榊原紀惠子 のすべての投稿

クリスマスに思うこと

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藤城清治美術館チャペルのステンドグラス
 暖かい12月の日々が続いております。今年のクリスマスシーズンは、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 イエス様の誕生によって、私たちはどのような恵みの時代にいるかを、もう一度しっかりかみしめて、主を心にお迎えして、平和の灯をともしたいと思います。
 世界中に平和が訪れることを切に祈ります。
 戦争や貧困によって、大勢の方が苦しみ、悲しみの中にあることを考えます。どうすることもできないのですが、一つの祈りをささげ続けることはできます。
小さな行動も、いくつも重なれば、大きくなると信じます。
 「幸い」
心の貧しい人々は幸いである。   天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は幸いである。
その人たちは慰められる。
柔和な人々は幸いである。
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は幸いである。
その人たちは満たされる。
憐み深い人々は幸いである。その人たちは憐みを受ける。 
心の清い人々は幸いである。その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。
(マタイによる福音書第5章3節~10節)
●桜ヶ丘教会では
12月24日(木曜日)午後7時~ クリスマスイブ・キャンドルサービスとジャスコンサートがあります。
キャンドルサービスでは、賛美とクリスマスについてのお話を聞きます。メッセージは、神学生によるものです。ジャズは、高田光比古バンドによるコンサートです。素敵なジャズと一緒に、クリスマスの夜をご一緒に過ごしませんか。、クリスマスに、教会でイエス様の暖かい心に触れていただけたらと思います。

2015/12/13 週報メッセージ

   クリスマスを迎えて
                                                                                                           朝位 真士
 
  今年もクリスマスを迎えることができて感謝しています。私は1961年12月24日(日)のクリスマス礼拝に受洗させていただき、54年が経過します。私の心の中に一番強く残っている御言葉はヨハネ3章16節「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(口語訳)です。特に「神は……世を愛された」という「神の愛」です。神が愛に満ちたお方であるということは聖書の一貫したメッセージです。人間はそうした神の期待を裏切りました。しかし、神はそのように背いた人間をただちに滅ぼしませんでした。「世を愛された」とありますが、これは「人間を愛された」と言い換えてもよいかと思います。もう少し具体的に言うならば、「この朝位真士を愛して下さった」ということです。「世」はイエス・キリストを憎み、「肉の欲・目の欲・暮らし向きの自慢」などをもって人を神から引き離そうと誘惑します。そうした世の背後には「世の支配者」である悪魔(サタン)の存在があります。したがって、悪魔に惑わされて神に背いている私たち人間を、神が愛してくださったということです。
 クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う喜びの時です。インマヌエルとは「神は我々と共におられる」という意味です。クリスマスの喜びとは、「イエスの誕生によって、神が私たちと共にいてくださることが実現した」喜びなのです。伝道が振るわない私たちの現実にあって改めて見直されるべきは、家族への信仰継承です。何を伝え語るべきなのか問われると思います。そういう意味で、来週のクリスマス礼拝ならびに祝会は家族で祝う絶好のタイミングではないでしょうか。この機会に教会にお連れされることを心より願っています。

ベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生をお迎えして

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写真:K/Kさん提供
本日、12月6日(日曜日)は第2アドベントで、桜ヶ丘教会では、ボーマン・ベアンテ、ルリ子先生をお迎えして、チャペルコンサートを開催いたしました。
音楽の中で、ベアンテ先生が、バッハのことについて、お話をされました。
「主よ 私の嘆きをお聞きください。私に正しい信仰を与えてください」と、バッハは、困難多き人生において、主を求められたということです。
9歳から10歳の時に、父親を亡くし、15歳の時に教会の聖歌隊に入り、教会で面倒を見ていただき、育ったそうです。
ルターの本も全部持っておられたそうで、信仰者としての立ち位置は揺るぐことがなかったということです。
しかし、最初の結婚で妻を亡くし、再婚後は子供も亡くす等で、嘆き、悲しみは多く、困難がつきまとったとのこと。
しかし、主にあって、音楽を作曲したということ。
当時、バッハの曲は、過激であって、ありえないということで、誰にも受け入れられなったそうですが、それでも1,000曲創作したそうです。
バッハは、試練の中で、なぜ創ることができたのか?
「恵みの生活の中で生きる。自分の感情ではなく、聖書の言葉を握る。御言葉に沿って歩く。自分のためにではなく、人のために生きている」
そういう、バッハの姿勢から生まれた音楽だそうです。ベアンテ先生はチェロで演奏してくださいました。
本当に感動したひと時でした。
また、お話は、「永遠に変わらない恵み」というテーマでした。イエス・キリストの誕生は、1000年も前に預言されたことで、その通りに、成就されたということ。
イエス・キリストの誕生、十字架の死、そして復活されたイエス・キリストについて、これも預言のとおりの出来事であったということで、復活のイエス・キリストの恵みは、誰にでも注がれているということでした。
ですから、イエスキリストを心に迎えるということを、簡単な言葉で言い換えて「イエス様の恵みをほしい」といえば、その恵み、イエスを心に迎えるという恵みにあずかることがだれもできるということです。
どうそ、クリスマスの本当の恵みを心に受けることができますように。
天使ガブリエルは、メッセージを携えて、ナザレというがリラヤの町に神から遣わされたということです。
「マリア、恐れることはない。あなたは、神から恵みをいただいた。あなたは、身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人となり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に、父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」ルカ:1・30から33

2015/12/6 週報メッセージ

   クリスマス・チャペルコンサート
                                                                                                           朝位 真士
 
  今年もベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生をお迎えできて、心より感謝申し上げます。先生方は1999年12月
19日(日)の第1回クリスマス・チャペルコンサートから続けてくださり、今年で17回目になります。
 ベアンテ先生は1951年スウェーデンのファルン市で誕生。12歳の時チェロを始められ、1967~71年ストックホルム王立音楽大学でグスタフ・グレンダール教授に師事。最優秀賞を受賞して卒業。1971~72年、ゴテンブルグ市の国立歌劇場の首席チェロ奏者を務められ、最終的にはフィンランド政府給費留学生として1979年シベリウス・アカデミー大学院を首席で卒業。1980年から2011年3月までの31年間、東京交響楽団の首席チェロ奏者を務め、現在客員チェロ奏者として室内楽等の演奏活動の他に、チャペル・コンサートをはじめとする宣教の働きに携わっておられます。またフィンランド・ヘルシンキ市のラマト・プフ聖書学校で聖書を学び、1992年カリフォルニア神学大学院より名誉神学博士号を受けられました。インターアクト協力宣教師でもあられます。ルリ子先生は武蔵野音楽大学ピアノ科卒業。西ドイツ国立フォルンバンク大学、シベリウス・アカデミーの各マスタークラスで学ばれ、ベアンテ先生と共に各地で良い奉仕を続けておられます。
  今日のメッセージ箇所は、ルカ1章26~33節、「マリヤ、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。」題は「永遠に変わらない恵み」です。先生方は毎年来られるまで祈って準備をされて、神様からメッセージをいただいたと思います。2015年のこの礼拝メッセージが、私共にとって記念すべきものになるように心よりお祈りしたいと思います。

