婦人修養会に参加して
朝位 真士
先週の火曜日、桜ヶ丘教会の婦人修養会に参加した。参加者は数名であったが、エフェソ書2章11節~4章24節までを手分けして発表された。私はエフェソ書の内容の深さをあらためて感じた。有意義な学びであった。
この手紙は使徒パウロが紀元61年~62年頃、ローマの獄中で書いたといわれている獄中書簡の1つであり、エフェソは当時小アジアの大都市で、魔術とアルテミス偶像崇拝によって特に有名である。パウロは2度この地に伝道したことがあり(使徒18・19~21)、その後まもなく再び訪れ(使徒19・1)、「わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい」と教え(使徒20・31)、その結果、教会が建設されるようになった。高いキリスト者的生活における深い心霊的教訓を説き示している。教会の奥義、キリストにある高い地位、キリストのからだ、この地位にふさわしい歩みなどが本書の特色である。
2章11~22節、異邦人の地位。救われたとき異邦人もユダヤ人もキリストにあって一体となり、神に近づきうること、そして聖なる神の住まいとしての宮であるべき教会。
3章1~21節、啓示を受けたパウロ、そして奥義の説明。エフェソ教会に対する激励、彼らのためのパウロの祈り。
4章1~24節、召しにふさわしい歩みと一致の勧め。教会に与えられた各様の賜物とその目的。異邦人の汚れた行為を捨て、古き人を脱ぎ捨て、新しき人を着るべきこと。
教会は4H、ホーム(温かさ)・ヒム(賛美)・ホスピタリティー(親切なもてなし)・ホーリィ(聖なるもの)に満ち、「キリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」(エフェソ1章23節)。
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いよいよ夏本番
K/Kさん写真:「梅雨の合間にみた夕焼け」
7月の「海の日」を境に例年関東地区は夏を迎え、太陽の陽射しがぎらぎらとアスファルトを照らし暑さも夏まっさかりとなりますが、皆様は、この梅雨どきをとのようにお過ごしでしょうか。
梅雨があるからこそ、日本の豊かな自然があることを考えると、6月のしっとりした風景がまた違って感じることができます。
紫陽花などの花々が、しっとりとしてなんとも風情ある季節です。
先週は、吉川教会で、「ホ郡弾圧記念礼拝」が開催されました。
日本におけるキリスト教の歴史において、様々な弾圧があったことを、わたし達は忘れてはならないと思います。
今日の朝位牧師の説教は、アンテオキアを経て、使徒のバルナバとパウロがキプロスにわたり宣教を行ったという話を通し「聖霊の力」についての話でした。
本格的世界宣教の初穂は、ローマの高級官僚がイエス・キリストを受け入れるという回心であったということでした。当時彼に義務付けられていた皇帝礼拝等をしないという選択がその地位や生命にまで危険が及ぶことも予測される中での回心。
使徒パウロの言葉と業に力があったことは言うまでもなく、その力は「聖霊の力」であったというお話でした。
このブログを書く中で、教会は、わたしたち一人一人の居場所でもあるというということをより深く認識できるようになりました。
教会は、わたしたちの私物ではないことは誰もご存知のことですが、わたしたち一人一人が、イエス・キリストに使えるために、主がわたし達にお与えになられた場所、居場所なのだということ。
それぞれにある賜物をもって、教会に集い、礼拝を守り力をいただきます。
ブログを作成する中で、桜ヶ丘教会会員の個性が、それぞれの経験が、桜ヶ丘教会の宝物だと感じてきました。
苦境にある人も、順調に進んでいる人も、老いも若きも、いま、その時、神様が共にいてくださっていることを覚えつつ、どうぞ桜ヶ丘教会を我が家のようにして、教会とともに成長していきましょう。
夏本番の7月、8月を迎えるにあたって、プロテスタント150周年記念の夏を過ごすにあたって、所感を記載してみました。
日本プロテスタント150周年
ご存知でしたか。今年は日本プロテスタント宣教150周年の記念の年になります。
7月8日(水)、9日(木)と横浜で記念大会が開催されます。
パシフィコ横浜の国立大ホール・会議センターが会場となっています。参加は、事前登録が必要のようです。
趣意については、以下の内容が案内のチラシに記載されていました。
「今から150年前(1859年)、幕末期動乱の日本に、宣教師によるプロテスタント伝道が始まりました。切支丹(キリシタン)禁教の高札がまだ撤去される(1873年)前のことでした。
