榊原紀惠子 のすべての投稿

少し涼しいここ数日

イメージ 1知らずに蚊に刺されて、かゆい思いをするというような夏の季節です。
蚊取り線香をつけて、クラシックな蚊対策をして過ごしています。
今日は、夏の猛暑の谷間なのでしょうか、少し涼しい朝の中、教会の礼拝に出席することができました。
 
礼拝の最後に、1分間の祈りを各自がすることに、先週の礼拝からしております。
 
とても素敵なことと改めて感じております。
 
日ごろ、静かに時を過ごすことは、わたしたちの苦手とすることでもあるような気がします。
1分間でも、静か主に向かってお祈りをすることができる幸いをかみしめつつ、霊の灯をともしつつ、この夏も力強く歩みたいと考えています。
 
 

2011/7/24 週報メッセージ

   祈りの祝福
                                                                                                           朝位 真士
  先週の礼拝の報告の後、全員で1分間黙祷をするようになり、あまり祈りに慣れておられない方はとまどいを感じておられることと思います。祈りとは神と人間との対話であり、秘義に属するものであり、不可能と見える祈りを可能にする背景は聖霊のお働きであり、神の一方的愛にほかなりません。そして祈りは神に対する最大の行為です。
 祈りの形態は、①密室の祈り(個人での祈り。毎朝そして就寝前少なくとも10分は一人で神の前に静まり、神との語らいが必要です。)②協同の祈り(共通の祈りの広場に持ち出されて協同の祈りとなります。)③公同の祈り(祈りの代表性・とりなし性を意味するものです。教会の公同礼拝では、牧会祈祷がささげられます。公同の祈りでは、祈りのための準備が必要であって、行きあたりばったりであるべきではありません。)④特殊な場合の祈り(臨終に立ち会ったときとか、結婚・出産・葬式、その他精神的また経済的危機にある人のための祈りなどです。)
 祈りの態度。祈りはおろそかにされています。日本の教会では祈祷会をしていないところが多くなっています。
教会や信徒のあらゆる問題は、祈りをおろそかにしているところから起こると言ってもよいくらいです。ある人は祈りをおろそかにしていることを合理化しようとして巧みな理論を立てます。しかし結局のところ祈りが実行されず、祈祷会が振るわない最大の理由は、本当に祈りは聞かれるということに確信と経験がないからでしょう。聖書の中には
667の祈りがあり、そのうち454の祈りがはっきりと聞きとどけられていることが記されています。神との密接な関係に立とうと思われるなら、祈りによる以外に方法はありません。私共は祈りの祝福を経験しましょう。

2011/7/10 週報メッセージ

   ある牧師の著書より思う
                                                              朝位 真士
  福島で被災された教会のS牧師の著書『流浪の教会』、『順風よし、逆境もまたよし』、『「苦しみ」から生まれるもの』等を読み、また本人の被災前後の体験を聞き、非常に大きな感動を覚えた。先生は、福島の原発近くに5つの会堂を30年近くの間に建設された。特に2009年には100年先を見据えた会堂建設をされた。しかし、2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9の巨大地震、津波、原発放射能汚染が発生して、教会付近一帯は立入禁止となり、約60名の信徒と流浪の旅が始まった。現在も続いている。先生は『流浪の教会』の中で次のように述べています。
 
  聖書がいう最終的な結論はこうです。私たちの一生を神様は本当に素晴らしいものにしてくれます。……今 後の人生で「あの時のことを考えたら、耐えられないことは無いな」と強くなる可能性が大きいと思います。  
 「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。……試練と ともに脱出の道も備えてくださいます」と確認致しました。
  私たちは今すべてが剥ぎ取られ、日常の一切が無くなりました。そして必要なものはそんなにたくさん無い 
 ことを知りました。本当に大切なものは、キリストと、お互いの結びつきです。……私たちの群れは、初代教
 会が散らされたように散らされました。
  先生は、著書の中でも講演でも、信仰にとって最も大切なものは持ち物(会堂、組織、会員)でなく、主イエス・キリストを信じる信仰に尽きると語られました。有能な牧師、成功した牧師、多くの信者を有する牧師の語ったことの中で、「目に見えるものは、すべてなくなっていくが、主イエス・キリストとの信仰の結びつきは、いつまでも失うことはない」と涙ながらにうったえておられたことが、私の心に強くとどまりました。

