「旧週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ
2016/11/20 週報メッセージ
2016/11/13 週報メッセージ
朝位 真士
開会礼拝、司会鈴木恵子師、説教朝位真士師、聖会Ⅰ、司会原田のぞみ師、説教大友英樹師、証し永家孝子師。二日目、七〇周年セレモニー、分団協議、伝道協議会(伝道部)西海満希子師、聖会Ⅱ、司会野口佳男師、説教村上義治師、証し平池晃子師、合唱東京聖書学校。三日目、全体協議会、司会朝位師、アドヴァイザー藤本満師、閉会礼拝、司会高橋和郎兄、説教久多良木和夫師などの御用でした。
参加者は全国から一一五名でした。私は教育部の責任の一端を担う者として、皆様方にお祈りとお助けをしていただき、心より感謝します。何よりも主イエス・キリストの父なる神に感謝をしたいと思います。
特に藤本満先生の講演は大変内容の濃いものでした。先生は、日本のホーリネス教会の歩んできた歴史、ホーリネス教会が大切にしてきたもの、これから大切にしていくべきこと、ホーリネス教会の現代における使命、ホーリネス教会は今後どのように進むべきかという内容で、「ウェスレー批判、ホーリネス批判」から学ぶホーリネス・メッセージを、外から内から語っていただきました。八枚のレジメが配布されましたが、その内容に拘らないで、実に生き生きとご自分の学びと体験をユーモアを交えながら語ってくださいました。ウェスレー研究の一人者でありつつ、牧会者としての配慮を大変になさりながら、信徒の方々にも、私共にも語ってくださいました。まだまだ語っていただきたいところでした。神様に感謝いたします。
2016/10/9 週報メッセージ
朝位 真士
六四・一一)
私は先日、運転免許更新手続きを終了して三年間の運転許可を得た。昭和四一年九月二一日に免許を取得してはや五〇年目となった。クリスチャンになって五五年を経過し、伝道者となって四一年目。やっと少しずつ、クリスチャンとして伝道者として、小さな経験と恵みと祝福を得ている。本来であれば、もうリタイヤの年代であるかもしれない。教会の牧師以外にも、さまざまな御用や責任を担っている。私は自分の能力以上の責任を負っている。年齢も人生の後半に来ている。最近、自分の責任の重大さに悩んでいた。しかし、藤本満先生の『祈る人びと』という霊想書に大変励まされた。少し長いが引用させていただく。
システムの不安、デフレ懸念、日銀内部の混乱と非常に難しい時期に、七十三歳というご年齢で、その職務を
背負った理由は、明快でした。「引き受ける決意をしたのは、『神の召し』だと判断したからです。」……
五年間の在任中、国会に参考人として質問を受けた回数は、なんと四百回を数えたそうです。厳しく追及さ
れたり、政策上の難しい決断を迫られたとき、速見さんは、いつも教会の十字架を見上げて祈り、祈りながら
三つのことを自分に言い聞かせたそうです。「主、ともにいたもう。」「主、我を愛す。」「主、すべてを知
りたもう。」
2016/10/2 週報メッセージ
朝位 真士
サラリーマン時代の九年間、九州地区での朝祷会(教会、喫茶店、YMCA会館等の場所)で祈ってきました。東京に参りまして、早稲田、青山、代々木、九段、武蔵野等の朝祷会に出席しています。
先日(九月二八日)、青山朝祷会に出席した際に、基督兄弟団の工藤公敏先生の御著書『神の懐へ』からの証しとメッセージに感動しました。先生は父親の自殺に遭遇し、一九歳の時クリスチャンとなられました。二二歳で献身され、卒業後は鹿児島や北海道の網走で開拓し、その後東京で教会を二つ開拓されました。その間、神学校校長や教団の理事長を経験されました。数年前大病をされましたが復帰して、足立区で開拓伝道をしておられます。御年七九歳です。『神の懐へ』の「思い煩わずに祈ろう」(一二〇~一二一頁)に、祈りに関する三つの聖句が紹介されています。「もし、あなたがたのうち二人が、どんな事でも地上で心を一つにして祈るなら、天におられる私の父は、それをかなえてくださいます。」(マタイ一八章一九節)、「何も思い煩わないで……あなたの願い事を神に知っていただきなさい。」(ピリピ四章六~七節)、「常時喜悦、不断祈祷、万事感謝」(Ⅰテサロニケ五章一六~一八節)は聖めをいただいたクリスチャンの心の三面鏡であり、毎日この鏡に心を写すのです。
