「週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2021/11/14 週報メッセージ

某教会の特伝に招かれて

朝位 真士 

  10月31日、千葉の某教会の特伝に招かれました。牧師は神学校を三十余年前に卒業された先生で、開拓伝道をずっと続けておられます。超教派の働きの多い先生です。大変な博学で、大学では地質学を研究されたリケ男です。献身して、働きながら某神学校で4年間学び、卒業して現在の教会で開拓伝道をされて今日に至っています。外側から見ると大変困難な教会に思えるが、当人は喜々として御用に励んでおられ、事務もよくおできになり、超教派の働きに大変積極的です。

 いかに有能な先生でも、そこの教会に使命があったなら、外部からいろいろと言っても関係ないのかもしれないと、私も教師の一人として最近考えさせられます。大教会で多くの人々を救いに導き、大人数の人々を牧会し、有能な働きをして退任するのか、それとも某教会の先生の如く、一人の救いのために生涯をかけて牧会されるのが良いのか、私にはわかりません。神のみが知りたもうのです。とにかく献身して牧師として最後まで主の御用を全うすることが大切です。私もいろいろな牧師を知っていますが、ホーリネスの教師として、日本キリスト教団の教師として、四十数年御用させていただいています。いつも考えていることは、献身者として誘惑に負けないということです。異性と金銭の誘惑に負けて、牧会から退かなくてはならない先生方もおられます。もちろん主の前に悔い改めて再献身される先生もおられます。神様が何年主の御用をさせてくださるかわかりませんが、主が許してくださる間、主の御用に精進していきたいと思います。どうぞ皆様お祈りしてください。私共二人で一人前です。教会の皆様の愛の配慮を期待したいと思います。

 「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ローマ8:28、口語訳)

  「人の心には多くの計画がある。しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。」(箴言19:21、口語訳)

2021/11/7 週報メッセージ

私たちのグループの特色(Ⅰ)

朝位 真士 

 ホーリネスの教会は、その信仰の主題を「四重の福音」すなわち「新生」「聖化」「神癒」「再臨」と表現してきました。「四重の福音」という言葉を初めて用いたのは、アメリカの牧師、A・B・シンプソン(1843~1919)です。1892年、中田重治師は渡米して、当時米国で起こっていたリバイバル運動の中心となっていた「四重の福音」に触れ、自らも聖会において深く取り扱われ、自分のすべてを主に捧げて聖霊の満たしを体験して、「自分の求めてきたのはこれだ!」と確信を持って帰国しました。1901年、神田神保町十番に建物を得、宣教を開始しました。中田師は青山の神学部で学んだメソジストの伝道者でしたが、この四重の福音に触れて、これならよくわかる、キリスト教信仰は人生が「変化する」出来事であると強調しました。

 中田重治の率いるホーリネス教会は救済論に強調点があります。すなわち、聖書の教えは「魂の救い」が中心で、人間の救いは、まず「新生」から始まり、「聖化」の状況に進み、さらに魂の救いは魂に健康をもたらすと同時に、肉体も癒すのだという「神癒」の信仰に至り、やがて歴史の終わりには「キリストの再臨」をもって歴史の完成に至る。その時にわたしどもの姿はキリストと同じ姿に「栄化」されるという聖書の基本的メッセージをストレートに語ったのでした。

  • 新生――罪を悔い改めてキリストを救い主として信じた時になされる経験です。    (ローマ3:21~26、ヨハネ三・三~七、五・二四)
  • 聖化――ガラテヤ2:19には、パウロの深い体験が記されています。
  • 神癒――出15、「われは主にして汝を癒すものなり。」
  • 再臨――世界の終わりに、主イエス・キリストが王として権威を持って臨まれる

      という信仰です。

(『東京聖書学校論集No.2「四重の福音」』より)

2021/10/31 週報メッセージ

詩編黙想

朝位 真士 

  私は毎朝、詩編を素読している。詩編1編1~3節を新共同訳聖書より引用する。

  いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず/主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。/その人は流れのほとりに植えられた木。/ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。/その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。