近代日本の夜明けに、彼らは日本人の魂を愛し、迫害を恐れず、福音を携えて来たのです。
以来、キリストの福音が広められ、教会、キリスト教主義学校、病院等が設立され、その結果、教育、人権、社会福祉、女性の地位改善、倫理の高揚など多くの感化がもたらされました。
これらのことに対して、私たちは深く感謝いたします。
この背後に、フランシスコ・ザビエルが来日し(1549年)し、カトリック教会による宣教活動や沖縄(琉球)でのベッテルハイムらによる働きがあったことを私たちは忘れてはなりません。
私たちはキリストの教会として共に歩んでいます。
日本における宣教は困難をきわめ、それにともない多くの犠牲もありました。近年は、物質的繁栄と共に、精神面の無関心が伝道を阻んでいます。さらに、教派教団間には一致が乏しく、宣教の業が大きく前進していないことを私たちは悔い改めなければなりません。
150年を期し、これらのことを踏まえて、これからの宣教のために、一致協力して共に祈り、交わりを深めたいと願います。そして、私たちは、平和をもたらす「世の光」なるキリストを掲げて、次世代の人々と共に宣教の使命を果たしていきたいと思います。」
私達ひとりひとりが、歴史の中にいることを感じます。今日の、朝位先生のお話にもありましたが、アンテオケの教会が歴史上初めて建てられた異邦人教会であったこと、人種や社会的地位を越えて、信仰において一致していたこと、それであったからこそ、神はご自身の計画遂行のために、歴史的任務を委託されたのいうこと。
日本の教会の歴史は、わたしたち一人一人に、委ねられているのだと思うと、出来るところから、始めようという力と勇気が与えられます。
どうぞ、自分の小さな力を大切にしましょう。主が、お入用なのですから。
2009/6/21 週報メッセージ
牧会雑感
朝位 真士
先日、僕が属している「日本キリスト伝道会」の機関紙の中に私の原稿を見た北九州市の九六歳の長老から、感謝と励ましの手紙がまいりました。
皆様もご存知の「希望の源である神」という題の文章です。「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」(ローマ15章13節)という聖句について、少し私なりの考えを語らせていただきました。
キリスト伝道会の機関紙は、「日本をキリストへ」というスローガンのもとに、全国教会強化伝道、日本伝道の幻を語る会、国際的信仰交流を三大宣教事業として、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ16章15節)を主題聖句に、日本の一千万救霊の為、各地に教職、信徒のエヴァンジェリスト(伝道者)を派遣して御用に与っています。初代会長は日本キリスト教団富士見町教会牧師であられた島村亀鶴先生。現在は、会長に小松川教会名誉牧師、原登先生、実行委員長にホ群副委員長、深谷春男先生。私もその末席の1人として、御用させて頂いております。
話は前に戻りますが、K長老よりの力強い励ましのお言葉で、私自身が大いに力づけられました。K長老は、北九州の実業家であり、ギデオンの役員であり、現在も教会に於いて現役の長老として、超教派で活躍されておられる方であります。その方が、2冊の御著書を恵送して下さいました。歌集『海峡の町』と『凡てのこと益となりし(親鸞よりキリストへ)』という御本です。老大兄が現役で教会の働きをされている姿に、モーセが120歳にして目もかすまず、気力もおとろえなかった姿を重ねてみるものであります。
6月の桜ヶ丘教会
なかなか、教会にご出席になれない皆様はお元気にお過ごしでしょうか。
本日の礼拝を無事に守ることができて感謝です。
本日は花の日で、教会学校の子供たちが近くの交番などにお花を持って出かけました。
紫陽花の花が、美しい季節ですが、K/Kさんからジューンブライドのように初々しい紫陽花の写真が届きましたので、ご覧ください。
また、6月7日の特別集会のDVDも、桜ヶ丘教会のために、T/Aさんが作成してくださいまして、とっても素敵な映像になりました。
ご希望の方々にお受け取りいただきました。
(1枚500円で販売させていただきました。会堂補修積立金とさせていただきます。)
来週は、DVDをどなたにもご覧いただけるように、Mさんがノートパソコンを教会にご持参できてくださいますので、お楽しみにしてください。
2009/6/14 週報メッセージ
教会とは
朝位 真士
ペンテコステを迎えて、教会の誕生を経過してまいりました。この時、もう一度「教会とは」何かということを考えてみましょう。
