「週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2022/5/15 週報メッセージ

オンライン会議に参加して思うこと                                        朝位 真士 

 5月8日午後1時より、ホ群臨時年会がオンラインで開催された。私とフミ子師は慣れない感じで参加した。内容は、ホ群の新委員の選出や2021年度の活動報告であった。最初は緊張してパソコンの前に座していたが、会議が進行するにつれて私は少し妙な感じがした。本来であれば、所定の会場に集まってお交わりがある中で議事が進められるところである。オンライン会議は、各自がその場所で会議に参加することができて、一見良いことのように思えるが、私は何か不思議な感じがした。画面上で一同接することができてはいるが、何か妙な感じがした。

 キリスト教では、主イエスを中心とした主にある兄弟姉妹との対面であるのが普通である。現在は異常事態である。オンラインでの2時間余の会議は、大変疲労を覚えた。特に眼に疲労を感じた。これは私だけの問題ではないと思う。たしかに時代の変化に教会も個人も対応していかなければならないが、一日も早くこのコロナ・パンデミックの状況が終息することを祈る今頃である。以前のように対面で主にある兄弟姉妹との交わりが再開され、福音が一人でも多くの方々へ届けられるように伝道したい思いでいっぱいである。

 「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」(伝道の書3:1、口語訳)

 「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなさるわざを初めから終わりまで見きわめることはできない。」(伝道の書3:11、口語訳)  一日も早く神様の最善の時が来ることを祈る毎日である。 

2022/5/8 週報メッセージ

こどもの日に思う

朝位 真士 

  5月5日は古来から「端午の節句」として男子の健やかな成長を願う行事が行われていたので、この日を「こどもの日」として祝日とする請願が国会になされ、1948年7月20日に5月5日が「こどもの日」として制定されました。5月5日を「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する休日」と定めました。「端午の節句」が強調され、男の子の日と思われがちですが、元々の「こどもの日」は母子の健やかで豊かな生活を願い祝う日だったのです。今では「こどもの日」には、男の子だけでなく女の子も一緒になって祝うのが一般的になりました。私は「こどもの日」の起源を調べて、あらためて幼い頃に真の創造主である神様を信じることがいかに大切であるかを感じました。

 最近二人の孫が遊びに来て大変嬉しく思ったのは、二人とも聖書に興味を持ち始めたことです。フミ子師が聖書の物語、イエス様のことを話しだすと、大変興味をもってきたことに感動しました。普段はユーチューブやゲームに熱中していますが、聖書の話をすると二人とも大変興味をもちました。先日、礼拝の中で聖餐式が行われた際に、8歳になる上の娘が聖餐式にはどのような意味があるのかと大変興味を示していました。聖書のマタイによる福音書18章3~5節に「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」とあります。わたしはあらためて教会学校の大切さと同時に、家庭における宗教教育の大切さを感じました。

 「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、『わたしにはなんの楽しみもない』と言うようにならない前に、」(伝道の書12:1、口語訳)

2022/5/1 週報メッセージ

母の日を前に思う

朝位 真士 

 5月8日は母の日です。世間では日頃疎遠になっている母への感謝を表す日です。私の母は五十数年前、50歳で召天しました。6月25日午前0時45分頃だったと記憶しています。母は大変世話好きで、私共に優しく、従業員の方々にも親切で、皆から慕われていました。「親孝行したいときには親は無し」と言われている如くです。信者ではありませんでしたが、私の信仰には大変理解がありました。私がもう少し熱心であったら、母を信仰に導いたと思います。父は晩年、本田弘慈先生によって導かれ、キリスト教式で葬儀ができました。75歳でした。

 さて、母の日の起源について記します。アメリカ・ヴァージニア州ウェブスターのメソジスト教会に、アンナ・M・ジャーヴィスという教会学校の教師として26年間奉仕した婦人がいました。その後ジャーヴィスは亡くなり、教会での追悼会の時、娘のアンナは以前お母さんから聞いた「あなたの父と母とを敬え」の箇所を思い出し、たくさんのカーネーションの花をささげ、お母さんを偲びました。このことが列席者一同に大きな感動を与え、やがて有名な百貨店王といわれ後に大臣になっても教会学校の校長を続けたジョン・ワナメーカーの賛同を得、同氏の店頭で5月第2日曜日に盛大な祈念会が催されました。これが母の日の始まりで、1908年(明治41年)のことでした。1914年にアメリカ議会は5月第2日曜日を母の日と定め、国旗を掲げてお母さんに敬意を表すことになり、やがて母の日は全世界に広まったのです。

 教会は「母なる教会」と一般的に言われています。私の母教会は北九州復興教会で、1961年12月24日、18歳の時に救われて、62年目を迎えます。私自身、信仰成長をしていきたいと思います。

