Hさんが天に召されて、礼拝のいつものお席にお座りになることや、各集会にご出席になられることがないことを思いますときに、とても寂しい気持ちになります。Hさんとのお別れ
Hさんが天に召されて、礼拝のいつものお席にお座りになることや、各集会にご出席になられることがないことを思いますときに、とても寂しい気持ちになります。
Hさんが天に召されて、礼拝のいつものお席にお座りになることや、各集会にご出席になられることがないことを思いますときに、とても寂しい気持ちになります。 T兄の召天に際して
朝位 真士
T兄は過ぐる1月25日午前2時25分、M病院で60歳8ヶ月余の
生涯を終えて召天された。
彼はJ姉とY姉との3人家族で、J姉にとっては素敵な夫として、Y
姉にとっては素敵な父として幸福な家庭であった。三十数年前ご結婚さ
れ、娘さんが与えられ、仕事は現在の会社に40年間一筋で営業畑を歩
いてこられ、経営陣の一人として先代社長の時から会社を成長させた重
要なメンバーの一人であった。昨年10月に病気が発見されて余命数ヶ月
と言われ、治療に専念された。夫人や娘さんの手厚い看護の中、愛する
人々に囲まれて惜しまれながら天国へ旅立たれた。召天2週間前の1月
12日午後、洗礼を受けられてクリスチャンとしての最後の時を家族の
愛に囲まれながら過ごされた。1月25日から3日間、家族3人で教会
に宿泊され、27日の前夜式を迎えられた。200人近い会衆者であっ
た。28日の告別式には約90名の出席者があり、彼の生前の人となり
が偲ばれた。大変ユーモアに満ちた方であり、周囲をいつも笑いの渦の
中に引き込まれた。また気遣いのある方であり、誰一人として彼を悪く
言う方はおられない、素敵な男性であった。天国で再会する日を楽しみ
にしている。
御遺族、親類の方々の上に神の慰めと祝福を祈ります。
「地上で一人減じたり。天国で一人増したり。」
Tさんは、1月中旬に病院にて、奥様のJ子さんの見守る中で、受洗をされ、過日1月25日に天に召され、前夜式、告別式が桜ケ丘教会で執り行われました。 T兄の受洗に立会って
朝位 真士
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒16・31)「シモン・ペトロが、『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた。」(マタイ16・16)「それは人間にできることではないが、神は何でもできる。」(マタイ19・26)
私が最近大変恵まれたことを読者に伝えたいと思います。2011年1月12日、T兄が受洗されたことです。夫人と娘さんの長年の祈りの課題でした。ご結婚されて30年以上になります。娘さんは13年前に受洗されて、留学し、大学卒業後就職してキャリア・ウーマンとしてご活躍の方です。母親共々父のために長い祈りを要したことでしょう。神はついにその親子の祈りを聞かれたのでした。
私は山陰聖会のために1月8日~10日まで米子に行ってきました。御用を終えた翌々日の12日、夫人より電話があり、ご主人が「洗礼を受けたい」とおっしゃったことを聞き、早速フミ子牧師と共に彼等のいる病院にかけつけました。彼にその意志を確かめると、しばらく沈黙が続きましたが、ハッキリと意志表示をされました。私は感動をもって洗礼式を挙行させていただきました。
何回か彼の病院にお見舞いさせていただき、彼と話をする機会にキリスト教の話をしようと思いましたが、彼が無宗教であるということを伺っていたので、あえてそうしませんでした。娘さんの小さい頃はよく教会に来られていて、大変好意的であったと聞いていました。私は彼が主イエス・キリストを信じて受洗してほしいと祈っていました。神は真実なお方で、我等の小さな祈りをお聞きくださったことだと思います。主イエス・キリストに感謝し、ご家族を始め教会員の方々に心より感謝したいと思います。ハレルヤ!!

山陰聖会に招かれて
朝位 真士
「たとえ、お前たちの罪が緋のようでも/雪のように白くなることができる。/たとえ、紅のようであっても/羊の毛のようになることができる。(イザヤ1章18節)
私は1月8日から10日までの3日間、ホ群の山陰地区(東中国地区八教会、西中国地区四教会)に招かれて、御用してまいりました。山陰地区は、年末から豪雪で、特に米子市は89センチの積雪で多くの雪害が出ており、旅行が危ぶまれていました。しかし、皆様方の熱いお祈りと信仰によって、無事8日午後米子空港に到着し、米子教会の牧師、信徒たちの出迎えを受けました。9日の米子教会の礼拝と聖餐式、役員懇談会、10日の山陰新年聖会2回の御用を終えることができたことを深く深く神様と皆様方に感謝する次第です。
今回はⅠテサロニケ4章~5章を通して、「きよめられた者の特色」~喜び、祈り、感謝せよ~(Ⅰテサロニケ5章16~18節)という主題のもと、2回の御用をさせていただきました。参加者は約六十数名、9教会からの参加でした。雪道を片道3時間近くかけて10名近くの信徒たちを連れて牧師先生が来られたり、無牧の教会からも数名来られました。
何よりも感謝したのは、招きをさせていただいたとき、①きよめを求める方、②神様のためにこれから奉仕したい方、③直接献身(神様のために身を捧げる)したい方等の呼びかけに、参加者の8割の方々が次々と応え、お祈りの一時をもつことができたことです。聖霊様の著しいみ業を感じました。今後山陰地区にリバイバルの業を見ることができるように、主イエス様に祈りと期待をこめて、山陰を後にしました。10日夜遅く、東京に到着しました。ハレルヤ!!
2011年の聖句が与えられて
朝位 真士
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサ5・16~18)
キリスト教とは一口に言うとこれです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」これがクリスチャンライフのすべてと言っていいのです。簡単な言葉ですが、努力だけではできません。「いつも喜んでいなさい。」「はい!喜びます。」「喜べ!」なんて喜べません。喜びというのは、内側から湧いてくるものです。与えられるものですから、自分で作り出すことはできません。
「絶えず祈りなさい。」大切なことです。イエス様が共におられることをどうして自覚できるかと言ったら、具体的にはお祈りです。
「すべてのことについて感謝しなさい。」これも難しいことです。私たちはうまくいったことについては感謝できます。けれども「すべてのことについて感謝しなさい。」辛いこともです。神は思うようにいきっぱなしにはなさらないから、必ずトンネルを通されますし、通ります。しかし必ず神は共にいてくださり、神を信頼するものに対する約束を果たしてくださいます。私たちは忍耐をもってこのお方に従っていくことが大切です。感謝できないような時にも感謝するというのは、本当に神は最善以下のことをなさらないお方で、万事を益としてくださる(ローマ8・28)という信仰です。
この1年、いや私たちの生涯において、「常に喜べ。絶えず祈れ。すべてのことについて感謝せよ。」これは神の恵みの三原則であります。
新年おめでとうございます。