「週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2022/2/6 週報メッセージ

聖書を読もう(Ⅱ)

朝位 真士 

 私は、アパルームの日課と詩編、箴言、コヘレトを毎日素読しています。今日は箴言についての米田豊師の解説を紹介いたします。

 附録として加えられた最後の2章の外はソロモンの箴言で(1:1、10:1)、中にはヒゼキヤの官吏が蒐集した部分もある(25~29章、25:1参考)。ソロモンが箴言三千を造った事は列王記にも記されている(列王上4・32)。箴言は日常生活に関する道徳的訓戒を教える種々の金言を記す。前者には預言を含んだ敬けんの思想を記し、後者には金言によって表わした敬けんの行為を教える。本書の教えは、イスラエルの神、主の名は全巻を貫き、世界はこの神によって道徳的に支配され、すべての人類はこの神を畏れる事をもって道徳信仰の基調となすべき事が本書の主張する題目である。子供たちには父母の教えに従うべき事を、青年には純潔の生活を送るべき事を勧め、知者と愚者、富者と貧者、怠惰者と勤勉者などを相対照し、高慢、忿怒、嫉妬、憎悪、暴食などを譴責し、信仰、謙そん、柔和、忍耐、正直、勤勉、節制などを勧告する。現代における本書の大いなるメッセージは、これが書かれた時代と同じに、信仰による敬けんな生活こそ最高の知恵であるとの事である。主を畏れることは知識の本、また知恵の根本である(1・7、9・10)。

 私はこの箴言を読みながら、信仰者としての生活の仕方を学んでいます。皆様も是非、箴言を愛読してください。

2022/1/30 週報メッセージ

聖書を読もう(Ⅰ)

朝位 真士 

 私は、アパルームの日課と詩編、箴言、コヘレトを毎日素読しています。米田豊師の解説を紹介いたします。

  詩篇は、宗教的な人民であるイスラエルの昔の多くの詩人の作を神を礼拝する時に音楽に合わせて歌わせる目的で、最も古い作者は紀元前千五百年代のモーセであり、編集者エズラに至るまで千年間にわたる作の内、ダビデのものが最も多く73篇ある。全体を通じて敬神愛国の情緒にあふれ、感謝、賛美、ざんげ、祈祷で調子づけられている。その題目は多種多様で、義人の繁栄、悪人の災禍、人生の無常などを歌った教訓的なもの、神の義、神の愛、神の恵み、神の力、神の栄光などの、神の属性や神の律法、神の摂理などを歌った信仰的なもの、罪の悶えの中よりのざんげ、患難の中よりの哀訴、個人及び国民の上に下されたあわれみに対する感謝などの祈祷に関するもの、イスラエルの過去を記した歴史的なもの、及び救主来臨(初降臨及び再臨)の希望、ならびにイスラエルの将来の幸福を歌った預言的なものなどがある。

2022/1/23週報メッセージ

今こそ祈りを大切にしてください

朝位 真士 

  私は毎週朝祷会に出席しています。その機関誌の中で、手束正昭師(教団高砂教会)の「朝祷会は日本の教会復興の最前線に」という文章に目が留まりました。

 私の属する日本基督教団では、ある深刻な問題が浮上している。「2030年問題」という。いかなることかというと、9年後の2030年には、日本基督教団の教勢が今の約20万人から約10万人に半減してしまうことが、統計上予想されるという。もしこれが現実のものとなったならば、人数の半減に留まらず、経済的にも大打撃を受け、教団全体の働きも大幅に縮小せざるを得ず、宣教活動の大きな衰退を招くことは必至である。由々しき問題である。……その時私は初めて知った。教団などよりうんと伝道熱心な福音派の教会も、今や衰退の危機に直面しつつあるのだということを。とすると、「教勢の衰退の危機」は今や日本のキリスト教会全体が直面している問題であり、教派を超えて取り組まなくてはならない課題だということになる。