2015年12月

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写真:K/Kさん提供
2015年も残すところ1か月となりました。
12月は、クリスマスの季節、街のイルミネーションがきれいな時期、忙しい時期等と、様々な印象があると思います。
2015年は、テロ問題が私たちの心に重くのしかかっています。世界に平和が実現するのはいつなのだろう・・・と思いつつ、日本もいつか来た道にもどらなければよいと、願うものです。
何が起こるかわからない、そんな不安も抱きながらおりますが、平和を祈り、願いつつ、12月のクリスマスの時、イエス様の降誕を祝う時を過ごしたいと思います。
さて、桜ヶ丘教会では、ボーマン・ベアンテ先生によるチャペルコンサートがあります。
12月6日(日曜日)10時半~です。
いつも素敵なチェロの音楽を聴きながら、ボーマン・ベアンテ先生のメッセージを聞くことができます。
ご自由に参加いただけますので、是非一度お越しくださいませ。
11月29日(日曜日)のメッセージは、朝位フミ子先生による、メッセージでした。
「あなた方は地の塩である。」とい聖書の箇所を通して、お話を伺いました。
「塩には2つの要素があり、①は徹底して塩であること。②徹底して完全にこの世に溶け込むこと。」ということでした。
「固まっていたのでは、塩味のよい味が出ない。人々の中に入り、助けを必要としている人を助けていく。まんべんなく溶け込んでいき、他のものを活かす、味をつける。人を感化し、励ます。塩になるためには、人に対し本当の愛を持つことができなければならない。神の愛は、裏切られても虐げられても変わらない。私たちは、祈り求めていくことで、イエスの恵みによって潤い豊かになり、その恵みは流れ出ていく。自分の力以外の力、一緒に悩んでくれる力があれば、信仰は人の支えになってくれる。希望が湧いてくる。希望が生まれてくる。」というお話をいただきました。
塩について、いろいろと考えさせられるとともに、私たちは塩になる覚悟と、そのために自分が変わらなければならない覚悟をもっていかなければならないと思います。
クリスマスに教会に来ることからでも、イエスの御言葉に触れることができ、その力、その恵みにあずかることができると思います。
寒さが厳しくなりました。健康に留意して、年末を過ごしましょう。

2015/11/29 週報メッセージ

   「セレブレーション・オブ・ラブ」に出席して   
                                                                                                          朝位 真士
  さる11月20日(金)から22日(日)まで3日間、日本武道館でビリーグラハム伝道協会の協力による「セレブレーション・オブ・ラブ with フランクリン・グラハム」が開催された。私は3日間出席できたことを感謝している。ビリー・グラハム師の息子であるフランクリン師が聖書の中心的なメッセージを明確に語った。
 その他に、マイケル・W・スミス、トミー・クーム・バンド、デニス・アガジャニアン、レーナ・マリヤなど多様なジャンルの音楽ゲストが、賛美歌・ゴスペルソング・キリスト教音楽を歌い奏でた。レーナさんは両腕がないというハンディを乗り越え、イエス・キリストに出会った喜びを歌うゴスペルシンガーで、日本のテレビで紹介されたことがきっかけで何度も来日し、多くの人々を励ましている。私も三十数年前に福岡でレーナさんに初めてお会いした時から、素晴らしい賛美と証しに感動したものだが、今回も新たな感動をもって証しと賛美を聴くことができた。マイケル・W・スミスは歌手であり、作詞家であるが、1500万枚以上のアルバムを販売し、28回もトップチャートで第1位に輝き、グラミー賞を3回、アメリカ音楽賞を1回、ドーブ賞を40回以上受賞された世界のトップアーティストである。キリストの証人にふさわしく、すべて主の栄光のために証しと賛美をしていた。
 フランクリン師は「神様は日本を愛している。神様の福音を伝えるために、私は日本に来ました。」と語った。本当に聖書の言葉を平易に力強く確信をもって語られた。インターネットでも配信されたというが、日本での4年間の祈りと準備と、多くの信徒の方々と教会の協力があり、世界中の方々が日本のために祈っていることを感じた。毎回1万人近い方々が集まり、数百人の方々が新たな決心をして講壇の前に出た。教会からは10名の方々が出席された。私はもう一度信仰の原点に帰ったようで、救霊のために再献身を神に誓った。