 米田豊先生の詩編解説によると、宗教的な人民であるイスラエルの昔の多くの詩人の作を、神を礼拝する時に音楽に合わせて歌わせる目的で、後代のエズラが編集した聖歌集であるという。最も古い作者は、紀元前千五百年代のモーセであり、編集者エズラに至るまで千年間にわたる作の内、ダビデのものが最も多く73編ある。全体を通じて敬神愛国の情緒にあふれ、感謝賛美、ざんげ祈祷で調子づけられている。その題目は多種多様で、義人の繁栄、悪人の災禍、人生の無常などを歌った教訓的なもの、神の義、神の愛、神の恵み、神の力、神の栄光などの、神の属性や神の律法、神の摂理などを歌った信仰的なもの、罪の悶えの中よりのざんげ、患難の中よりの哀訴、個人及び国民の上に下されたあわれみに対する感謝などの祈祷に関するもの、イスラエルの過去を記した歴史的なもの、及び救主来臨の希望、ならびにイスラエルの将来の幸福を歌った預言的なものがある。詩編を理解するにはまず著者の歴史的事情と背景を知り、その立場より教訓を学ぶのを至当とするが、歴史的事情の不明なものも多い。

 私は毎朝、詩編を通読させていただいているが、注解書なしに神の言葉を黙想するのは1日の始め、また終わりに大切なことではないだろうか。私の友人のF牧師はこの詩編の専門家であり、いつも彼にいろいろアドヴァイスをいただきながら、詩編を楽しく読んでいる。

2021/10/24 週報メッセージ

 最近考えている事

朝位 真士 

  「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(Ⅰコリ13・13)

  キリスト教信仰の三要素は、信仰、希望、この三つである。この中で最も大切なものは、愛である。ヘブル11章には、信仰についての事が記載されている。この場合の「信仰」は、神の約束に一途にまた一貫的に顔を向けて離さないことである。すなわち神の約束をまこととして、その中に生き抜くことが信仰なのである。この神の約束はキリストにおいて示され実現されたのであるから、キリストへの信仰と神への信仰とは当然一つのものである。

 また新約において、「希望」が決して人間の欲求や願望からくる心理的期待のようなものではなく、神に源を発し、イエス・キリストの生と死と復活とに根拠や保証をもつ待望であることが明らかにされている(ヘブル6・17~20)。新約聖書では「希望」または「のぞみ」という名詞は約60回あげられている。よみがえりの望みをあらわすもの9回、神の栄光にあずかる希望6回、永遠の命の望み2回、その他信仰によって義とされる望み、救いの望み、前におかれている望み、生ける望み等があって、希望の内容が終末的であることがわかる。この新約的希望の理解において最も重大なかぎはⅠコリ13・13のパウロの言葉であるが、少なくとも二つのことが明らかにされている。第一は「希望」が信仰や愛とともに永遠的意義のある信仰経験であるということ、第二はこの希望が単なる地上的希望ではなくて終末的意義のある永遠的希望であるということである。(教団『聖書辞典』参照)

 私は改めて、信仰・希望・愛というキリスト教信仰の三要素について考えている今日この頃である。この三つの内容を心に留めて人々に接してまいりたいと思う次第である。

2021/10/17 週報メッセージ

後期高齢者のつぶやき                                                    朝位 真士 

  私は10月6日に誕生日を迎えた。いつも語っているが、十代でクリスチャンになり、9年間会社勤務し、1975年に神学校を卒業した。北九州で19年間、担任教師として3人の主任牧師に仕え、その中で15年間、曽根での開拓伝道で土地・建物を取得し、39名の方々が洗礼を受けた。

 1994年、桜ヶ丘教会に赴任し、土地・建物(教会堂)が与えられた。今日まで、小さな働きながら、フミ子牧師と夫婦で桜ヶ丘教会の御用をさせていただいた。ホ群委員を6年間務め、キリスト伝道会実行委員として超教派の働きをさせていただいた。また教誨師として、女子少年院で毎月1回、女子達に約1時間、聖書を中心として教養講話をさせていただき、人生訓を語っている。あまり目立った成果はないが、最近一人の少女が私と面接して、キリスト教についての求道心を持ち、決心されたことは大きな出来事であった。その施設で洗礼式を行うことはできなかったが、その少女は涙を流して悔い改めの態度を示された。まさしく聖書の神様の導きであった。出院(退院)して教会生活を送っていただきたいと願っている。

 私は毎日、早朝(4時半~5時頃)に起床して聖書を読み、祈り、近所を清掃して会社や学校に行く人々に挨拶している。初めての方々にも、失礼かもしれないが声をかけて、コミュニケーションをとっている。

 2021年の聖句、使徒18章9~11節、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」私はこの御言葉に励まされながら、積極的に福音を語るチャンスを祈っている。教会員の方々も、勇気をもって身近な人にキリストの福音を語っていただきたい。創立百周年記念を前にして、一人でも救われる方が与えられるように祈りたい。