 私は手束先生の文章を読みながら、鍵は祈りであると思いました。私共のホーリネス教会の特長は、皆がよく祈る人達であるということです。私は思い出しました。会堂建設の問題が暗礁に乗り上げた時、私共は何をしたでしょうか。会堂建設に近所の方々が反対されて、本当に私共は大変な試練に遭いました。経済的な問題も大きく立ちはだかりました。建設反対と経済問題の試練の中、私共役員を始め教会員の方々が毎週の祈祷会に出席して、人知を超えた全能の神様に真剣にお祈りいたしました。神様は祈りに応えてくださり、建設反対問題も経済問題も解決し、今日に至っています。1997年12月17日、無事旧マンション教会から現在地に移転いたしました。あの当時祈りに応えてくださった神様は、今も生きて働かれます。教会員の皆様に切にお願いしたのは、「今こそ祈りを大切にしてください」ということです。たしかに、コロナ禍で教会は大変な試練の中にありますが、「イエス・キリストは昨日も今日も変わらない」生きておられるお方です。全能の神にお祈りしてください。

2022/1/16 週報メッセージ

第34回首都圏新年聖会に出席して                                         朝位 真士 

 1月2日(日)午後2時より教団東調布教会で開催された。主題「生ける希望」(Ⅰペトロ1:3)。聖会Ⅰ、説教澤田直子先生(小松川教会)、題目「言い尽くせない喜び」として、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え」(Ⅰペトロ1:3)を中心に、小松川教会で婦人牧師として御主人と6年間共同牧会され、特に幼稚園・保育園を経営しながらの牧会のメッセージであり、牧会の現場からの生々しい新鮮なメッセージであった。まだ牧会経験の浅い先生ではあるが、大変やさしく、具体的に例話を引用されて、静かな中にも牧者としての確信をもって語られた。

 聖会Ⅱ、「聖なる生活をしよう」、Ⅰペトロ1:13~25を通して、私がメッセージを語らせていただいた。「召し出してくださった聖なる方に倣って、あなた方自身も生活のすべての面で聖なるものとなりなさい。『あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである』と書いてあるからです。」(13~14)私はまず錦織寛先生の御本より「ホーリネスへの招き」を引用した。レビ19:2「あなたがたの神、主なるわたしは、聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。」まさに神が聖であられるということに私たちの聖化の土台がある。この「聖」とは、神の絶対性・超越性を表す言葉で、そこには一つは絶対的な神のものとして生きる。また、実際生活の中で、罪から離れ、神のものにふさわしい生き方をする。この聖化は神が無代価で与えてくださる恵みで、誰も自分を誇ってはならないし、人を裁いたり批判したりしてはならない。

 私は46年目の教会牧師として、小さな恵みの証しを力強くさせていただいた。ユーチューブ配信であったので、対面は十数名であったが、今までにない力強いメッセージをさせていただいた。皆様のお祈りをひしひしと感じ、感謝であった。

2022/1/9 週報メッセージ

Ⅰペトロの手紙を通して

朝位 真士 

 まずこの手紙全体の内容を見ていきましょう。この手紙は、周囲の人々(異教徒)から様々な迫害を受けている信仰者を慰め、信仰に固く立つよう励ます目的で執筆されています。そのため、まず1:3~2:10では、キリスト教信仰の基盤となる「救い」について解説し、その「救い」を読者に確信させようとします。次に、2:11~4:7では、その「救い」を望みつつ、異教徒に囲まれたこの世の生活をどのように過ごすべきかが説かれています。4:8からは、書簡の結びとして、一連の勧告がなされます。そこでは、教会内部の結束と、迫害に対する忍耐が主題となっています。当時のローマ帝国による組織的弾圧を反映しているといわれますが、むしろ新興宗教であるキリスト教信者に対する、周囲の異教徒からのより一般的・日常的な迫害が問題となっています。

 この手紙の著者はペトロで、おもに小アジアに散在していたユダヤ人信者にあてて、シルアノに託して送られました。多分バビロンから出されたものと思われます(5:12~13)。当時まさに到来しようとしていた火のような大迫害を前にして、彼らの信仰を堅固にし、励まし、慰める為に記されたものです(1:6~7)。またペトロが異邦人信者に向かって記したことも明らかです(4:3)。年代は紀元60~70年頃ではないかといわれています。

 私は数年前にも一度、ペトロの手紙を学びましたが、今はまさにこの世的な様々な魅力があり、信者でもこの世の誘惑や魅力に負けて、信仰の成長が妨げられる時代です。また、コロナウイルス・パンデミックの状況で、真面目な信者達も礼拝や集会に出ることを中断させられ、宣教活動や教会形成が難しい大きな試練の時代です。ペトロの手紙は、信者として、求道者として、どうあるべきかを大変具体的に示唆していると思います。一番良時期に、このⅠペトロ、Ⅱペトロの手紙が与えられたことを神様に感謝したいと思います。

