2018/1/7 週報メッセージ

   今年の聖句と標語が与えられて
                                                                                                             朝位 真士
  今年はヨハネ一五章一~一七節が与えられた。特に「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(五節)が桜ヶ丘教会の中心聖句であり、標語は「実を結ぶ生活」である。
 旧約聖書ではぶどうの木やぶどうの園は神の民イスラエルを例えるのに用いられる。この新約聖書ヨハネ一五章では、イエス様ご自身がまことのぶどうの木として描かれ、このイエスに接ぎ木される時、私たちは真の神の民イスラエルとして回復されるということが描かれている。そしてイエスは弟子との密接な交わりを表している。パウロはこの木と枝の関係をキリストと教会との関係、体と肢体として示している。弟子たちは、信者たちは、イエスにつながっている限りにおいて生きることができ、実を結ぶことができる。しかしイエスから離れるとその機能を失い、ついに枯れて死んでしまう。イエスにつながるものは、単なるご利益や感情の安らぎだけでなく、神と人とを愛する実践となってくることでなければならない。良い実は魂の勝利に限定されない。ガラテヤ五章二二~二三節には「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」とある。実を結ぶとは、キリストにある品性と信仰の成熟ということである。キリストのようになるための条件は剪定(刈込み)である。信仰生活の中で経験する苦しみ、悲しみ、病気、失望、野望の挫折によって枝は生き、きよめられ、実を結ぶ。キリスト者の喜びは神との関係に源がある。
 この一年、実を結ぶために主から刈込みをされるが、主はまた共にいて助け、私たちに勝利と恵みと祝福を与えられる。