「旧週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ

2009/12/6 週報メッセージ

   クリスマス・チャペルコンサート
                                                             朝位 真士
 ベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生が我が教会に来られて11年目になる。十年一昔というが、先生方は10回以上も喜んで奉仕してくださる。
 ベアンテ・ボーマン先生はチェロの名手であると同時に、説教者、神学名誉博士でもある。また2003年9月に公募部門で全日本山岳写真協会賞を授与されて同協会の会員となられ、数々の賞を受けられている。1971年、ストックホルム王立音楽大学で最優秀賞を授与されて卒業し、1971年~1972年、ゴッテンブルグ市の国立歌劇場の首席チェロ奏者を務める。1972年~1975年、国立フォルクバンク芸術大学に在学、1997年、フィンランド政府給費留学生として首席で卒業。1980年、東京交響楽団の首席チェロ奏者として入団、現在に至る。
 ルリ子・ボーマン先生は、1972年、武蔵野音楽大学卒業後ドイツの国立フォルクバンク芸術大学マスタークラスで、デトレフ・クラウス氏に師事、1975年に卒業、帰国。1977年、ベアンテ・ボーマン先生と結婚。聖書学校のセミナー、伝道コンサートでの伴奏や通訳を担当されている。1994年より協力宣教師としていくつかの教会の働きをサポートされ、2006年4月、お茶の水クリスチャンセンターの依頼で「賛美と聖書の学び」を担当すると共に、超教派の賛美と聖書の学びの集会(名称WOGA)を5県7カ所で月1回行っておられる。牧会神学博士でもある。
 私共の教会堂が1997年12月に完成し、1999年12月19日(日)に第1回クリスマス・チャペルコンサートを開催して11年目である。先生方のユーモア溢れるメッセージと、クラシックの美しい音色に、しばし心を満たされていこう。

2009/11/29 週報メッセージ

   日本基督教団日本伝道150年
                                                              朝位 真士
 過ぐる11月23日(月)午前10時から青山学院講堂で「日本基督教団日本伝道150年」集会に出席した。
 今回のテーマは「キリストこそ我が救い」で、午前礼拝があり、セムナン教会のイェボン讃美隊の奉唱があった。大変素晴らしい賛美であった。説教は「宣教という愚かな手段」と題して、前日本基督教団総会議長、小島誠志先生がⅠコリント1・18~25を通して日本伝道150年の伝道メッセージを力強く語った。
 午後より講演Ⅰで、橋本徹兄(日キ教団聖ヶ丘教会員、国際基督教大学理事長、元富士銀行頭取)の証を交えての講演があった。彼は母の祈りによって救われ、大学卒業後は信仰から離れたが、アメリカで大きな仕事の悩みを抱えていたとき、ニューヨークの教会に導かれて信仰を復興され、日本に帰国して忠実な教会生活を続けている。「伝道における信徒の役割」という講演を自分の生涯の悔い改めも含めて赤裸々に語り、群衆一同深い感動を与えられた。
 講演Ⅱは、神学者加藤常昭先生が「こころを高く上げよう」という題で、哀歌3・40~42、ローマ15・14~21から、50年近く牧会する牧師、また神学者としての観点で語った。日本伝道150年、特にここ数十年の伝道状況を実際的な経験を通して説明された。「伝道とは出ていくことだ。そしてたゆまず伝道していくといつか必ず実を結ぶ。怠けず、心を高く上げて、神を信じて、牧師も信徒も協力して伝道していくとき、日本の伝道にも明るい未来がある」と、80歳の老練な牧者・神学者は力強く語った。東洋英和女学院ハンドベル部の演奏、青山学院大学聖歌隊の賛美も力強く、慰めに満ちた一時であった。
 さあ、私たちの「キリストこそ我が救い」を信じていこう。