2021/10/10 週報メッセージ

キリスト伝道会チャペルコンサート

朝位 真士 

  私は、さる9月26日(日)午後3時より新宿西教会で行われた、日本伝道幻を語る会主催のチャペルコンサートに行きました。講師は、私共の教会にも毎年来られている岸義紘先生です。先生は80歳とは思えない若々しい力強さで、何種類ものサックスを演奏してくださいました。聖歌、讃美歌、ゴスペル、クラシック等の曲目を演奏してくださいました。ただの演奏ではなく、信仰を持って演奏される曲想は、会衆の心に強く響いたと思います。約1時間半の時間、休みなしの演奏とメッセージでしたが、本当に若者に負けない力強さと確信のある演奏と説教に、私は感動が与えられました。現代のコロナ禍で、人々が悩み、苦しんでいる時に、お一人で1時間半の時間を、力一杯有効に使われた先生の姿に、私自身大いに励まされました。行く時は大変疲れていましたが、帰りは身も心も軽々となった感じがいたしました。コロナ禍で人数制限があったので、一般の方々にはお知らせできませんでしたが、来年のチャペルコンサートを楽しみにしてください。

  先生は、はじめ独学で聖書を学び、のちに留学されました。サクソフォンの良き指導者に恵まれ、ご自身も大変努力されて、CDを何枚も出されました。最近、80歳記念アルバムとしてCDを出されました。私は全一八曲のこのCDをよく聞かせていただいています。またJTJ神学校の責任を持たれ、神学にも造詣が深く、多くの注解書を出されています。若い時から、救霊のためにはどんな犠牲もかまわずに働いてこられた先生のお姿に、使徒パウロの情熱を感じました。「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ40・31)岸先生の働きを神様に感謝いたします。

2021/10/3 週報メッセージ

第36回関東ブロック大会に参加して

朝位 真士 

  さる9月20日(休)、お茶の水のキリスト教会館8階で、朝祷会関東ブロック大会が開催されました。約40名の方々が集いました。コロナ禍の中で、係の方々が細心の注意を払って、愛のこもった御準備をしてくださり、心から感謝しました。

 開会礼拝は根津教会牧師の石丸泰樹先生がエフェソ3章14~20節を通して、「キリストによって実現する計画」と題して、綿密な説教要旨のもと力強く語ってくださいました。先生は海外で宣教師として御用され、またミッションスクールで聖書を教えられ、もちろん教会の牧師としてのお働きをされながら、御用されました。私とは対照的に学者的なメッセージでありました。当日はマイクを使用できないというハンディを負いながらのメッセージでしたが、会衆の心に深くとどまったと思います。

 その後、1、朝祷会での奨励者のために、2、新型コロナウイルス感染者のために、自然災害の被災者のために、3、神様の愛の中で世界が平和になりますようにという祈祷が代表者によってなされました。総会の中で召天者を悼む一時を持ち、ブロックの集会報告、主な集会会計報告がありました。

 最後に閉会礼拝があり、賛美の後、使徒言行録18:8~21を読んでいただき、私が「この町には私の民が大勢いる」というテーマのもとに、伝道者生涯を総括するメッセージをお伝えいたしました。1975年に神学校を卒業してから、北九州で19年間副牧師をして、曽根という場所で15年間開拓伝道をしました。その間、39名の方々が救われました。1994年、東京の桜ヶ丘教会に赴任してからの26~7年間の神の恵みを力強く語りました。レジメに拘泥しないで、マイクなしの大集会場で、やたらに声を大きくして、確信を持って語らせていただきました。皆様のお祈りとお支えに感謝しています。栄光を主に帰しつつ、ハレルヤ!!

2021/9/26 週報メッセージ

敬老の日を迎えて

朝位 真士 

  先週の19日(日)は、敬老感謝の祝福を礼拝の中でお祈りさせていただきました。祈りの中で次の聖句を引用いたしました。「老いの日にも見放さず/わたしに力が尽きても捨て去らないでください。」(詩編71・9)「わたしが老いて白髪になっても/神よ、どうか捨て去らないでください。/御腕の業を、力強い御業を/来たるべき世代に語り伝えさせてください。」(詩編71・18)「神に従う人はなつめやしのように茂り/レバノンの杉のようにそびえます。/主の家に植えられ/わたしたちの神の庭に茂ります。/白髪になってもなお実を結び/命に溢れ、いきいきとし/述べ伝えるでしょう/わたしの岩と頼む主は正しい方/御もとには不正がない、と。」(詩編92・13~16)

  パウロは教会の人々に対して、「老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。若い男は兄弟と思い、年老いた婦人は母親と思い、若い女性には常に清らかな心で姉妹と思って諭しなさい。」(Ⅰテモテ5・1~2)と語っています。

