「旧週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2016/12/18 週報メッセージ

   クリスマスの想い出
                              朝位真士
 
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ三章一六節)
 「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(ルカ二章一一節)
 今年もクリスマス礼拝を迎えるシーズンとなった。私は一九六一年十二月二四日に、北九州復興教会で故山中日出刃牧師によって受洗した。当時一八才の少年である。あれから五五年経過している。もし洗礼を受けていなかったら、私はどうなっていたであろう。高校生の多感な年頃で、大学受験を諦めて高卒で就職しなくてはならない時期、私の小学校・中学校の友人達は大学進学の猛勉強をしていた。私は就職活動に日々を過ごしていた。その時、友人のM君によって母教会の高校生特別集会に導かれ、その年のクリスマスに受洗した。サラリーマンとして九年勤めたが、東京転勤を機に献身した。神学校で四年間学び、一九七五年卒業してから一九年間母教会の北九州復興教会で奉仕をした。フミ子師と結婚し、曽根開拓に従事した。大変な一九年間であったが、嬉しいこともあった。二人の子供が与えられ、二人とも受洗の恵みに与り、一九八九年クリスマスに一度に七名の受洗者が与えられたことである。家族五人(ご主人・奥様・子供三人)全員が受洗に与り、他の男性一人はフミ子師が音楽を教えていた娘さんのお父さんで、現在は北九州復興教会の役員をされている。一人の女性は家庭集会から救われて、遺産の土地を母教会に捧げておられる。
 クリスマスの大いなる恵みは、一人でも多くの方が教会に来られ、救いの恵みに与ることである。栄光は主にあれ。ハレルヤ!!

2016/11/20 週報メッセージ

      教会暦を考える
                                                           朝位 真士

 わたしたちは、普通の暦とともに教会暦(チャーチ・カレンダー)を用いている。普通の暦は、地球が太陽の周りを一巡りする時に対して付せられたものである。教会暦は、教会が「義の太陽」であるイエス・キリストをめぐって営む働きに対して付せられたものである。教会暦は、地上に現れた日のイエスのご生涯と、復活昇天の後、聖霊の力を通して今もなお生きておられる主のお働きをめぐって配列されている。
 教会暦を分けると、大きな輪の中心となるものが三つある。第一は聖降誕日(クリスマス)であり、第二は復活日(イースター)であり、第三は聖霊降臨日(ペンテコステ)である。第一はわたしたちの主のご生誕をことほぐ時であり、第二は特に救いのみわざをしのぶ時であり、第三は聖霊の降臨と教会において今もなおつづけられている救い主のお働きを思う時である。
 普通の暦は元旦からはじまるが、教会暦は降臨節第一主日から出発する。つまりこの降臨節は教会暦の正月にあたるわけである。その降臨節第一主日は、十一月三十日にいちばん近い日曜日である。だから十一月の最後の日曜日または十二月の最初の日曜日となる。今年は十一月二七日の日曜日である。この季節において、わたしたちは来たらんとする聖降誕日(クリスマス)に心を向ける。
今年のクリスマスには、最高の予定が与えられている。十二月十八日CSクリスマス会、十二月二四日クリスマスイヴ集会(山本潤神学生の説教、高田光比古バンドによるジャズコンサート)、十二月二五日クリスマス・チャペルコンサート(ベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生によるチェロ演奏とメッセージ)。どうぞ皆様、お祈りして参加してください。

2016/11/13 週報メッセージ

   二〇一六年ホ群信徒・教職共同セミナーに出席して
                                                                               朝位 真士
 過ぐる一一月七日(月)~九日(水)迄、ホ群セミナーが市川サンシティ・ホテルで開催されました。今回は「ホーリネスの信仰を高く掲げて」―ホーリネスの群結成七〇周―というテーマで、主講師としてイムマニエル綜合伝道団委員長・高津教会牧師の藤本満先生をお迎えして、二回の講演をしていただきました。
 開会礼拝、司会鈴木恵子師、説教朝位真士師、聖会Ⅰ、司会原田のぞみ師、説教大友英樹師、証し永家孝子師。二日目、七〇周年セレモニー、分団協議、伝道協議会(伝道部)西海満希子師、聖会Ⅱ、司会野口佳男師、説教村上義治師、証し平池晃子師、合唱東京聖書学校。三日目、全体協議会、司会朝位師、アドヴァイザー藤本満師、閉会礼拝、司会高橋和郎兄、説教久多良木和夫師などの御用でした。
 参加者は全国から一一五名でした。私は教育部の責任の一端を担う者として、皆様方にお祈りとお助けをしていただき、心より感謝します。何よりも主イエス・キリストの父なる神に感謝をしたいと思います。
 特に藤本満先生の講演は大変内容の濃いものでした。先生は、日本のホーリネス教会の歩んできた歴史、ホーリネス教会が大切にしてきたもの、これから大切にしていくべきこと、ホーリネス教会の現代における使命、ホーリネス教会は今後どのように進むべきかという内容で、「ウェスレー批判、ホーリネス批判」から学ぶホーリネス・メッセージを、外から内から語っていただきました。八枚のレジメが配布されましたが、その内容に拘らないで、実に生き生きとご自分の学びと体験をユーモアを交えながら語ってくださいました。ウェスレー研究の一人者でありつつ、牧会者としての配慮を大変になさりながら、信徒の方々にも、私共にも語ってくださいました。まだまだ語っていただきたいところでした。神様に感謝いたします。