2022/4/24 週報メッセージ

ホ群教師の召天に際して

朝位 真士

 先日、フミ子師の関係で牧師婦人に連絡をしたところ、御主人の牧師先生が4月17日のイースター礼拝後に召天されたということを聞き、私共は大変ショックを受けました。その牧師は長く地方で地道に牧会伝道をされ、現役時代はホ群委員としてホ群の中で指導的な立場でした。私は生前先生が牧会された地方の教会を訪問させていただきました。民家を改築して、教会として用いていました。先生はそこで牧会され、一時は関東の教会に転任されました。会堂建築の諸準備をして、あえて地方の教会へ赴任されました。晩年、教会を建築された後、若い伝道者に任せ、息子さん家族と同居して平安な日々を送っておられたことをご夫人より伺いました。いつもご夫婦でホ群などの諸集会に出席されていました。先生は2022年のイースター礼拝を守られた夜、安らかな姿で召天されたことを伺いました。生涯の最後に相応しい召され方であったと思います。3人の息子さんは立派に成長され、それぞれ自立しておられることを伺いました。ホ群の初期の先生方や信徒の方々は、貧しい中にも信仰生活を全うされました。先生はホ群の模範的証し人だと思います。

「主の慈しみに生きる人の死は主の目に値高い。」(詩116:15)

ご遺族の上に神の慰めと祝福を祈ります。

2022/4/17 週報メッセージ

 イースター礼拝を迎えて

朝位 真士 

  キリストの復活は、わたしたちにどのような益をもたらすのでしょうか。ハイデルベルク信仰問答の問45の答に次のようにあります。

  第一に、キリストは、復活によって、死に打ち勝ち給いました。その死によって、わたしたちのために獲得して下さった義に、与らせて下さるためであります。第二に、その御力によって、今や、わたしたちも、新しい生命に生きるものに呼び覚まして頂きました。第三に、キリストの復活は、わたしたちの祝福された復活の確かな保証であります。(聖書引用、ローマ4:25、Ⅰコリ15:16~18、54以下、Ⅰペト1:3、21、ローマ6:4、エフェソ2:4~6、コロ3:1~3、5、ローマ8:11、Ⅰコリ15:12、20~22)

 私はハイデルベルク信仰問答の教理問答を久しぶりに学び、キリストの復活の記事に触れ、1961年12月24日に受洗してから61回目のイースター礼拝を迎えて、あらためてキリストの十字架と復活の出来事は私のためであったと、神に感謝いたしました。皆様方もイースター礼拝を迎えられて、どんな風にお感じになられたでしょうか。コロナ禍、ロシアとウクライナの戦争、人間関係の希薄な時に、主イエス・キリストの復活を私たちの心の中に迎えようではありませんか。

2022/4/10 週報メッセージ

イースター礼拝を迎えるにあたって

朝位 真士 

 3月2日(水)より4月16日(土)まで、受難節(レント)の時期です。キリストの受難と復活を学ぶ時期を過ごせることを感謝します。来週4月17日(日)は主の復活を祝う、キリスト教最大のお祭りであるイースターですが、春分の後の最初の満月の次に来る日曜日ということになっています。このため、わたしたちの使用しているグレゴリオ暦では、毎年日付が変わってしまいます。教会では主の復活を記念して、早天野外礼拝を行うところが多くあります。また、死んだような殻を破って新しい生命が出てくることの連想から、彩色された卵が配られます。キリストの新しい命を象徴しています。

 今年もコロナ禍の中で、イースターの祝いを盛大にすることができませんが、三密を避け、手指の消毒をし、マスクをして礼拝を守りましょう。ある牧師が、「三密(密集、密閉、密接)を避けなければならないが、イエス・キリストには三満があります」と言われました。クリスマスによく読まれるヨハネ1章14節に「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」とあります。①栄光、②恵み、③真理の三つの満があります。イエス・キリストは栄光、恵み、真理に満ちておられました。コロナ禍の中ですが、三満に充足していただきましょう。

 2022年のイースター礼拝を、来週心からお祝いいたしましょう。栄光、神にあれ!!

2022/4/3 週報メッセージ

2022年度を迎えて

朝位 真士 

 2021年度も様々な出来事が起こりました。コロナウイルス感染症が終息しない1年であり、ロシアとウクライナの戦争が今も続いています。大国が小国をいじめている中、先日プーチン大統領のクリミア戦争8周年の記念メッセージがありました。その中で彼は聖書の言葉を引用して、私は残念に思いました。

 荒野の誘惑の記事(マタイ4・1~11、マルコ1・12~13、ルカ4・1~13)で、サタンも聖書を引用してイエス様を誘惑しようとしました。もちろんイエス様は御言葉を正しく適用してサタンの誘惑に勝利されました。ここで考えなくてはならないのは、御言葉の真意を理解して、信仰生活に活用しなくてはならないということです。私は御言葉を語る者として、本当にこの時にふさわしい言葉であろうかと、祈りつつ考えなければならないと思っています。

 新年度となり、わが教会は九九周年を迎えますが、財的にも人数的にも大変厳しい状況にあります。世は変わり、人は変わりますが、イエス・キリストは昨日も今日も変わりません。昨年より一歩でも二歩でも信仰の成長をさせていただきたいと思います。今年度与えられた聖句は、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え」(Ⅰペトロ1・3)です。

