<写真の礼拝お花:7月25日>夏の中の桜ヶ丘教会
<写真の礼拝お花:7月25日>
<写真の礼拝お花:7月25日> 福音とは
朝位 真士
「福音とは何か。」福音書とはギリシア語のエウァンゲリオンによって表された。だがこのギリシア語は「よいことを伝達するところの」という語から派生したもので、元来戦争に勝った知らせを意味した。やがてローマの帝政下にあって皇帝継承者の誕生などが「福音」の告知となった。最初期の教会はこの語を旧約聖書に由来する「喜びの知らせを宣べ伝える」から解釈した可能性がある。いずれにせよこの語は教会では「福音」、すなわち人々への神の「喜ばしい知らせ」を意味した。
「イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」(マルコ1・14~15)
「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」(ローマ1・16)
しかし少し後になると教会ではエウアンゲリオンが「福音書」として用いられ始める。イエスの生涯と教えを内容とする本を意味し始めたのである。それを証言する文献が出現するのはイエスの死後70年ほどたった2世紀初めの頃である。それ以前に完成した新約聖書の四福音書には、ほぼ「福音書」を意味するエウアンゲリオンという言葉はない。むしろマルコ、ルカ福音書では、この語は大切な「福音」として用いられた(マコ8・35、マタ4・23)。(聖書辞典より引用)
私は「福音」とは「イエス・キリスト、その事実」であると考える。イエス・キリストの十字架の死と復活を信じることによって、どんな人でも救われ、人生が変えられ、新しい人生の歩みを踏み出すことができる。
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(Ⅱコリ5・17)
牧会雑感
朝位 真士
最近病気の方を訪問する機会が与えられています。一人はI姉です。足をけがされて2ヶ月余、教会出席ができなくなっていましたので、フミ子牧師と二人で訪問しました。大変喜ばれ、共に交わりと祈りの一時を過ごしました。外は大雨でしたが、心は恵みの雨で満たされました。
次にS牧師をフミ子牧師と訪問しました。以前も記しましたが、彼は末期の病気で聖ヨハネ病院のホスピスに入院されています。私共がまいりますと、奥様が付き添っておられました。そのときK牧師も一緒でした。K牧師は聖餐式をするための見舞いでした。S牧師と夫人の二人が聖餐に与られました。私共も同席させていただきました。死期が迫っている方の聖餐式は大変厳粛でした。もちろん教会での通常の聖餐式も厳粛ですが、また違った意味で、大変意味ある聖餐式でした。私は聖餐式の前にS牧師に御言葉を引用させていただきました。「よく聞きなさい。『今日か明日、これこれの町へ行って1年間滞在し、商売をして金もうけしよう』と言う人たち、あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。むしろ、あなたがたは、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです。」(ヤコブ4章13~15節)私たちの生活は、「主の御心」を優先することが大切であるということを語りながら、私も本当に厳粛な気持ちになりました。
S牧師の顔は霊の輝きに満たされて、「毎朝6時半からのミサ(カトリックの礼拝)が唯一の楽しみです。今は、祈ることがどんなに大切なことであるか、しみじみと感じています」と述べていたことが印象深く残りました。すでに彼の心の準備はできていました。
S牧師を見舞って
朝位 真士
先日の首都圏の教師会で、S牧師が末期のガンであり、医者からは余命1週間位と宣告されているので、皆様祈って欲しいという要望があった。約30名集まっていた教師たち一同は、心を一つにして熱心に祈らせていただいた。
私は教師会の責任者の一人として是非訪問したいと願い、7月6日午後に郊外のキリスト教関係のホスピス病棟へ見舞いに伺った。S牧師の奥様は毎日付き添っておられるので、その日は休むようにと言われて、おられなかった。S牧師と二人でしばらく過ごし、先生の証しを伺うことができた。彼は大手の会社の管理職を定年になり、時間が空いたので60数歳になって求道され、信者になり、70歳近くで献身をして、72~3歳で伝道者となり、牧会されていた。体調の不良をうったえて病院で診察してもらったところ、末期のガンということが判明した。手術をしても何年といわれたので、彼はホスピスを希望されたようすであった。体は少し細身であったが、私たちの面会(後にW牧師と同席)に大変喜んでくださり、一人で一気に30分以上も話された。ご自分の証しである。顔は輝き、気力は充実しておられ、死期が迫っているような状態とは思われない感じであった。見舞った私たちが反対に勇気づけられ励まされた。
カトリックの挨拶に「メメント・モリ(死を覚えよ)」という言葉があるそうだが、本当に私共も、いつ主が来られてもよいように、また人生の最後が来てもよいように備えたいものである。「イスラエルよ、神に会う備えをせよ。」(アモス4・12b)
S牧師の病気を通して、多くの方々が慰められ救いに入ることができるように、切に神に祈る次第である。
6月27日(日)午後3時から4時45分、桜ヶ丘教会にて開催されました。約90名相当の方々が参加されての集会でした。 T姉の召天に際して
朝位 真士
6月15日午後1時56分、T姉の召天の報を聞いた。T姉は1911年(明治44年)2月17日、千葉県で誕生された。99歳4ヶ月余の地上の生涯であった。女学校卒業後、郵便局勤務の時、1936年(昭和11年)銚子聖教会の松本牧師によって受洗。1967年(昭和42年)桜ヶ丘教会に転入会されている。72年前に結婚され、4人の男子に恵まれた。御主人を1994年12月に天に送り、2005年7月にはご長男を天に送り、悲しみの中にあった。生前、御主人と東京郊外の住まいより約1時間半かけて、桜ヶ丘教会の礼拝に毎週のように出席しておられた。無口な方であったが、いつもお会いするときはニコニコされる温厚な方で、いつでも御主人に黙々と従っておられたようであった。4人の男子を育てられたのは並大抵ではなかったと思うが、キリスト教信仰を忠実に守って従っていかれたのではないだろうか。
御遺族の意向で、6月18日(金)自宅で前夜式、6月19日(土)告別式、出棺、火葬と、親しい方々と共に自宅から天国に旅立った。私は不思議な導きで御主人の葬儀も、御長男の葬儀もさせていただいた。司式者としてなんと御遺族に言葉をかけてよいか迷ったが、聖書の言葉をもって語ることができた。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。……神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」(コヘレト3章)
御遺族の上に神の慰めと祝福をお祈りいたします。
写真提供:K/Kさん