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2016年6月特別礼拝の案内

イメージ 1写真:K/Kさん提供
<6月の特別礼拝の案内>
6月5日(日曜日)10時半~
(桜ヶ丘教会創立93年周年記念)
チャペルコンサート
 音楽&メッセージ:岸義紘先生
 こころに響くサクソフォン演奏とユーモアあふれる聖書のメッセージです。
6月26日(日曜日)10時半~
 特別礼拝
 メッセージ:西海満希子先生
 パワフルで愛にあふれた西海満希子先生のメッセージです。
どなたでも参加できますので、是非とも桜ヶ丘教会にお越ししください。
お待ちしています。

5月ゴールデンウィークの中の礼拝

イメージ 1写真:K/Kさん提供
5月に入りました。若葉の緑も日々濃くなって、風もさわやかに私たちの前を通り過ぎていきます。
先週4月25日の礼拝では、「洗礼者ヨハネの証し」というお話でした。
イエス・キリストは「ことば」であり、「ロゴス」であるということ。洗礼者ヨハネは「声」であること。「ことばを伝える声」であるということを伺いました。
わたしたちも、イエス・キリストを伝える声として、生きていくことの使命があると伺いました。
今日5月1日の礼拝では、「神の小羊」というテーマでのお話でした。
神の小羊とはどのような方を指すのかということを教えていただきました。
それは、罪のためのいけにえの小羊、過ぎ越しの祭りの小羊、多くの者の罪を背負って屠り場にひかれていく小羊。
イエスは人類の罪を背負う犠牲の小羊として十字架上で屠られました。
洗礼者ヨハネは「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」とイエスが来られるのをみて言った。と聖書に記されれています。
洗礼者bヨハネが「わたしは、霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。・・・・霊が降って、その人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」と言われた。とあります。
わたしたちに聖霊が降ってくださるときに、救いは確かなものとして私たちのもとにあります。
今日は、声としての洗礼者ヨハネの存在と足跡の中に、私たちは神の証人である教会とキリスト者の原点を見出すということを教えていただきました。
わたしたちが声になることによって、この世は初めてキリスト・イエスに出会うことができるのだということです。
教会全体が一つの声をなる。教会が一つの声となって、人々の耳にイエス・キリストの言葉を届けているだろうか。そして、その声は確実にイエス・キリストを指しているだろうか。
メッセージを通し、声としての存在を、今一度深く考えさせられました。
清さとは、愛であるということについてもお話がありました。
この1週間、これらのことを踏まえて、誠実に過ごしていきましょう。

2016/5/1 週報メッセージ

   ホーリネスの群・結成七〇周年
                                                                                                          朝位 真士
 
  ホーリネスの群は1946年5月1日に結成されました。そのことを覚えて感謝と新たな祈りの時をもつために、記念礼拝を共に捧げましょう。
 ①ホ群の歴史を振り返り、存在意義と大切にしているもの、大切にしたいものを再確認する。②ホ群教会並びに教師・信徒がその信仰を燃やされ、力強く歩み進むものとなる。③献身者が起こされる。スローガン「起きよ、光を放て」。「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。」(イザヤ60・1)
  主な記念の年は次の通りです。2016年、ホ群結成70周年。2017年、日本ホーリネス教会100周年、宗教改革500周年。2018年、新生ホ群30周年。
 戦争直後のホーリネス教会の歩みは、1945年11月8日、日本橋の都心教会において「復興感謝大会」開催。教職70名、信徒30名。1946年1月1日、『復興誌』(現『ホーリネス』誌)発行。1946年1月1日~3日、日本橋都心教会において復興新年聖会。1946年5月1日~3日、日本橋都心教会において春季復興全国大会開催。教職
70名、参加者150名。大会において「ホーリネスの群」結成。教団発足当時11の部制で、その中の第6部であった日本聖教会の多くの教会(教職と信徒)は、戦後2年目に教団内に留まって、「ホーリネスの群」として新たに歩み出しました。『復興誌』1946年6月号には、「我らはホーリネスの群と呼称して教団内に在りつつ強固な団結をもて純正なる福音をもって日本教化への推進力たらんことを決意して第一歩を踏み出したのである。ハレルヤ。」とあります。(続く)