2015/11/22 週報メッセージ

   ホーリネスへの招き
                                                                                                         朝位 真士
  11月9日から11日までホ群のセミナーが開催され、主講師の錦織寛師の『ホーリネスへの招きーわかりやすい聖化の話』という本を中心としたユーモアに満ちた講義がありました。前号に引き続き記載します。
 Ⅱ、神の恵みとしての「聖化(きよめ)」 本当に私たちはきよくなれるのでしょうか。聖書は私たちががんばってきよくなるようにとは教えていません。がんばって自力できよくなったと思っている人はきっと他の人たちを見下すようになります。これは神さまの約束してくださっている「恵み」であり、求める人に与えられるものなのです。序、神の選びと召し(申7・6、イザヤ43・1、エフェソ1・4)①主イエス・キリストの十字架、その血によって(Ⅰヨハネ1・7、ローマ6・6)②注がれた聖霊によって(Ⅱテサ2・13、エフェソ5・18~19)③いのちの御言によて(ヨハネ一17・15~17、エフェソ5・26~27)
 Ⅲ、聖化の道 ①救い ②罪理解の深化 ③聖化への渇き ④第二の転機としての聖化 ⑤実際生活の中で聖化に生きる……聖化の深まりと拡がり ⑥主の再臨の時における聖化の完成(栄化)
 Ⅳ、聖化の経験をするためにーきよめの恵みを経験するために、私には何が必要でしょうか。①罪の悔い改め(Ⅰヨハネ1・9、Ⅰテモテ1・15、イザヤ6・5、イザヤ57・15、イザヤ66・2)②全き献身(ローマ12・1)③信仰(使徒15・9)
 Ⅴ、聖化の継続的側面と聖化の完成 ①成長していく完全(Ⅱコリ3・18)②聖化に成長を与えるもの、個人として、教会の歩みの中で、兄弟姉妹たちと共に ③聖化の完成としての栄化(Ⅰテサ5・23~24)「どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。」

2015/11/15 週報メッセージ

   ホ群信徒・教師共同セミナーに出席して                                                                                                                             朝位 真士
  11月9日から11日までホ群のセミナーが開催された。今回は「わかりやすい聖化ー結成70周年を前に」というテーマで、主題講演講師の日本ホーリネス教団東京聖書学院院長・東京中央教会牧師である錦織寛先生を中心に行われた。聖会Ⅰ、司会宗盛興師、説教伊奈聡師、「信仰者の土台」(Ⅰテサ1・2~5)。聖会Ⅱ、司会高橋容子師、説教西海満希子師、「上にあるものを求めよ」(コロサイ3・1~17)。閉会礼拝、司会坪内時雄師、説教村上義治師、「神の民の試練」。パネルディスカッション「ホ群における聖化」、司会井上博子師、パネリスト島隆三師、都築英夫師、澤田武師、山本博之師。最後には、村上委員長より、ドイツ・ボン教会への教団派遣師佐々木良子師(小松川教会)の牧師任命式が行われた。 
   主講師の錦織寛師は「ホーリネスへの招きーわかりやすい聖化の話」という小冊子を通して「わかりやすい聖化」について語られた。序、なぜホーリネスが分からないのか。1、整理して学んだことがないー整理されていない?。2、踏むべきステップを踏んでいない。3、きよめが恵みでなくなってしまっている。4、きよめについて誤解。①きよめられたら罪を犯さなくなる。②きよめられても罪を犯すのは仕方がない。③きよめは救いの完成(または一つ上のステージ)である。④きよめに到達できるのはごく少数の者たちである。⑤きよめを得るためには私たちの努力が大切である。5、自称きよめられた人につまずいた。6、必要性を感じていない。
 Ⅰ、「聖」ということ。1、神は聖なるお方だから。2、私たちは神のもの(聖なる者)だからー神のためにとりわけられたもの……「聖」の本質。3、神のものにふさわしいものとしての「聖」の実質。①罪から離れる。②自我の死。③キリストが主として内住される。④キリスト者の完全。⑤動機が愛。⑥喜びのうちに僕として仕える(礼拝する)、自由に生きる。⑦御霊の実を結んでいく。⑧勝利の生活。⑨神の栄光を表すー宣教。                                               
 