2009/11/22 週報メッセージ

   ホ群首都圏教師会に出席して
                                                             朝位 真士

 先日11月16日(月)、小松川教会でホ群首都圏教師会があった。30余名の出席であった。開会礼拝は8月31日に召天された八束潤一先生のCDより、ルカ11章24~32節を通して力強いメッセージを聞かせていただいた。先生が召天される前日の聖日礼拝で語られたメッセージであった。一言でまとめると、「救われた私たちの心の中に、キリストの言葉が豊かに宿るようにしなさい」ということであった。教師会では、後日「八束潤一師のご遺族を支える募金」のお願いを各教師・教会へ配布することになった。
 目的…八束潤一師のご遺族を支えるため/名称…八束潤一師のご遺族を支える募金/募金額…特に定めない/期間…2009年度内(2010年3月)/振替先…ホーリネスの群教師会、口座番号00130-1-322242/ホ群・教師会会計担当…深谷与那人先生(京都復興教会)
 教師会の議題としては、①信徒・教職セミナーについての感想・意見、②新年聖会、2010年1月3日(日)午後、赤羽教会、佐々木良子先生(小松川)、深谷春男先生(吉川)、③学び「ジョン・ウェスレー説教53上No.12」、潮義男先生(志木)、④近況報告・その他、であった。
 私は教師会の委員として全体のお世話をさせていただいているが、ぜひ皆様方に祈っていただきたいことは、八束潤一先生のご遺族(米子教会)のこと、更生教会の原田謙先生のこと、塩谷一粒教会等の教会のことである。もちろん桜ヶ丘教会の宣教・牧会のため、教会員・求道者の方々のためにも祈ってほしい。

2009/11/15 週報メッセージ

西東京教区伝道協議会に出席して                                                                                                              朝位 真士

 11月3日~4日まで、箱根のホテルで西東京教区の伝道協議会が開催され、60余名の出席があった。西東京教区10年の歩みを振り返りながら、プロテスタント宣教150周年を経過しての過去・現在・未来にわたる「転換期の日本の教会と伝道」について考えた。主講師として大宮溥先生(前西東京教区議長、日本聖書教会理事長、阿佐ヶ谷教会名誉牧師)が大きく3つに分けて語ってくださった。1、日本プロテスタント宣教150年の歩み。(1)国民教会の形成(1846~1945)。(2)世界教会の一翼として(1945~1990)。2、21世紀の教会と宣教、(1)教会の成長ー現在の教勢の低下(2000年以前の教勢均衡と以後の低下)、教会の成長期としての明治初期と昭和戦後期ーその後の時代としての現在。①伝道による教会の成長、信徒の伝道体制の強化ー信徒伝道者の養成、高齢化社会における高齢者への伝道、信仰の継承ー受洗者の低年齢化推進、「家の宗教」としてのキリスト教ー准会員制度。②開拓伝道ー教区における開拓伝道、親教会群による開拓伝道。(2)教会の連帯。①教師の養成と研修の強化。②教師謝儀体制の強化。(3)社会的課題への参与と奉仕。結び、愛の共同体としての教会、神のアガペーに生きる、母なる教会への愛に基づく一致、「大きなことには一致を、小さなことには自由を、すべてのことに愛を」(リチャード・バックスター)。日本に対する愛、「2つのJ」(内村鑑三)。
 私は最初欠席を考えていましたが、教区からお誘いがあって出席いたしました。本当に素晴らしい研修会であったと神に感謝しています。教会に戻って参りまして、学んだことを実践したいと願っています。皆様のご協力を期待します。

2009/11/8 週報メッセージ

   外部奉仕を終えて
                                                            朝位 真士
 皆様方のお祈りに支えられて、私は10月24日(土)~25日(日)に三重県尾鷲市にある日本キリスト教団尾鷲教会の秋期特別集会に行って参りました。
 24日(土)早朝教会を出発して、尾鷲駅に午後到着し、牧師の出迎えを受けて信者の方々とのお交わりと休憩をさせていただき、午後6時30分からの特別集会の御用をさせていただきました。若い牧師は私に、メッセージの途中で一息入れるために聖歌を1曲賛美して、後半を語ってほしいと要望しました。今までのメッセージで1時間以内で途中賛美するというプログラムは初めてでしたが、先生の言われるとおりにさせていただきました。会衆に高齢者が多いので、1時間のメッセージは少し疲れるという配慮でした。私は最初戸惑いましたが、少し冷静に考えると本当に配慮の行き届いている牧師であると、大変学ぶところがありました。集会は35名が出席し、地方にしては多く集まったと牧師は語っておられました。普段は20名前後とのことでした。
 25日(日)の特別集会は礼拝形式で、伝道メッセージを約45分語りました。その後、愛餐の時をもつことができました。婦人会のメンバー19名の方々が大変よく協力して、喜んで教会の奉仕をされておられました。この教会は婦人会で支えられていると牧師が語っていました。婦人会以外、壮年会や青年会はないとのことで、地方教会の特色をみた思いがしました。礼拝は30名位でしたが、新しい方も何名か出席しておられました。この特伝のために皆が祈り、愛の労苦を強く感じました。祈る事項も与えられました。地方教会の高齢化、若者の少なさという課題ですが、地方教会の特色も感じました。ハレルヤ!!