教会は聖書の言葉で「エクレシア」と言い、これはもともと「カレオー(呼ぶ)」という言葉からきており、「召集する」という意味をもっています。ですから教会は神によって特に「召された人々の群」というのです。この教会は全世界に存在しています。また教会は目に見える組織や建物のことだけではありません。教会は「キリストのからだ」とも言われています。これは、教会がキリストのいのちと力に満ちており、そこで多くの人々が神を礼拝し、聖書を学び、人生への新しい指針を得る所であるからです。
教会の起源としてふつう考えられているのは、キリストが復活され昇天なされた日より十日後、集まっていた弟子たちの上に聖霊が降臨された時、「ペンテコステ」だと言われています。ここで言う教会とは、約二千年前に誕生した新約時代の教会のことです。
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい
風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響い
た。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどま
った。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国の
言葉で話しだした。(使徒2章1~4節)
私はこの聖書を読むたびに、教会の誕生と同時に一人一人が聖霊に満たされて福音を語ったことを示されます。福音宣教です。先週、岸先生を通して福音宣教がなされ、50名近くの方々が福音を聞きました。なんとその中に20名近くの求道者の方々がおられたことを後で知って、この方々がなんとしても主イエス・キリストを信じて、新しい人生を歩んでほしいと切に祈るものです。
6月7日岸先生のメッセージ
「三つの愛」について
聖書(「バイブル」)とは、、旧約聖書と新約聖書を二つ併せたものをいいますが、1,800ページ相当の書物である「聖書の本質、真髄」を100字で表すとなると、3つの愛について語られている箇所にたどりつくということです。
3つの愛を知ることから、先生のお話がありました。
3つの愛を知るということは
まず神さまが、わたしたちを愛していてくださることを知る
わたしたちが自分を愛することを知る
隣人を自分を愛するように愛することを知る
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。
隣人を自分を愛するように愛しなさい。」
先生の、ユーモアをまじえたお話から、3つの愛を考えさせられました。
人生は長くはない、今日からでも、すぐに、この3つの愛に生きることで、真の幸福を確信していただきたいというメッセージでした。
岸先生、いつも当教会においでいただき感謝申し上げます。
来年も、先生が来て下さるということですので、私達は、その時までに、3つの愛で成長させていたきましょう。
なお、サクソフォンの演奏は以下の曲でした。
・「家路」、「アメージンググレイス」、「丘に立てる荒削りの十字架」など全7曲
創立86周年記念チャペルコンサートの当日の様子を写真に撮りましたので、後日DVDにいたしまして、本日ご出席いただけなかった皆様にもご覧いただければと思っています。
2009/6/7 週報メッセージ
創立記念チャペルコンサート
朝位 真士
今年も岸義紘先生をお迎えできて感謝いたします。今年で9回目になります。今日語って下さるテーマは「三つの愛に生きる」で、マタイ22章36節~40節からメッセージを語られます。期待いたしましょう。
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われ
た。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である
主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同
じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預
言者は、この二つの掟に基づいている。」
岸先生は、日本全国、家庭集会、朝祷会、教会、聖会、ゴスペル・コンサート、伝道集会など、どんな小さな所でも喜んで御用され、信徒向けのJTJ宣教神学校の校長でもあられます。ミッション2001巡回伝道者、元国体水泳神奈川県代表選手、ムラサキスポーツ競泳チーム所属選手など、多くの賜物を主のために捧げておられる方です。人生のモットーは「だれのまねをするでなく、ひたすら自分自身を生きる」、「招かれる食事と頼まれる説教はことわらない」ということです。そういうわけで、来年も先生にぜひお願いいたしたく思います。ハレルヤ!!