2022/2/6 週報メッセージ

聖書を読もう(Ⅱ)

朝位 真士 

 私は、アパルームの日課と詩編、箴言、コヘレトを毎日素読しています。今日は箴言についての米田豊師の解説を紹介いたします。

 附録として加えられた最後の2章の外はソロモンの箴言で(1:1、10:1)、中にはヒゼキヤの官吏が蒐集した部分もある(25~29章、25:1参考)。ソロモンが箴言三千を造った事は列王記にも記されている(列王上4・32)。箴言は日常生活に関する道徳的訓戒を教える種々の金言を記す。前者には預言を含んだ敬けんの思想を記し、後者には金言によって表わした敬けんの行為を教える。本書の教えは、イスラエルの神、主の名は全巻を貫き、世界はこの神によって道徳的に支配され、すべての人類はこの神を畏れる事をもって道徳信仰の基調となすべき事が本書の主張する題目である。子供たちには父母の教えに従うべき事を、青年には純潔の生活を送るべき事を勧め、知者と愚者、富者と貧者、怠惰者と勤勉者などを相対照し、高慢、忿怒、嫉妬、憎悪、暴食などを譴責し、信仰、謙そん、柔和、忍耐、正直、勤勉、節制などを勧告する。現代における本書の大いなるメッセージは、これが書かれた時代と同じに、信仰による敬けんな生活こそ最高の知恵であるとの事である。主を畏れることは知識の本、また知恵の根本である(1・7、9・10)。

 私はこの箴言を読みながら、信仰者としての生活の仕方を学んでいます。皆様も是非、箴言を愛読してください。

2022/1/30 週報メッセージ

聖書を読もう(Ⅰ)

朝位 真士 

 私は、アパルームの日課と詩編、箴言、コヘレトを毎日素読しています。米田豊師の解説を紹介いたします。

  詩篇は、宗教的な人民であるイスラエルの昔の多くの詩人の作を神を礼拝する時に音楽に合わせて歌わせる目的で、最も古い作者は紀元前千五百年代のモーセであり、編集者エズラに至るまで千年間にわたる作の内、ダビデのものが最も多く73篇ある。全体を通じて敬神愛国の情緒にあふれ、感謝、賛美、ざんげ、祈祷で調子づけられている。その題目は多種多様で、義人の繁栄、悪人の災禍、人生の無常などを歌った教訓的なもの、神の義、神の愛、神の恵み、神の力、神の栄光などの、神の属性や神の律法、神の摂理などを歌った信仰的なもの、罪の悶えの中よりのざんげ、患難の中よりの哀訴、個人及び国民の上に下されたあわれみに対する感謝などの祈祷に関するもの、イスラエルの過去を記した歴史的なもの、及び救主来臨(初降臨及び再臨)の希望、ならびにイスラエルの将来の幸福を歌った預言的なものなどがある。

2022/1/23週報メッセージ

今こそ祈りを大切にしてください

朝位 真士 

  私は毎週朝祷会に出席しています。その機関誌の中で、手束正昭師(教団高砂教会)の「朝祷会は日本の教会復興の最前線に」という文章に目が留まりました。

 私の属する日本基督教団では、ある深刻な問題が浮上している。「2030年問題」という。いかなることかというと、9年後の2030年には、日本基督教団の教勢が今の約20万人から約10万人に半減してしまうことが、統計上予想されるという。もしこれが現実のものとなったならば、人数の半減に留まらず、経済的にも大打撃を受け、教団全体の働きも大幅に縮小せざるを得ず、宣教活動の大きな衰退を招くことは必至である。由々しき問題である。……その時私は初めて知った。教団などよりうんと伝道熱心な福音派の教会も、今や衰退の危機に直面しつつあるのだということを。とすると、「教勢の衰退の危機」は今や日本のキリスト教会全体が直面している問題であり、教派を超えて取り組まなくてはならない課題だということになる。

 私は手束先生の文章を読みながら、鍵は祈りであると思いました。私共のホーリネス教会の特長は、皆がよく祈る人達であるということです。私は思い出しました。会堂建設の問題が暗礁に乗り上げた時、私共は何をしたでしょうか。会堂建設に近所の方々が反対されて、本当に私共は大変な試練に遭いました。経済的な問題も大きく立ちはだかりました。建設反対と経済問題の試練の中、私共役員を始め教会員の方々が毎週の祈祷会に出席して、人知を超えた全能の神様に真剣にお祈りいたしました。神様は祈りに応えてくださり、建設反対問題も経済問題も解決し、今日に至っています。1997年12月17日、無事旧マンション教会から現在地に移転いたしました。あの当時祈りに応えてくださった神様は、今も生きて働かれます。教会員の皆様に切にお願いしたのは、「今こそ祈りを大切にしてください」ということです。たしかに、コロナ禍で教会は大変な試練の中にありますが、「イエス・キリストは昨日も今日も変わらない」生きておられるお方です。全能の神にお祈りしてください。