2016/4/24 週報メッセージ

   最近の出来事で想う
                                                            朝位 真士
  「イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ。」「お前は自分の神
と出会う備えをせよ。」(アモス4・12)
 「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてくだ
さい。」「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心
を得ることができますように。」(詩編90・12)
 私は最近、右に記した御言葉が強く心に響いている。その理由は、教
会の愛する方々が3月、4月と次々に召天されたことである。二人とも
女性で、十代でクリスチャンになられて信者として模範的な生き方をさ
れた。家族に対しても周囲の者たちにも、良き証しの生涯を送られた。
私は牧師としてお二人の最後に出会い、天国への旅立ちのお手伝いをさ
せていただいた。牧師として大変に感謝なことであった。御遺族にとっ
ても私どもにとっても悲しみは尽きないと思う。しかし天国という素晴
らしい場所に移されたことは感謝なことだと思う。私どもも後からつい
ていきたいと思う。
 もう一つのことは4月14日から続いている九州、特に熊本・大分地域
の地震である。朝日新聞、4月19日朝刊によると、熊本で死者44人、
安否不明8人、負傷者1101人、避難者9万4181人、全壊・半壊建物
2227棟という被害状況である。この出来事は他人事ではない。
被災された方々の1日も早い回復を祈るばかりである。終末の近いこと
を感じる今日この頃である。

2016/4/17 週報メッセージ

   Y姉の葬儀に出席して
                                                               朝位 真士
  Y姉が4月7日(木)午後4時30分、小淵沢の御自宅で召天されました。
93歳6ヶ月でした。姉は幼児洗礼を受けられ、1993年3月28日に西海
静雄師の司式で信仰告白式を行いました。
 私共は1994年4月から桜ヶ丘教会でお会いしています。温厚な御婦人
で、聖歌隊で奉仕をされていました。その存在は大変貴重で、いつも前向
きで積極的であり、人々に対して愛をもって接し、よく気がつかれる方でし
た。2011年11月、小淵沢に転居され、娘さんと生活をされていました。
ミッションスクール(東洋英和女学院)を出ておられ、外国の銀行に応募し
て一〇〇倍の倍率を突破し、キャリアウーマンの先駆者として働かれた
方でした。昨年12月28日、教会員のS姉と私共が御見舞に伺いました。
その時すでに医者から余命3ヶ月と宣告されていましたが、そのような様
子はなく、クリスチャン女性として、優しくにこやかに接待してくださいました。
 4月10日に前夜式、11日に告別式が厳粛に行われ、私が司式をさせて
いただきました。御近所の方が二〇数名出席され、寂しさの中にも晴れや
かな気持ちで賛美をして、天国に送らせていただきました。
 「主の聖徒の死はそのみ前において尊い。」(詩126・15)
 御遺族の上に神の慰めと祝福をお祈りします。アーメン。

4月10日特別礼拝

イメージ 1写真:k・kさん提供
求めよさらば与えられん
説教者は、志木教会の牧師、横山基生先生でした。桜ヶ丘教会にホーリネスの群れからの問案ということで、おいでいただき、お話をしていただきました。
「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」マタイによる福音書7章7節
求め続けること、探し続けること、門をたたきつ続けること、この継続し続けることが必要であるというメッセージでした。
「与えられない、遅れる、与えられる」という3つの結果が予測されますが、神が時にかなう形で、私たちに必要なもの、良いものを、ご用意くださるということです。
継続して求め続け、探し続け、門をたたき続ける中で、若者は幻を見、老人は夢を見る。
求めるものは、成長する。健康になる。愛の人になる。この時代の真理がわかってくるということです。
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」
マタイによる福音書7章12節
お互いに求め続ける中で、成長できる、愛の人になる鍵は、このような行為をしていけることなのだと思わされました。