さて私共の教会は1923年(大正12年)6月1日、板井康裕牧師が世田谷区桜新町の自宅で伝道を開始されて誕生しました。1968年(昭和43年)西海静雄牧師が就任され、1975年(昭和50年)杉並区下高井戸4丁目、パールハイツ桜上水を購入して会堂兼牧師館としました。1977年(昭和52年)5階(502号)を購入して牧師館とし、1987年(昭和62年)4階(404号)を購入して教育館としました。1994年(平成6年)4月1日、朝位両牧師が就任して、1997年(平成9年)12月新会堂に移転し、1998年(平成10年)2月献堂式が挙行されました。
6月7日 桜ヶ丘教会 創立記念特別集会
6月7日(日)10:30~の礼拝は、桜ヶ丘教会創立記念特別集会です。
岸義紘先生をお招きしております。サクソフォンの演奏とお話のチャペルコンサートです。
岸先生は、いつも分かりやすくイエス様のお話をされます。
皆様、どうぞ、当教会に、お気軽にお越しいただけますように、ご一緒に、神様のお恵みを感じていただけることを願っております。
<5月31日(日)礼拝報告>
小川文子先生のカンボジア宣教への思い「全ての国の人々へ」のメッセージをうかがいました。
日本のキリスト教会が少し元気がないときこそ、
内向きにならずに外向きに向かうことによって
日本においても、神様の恵みが豊かになるといわれました。
お話を聞き、ついつい、内なることで精いっぱいの状態の時は、外に向かうことを忘れてしまうと確かに思い当たりました。
カンボジアの歴史、大虐殺の後の人々の傷ついた心に出会われ、また美しい自然、人々の心に触れて、小川先生は、カンボジアと日本の架け橋になるべく今年7月に宣教師としてご出発されます。
小川先生のカンボジア宣教のために祈りの課題をいただきました。
1 ふさわしい宣教地へみちびかれるように。
2 現地でも、日本でも、良い祈りの友が与えられるように。
3 語学と信頼関係構築のために。
4 霊的、人格的成長のために。
5 カンボジアが神様の国になるように。
わたしたちも、祈ることで、小川先生を支援しましょう。
2009/5/24週報メッセージ
O姉の召天に接して
朝位 真士
O姉は、5月18日午前1時35分、99歳8ヶ月の生涯を終えて天国へ帰られた。姉は1909年9月24日、鹿児島で誕生されて、兄、弟、妹2人の5人兄妹であった。1966年12月23日、淀橋教会牧師、小原十三司師により受洗されている。56歳の頃である。御主人は1973年1月16日に召天され、西海静雄牧師によって告別式が執り行われ、教団墓地の小平霊園に埋骨されている。O姉が63歳の頃である。O姉は大変温厚な方で、いつもニコニコと笑顔で人に接しておられた。
私が1994年に赴任して桜ヶ丘教会に来た頃からのお付き合いであるが、たしか荻窪の公営住宅に住んでおられ、よく教会に漬け物を持参された。食事のためには欠かせない一品であった。99年頃から浴風園ケアハウスに入室されて、一人で生活をしておられた。聞くところによると、O姉は洋裁を習われて人にも教えておられたということで、趣味の布絵で素晴らしい作品を数多く残された。姉は時には困難な人を助けられたようで、大変気前のよい方のように見受けられた。妹さんの長男がO姉の後見人としてよくお世話をされた。毎月忠実に月定献金も捧げられて、本当によく桜ヶ丘教会のことを覚えて祈り、支援してくださった。
聖書に「『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。〝霊〟も言う。『然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである』」(ヨハネ黙示14・13)とある。Oさん、天国でお会いしましょう。地上の長い生涯の労苦、お疲れさまでした。天の賞与を神からいただいてください。