『祈りによる力』(E・M・バウンズ著)には「地上において、神のために最も大いなることを成し遂げた人々は、古来、朝早くから祈った人々である」と記してあります。ジョン・ウェスレーは毎朝四時半に起床して祈ったと言われています。私も聖徒達の跡に従って、祈り続けていきたいものです。
2016/9/25 週報メッセージ
朝位 真士
開会礼拝では、私が「神の家族」という題目で、聖書エフェソ書二章一一節~二二節を通して語りました。参考文献である『人生を導く五つの目的』(リック・ウォーレン)の「あなたは神の家族となるために造られた」の中に、神の家族になるためにはどうしたらよいかという問と答がありました。私たち教会員は皆「神の家族」であるという特権を持ち、神を信じ洗礼を受けることが大切です。神の家族の特権は血縁関係よりも大切です。霊的な家族関係は永遠に続くからです。そして五つの資産が与えられます。①永遠に神と共にいる、②キリストに似た者へと変えられる、③すべての痛み、死、苦しみからの解放、④労が報いられ、新しい奉仕の場が与えられる、⑤キリストの栄光にあずかる。
二日目は山本神学生による閉会礼拝があり、テーマ「神の家族」、聖書使徒一六章二五節~三四節を通して語られました。①家族とは、②ピリピの牢獄でーパウロとシラスが神をほめたたえる賛美、③神の家族ー主イエスを信じるー神を愛する、神から愛される者の共同体。最後に、神の愛を知り、主イエスを信じてひとりでも多くの神の家族が生まれ出るように祈りたいと結びました。
今回の修養会では、直接的に準備をしてくださったU姉やS姉、山本神学生等に心より感謝を申し上げます。また車を出してくださった方々にも感謝します。参加者は大人一五名、こども五名の計二〇名で、その内求道者が五名と、大変大きな恵みを受けました。参加された方々、直接・間接的に協力してくださった方々に、重ねて心よりお礼を申し上げます。
2016/9/18 週報メッセージ
朝位 真士
すべての人が神の家族となるように招かれていますが、一つだけ条件があります。それは主イエスを信じることです。霊的な家族関係は、永遠に続くからです。神の家族となることにより、「遺産」を受け継ぎます。①私たちは永遠に神と共にいる。②キリストに似た者へ変えられる。③すべての痛み、死、苦しみから解放される。④労が報われ、新しい奉仕が与えられる。⑤キリストの栄光にあずかる。その条件としての洗礼(バプテスマ)は、神の家族の仲間入りをすることです。キリストを私共の救い主として信じることによってのみ、神の家族となることができます。天国(神の国)の相続人として、神の国の市民として、神の家族の一員として、生活していきましょう。
2016/10/16 週報メッセージ
二〇一六年度も上半期を終え、下半期に入りました。一〇月三〇日(日)午後一時半より、桜ヶ丘教会音楽の集い「山口夏実さん・犬塚彩子さんによるボサノバ」を予定しています。ボサノバは一九五〇年代にブラジルのリオで生まれた新音楽ということです。私も初めてなので今から楽しみにしています。また演奏前に、朝位フミ子牧師による「教会音楽の歴史」についてのお話があります。目標人数五〇名と祈っています。皆様もお祈りとご参加をお願いします。
次に一一月六日(日)午前十時半に召天者記念礼拝が開催されます。桜ヶ丘教会の関係者で召天された方々を記念して、その生き様を偲びつつ、先輩方の信仰に学びたいと思います。
一二月二四日(土)には、クリスマスイヴ礼拝とジャズ・コンサートがあります。第一部は午後七時からで、神学生によるクリスマス・イブ礼拝。その後の第二部はジャズの聖夜で、高田光比古トリオが楽しく厳かに演奏してくださいます。初めての方も大歓迎です。教会員の方々も参加ください。
