聖霊の祝福を阻むもの
朝位 真士
朝位 真士
クリスチャンは、聖霊によって成長しつつある人間です。まだ完全に聖くされた者ではありません。ですから、残された罪の性質との戦いが常にあります。その罪との戦いに打ち勝つためには、絶えず聖霊の力を必要としています。時には、その聖霊の働きを拒んでしまうことがあります。聖霊の働きを阻んでしまうものとは、次のようなものです。
(1)自我の誇り「同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、『神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる』からです。」(Ⅰペトロ5・5)
(2)罪の告白をしない「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。」(Ⅰヨハネ1・9)
(3)世的欲望「世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。」(Ⅰヨハネ2・15~17)
(4)神信頼の欠如「疑いながら食べる人は、確信に基づいて行動していないので、罪に定められます。確信に基づいていないことは、すべて罪なのです。」(ローマ14・23)
私共は先週「聖化(きよめ)への道」を学びました。(1)神の子の確信、(2)罪と死の法則からの解放、(3)実を結ぶ生活、(4)賛美と感謝、(5)行動力の源泉です。その祝福を阻むものを取り除いていただきましょう。
(1)自我の誇り「同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、『神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる』からです。」(Ⅰペトロ5・5)
(2)罪の告白をしない「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。」(Ⅰヨハネ1・9)
(3)世的欲望「世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。」(Ⅰヨハネ2・15~17)
(4)神信頼の欠如「疑いながら食べる人は、確信に基づいて行動していないので、罪に定められます。確信に基づいていないことは、すべて罪なのです。」(ローマ14・23)
私共は先週「聖化(きよめ)への道」を学びました。(1)神の子の確信、(2)罪と死の法則からの解放、(3)実を結ぶ生活、(4)賛美と感謝、(5)行動力の源泉です。その祝福を阻むものを取り除いていただきましょう。