2016/4/10 週報メッセージ

   2016年度ホ群年会に出席して
                                                               朝位 真士
  過ぐる4月4日(月)~6日(水)まで、ホーリネスの群年会が東京聖書
学校および越谷コミュニティセンターで開催された。主題は「起きて、
光を放て」、副題は「ホーリネスの群結成70周年、結成への経緯を問
いつつ」であった。全国より議員ならびに関係者200名近くが出席した。
 開会礼拝の説教は久多良木師、司会永家姉。聖会Ⅰ、説教村上義治
師、立証五味明子師、司会山口英希師。聖会Ⅱ、説教島隆三師、司会横
山好江師、合唱東京聖書学校神学生。派遣式、司会・説教横山基生師。
その他、レセプション、事務会3回、東京聖書学校後援会等があり、大変
充実した内容であった。特に村上委員長が挨拶で、「七〇周年を迎えて
感慨深さと積み上げられた歴史の豊かさを味わいつつも、危機感を覚
えています。第一は時代から来る危機です。……教会という共同体が事
実上限界集落的な様相を呈し始めています。……この世にある教会は存
続の危機と言えるでしょう。第二は教勢から来る危機です。人数減少・
高齢化だけではなく財政力も入ります。現実問題、今の教会の体力は60
代・70代の信徒で支えられています。第三は献身者の危機です。」と
語られたのが印象的であった。この話は私共の教会にも当てはまると
思い、もっと祈りと信仰を強くして、全能の父、イエス・キリストの父なる
神に祈らなければならないと痛切に感じた。しかし、危機こそチャンスでもある。

2016/4/3 週報メッセージ

   ある少年院での卒業式
                                                               朝位 真士
  私の奉仕しているA女子少年院での中学生の卒業式に出席した。出身校
の中学校校長先生が一人の卒業式のため出席され、出身中学校の卒業
証書を授与された。その後、少年院の院長先生の祝辞、校長の祝辞、卒業
生の言葉があった。少年の少年院での生活の一場面が写し出され、非行
当時の心理状況と現在の心理的変化がうかがわれた。式が終わって一人
のキリスト教教誨師の先生のお話を伺う時が与えられ、大変感動したので
皆様にお伝えしたい。
 先生は長く教誨師・篤志面接委員をしておられる、80歳を超えた温厚な
先生である。少年院の授業でキリスト教的教養講話をしていた時、ある少年
がその話に感動して、少年院を出た後、母親にキリスト教の話をされた。
その少年の母親は感動して、キリスト教を求道して信者となり、教会生活を
送られるようになった。ある時、神様から牧師・伝道者になるように召命を受
けて献身し、某神学校に行かれ、現在は都内のある教会の牧師として御用
されているということである。今もその少年と母親との交流が継続していると
いうことを伺った。
 「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを
見いだすだろう。」(コヘレト11・1)
 「朝、種を蒔け。夜にも手を休めるな。実を結ぶのはあれかこれか。」
                                  (コヘレト11・6)

イースター

イメージ 1イースター
イエス様の復活の喜びを心から嬉しく思います。
イエス様の復活は、死に勝利したイエス様が、私たちの中に生きてくださる恵みでもあります。
イエス様の十字架の死によって、すべてを失ってしまったような喪失感で使徒たち、婦人たちは、悲しみのどん底にあったことと思います。
しかし、復活という人間の思いや知恵を超えて、私たちの前にイエス様は現れました。
喪失感から、希望をもって歩むむことができる道をご用意くださいました。
イエス様と共にあることによって、私たちは新しく生まれ変わることができるのです。
イエス様は、昨日も、今日も、そしていつまでも変わることがなく、いてくださいます。
復活されたからです。
死に勝利されたのです。

2016/3/27 週報メッセージ

   最近の恵まれた出来事
                                                                                                         朝位 真士
 最近90歳を過ぎた一人の姉妹が召天された。その姉が私に1冊の本をプレゼントしてくださった。『世界最大のもの』(ヘンリー・ドラモンド著、新屋徳治・順子共訳)である。
 
  たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシ
 ンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動か
 すほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽く
 そうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
  愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求め
 ず、いらだたず、不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
                                                  (コリントⅠ 13章、口語訳)
 
 宗教の世界で最大のものは「信仰」であると言われてきたが、コリントの信徒への手紙1の13章はキリスト教の根源について述べている。そこに「その中で最も大いなるものは、愛である」と結論付けられている。90歳を超えた姉は、教会でも家庭でもいつもニコニコして笑顔で若い者たちに接して、前向きな生き方、愛を実践された。
 もう一人、桜ヶ丘教会の会堂建築の時、献金をしてくださった元歯科医の女性がいる。彼女は90歳を超えておられるが、横浜のホームから毎週タクシーで礼拝に出席されている。お金を神様第一に使用されている。
 私はこの二人の婦人たちの熱心な信仰とキリストに対する愛の行為に大変恵まれ、まず神を第一とした晩年を送り、天国へ帰りたいと祈りながら、二人の姉妹たちと別れた。