 フミ子師と私も後期高齢者になりました。桜ヶ丘教会に赴任させていただいた時は、私が50代、フミ子師は40代後半で、すでに27年が経過しました。私共の祈りは、桜ヶ丘教会の若い人々が教会の責任を担って活動していただきたいということです。勿論、高齢者の先輩方の良い伝統と証しを、若い方々に継承していただきたいと思います。また将来、桜ヶ丘教会にふさわしい後任牧師が与えられるようにと祈っています。皆様方にも、毎日密室でのデボーションの時にお祈りしていただきたいと、最近特に考えるようになりました。

2021/9/12 週報メッセージ

共に歩んで

朝位 真士 

  また私が外部の御用で行く時はフミ子師に説教をしていただきます。フミ子師は小さい頃より音楽を通して主の御用をしたいと祈っていました。その通りに、賜物を通して福音を証ししていることは、主の御名を賛美したいと思います。いつも明るく、謙遜で、前向きで、いつもコツコツ努力している姿は見習わなければならないと思っていますが、実行できないのが申し訳ないと思います。

 話は前後しますが、最初結婚のため九州に赴任した1976年4月、結婚式の前後だったと記憶していますが、原登牧師がこういう話をされたことを思い出します。「油井(旧姓)さん、あなたが辛くなったら、いつでも小松川教会へ戻っていらっしゃい。いつでもあなたの場所を空けていますからね。」小松川時代(神学生と伝道師の時代)に、フミ子師がいかによく働き、特に音楽の方で活躍したのかが理解されます。今でも、小松川時代の信徒にお会いすると、「油井先生には、音楽を始めいろいろなことでお世話になりました」という話を聞きます。フミ子師が小松川教会で、献身者として神様と人々の前で御用したことを伺い知ることができます。

 19年間(フミ子師は18年間)の北九州復興教会・曽根集会所の御用を終え、ホ群人事で1994年4月、東京都杉並区下高井戸のパールハイツ桜上水のマンション教会である教団桜ヶ丘教会へ、息子憲義(高3)、娘真奈(中2)と4人で赴任いたしました。それまでの地方のノンビリした九州の教会から、東京のマンション教会に引越しました。子ども達は慣れない都会の生活で大変だったと思いますが、フミ子師はもっと大変だったと思います。そこにおいての第一の使命は、新会堂建設という大事業です。私は50歳の再出発です。少し冷静に考えると、大変大きなチャレンジでした。私共にとっては、大変な決断です。

2021/9/5 週報メッセージ

共に歩んで

朝位 真士 

  その間、北九州復興教会の山中牧師が1979年6月に召天し、清水会堂には名古屋から原田謙牧師が赴任され、私達は二人目の主任牧師に仕えるようになり、同時に曽根に340坪の土地と建坪50坪の鉄骨2階建ての会堂が与えられた。その時期に私の父と同居したが、フミ子師はよく体が保たれたと思う。愚痴一つも言わず、子育て、父の世話、教会の御用、音楽教師としての仕事等を行った。神様に感謝すると同時にフミ子師に感謝している。音楽教室には一時20名近い児童・生徒が来られ、保護者より絶大な信頼を得た。その中より教会学校に子どもが来られ、ミッションスクール(西南女学院、折尾女子学園、梅光女子学院)の生徒達も教会学校や教会の礼拝に出席するようになった。子ども達は学校の友人を連れて来て、近所の子ども達も多く、一時教会学校だけでも数十名の出席を見るようになった。フミ子師も私を助けながら、曽根伝道のため、家庭集会を各地区5カ所で持ち、多くの受洗者が与えられた。その間の記憶に残るエピソードを二つ。

 私は子どもが小学生時代の1981年に按手礼を受けたが、それ以降は主任牧師の原田謙牧師のご厚意で、曽根で導かれた方には私が洗礼式を行った。息子・娘をはじめ全部で39名の方々が受洗された。もう一つのエピソードは、1989年に7名の方々が一度に受洗されたこと。その中に音楽教室の保護者も数名いたことは感謝なことで、これもフミ子師の影響力が大きいことを物語っている。

 フミ子師はクリスチャンホーム出身で、信仰深い両親に育てられ、6人の兄姉達がいる中の5人は献身された。信仰深い家族に囲まれ、素直で明るい性格が与えられ、何事も前向きに信仰的にとらえて、いつも他者に対しての愛の配慮を欠かさない人である。2004年に按手礼を受けて、それを機会に月1回礼拝の説教をしていただいている。