翌二五日(日)午前十時半からクリスマス特別礼拝で、チェロの名手であり、牧師・神学博士であるベアンテ・ボーマン先生とルリ子先生(ピアノ)ご夫妻が、音楽とクリスマス・メッセージを届けてくださいます。ベアンテ先生は、流暢な日本語でわかりやすくメッセージを語ってくださいます。会堂に満ち溢れる人が与えられて、救われる人が与えられるようにお祈りください。
2016/9/4 週報メッセージ
朝位 真士
「教会に人が来ない」という事実に対して、その原因をどうとらえるのか。大切なことは、その原因が教会に来ようとしている人の側にあるのではなく、教会の側にあると自覚することです。日本キリスト教団の信仰告白は変わりませんし、変える必要もありませんが、教会のあり方は変える必要があるということ。そのことに真剣に取り組む時代が来たのです。当教会では、まず一つの変化として教会の看板を新しくしました。教会の行事等を入口に掲示して、集会の内容を外部にお知らせします。成果はすぐに表れませんが、少しずつ外部の方々が気づいて下さると思います。次に、誕生月の方へカードを出します。また教会に来られない高齢の方のために、教会員の有志の方々と主張聖餐に出かけています。
もちろん、基礎となる四つの習慣が必要です。①御言葉と共に過ごす時間を持つこと。「私の言葉にとどまるならば、あなた達は本当に私の弟子である。あなた達は真理を知り、真理はあなた達を自由にする。」(ヨハネ8・31~32)②「祈り」(ヨハネ15・7~8)③「定期的/定額的な献金」④人々と交わりを持つこと。(ヨハネ13・34~35)「み言葉」と「祈り」は神様と共に過ごす時間、「献金」と「交わり」は人間関係を表します。人生の主要な要素、「時間」「お金」「人間関係」において、神を第一とすることを学んでいくことが大切です。
2016/9/11 週報メッセージ
敬老に感謝する
朝位 真士
今日の礼拝において、75歳以上の教会関係者のためにお祈りさせていただきます。
ところで「感謝」ということについて考えてみましょう。キリスト教大辞典によると、感謝は神の民の最大の特質の一つです。聖書全体は、生ける唯一の真の神とそのみわざに対する感謝に満ちあふれています。旧約聖書では、特に詩編において感謝が繰り返されており、136編はその代表的なものです。「恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」(詩136・1)
新約聖書にはいると、感謝の内容がイエス・キリストの「救いのみわざ」に集中します。たとえばコロサイ1章12~14節においては、過去・現在・未来にわたる「キリスト者の霊的祝福」が感謝の理由として挙げられています。キリスト者生涯の美は、神への感謝に満ちていることです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」(テサ5・16~18)は、主イエス・キリストにあって神がすべてのキリスト者に要求しておられる最も標準的な勧めです。キリスト者の祈りは、異教的な願い事の羅列ではなく、神とその大いなる救いのみわざを深く瞑想するところから発する感謝に満ちていることこそ願わしいのです。
一人の兄弟のことを証ししたいと思います。私の母教会の兄弟ですが、彼は苦学をしてアメリカ留学し、教会においては伝道部長として積極的に奉仕をされました。週間は商社を経営し、祈祷会(水)と日曜日は1日中主のために時間と財を献げられました。私はその兄弟の生き様を見てクリスチャンになり、彼のようになりたいと祈っていました。彼はいつも「感謝です」と語って、笑顔で主の奉仕をしていらっしゃいました。彼の心の中は、いつも主イエスの愛と恵みで満ちていました。今は天国で主イエス様と多くの聖徒達とともに感謝の賛美を歌っていることでしょう。