榊原紀惠子 のすべての投稿

2015/5/17 週報メッセージ

   聖霊の祝福を阻むもの                                                                 
                                                                                                        朝位 真士
 
  クリスチャンは、聖霊によって成長しつつある人間です。まだ完全に聖くされた者ではありません。ですから、残された罪の性質との戦いが常にあります。その罪との戦いに打ち勝つためには、絶えず聖霊の力を必要としています。時には、その聖霊の働きを拒んでしまうことがあります。聖霊の働きを阻んでしまうものとは、次のようなものです。
 (1)自我の誇り「同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、『神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる』からです。」(Ⅰペトロ5・5)
 (2)罪の告白をしない「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。」(Ⅰヨハネ1・9)
 (3)世的欲望「世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。」(Ⅰヨハネ2・15~17)
 (4)神信頼の欠如「疑いながら食べる人は、確信に基づいて行動していないので、罪に定められます。確信に基づいていないことは、すべて罪なのです。」(ローマ14・23)
 私共は先週「聖化(きよめ)への道」を学びました。(1)神の子の確信、(2)罪と死の法則からの解放、(3)実を結ぶ生活、(4)賛美と感謝、(5)行動力の源泉です。その祝福を阻むものを取り除いていただきましょう。

2015/5/10 週報メッセージ

   聖化(きよめ)への道
                                                                                                        朝位 真士
  「召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。『あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである』と書いてあるからです。」(Ⅰペトロ1・15~16)
 聖化への道は、人間の力で実現できるものではありません。聖霊なる神の働きによって信じる者に与えられる一方的な神の祝福だからです。この聖霊の働きを格別に受けることを、聖書では「聖霊に満たされる」といいます。では、聖霊に満たされた祝福とは基本的にどのようなものでしょうか。
 (1)神の子の確信「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。」(ローマ8・14)
 (2)罪と死の法則からの解放「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。」(ローマ8・2)
 (3)実を結ぶ生活「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」(ガラテヤ5・22~23)
 (4)賛美と感謝「霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。」(エフェソ5・18~20)
 (5)行動力の源泉「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(Ⅰコリント1・18)
 聖霊の祝福を阻むものは、①自我の誇り、②罪の告白をしない、③世的欲望、④神信頼の欠如等です。ペンテコステを前にしてもう一度、聖化の恵みを求めましょう。

5月連休が過ぎて

イメージ 1写真:K・Kさん提供
長い連休も明けて、仕事モードに入られた方も多いことと存じます。
新緑が目に入り、心もリフレッシュする季節です。
昨日5月7日(木曜日)には、桜ヶ丘教会では昼の祈祷会がありました。
2015年度から、第1と第3の木曜日には、昼も13時30分から祈祷会を実施することになりました。
自分達の考え方をコントロールするために主に助けていただくことの必要性を学びました。
「主において常に喜びなさい。あなた方の広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を越える神の平和が、あなた方の心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」
私達が自分の心をコントロールすることは、聖霊による主の助けがあってはじめて可能になると思います。
日々、私達は泣いたり、悲しんだり、怒ったり、笑ったりとしますが、主にあって喜ぶことが必要であることを学びました。良くても悪くても主にあって喜びなさい。感謝をこめて祈りなさい。春の恵みに包まれながら、祈るという小さな行為によって、さらに祝福されることを感じつつ、来る日曜日(聖日)を待ちたいですね。

2015/5/3 週報メッセージ

   2015年度教会総会を終えて
                                                                                                           朝位 真士
 
  教会規則第19条5項により、議員総数の5分の1以上の出席(51名中、出席20名、委任状13名)で総会が成立した。
 まず2014年度の教務報告があった。2014年度の各行事が報告され、各会の活動報告が文書でなされた。教勢については、現住陪餐会員51名、受洗2名、転入2名、転出2名、礼拝30名、祈祷会5名、夕拝7名、教会学校4名であった。次に2014年度会計決算報告が会計担当よりなされた。桜ヶ丘教会90周年記念誌が300部発刊され、
327、672円の出費があった。教会学校は少しずつ人数も増加し、献金も増加している。
毎年、年2回教会総会が実施されているが、役員の方々の手際の良い資料作成にはいつも頭が下がる。
  今年度は東京神学大学から神学生を受け入れた。このことから、少なからず教会の動きに変化を期待してもよいかと思う。しかし、ホ群の神学校からではないので、ホ群の歴史や信仰を理解するのに少し時間がかかるかもしれない。彼らの良き賜物が徐々に生かされることを期待するが、ホ群の伝統、中田重治・ウェスレーの伝統、
四重の福音(新生・聖歌・神癒・再臨)、特に聖化の恵みを体験していただきたい。もちろんこのことはすべての信徒の方々にも言えることである。ホ群の集会(弾圧記念聖会、6月21日、東調布教会、夏期聖会、7月21日~23日、ハートピア熱海、新年聖会、1月2日、場所未定等)に積極的に参加して、将来ホ群の教師になるべく、ホ群の特色に早く慣れていただきたい。教会員の方々には、彼らのために祈って欲しい。

