つかる。
 門をたたきなさい。そうすれば開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(マタイ7・7~8) 

私共の教会は、教会の奏楽者を祈り続けていました。

 S姉の転居により奏楽が今まで通りできなくなり、フミ子牧師1人になってしまうという危機感の中で、私共は教会の祈りの課題として、昨年より祈祷会を始め様々なところで祈り続けてまいりました。

神様は他教会からO姉を毎月1回奏楽の奉仕のために送ってくださり、求道者Y姉を月1回の御用に当ててくださいました。転居されたS姉も月1回御用してくださいます。
神様は私共の教会の危機的状態の中で、すみやかに祈りに答えてくださいました。私は神様が「もっと祈りなさい」と教えてくださったのだと思いました。

 私はこれを機に、皆様に祈っていただきたいことを、つまり祈祷課題を記したいと思います。
 ①受洗者が与えられるよう。
 ②一般会計・会堂会計のため。
 ③新年度(09年度)の活動のため。

 ぜひ月1回でも祈祷会(毎週木曜日午後7時半)に出席していただいて、共に祈ってほしいと思います。
  5~6月頃の岸先生によるチャペル・コンサート、
10月頃に予定している鈴木啓之先生(元ヤクザの親分、現在牧師、府中刑務所の教誨師)の特別集会
 12月のベアンテ・ボーマン、ルリ子先生によるチャペル・コンサート、
 また12月24日クリスマス・イヴ集会等に多くの方々が出席して、救われる人が与えられるように祈ってください。
 
 主は祈りに答えてくださいます。

2009/1/11 週報メッセージ

   09年ホ群首都圏新年聖会に出席して   
                                            牧師 朝位 真士

 1月2日(金)午後1時30分~5時迄の2回、教団更生教会で開催されました。テキストはⅡコリント6章14節~7章1節、主題聖句は「愛する人たち、わたしたちは、このような約束をうけているのですから肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め、神を畏れ、完全に聖なる者と成りましょう」(7・1)でした。
 1回目のメッセンジャーは大友英樹師で、Ⅰコリ14章全体を通して、異言と預言についてわかりやすく語ってくださいました。特に心に残った御言葉は「わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。しかし、私は他の人たちをも教えるために、教会では異言で1万の言葉を語るより、理性によって5つの言葉を語る方をとります」(Ⅰコリ14・18~19)でした。教会の徳、人々の徳を高める言葉を語るようにというメッセージは心にとどまりました。
 2回目のメッセンジャー東海林昭雄師は、Ⅱコリ6章14節~7章1節を通して「聖なる者となりましょう」という題で語られました。キリストに在りて聖徒と見倣していただけなければ、私共は「聖徒」と呼ばれるにはとても程遠いお互いです。生ける神殿である私たちは聖なる者となるべきだと語っているわけです。先生は忠実に聖書の言葉を説き明かしてくださいました。信仰生活の中に不釣り合いな軛、ルーズさがないか。信仰に生きているつもりでも、世の人とどこに違いがあるか。真に深厚に徹しているかどうか。ここで5つの問いがありました。①正義と不法とにどんな関わりがあるか。②光と闇とに何のつながりがあるか。③神の神殿と偶像にどんな一致があるか。④信仰と不信仰に何の関係があるか。⑤肉と霊とをあらゆる汚れから清めているか。私たちに5つのチャレンジを与えてくださいました。

2009/1/4週報メッセージ

 牧師 朝位 真士

 「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」(「ローマ人への手紙第15章13節」)の御言葉が与えられました。
 教会の年度は4月から3月迄です。2008年度はあと3ヶ月ありますが、2009年度からは宣教150周年記念イベントが各地で開催されると思います。

 わが桜ヶ丘教会も開拓86年になります。

 4月以降の特別集会を3つ予定しています。
 1つは、5月か6月頃にチャペルコンサートを開催します。岸義弘先生のテナーサックス演奏とメッセージがあります。
 10月頃には、元ヤクザの親分であり、刑務所に服役していた鈴木啓之先生(現在は牧師と府中刑務所の教誨師)をお迎えしての特別集会を日曜日の午後3時頃に予定しています。
 12月には、チャペルコンサートで、ベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生をお迎えして、チェロ演奏とクリスマス・メッセージを予定しています。今年で、11回目になります。