2016/10/9 週報メッセージ

   免許更新の人生   
                                                                                                        朝位 真士
  「主に従う人は主を避けどころとし、喜び祝い、こころのまっすぐな人は皆、主によって誇ります。」(詩編
六四・一一)
 私は先日、運転免許更新手続きを終了して三年間の運転許可を得た。昭和四一年九月二一日に免許を取得してはや五〇年目となった。クリスチャンになって五五年を経過し、伝道者となって四一年目。やっと少しずつ、クリスチャンとして伝道者として、小さな経験と恵みと祝福を得ている。本来であれば、もうリタイヤの年代であるかもしれない。教会の牧師以外にも、さまざまな御用や責任を担っている。私は自分の能力以上の責任を負っている。年齢も人生の後半に来ている。最近、自分の責任の重大さに悩んでいた。しかし、藤本満先生の『祈る人びと』という霊想書に大変励まされた。少し長いが引用させていただく。
  元日銀総裁の速見優さんが、日銀総裁を引き受けられたときは、七十三歳という年齢だったそうです。金融
 システムの不安、デフレ懸念、日銀内部の混乱と非常に難しい時期に、七十三歳というご年齢で、その職務を
 背負った理由は、明快でした。「引き受ける決意をしたのは、『神の召し』だと判断したからです。」……
  五年間の在任中、国会に参考人として質問を受けた回数は、なんと四百回を数えたそうです。厳しく追及さ
 れたり、政策上の難しい決断を迫られたとき、速見さんは、いつも教会の十字架を見上げて祈り、祈りながら
 三つのことを自分に言い聞かせたそうです。「主、ともにいたもう。」「主、我を愛す。」「主、すべてを知
 りたもう。」
 私は、十月六日が誕生日である。主の御用のため、これからも主イエス様のために「免許更新の人生」を歩んでいきたい。「だから、キリストと結ばれる人はだれだも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(Ⅱコリ五・一七)

2016/10/2 週報メッセージ

   朝祷会の恵み
                                                                                                          朝位 真士
  私はクリスチャンになって五五年になりますが、当初から大切にしてきたのが「祈り」、特に「朝祷会」です。
サラリーマン時代の九年間、九州地区での朝祷会(教会、喫茶店、YMCA会館等の場所)で祈ってきました。東京に参りまして、早稲田、青山、代々木、九段、武蔵野等の朝祷会に出席しています。
 先日(九月二八日)、青山朝祷会に出席した際に、基督兄弟団の工藤公敏先生の御著書『神の懐へ』からの証しとメッセージに感動しました。先生は父親の自殺に遭遇し、一九歳の時クリスチャンとなられました。二二歳で献身され、卒業後は鹿児島や北海道の網走で開拓し、その後東京で教会を二つ開拓されました。その間、神学校校長や教団の理事長を経験されました。数年前大病をされましたが復帰して、足立区で開拓伝道をしておられます。御年七九歳です。『神の懐へ』の「思い煩わずに祈ろう」(一二〇~一二一頁)に、祈りに関する三つの聖句が紹介されています。「もし、あなたがたのうち二人が、どんな事でも地上で心を一つにして祈るなら、天におられる私の父は、それをかなえてくださいます。」(マタイ一八章一九節)、「何も思い煩わないで……あなたの願い事を神に知っていただきなさい。」(ピリピ四章六~七節)、「常時喜悦、不断祈祷、万事感謝」(Ⅰテサロニケ五章一六~一八節)は聖めをいただいたクリスチャンの心の三面鏡であり、毎日この鏡に心を写すのです。
 『祈りによる力』(E・M・バウンズ著)には「地上において、神のために最も大いなることを成し遂げた人々は、古来、朝早くから祈った人々である」と記してあります。ジョン・ウェスレーは毎朝四時半に起床して祈ったと言われています。私も聖徒達の跡に従って、祈り続けていきたいものです。 