2009/11/1 週報メッセージ

   召天者記念礼拝に臨んで
                                                            朝位 真士
 葬儀の後の記念の集いについては、私的・家族的な記念会と教会的な記念礼拝あるいは記念会とが考えられる。いつ、どのような時に記念会をもつかについて特別の基準はないが、キリスト教の歴史と伝統の中では、死後3日目、9日目、40日目など、主の復活の告知を表す3またはそれをさらに3倍した9、それに聖書的に象徴的な40に基づいた日数、年数などによる考え方があったようである。しかし、日取りについて特別の基準がない現状においては、適当な期間をおいた後、教会の暦に関連させて復活節や聖霊降臨節などの1日を選ぶことが意義深いと思われる。それは、死者を記念することがキリストにあって意味づけられ、関係者が集まってもつ記念会に「主にあって共に生き、共に主をあかしする」性格が明らかにされるからである。
 教会としての公同の記念礼拝は、聖徒の日(11月初め)、復活節(3~5月)あるいは地方によっては8月中旬など、関係者が集まりやすい時を選んで行うことができる。(教団新しい式文)
 さて今年は5月18日午前1時35分、99歳8ヶ月の生涯を終えて天国へ帰られたO姉のことを思い出す。私が1994年、桜ヶ丘教会に赴任してからのお付き合いである。Oさんは教会の漬け物を持参された。99年頃から浴風園ケアハウスに入室されていた。聞くところによると、洋裁を習われて、お元気の時は人々に教えられ、趣味の布絵で素晴らしい作品を数多く残された。姉は時には困難な人を助けられた。また妹の長男にあたる人が後見人としてよくお世話をされ、毎月忠実に月定献金を捧げられて、桜ヶ丘教会のことを支援してくださった。
 今日集まられた御遺族の方々は、桜ヶ丘教会のために祈り支援してくださった故人のよき協力者であることを心より感謝いたします。

2009/10/25 週報メッセージ

   宗教改革記念日を迎えて
                                                              朝位 真士
 宗教改革とは16世紀の初め、西ヨーロッパでカトリック教会のあり方に反対し、聖書に基づく自由な信仰を求めて起こった宗教運動です。1517年、ローマ教皇はサン・ピエトロ寺院の改築資金を集めるために免罪符なるものを売り出しました。免罪符を買うことによりあらゆる罪が赦され、罰から免れるとされたために、多くの人々が先を争って買ったのです。
 当時ドイツのヴィッテンベルグの大学の神学教授であったマルチン・ルッターは、罪の赦しはどこまでもイエス・キリストの十字架を信じる信仰にあり、免罪符によっても金銭によっても赦されることはありえず、教皇や教会にはその権威はなく、その力もないと叫び、1517年10月31日、ヴィッテンベルグ城教会の門扉に1枚の紙を釘で打ちつけました。そこにはラテン語で罪の赦しについての論題が95ヶ条にわたって書かれてあったのです。ルッター派は信仰の自由を求めて抗議(プロテスト)し、連名の「抗議書」を提出してその立場を明らかにしたので、この年をもって「プロテスタント」の呼称が成立しました。ルッターが95ヶ条の意見書を発表した10月31日を宗教改革記念日と定め、今日に至っています。
 宗教改革の三大原理は、①信仰のみ(信仰のよってのみ義とされ、人は救われる)、②聖書のみ(伝統や慣習ではなく、神の言葉、聖書によってのみ人は救われる)、③万人祭司(聖職者だけが祈れるのではなく、主イエス・キリストを信じるすべての人が神の前に祈れる)です。私共の信仰のあり方を、もう1度神の前に深く反省したいものです。