次号へ続く。

召天者記念礼拝も過ぎて

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写真:K/Kさん提供
2015年11月1日、「召天者記念礼拝」を終えて、12月のクリスマスシーズン到来を感じる日々となりました。
11月8日には第2週の聖日礼拝を守り、いつもの日常的な日曜日を過ごし、月日の過行く様を考えるところです。
戸外では、秋も深くなり、木々の葉っぱが日増しに色付いて、道行くときには、落ち葉を気にするような時節となりました。
過日、日本聖書神学校講演会会報を読んでいましたら、小石川白山教会竹島敏牧師の「献身者の喜び」という記事が心にとまりました。
竹島牧師を存じ上げていないのですが、何か、桜ヶ丘教会の皆様においても、心に少し留めてめていただけると嬉しいなと思い、一部を掲載させていただきます。
「絆とは、無理に結び合おうとすることではなくて、互いの弱さをさらけ出していくなかで、イエスが、時間をかけて結びつけてくださるものなのではないでしょうか。だとすれば、教会においても、互いの弱さをもっと素直に出せるような交わりが生み出せるように、と私は願っています。そのためには、牧師がもっと素直に自らの弱さを出せるようになった方がいいのではないか、と思っています。・・・・私達は、互いに理解しあっているから教会に一緒にいるわけではないと思います。逆に理解できていないから、教会に集まっているのではないかと思います。そして、お互いのことを少しずつでもわかりあいたいと。そのためには、普段の強がりから少し解放されて、少しずつでも本当に弱いままの自分をさらけ出してみよう、と、そういう気持ちになって、教会に集まってきているのではないでしょうか。きっと私達一人一人の弱さを祝福し、互いの絆にしてくださるイエス様の御導きを信じて、私も教会で養われながら、歩ませていただきたいと、それが、私の、一献身者の喜びなのだと思っています。・・・・」
桜ヶ丘教会の朝位牧師、フミ子牧師、両先生は、いつも、「私たちも、失敗してきたの、そして、人間だから失敗もあるのよ」と言われ、私たちの力を抜いてくれます。
教会には、様々な方が来られます。一般組織の理屈や理論ではなく、神様の家族としての理論に基づいて絆を結びつけていただくことが、教会にとって大切なことであると、改めて思う次第です。

2015/11/8 週報メッセージ

   生命ある説教の秘訣
                                                                                                       朝位 真士
  キリスト教逸話例話集に次のような文章が記載されていた。
 
  ヘルムート・ティーリケ(一九〇八~八六)はドイツの有名な神学者であり優れた説教者でもあった。彼は
 ハイデルベルク大学の教授をしていたが、一九四〇年ナチスにより追放され、さらに一切の旅行や講演を禁
 止された。彼はこれに屈せず説教や講演を続けた。
  一九四二年から数年間、戦時下のシュトットガルトで毎週説教をしたが、軍人を含むあらゆる階層の人々が
 三〇〇〇人も集まって、彼の話に熱心に耳を傾けたと言われている。さらに驚くべきことは、説教が終わると
 二〇〇人ばかりの女事務員が残り、集めてきた古紙にティーリケが口述する要旨を書き写し、それが次々に
 人手に渡り前線にまで届いたと伝えられている。当時、空襲下において印刷することが不可能だったからであ
 る。
  なぜ彼の説教がそれほどの力と命を持っていたのか、その秘訣を彼に尋ねたところ、彼は「単に頭で考えた
 ことではなく実践によって確かめられ、また、しばしば十分な苦難とともに学んだ真理のみをのべ伝えようと
 激しい努力を傾けるようになりました」と答えた。
 
 以上のように記載されていた。特に印をつけている所に注目していただきたい。聖書の中に記されているパウ
ロ書簡を見ると、最初は教理的な部分(キリスト教教理または教義)を書き、後半に実践的な部分を書いている。
 私は町内の清掃ボランティアをしている時、いつも自分の語った説教をイヤホーンで聴きながら、楽しく奉仕しているが、もっともっと聖書に精通し、祈りを熱心にしていかねばと思う。また会衆の皆様方が、礼拝の御用に当たる牧師、信徒、奉仕者の方々のため、毎日数分でも祈って助けて欲しい。何よりも礼拝出席を厳守して欲しい。万物の終わりが近づいている。また礼拝出席も限られているので、悔いのない日々を送りたいものである。