鐘の音に思う
川﨑 信二
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
(マルコによる福音書1章15節)
先週は牧師家族4人で磐城教会の礼拝に出席しました。
桜ケ丘教会には屋上に大きな鐘があり、礼拝前には私が鐘を鳴らしています。磐城教会にも鐘があり、礼拝堂の入り口に置かれた小さな鐘が、礼拝前に時を告げるように鳴り響いていました。教会員の方が順番に鳴らしているそうですが、その音色が何とも心に沁み、礼拝に向けて私自身の心も整えられる気持ちになりました。
「どうしたら、あんなふうに鳴らせるのだろう。私もあんなふうに鳴らしてみたい」と思いました。
振り返ってみれば、私の鐘の鳴らし方は一本調子で、音だけは大きい。神田川近くの家にまで届くほどだそうですが、その音が果たして人の心に響いているのか。それどころか、もし不協和音になっていたら……と不安な気持ちになる時があります。
かつて「鐘を鳴らすのはあなた」という歌のフレーズがありましたが、聖書において時を告げるのは神様です。主イエスは「時は満ちた」と告げられました。救いの時が来たことを、神ご自身が知らせてくださったのです。
つまり、鐘を鳴らしグッドニュースを届けてくださるのは神自身ですし、神の国をくださるのも主イエスの業であり、私たちの業ではありません。だから、私たちは神の御言葉に聴き、従うのです。それが幸福の道です。
しかし、その知らせを人々に伝えるために、神様は私たち人間をも用いてくださいます。私たちの小さな働きを通して、救いの福音を知らせ、道行く人々を主イエスのもとへと招いてくださるのです。
鐘の大きさではなく、その音色が人の心に届くことこそ大切です。私自身も、ただ大きな音を響かせるのではなく、主イエスへと人を招く音色を、この教会から響かせることに心を注ぎたい、と願わされています。