2016/9/25 週報メッセージ

   桜ヶ丘教会修養会に出席して
                                                                                                          朝位 真士
  九月一八日(日)~一九日(月)迄、富士箱根ランド・スコーレプラザホテルで開催されました。テーマは「神の家族」で、「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり」(エフェソ二章一九節)という聖句を中心に学びました。
 開会礼拝では、私が「神の家族」という題目で、聖書エフェソ書二章一一節~二二節を通して語りました。参考文献である『人生を導く五つの目的』(リック・ウォーレン)の「あなたは神の家族となるために造られた」の中に、神の家族になるためにはどうしたらよいかという問と答がありました。私たち教会員は皆「神の家族」であるという特権を持ち、神を信じ洗礼を受けることが大切です。神の家族の特権は血縁関係よりも大切です。霊的な家族関係は永遠に続くからです。そして五つの資産が与えられます。①永遠に神と共にいる、②キリストに似た者へと変えられる、③すべての痛み、死、苦しみからの解放、④労が報いられ、新しい奉仕の場が与えられる、⑤キリストの栄光にあずかる。
 二日目は山本神学生による閉会礼拝があり、テーマ「神の家族」、聖書使徒一六章二五節~三四節を通して語られました。①家族とは、②ピリピの牢獄でーパウロとシラスが神をほめたたえる賛美、③神の家族ー主イエスを信じるー神を愛する、神から愛される者の共同体。最後に、神の愛を知り、主イエスを信じてひとりでも多くの神の家族が生まれ出るように祈りたいと結びました。
 今回の修養会では、直接的に準備をしてくださったU姉やS姉、山本神学生等に心より感謝を申し上げます。また車を出してくださった方々にも感謝します。参加者は大人一五名、こども五名の計二〇名で、その内求道者が五名と、大変大きな恵みを受けました。参加された方々、直接・間接的に協力してくださった方々に、重ねて心よりお礼を申し上げます。

2016/9/18 週報メッセージ

   「神の家族」となるために造られた                                                          
                                                                                                           朝位 真士
 
  エフェソ二章一九節に、「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり」と記されています。リック・ウォレン博士の『人生を導く五つの目的』の中で、彼は人生の目的を語っている。①あなたは神の喜びのために造られた。②あなたは神の家族となるために造られた。③あなたはキリストのようになるために造られた。④あなたは神に仕えるために造られた。⑤あなたは使命のために造られた。「あなたは神の家族となるために造られた」は、A.神の家族となるために造られた。B.一番大切なこと。C.あなたの属するところ。D.人生を共に経験する。E.共同体を育てる。F.壊れてしまった交わりを回復させる。G.あなたの教会を守る、と分類できる。神の家族になる唯一の方法は、新しく生まれることです。最初の誕生(肉体的誕生)によって人類の一員となり、第二の誕生(霊的誕生)によって神の家族の一員となるのです。
 すべての人が神の家族となるように招かれていますが、一つだけ条件があります。それは主イエスを信じることです。霊的な家族関係は、永遠に続くからです。神の家族となることにより、「遺産」を受け継ぎます。①私たちは永遠に神と共にいる。②キリストに似た者へ変えられる。③すべての痛み、死、苦しみから解放される。④労が報われ、新しい奉仕が与えられる。⑤キリストの栄光にあずかる。その条件としての洗礼(バプテスマ)は、神の家族の仲間入りをすることです。キリストを私共の救い主として信じることによってのみ、神の家族となることができます。天国(神の国)の相続人として、神の国の市民として、神の家族の一員として、生活していきましょう。                                                               