2015/4/26 週報メッセージ

   「改訂宣教基礎理論」二次草案
                                                                                         朝位 真士
  宣教の内容(2)生の全領域における変革 ⑥「召命」とは、キリストの祭司、また復活の証人として、世に遣わされることです。キリスト者はその存在と生活の一部分ではなく、その職業生活、家庭生活、社会生活の全体が、全生涯にわたって、神に召されています。したがって、職業もまた、単なる食べるための苦役(創3・17)ではなく、召命との関わりで考えられるべきです。召命の自覚は、キリスト者に真の生涯を与えるでしょう。
 ⑦キリストの福音を証しするためには、自分がキリスト者であることを公にし、いつも隣人のために祈ることが肝要です。(マタイ5・44、2ペト1・10、ガラ2・20、ロマ12・3)
 (3)終わりの日の完成 ①死人の中からよみがえられたイエス・キリストは、現在わたしたちと共におられるだけでなく、終わりの日に再び来られ、救いの業を完成されます。そのとき、「恵みの契約」が成就し、人々には「罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命」(使徒信条)が与えられます。福音の持つすべての明るさ、希望の力、愛の実践力などは、キリストの復活と再臨の確かさの中に、その根拠を持っています。(使18・9~10、マタ28・18、同28・20、1ペト1・5~9、2コリ6・2、フィリ1・6、黙21・3~4、1コリ15・28、エフェ1・10)
 ②復活者キリストは、今も教会の先頭に立って御国の福音を宣べ伝え、戦っておられます。教会は今日も明日もこの主に仕えることを喜びとします。その限りにおいて、教会はこの世にある間は戦いの中にありますが、同時に、すでに主の勝利にあずかっています。すなわち、わたしたちの目には成功と見える日にも、失敗と見える日にも、その労苦は決して無駄ではなく、御言葉は一つとしてむなしく地に落ちることはありません。

2015/4/19 週報メッセージ

   2015年ホ群年会に出席して
                                                                              朝位 真士
  4月6日~8日迄、ホ群年会が二つの場所で開催された。吉川の東京聖書学校と越谷コミュニティセンターである。  
 第1日、開会礼拝、説教深谷春男師、司会國吉常與兄。レセプションがあり、聖会Ⅰ、説教村上義治師、司会中西絵津子師。
 第2日、事務会Ⅰ、追悼式、司会島隆三師、東京聖書学校後援会、教師会、信徒会、派遣式。ホ群委員長、13名の教師達の移動があった。聖会Ⅱ、説教久多良木和夫師、司会三坂幸英師、合唱東京聖書学校。
 第3日、事務会Ⅲ、派遣礼拝、説教大友英樹師、司会齋藤悦夫兄であった。
 今回の聖会は、ホーリネスの群結成70周年(2016)記念に向けて、主題「召しに応える」副題ー腰を据えてここに立つー(使徒言行録18章9~11節)「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ』」という所より、村上委員長がメッセージと委員長挨拶を述べられた。特にホーリネスの群結成70周年について、初期の願いと信仰に立ち帰って新たな一歩となれるよう祈り、取り組んでいきたいと語られた。日本基督教団の動向として、「伝道に熱くなる教団」から「伝道に燃える教団」へと訴えてきた。今期は「伝道する教会の建設」ー教会の一致に基づく伝道の推進ーの旗の下集結することになった。人事については、派遣式が12教会、移動教師13名(卒業生4名を含む)となった。最後に、「パウロは1年6か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた」という旗印の下、群全体としての前進を願い、全国の群に属する教師・信徒達と共に主の御心に適って進んで行きたいと語られた。

4月第2聖日の礼拝に思う

イメージ 1暖かな春から、一転して3月のような冷たさを感じつつ、4月が過ぎています。
皆様の体調は大丈夫でしょうか。
4月12日(日曜日)の礼拝では、子どものような心をもった人が、神の国を継ぐことができるということについて、お話をうかがいました。
神の国は神様からの贈り物であるという、素晴らしいことも改めて考えさせられました。
私達が何か努力して、善行を積むことによって得られるというような事ではなく、一方的な神の恵みによる、私達へのおくりもであるということ。
今、私達のこころの中に、神の国を見ることができたら幸いですね。
どのような、状況にあっても、絶望に終わることはなく、必ず希望の光が私達を導いてくださることを、日々感じて、感謝とともに過ごせることは、何と幸いな事でしょう。今日もイエス様が、共に歩いてくださいます。全幅の信頼を主において、日々、安らかに、進んでいけるように祈っていきましょう。

