2018/9/16 週報メッセージ

   高齢者の生き方                                                                 
                                                                                                    朝位 真士
  高齢者になるということは、弱ってくるということです。一つは肉体的機能が衰え、疲れやすくなり、病気がちになります。二つは退かなければならないということです。たとえ、体力的にあるいは能力的に可能であっても、後進に道を譲るなどの意味において退く必要もあります。三つは、終わりに近づくということです。高齢者になるということは、何重もの意味で終わりに近づき、終わりが来るということです。
 高齢者としてのより良い生き方について考えると、(一)整理する、(a)身辺の整理、(b)人間関係の整理、(c)信仰の整理ー聖書を読み直し、神との関係を修復し、それまでの信仰を点検することによって、信仰の確立をはかることができます。どんなに年をとっても成長し続けることができるのは、霊性が高められるからです。「年老いた男には、節制し、品位を保ち、分別があり、信仰と愛と忍耐の点で健全であるように勧めなさい。同じように年老いた女には、聖なる務めを果たす者にふさわしくふるまい、中傷せず、大酒のとりこにならず、善いことを教える者となるように勧めなさい。」(テトス二・二~三)(二)準備する、(a)健康面の備え、(b)精神面の備え、(c)環境面の備え、(d)経済面の備え、(e)死に対する備え。(三)挑戦する、(a)労働において、(b)趣味や学習において、(c)教会の奉仕においてーある人は晩年になってから神学校に学び、伝道者として働いています。そうでないまでも、それまでの経験を生かして、教会の働きの一部を担うことができたら、どんなに幸いでしょうか。
 最後に、高齢者にとっての幸いな教会生活ー礼拝に出席する、歌う、聴く、人と交わり、祈り合うということによって、心身に刺激が与えられ、霊性に祝福がもたらされます。教会出席は、すばらしい老化対策であると言えます。たとえ健康の理由で出席が許されないとしても、教会の祈りに覚えられていることは、それはそれでいかに大きな祝福でありましょうか。(クリスチャン生活百科より)