2011/7/17 週報メッセージ

   礼拝報告の後、全員で祈りを                                                                 
                                                                                                       朝位 真士
  先日の役員会で、教会はもっと祈りの時を持ちたいという提案がなされ、全員が祈れる時は何時かという話し合いがなされ、礼拝の報告の後に全員で1分間黙祷をしましょうということになりました。
 さて、祈りとは何でしょうか。聖書事典を引用すると以下の通りです。
 
  神と人間を人格的に結びつける対話(コミュニケーション)の手段。聖書において祈りは一方的なものでは
 なく、対話であることが重要である。神は、人間に祈ることをまず求められる。「わたしを呼ぶがよい。苦難
 の日、わたしはお前を救おう」(詩50・15)と叶えてくださる方でもある。
  旧約には多種多様な祈りが含まれる。内容は賛美、感謝、懇願、嘆き、罪の告白など様々であり、個人の祈
 りもあれば共同体の祈りもある。
  新約には、特に福音書の報告によれば、イエスは祈りの人であった。しばしば一人で祈られた。イエスの祈
 りの例として、マタイ11・25~27、ルカ10・21~22における祈り、ゲッセマネにおける祈り(マタ27・46、マ
 コ15・34、ルカ23・34、46)。「主の祈り」はイエスが弟子たちに教えられた祈りでもある(ルカ11・1~2)。
 
 早速、祈りの課題を提示します。①受洗者が与えられるように。②教会財政健全化のため。③ホ群首都圏夏期聖会(7月25日~27日)。④特別礼拝(湯本春実先生、7月31日)。⑤東日本大震災の復興のため。
 全員で祈ると同時に、個人の密室でも祈っていただきたいと思います。一人一人の霊性向上と教会全体の霊性向上を祈ります。                          

7月いよいよ夏本番ですね

イメージ 1毎日、暑さが日増しに強くなってきています。
地震から4カ月が経過するところです。
皆様におかれましては、暑さ対策など工夫しながら、健康が守られて、過ごせるよう祈りつつ生活をしておられることと存じます。
便利さに感謝しつつ、個人的にできることはなんだろうと思います。我慢に限界がありますが、生活の質を変えることってどんなことなのだろうと考えます。
 
朝ごとに主に出会い、祈り、生活を始めることにヒントがあると確信します。
忙しいと、ついつい、このような基本を守ることができず、過ごしやすいのですが、祈る時も、このような場所でなければならないという」ことはないと思います。
 
わたしは、電車の中でも、食器を洗う時でも、主に出会い、祈ることができると思っています。
 
被災地にも、暑い夏が訪れ、大変なことと思いますが、いつもわたしたちにできるところから、継続できることをしたいと考えています。
明日は、聖日礼拝があります。暑いですので、お気をつけてお越しください。
 
 
 