2009/10/18 週報メッセージ-2

   秋期特別集会
                                                              朝位 真士
 今回の講師は、シロアム・キリスト教会牧師の鈴木啓之先生です。17歳でヤクザの世界に入り、17年間ヤクザの生活をされて刑務所に服役中、教誨師の牧師より福音を聞かれ、劇的な回心の末、出所後東京中央学院の神学校で神学の学びをされました。韓国に渡り、謝罪と和解のため十字架を背負って、日韓友好のための架け橋となられました。その後、千葉県船橋市にシロアム・キリスト教会を開拓されました。先生の主な著書に『愛されて許されて』『イレズミ牧師のどん底からの出発法』(講談社)、『誰だって人生をやり直せる』(飛鳥新社)『刺青クリスチャン親分はイエス様』(早稲田出版、共著)などがあり、テレビにも出演され、映画「親分はイエス様」のモデルになられた方です。
 今回は「あきらめないで」というテーマで語ってくださいます。聖書箇所はローマ5章3~5節、「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」(新共同訳)
 「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜っている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」(口語訳)
 現在鈴木啓之先生は、牧師であり、府中刑務所の教誨師をされており、また後輩の指導にあたられており、大変ご多忙な先生です。このチャンスに先生から主イエス様の恵みをいただきましょう。

2009/10/18 週報メッセージ

   なぜ神を信じる
                                                       朝位 真士
 「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2章4節)
 イギリスのキール大学教授で大脳科学を専門としており、世界的な理論物理学者であるD・M・マッカイ博士が日本での国際物理学会出席の時インタビューされた記事が、日本教会新報社の中に記載されていたので、皆様方に少しご紹介したい。

 Q.科学者としてなぜ神を信じるのですか。
 A.聖書における神の約束が唯一の真実であることをクリスチャンとして経験している。
 Q.では聖書と科学との関係は?
 A.聖書によれば、私達の世界の過去・現在・未来のすべてに起こる出来事は、神が作者であり演出家
   である壮大なドラマの一部分であるということです。あらゆる物理的出来事は直接神によっていま
   す。自然の出来事はこの法則に従って起こるものであり、科学者はこの事実を発見するにすぎませ
   ん。
 Q.信仰を持つに至ったのは?
 A.科学は聖書と矛盾し、聖書の信仰においては不可能なものと考えていたので、信仰の確信を失って
   しまいました。しかし、矛盾しないという事がわかり、信仰の確信が与えられました。
 Q.日本の人達にぜひ知ってほしいことは?
 A.キリスト教は単なる理論ではなく、いのちの道であるということです。神はあなたが神を知ろうと
   していることよりももっと強く、神ご自身があなたに知られることを望んでおられます。……私が
   特に言いたいのは、神を知るという事柄は学問的論議の問題ではなく、科学的研究を越えたそれ以
   上のものだということです。

 今日午後3時からの鈴木啓之先生の特伝に、ぜひこの事を考えて、出席者全員が神を信じ天国に行きたいものです。

2009/10/11 週報メッセージ

   I姉の受洗に際して
                                                              朝位 真士

 先週の聖日(10月4日)において、I姉が受洗された。姉は中・高・短大とミッションスクールにおいてキリスト教の教育の中で過ごされた。学校では毎朝の礼拝、昼食時のクラス別の礼拝、キリスト教週間には夕拝も義務づけられて、キリスト教にどっぷり浸った生活をされた。友人達は受洗されたが、姉は洗礼を受けなかった。短大は神学部のあったA学院で、授業はキリスト教学が必修科目。礼拝は昼休みに講堂で教授方と共に、それぞれ聖書・讃美歌を持参して参加されていた。そのような中で姉の中にはいつも讃美歌のメロディーや詞章が流れ、イエス様がおられたようである。今姉は人生の後半に入り、身近な方を亡くされたり、看取るようになられると、死というものを深く考えるようになり、ずっと自分はクリスチャンだと思っていたが、やはりもう一つなんだか寄辺ない、心許ない感じがあらわれて、これは洗礼を受けていないせいだと気づかれた。08年12月14日、ベアンテ・ボーマン先生ご夫妻のクリスマス・チャペルコンサートの案内をご覧になられ、教会に出席された。それ以後、ときどき教会の礼拝に出席されて、今年に入って信仰講座を受講された。姉のユーモアあふれる会話で、1時間の学びもすぐに終わってしまい、ついつい時間延長する本当に楽しい学びの時間であった。
 姉の受洗に際して私が思い出す聖書箇所は、マタイ20章1~16節のぶどう園の労働者のたとえである。9時頃からいた労働者にも、12時頃、3時頃からいた労働者にも、また5時頃からの労働者にも、気前よく1デナリの賃金を与えてくださったように、神様はどんな年代にも救いを与えてくださる方であることを思いだした。