 以上のように、特別集会を3つ予定しています。
 そのために、今年は、牧師、役員、信徒のスタッフで伝道委員会を作り、地域伝道のために皆様の賜物を発揮していただき、キリストの体としての教会の活性化と発展、成長を祈って参りたいと思います。

 地域の方が親しみやすい教会として、また、教会に来られる方々が、教会を自分の家族としてなんでも話し合い、祈り合い、助け合うコミュニティセンターとして、キリストの体が具体的に生きた活動をさせていただきたいと祈っています。

 2009年度は、積極的な宣教活動と同時に、教会員の方々の賜物を活用して、例えばインターネットのブログを利用して情報を発信し、遠方の方が桜ヶ丘教会を忘れずに祈っていただけるようにしていきたいと思います。

2009年1月1日 新年に与えられた御言葉

 牧師 朝位 真士

 2009年、新年あけましておめでとうございます。

 今年与えられた聖句は、「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」
(「ローマ人への手紙第15章13節」)です。 

 ローマ15・13を中心に御言葉を見ていきましょう。口語訳では「どうか望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平和とをあなたがたに満たし、聖霊の力によってあなたがたを、望みにあふれさせて下さるように」とあります。

望みがある人には喜びがあるのです。望みの神、希望の神はどういう喜びと平和をお与えくださるかというと、それは「信仰」から来ると書いてあります。

信仰があらゆる喜びと平和を満たします。
私は、特に「希望」に絞って考えていきたいと思います。「希望」は、古代ギリシャにおいては、パンドラの箱に象徴されるように、はかないものと考えられていましたが、聖書においては、信仰・愛と並んで
きわめて重要な概念の一つと数えられています。

旧約聖書の宗教は、よく希望の宗教と言われるように、「主を待ち望む」という表現が詩編イザヤ書に多く見られます。

 新約聖書において、「希望」について述べられている有名な箇所は、第1コリント人への手紙第13章13節「信仰と、希望と、愛、この三つはいつまでも残る」というところです。

希望が、信仰や愛と同格のものとされています。ヘブライ人への手紙13・13「信仰とは望んでいる事柄を確認」することだとあります。

 この世的な希望が消滅しても、キリストへの信仰による希望は、永遠に不滅であります。

12月21日朝位先生の週報メッセージ

   私の47回目のクリスマス            朝位真士

 「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(ルカ2章11節)
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3章16節)
 今年もクリスマスを迎えることができ、心から感謝いたします。
 私は1961年12月24日、クリスマス礼拝において北九州復興教会山中日出刃牧師より受洗いたしました。私を導いてくれた人は持田倫生君です。彼は高校の同級生で、同じマンドリン・クラブにいた非常に真面目で優しい人物でした。残念ながら2007年9月26日召天されました。しかし彼の長男、持田M君が横浜から教会に出席しています。さて話を戻しますが、私の受洗のきっかけとなったのは、1961年8月の高校生特別集会での牧師の説教でした。その年の12月、クリスマス礼拝でバプテスマを受けました。現代のように信仰講座も洗礼準備会もなく、ただ聖霊の導きとしか言いようのない導かれ方でした。本当に神様の一方的な恩寵であると心から感謝しています。
  現代社会は大変不安な要素が多くあり、悩んでいる人が多くおられ、自殺者や犯罪が多発している先行き不透明な時代です。明日何が起こるかわからない時代です。私はこのクリスマスの時期に、一人でも多くの方が理屈を言わず、不信仰な気持ちにならず、マリヤの如く「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と、また天使が「神にできないことは何一つない」(ルカ1・37-38)と語ったように、信仰の決断をされることを願っています。この時期にイエス・キリストを心の中にお迎えいたしましょう。