2022/1/2 週報メッセージ

2022年を迎えて

朝位 真士 

  私共が桜ヶ丘教会に赴任いたしまして28年目になります。桜ヶ丘教会は初代の板井牧師が開拓されて99年目に入ります。多くの牧師・伝道師たちが桜ヶ丘教会で奉仕をされ、その間、良き役員・信徒に恵まれ、地域に開かれた教会として宣教の業をしてまいりました。6月の創立記念日には毎年、岸義紘先生をお迎えして、サックスを演奏してメッセージを語っていただいています。またクリスマス・シーズンには、ベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生ご夫妻をお迎えして、チェロ演奏とメッセージをお願いしています。今年もすでにお願いしています。ジャズの高田バンドにも時々来ていただいています。コロナ禍の中で外部に宣伝はできませんが、毎回これらの特別集会を待っておられる近所の方々がおられます。感謝なことです。

  桜ヶ丘教会で奉仕された先生方が召天されたり、ご病気になられたりして、大変試練の時を過ごしていますが、Ⅰペトロ1章6~7節には、「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです」とあります。またヘブル12章11節には、「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです」とあります。

 「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。」(ヘブル12章14節)私たちはホーリネスの群の一員として、教団の中で生きた証しをさせていただきたいと思います。神の家族として、お互いに愛し合い、祈り合って信仰生活を全うする1年でありたいと、神に祈るものであります。

2022/1/1 週報メッセージ

今年与えられた聖句とその導き

朝位 真士 

  今年はⅠペトロ1章1~12節の御言葉が与えられました。「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。」(Ⅰペトロ1・3)

 桜ヶ丘教会が宣教開始九九年目を迎える新しい年に、困難な地である東京都杉並区で、神様は私たちにペトロのように宣教のヴィジョンと信仰を与えられたと信じるものです。もちろんこの業は神様の業ですが、私共一人ひとりが主の手足となって働きたいと思います。2020年からのコロナウイルス・パンデミックの状況で、世相が大変不安な状況にあります。政治、経済、教育の問題、また自然災害が各地で起こり、失業者が多く出て、人間が互いに不安の中にあります。しかし、昔も今も神様の恵みは変わりません。コンピュータやAI等で生活が豊かになった反面、精神的な病気を抱えておられる方々が多くなりました。暗くて不安な時代であればこそ、イエス・キリストの福音が必要だと思います。便利になった反面、人間同士の不信感が強く、親子、夫婦、兄弟同士でも、お互いに信頼し合って、祈りあい助け合わねばならない時だと思います。

 「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(Ⅰコリ1・1~18)今こそ神様の御言葉に信頼して祈り、神様から愛されているお互いが助け合って、キリスト者としての証しをするべき時が来たと思います。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(フィリピ4・6)

2021/12/26 週報メッセージ

2021年をふり返って

朝位 真士 

  「すべての国よ、主を賛美せよ。/すべての民よ、主をほめたたえよ。/主の慈しみとまことはとこしえに/

わたしたちを超えて力強い。/ハレルヤ。」(詩117編1~2節)

 この2021年は、いろいろな事がありました。日本に目を向けると、地震や暴風雨やコロナ・パンデミックのため、私共の生活様式が変化しました。オンラインでの仕事、産業界や観光業の減少、失業者の続出、病気や自殺者の増加、犯罪の多発。

 そういう中で、私共の教会は少数の礼拝ではありますが、ユーチューブ配信も昨年から継続しています。週報を1週間前に印刷して、教会を休んでいる方々に郵送しています。近くの十数軒の方々には、牧師が訪問して安否を尋ね、お会いできる時には門前にて祝福のお祈りをささげさせていただきます。

 私は超教派の朝祷会に出席して、桜ヶ丘教会のため、また2019年に前立腺癌を発症した自分のために、真剣にお祈りしていただきました。お陰様で今日まで数値は安定しており、主の御用が継続されています。2003年より始めた教誨師・篤志面接員としての少年院の奉仕も毎月継続しています。若い十代の女性に福音をストレートに語っています。私が十代(18歳)でクリスチャンになったお陰で、十代の悩み多い若い女性にキリスト教の牧師として堂々と、国の施設で福音を語ることができています。12月には職員も在院生も出席して、施設全体にクリスマス・メッセージを語ることができて、本当に感謝の一言に尽きません。これも桜ヶ丘教会の皆様の御支援の賜物だと、深く感謝しています。