2015/4/12 週報メッセージ

   「改訂宣教基礎理論」二次草案
                                                                                      朝位 真士
  引き続き「宣教の内容」(2)生の全領域における変革から始めましょう。
 ①ただ神の恵みにより、信仰によって義とされた者は、この「義認」の恵みによって、日々聖霊の実を結びます。これを「聖化」と言います。また、同じ「義認」の恵みのゆえに、教会を形成し、一人でも多くの者に福音を宣べ伝える「召命」を受けます。義認と聖化と召命は、一つの恵みのみわざです。決して三つがバラバラに起こるのではなく、常に同時に起こっています。(ロマ6・11、エフェ2・4~6、ガラ3・27、同6・15、2ペト1・10)
 ②「義認」とは、キリストを信じる者の罪がもはや罪として認められず、神との交わりの中に入れられることです。(ロマ8・1~11、1ペト1・8、1ヨハ1・3)
 ③「聖化」とは、キリスト者がただ義認の恵みに基づき、その生の全領域において、日々古い自分に死に、新しい自分に生まれ変わって、神に向かって生きるようになることです。(エフェ4・22~24、ガラ2・20、使20・32、マタ13・23、同7・17)
 ④その人は、父なる神がお喜びになる善い業をするようになります。善い業の基本は、神を「アッバ、父よ」と呼ぶ祈りです。神に「父よ」と祈る祈りから出たものではない業は、肉の業であり、良いわざとは言えません。(ロマ8・14~16、ガラ4・6、マコ14・36)
 ⑤キリスト者が祈りによって神と結ばれるとき、その人は神を愛し、神を畏れる者となり、強いられてではなく、喜んで、死に至るまで神に従うことを願うようになります。その意味において、その生涯は悔い改めの生涯となるでしょう。また、その人は聖霊の実を結び、「キリストの香り」を放つ者となるでしょう。(ガラ5・16~17、同5・22~23、詩1・1~3、2コリ2・14~15)                                               

イースターの聖日

イメージ 1
写真:K/Kさん提供
イースターの朝、4月5日(日曜日)は、小雨が降っていました。
卵を公園に隠して、教会学校では、子供たちが卵探しをすることを楽しみにしていました。
教会学校の先生たちも、いつもの年のように、風薫る春の中で卵を探すことを楽しみにしておられました。
しかし、今年は、教会の会堂の中に、卵が隠されて、子供たちは、違ったイースターの時を過ごすことになりました。
主なるイエス様が復活された喜びは、どのようなことにも勝る大きなことです。
絶望の淵から、希望を待ち望むことができる勝利の道があることを確信できます。
桜ヶ丘教会では、今年4月から、日曜日の昼食を復活させました。
皆様で、お昼のひとときを過ごして、新しい1週間を備えることは、とても感謝なことです。
どうぞ、この昼食の時間を祝福していただき、主にある喜びを分かち合いましょう。
祈りつつ、歩まん!

2015/4/5 週報メッセージ

   復活祭(イースター)を迎えて
                                                              朝位 真士
  今日はイースター礼拝です。私はイースターを54回迎えます。イー
スターは毎年日付が変化します。この日はキリストの復活を記念する日
であり、紀元(AD)325年のニカヤ会議にて、春分の日の後の第一の
満月後の日曜日と定められました。
 イエス・キリストは十字架の死後3日目、週の初めの日(マタイ28章、
マルコ16章、ルカ24章、ヨハネ20章)、すなわち日曜日に復活されま
した。キリストの復活によって、罪の結果であり人間の最大の敵である
死に勝利がもたらされたこの日を記念し、教会では特別礼拝、聖餐式
などが行われます。
 使徒パウロは、コリント第一・15章にキリストの復活のことを記載して
います。特に15章3~5節で「最も大切なこととしてわたしがあなたがた
に伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に
書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、ま
た、聖書に書いてあるとおり3日目に復活したこと、ケファに現れ、その後
十二人に現れたことです」と書いています。また使徒2章32節には「神は
このイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人で
す」と書かれています。イエス様は十字架の死と復活の予告を生前3回
されましたが、その予告が実現しました。それが今日、イースター礼拝の
この日です。私共もこの復活信仰をもって、罪からの勝利と、復活の証人
としての新たな決意をいたしましょう。