2016/10/16 週報メッセージ

   二〇一六年度後半の集会について                                                                                                                            朝位 真士
  二〇一六年度に与えられた御言葉は詩編一二六編全部、特に「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる」(五~六節)です。
 二〇一六年度も上半期を終え、下半期に入りました。一〇月三〇日(日)午後一時半より、桜ヶ丘教会音楽の集い「山口夏実さん・犬塚彩子さんによるボサノバ」を予定しています。ボサノバは一九五〇年代にブラジルのリオで生まれた新音楽ということです。私も初めてなので今から楽しみにしています。また演奏前に、朝位フミ子牧師による「教会音楽の歴史」についてのお話があります。目標人数五〇名と祈っています。皆様もお祈りとご参加をお願いします。
 次に一一月六日(日)午前十時半に召天者記念礼拝が開催されます。桜ヶ丘教会の関係者で召天された方々を記念して、その生き様を偲びつつ、先輩方の信仰に学びたいと思います。
 一二月二四日(土)には、クリスマスイヴ礼拝とジャズ・コンサートがあります。第一部は午後七時からで、神学生によるクリスマス・イブ礼拝。その後の第二部はジャズの聖夜で、高田光比古トリオが楽しく厳かに演奏してくださいます。初めての方も大歓迎です。教会員の方々も参加ください。
 翌二五日(日)午前十時半からクリスマス特別礼拝で、チェロの名手であり、牧師・神学博士であるベアンテ・ボーマン先生とルリ子先生(ピアノ)ご夫妻が、音楽とクリスマス・メッセージを届けてくださいます。ベアンテ先生は、流暢な日本語でわかりやすくメッセージを語ってくださいます。会堂に満ち溢れる人が与えられて、救われる人が与えられるようにお祈りください。                                                         

2016/9/4 週報メッセージ

   「教会存続の危機」を感じて
                                                                                                       朝位 真士
 
 上記のテーマがキリスト教会の中で記事となることが多くなりました。桜ヶ丘教会も現住陪餐会員の半数以上を天国へ送り、礼拝出席も大変厳しい状況になり、それに比例して財的にも厳しい状況になってきました。高齢化と受洗者の減少もあります。
 「教会に人が来ない」という事実に対して、その原因をどうとらえるのか。大切なことは、その原因が教会に来ようとしている人の側にあるのではなく、教会の側にあると自覚することです。日本キリスト教団の信仰告白は変わりませんし、変える必要もありませんが、教会のあり方は変える必要があるということ。そのことに真剣に取り組む時代が来たのです。当教会では、まず一つの変化として教会の看板を新しくしました。教会の行事等を入口に掲示して、集会の内容を外部にお知らせします。成果はすぐに表れませんが、少しずつ外部の方々が気づいて下さると思います。次に、誕生月の方へカードを出します。また教会に来られない高齢の方のために、教会員の有志の方々と主張聖餐に出かけています。
 もちろん、基礎となる四つの習慣が必要です。①御言葉と共に過ごす時間を持つこと。「私の言葉にとどまるならば、あなた達は本当に私の弟子である。あなた達は真理を知り、真理はあなた達を自由にする。」(ヨハネ8・31~32)②「祈り」(ヨハネ15・7~8)③「定期的/定額的な献金」④人々と交わりを持つこと。(ヨハネ13・34~35)「み言葉」と「祈り」は神様と共に過ごす時間、「献金」と「交わり」は人間関係を表します。人生の主要な要素、「時間」「お金」「人間関係」において、神を第一とすることを学んでいくことが大切です。

2016/9/11 週報メッセージ

   敬老に感謝する
                                                                                                        朝位 真士
  今日の礼拝において、75歳以上の教会関係者のためにお祈りさせていただきます。
 ところで「感謝」ということについて考えてみましょう。キリスト教大辞典によると、感謝は神の民の最大の特質の一つです。聖書全体は、生ける唯一の真の神とそのみわざに対する感謝に満ちあふれています。旧約聖書では、特に詩編において感謝が繰り返されており、136編はその代表的なものです。「恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」(詩136・1)
 新約聖書にはいると、感謝の内容がイエス・キリストの「救いのみわざ」に集中します。たとえばコロサイ1章12~14節においては、過去・現在・未来にわたる「キリスト者の霊的祝福」が感謝の理由として挙げられています。キリスト者生涯の美は、神への感謝に満ちていることです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」(テサ5・16~18)は、主イエス・キリストにあって神がすべてのキリスト者に要求しておられる最も標準的な勧めです。キリスト者の祈りは、異教的な願い事の羅列ではなく、神とその大いなる救いのみわざを深く瞑想するところから発する感謝に満ちていることこそ願わしいのです。
 一人の兄弟のことを証ししたいと思います。私の母教会の兄弟ですが、彼は苦学をしてアメリカ留学し、教会においては伝道部長として積極的に奉仕をされました。週間は商社を経営し、祈祷会(水)と日曜日は1日中主のために時間と財を献げられました。私はその兄弟の生き様を見てクリスチャンになり、彼のようになりたいと祈っていました。彼はいつも「感謝です」と語って、笑顔で主の奉仕をしていらっしゃいました。彼の心の中は、いつも主イエスの愛と恵みで満ちていました。今は天国で主イエス様と多くの聖徒達とともに感謝の賛美を歌っていることでしょう。