 主が天国でお迎えくださるまで、イエス・キリストの福音を語っていきたいと思います。迎える年も、神の祝福を切に祈るものであります。

2021/12/19 週報メッセージ

61年目のクリスマスを迎えて

朝位 真士  

  私は、1961年12月24日(日)九州の北九州復興協会で山中日出刃牧師より受洗いたしました。当時、高校3年生で、友人の持田倫生君により教会に導かれました。高校生の特別集会があり、そのまま継続して教会に導かれて、受洗いたしました。キリスト教のことは、あまり深く勉強していませんでした。しかし、御言葉が深く心にとどまりました。ヨハネ3章16節(口語訳)「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」という御言葉です。当時は人生に悩み、人を信じられない状態でしたが、友人の優しい誘いによってキリスト教会に導かれて、毎週のように通うようになりました。今考えてみると大変純粋な青年であったと思います。教会での青年達の交わりが大変温かく、彼らは真面目な人々であり、教会の方々も信仰的で温かくて優しく、本当に心の底からの居場所でした。教会の青年会の活動や、清掃、夕拝、祈祷会等も積極的に参加して、日曜日の教会生活が大変充実していました。その後、商社に就職し、北九州、福岡(博多)、東京と転勤になりましたが、東京では淀橋教会で小原十三司先生、峯野龍弘先生の御指導を受けて、キリスト教の聖会等にも出席して、1971年、東京聖書学校に入学しました。

 4年の学びを経て、北九州復興教会で19年間、清水会堂と曽根会堂に仕え、1994年4月、家族4人で桜ヶ丘教会に赴任いたしました。その原点は、あの十代の青年の時、教会に導かれ、受洗したことです。受洗したクリスマスの想い出が、まるで昨日の如く感じます。伝道者となって四六年経過していますが、ますます主の僕として、生ける限りお仕えしたいと、毎日早天密室(デボーション)で神にお祈りしています。

 「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、『わたしにはなんの楽しみもない』と言うようにならない前に。」(伝道の書12:1、口語訳)

2021/12/12 週報メッセージ

「信仰に生きる」説教準備に際して

朝位 真士 

 今日のⅡコリ4章1~18節を通して、聖書を学びました。米田師によれば、全体は福音に仕えるパウロの態度、1~2節、光の中の生涯、3~4節、福音の光の隠蔽、5節、彼の使命と宣言、6~7節、神の証明と奉仕の力、8~15節、迫害の中における確信と覚悟、16~18節、彼の望み、苦難と栄光の比較。

 竿代照夫先生は、1~6節、栄光を現す人と覆う人。5節の後半で「私たち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです」と語り、三つの要素がバランス良く捕らえられていくことが伝道者にとって大切だとしました。①イエスのため――人間を喜ばせるのではなく、主の喜びを求めることが基本。②あなた方に仕える――自分を低くして、群のために仕える姿勢を示す。③僕――主人として支配せず、弟子の足を洗われたイエスに倣って仕える者となりきること。7~15節、土の器と宝物。16~18節、永遠の希望。人間の肉体は、土の器のように、もろく、弱く、はかない。しかし、活ける主との交わりを経験し、その方が永遠なるが故に、私達もそれにあやかって永遠的な存在とされた。私達は、やがて消えていくこの世の一時の感覚的な者ではなく、霊的な永遠の神の国に目を留めるべきである。

 ウイリアム・バークレーは、1~6節、くらませられた目で彼はまず自分自身について語る。大きな使命を意識している人は、驚くべきことをやりとげるものである。音楽的天才の創りだした偉大な作品の一つにヘンデルの「メサイヤ」がある。この楽曲はわずか22日間で書き上げられ、その間ヘンデルは食事も睡眠もほとんどとらなかったといわれている。偉大な仕事の持つ不思議な点は、それを遂行するには必要な力が同時に与えられるということである。7~15節、患難と勝利。16~18節、忍耐力の秘密。「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。みえるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(4:18)