2011/7/3 週報メッセージ

   牧会雑感
                                                                                                          朝位 真士
  「人間の心は、自分の道を計画する。
  主が一歩一歩を備えてくださる。」(箴言16・9)
 私は1961年12月24日に北九州復興教会山中日出刃牧師により受洗した。18歳の多感な青年であった。以来今年で50年目を迎える。
 1969年にサラリーマンとして東京勤務になり、淀橋教会、小原十三司先生、峯野龍弘先生の指導を受けて東京聖書学校に1971年4月入学して、1975年3月卒業した。信徒伝道者として3年間過ごし、1978年准允を受けて伝道師となり、1981年按手礼を受けて牧師となった。北九州復興教会の副牧師として19年間、3人の主任牧師(山中先生、原田先生、三枝先生)に仕え、1994年、桜ヶ丘教会に西海静雄先生、満希子先生の後任としてフミ子牧師とともに赴任した。1997年、新会堂が与えられて、多額のローンも信徒の方々と求道者の方々、朝祷会、教団、地区、ホ群の方々のお祈りと支援により完済させていただいた。その間、教会関係の30名近くの方々の告別式の司式と、数件の結婚式の司式をさせていただいた。
 最近うれしいことが一つあった。息子の憲義兄が献身し、神学校を卒業して神奈川教区で准允を6月25日に受けた。現在神奈川教区の藤沢教会の伝道師として奉仕している。私が准允を受けて33年目に、当時幼児であった息子が献身して伝道者の道を歩み出した。親バカかもしれないが正直うれしいことであると同時に、彼が伝道者の生涯を全うできるよう、皆様の祈りを切に要望したいと思う。一人でも救われる人が与えられることを祈る。

2011/6/26 週報メッセージ

   2011年ホ群年会に出席して
                                                                                                           朝位 真士
  主題「ホ群教会の伝道と進展」 副題ー福音を恥としないー 「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」(ローマ1・16)
 6月20日(月)~21日(火)迄、ホ群年会が開催された。今年は、3月11日の震災のため年会が延期短縮された。正議員153名と准議員38名のメンバーで、正議員95名の出席で総会が成立した。
 2日間の短縮年会であったが、内容の濃い年会であった。開会礼拝、事務会Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ。派遣式では8名の先生方がそれぞれの任地に遣わされた。追悼式もあり、3名の先生方が追悼された。事務会も多くの議題が審議・議決されたが、特に目立った内容は第9号議案で、東京聖書学校施設拡充の件が審議・可決したことである。概算として、チャペル他既存部分改修2千万円、増設部分6千万円、設計料その他1千万円、合計9千万円の予算で、東京聖書学校施設拡充基金から3千万円、ホ群諸教会からの募金3千万円、東京聖書学校吉川教会から3千万円(20年かけて献金)。ただちに建築委員会(仮称)を組織し、募金や細かな諸判断・執行の責任を担っていく。
 次に第12号議案として、互助部に「東日本大震災義援金」指定の窓口を設ける件が可決された。日本キリスト教団も全国募金として10億円の目標をたて、7月から支援委員会を設置するようであるが、ホ群としても少しでもお役に立ちたいと願い、献金を集めることを決定した。
 この年会は今まで出席した30数回の中でも大変印象深いものとなった。特に東日本大震災が起こった後の年会であったので、今後の私の牧会活動に大きなインパクトが与えられた気がした。

2011/6/19 週報メッセージ

   福音宣教の使命                                                                 
                                                                                                        朝位 真士
  ペンテコステ礼拝が12日もたれました。私はこの際に今年の宣教目標である三つのことについて確認したいと思います。
 (1)個人信仰の確立 まず基本生活の確立。毎日聖書を読む(「アパ・ルーム」、「信徒の友」教団日課、各自の霊想書)。祈る(月1度は毎週木曜日午前6時半の早天祈祷会、午後7時半の祈祷会に出席)。礼拝(毎週日曜日午前10時半)並びに各例会(ホープ会、婦人会、青年会、エリム会、ふれあい会)出席。
 (2)全家族の救い まず基本は祈ること。
 (3)個人伝道による教勢倍加 まず自分自身の救いの確立を目指すことにより、自分なりに伝道方法(友を導く、電話、教会週報、特伝案内、訪問、手紙、インターネットのブログを利用等)を考えて実践する。教会はイエス・キリストの体であると共に、皆様方一人一人のものです。一人一人が積極的に喜びと祈りと感謝をもって福音宣教をさせていただきましょう。
 次に2011年後半における特別集会のご案内をさせていただきたいと思います。
 7月31日(日)、教団東調布教会牧師の湯本春実先生による特別集会があります。
 10月30日(日)には、仏教僧侶からキリスト教牧師になられた松岡広和先生による2回のお話(朝10時半の礼拝と午後の講話)を予定しています。
 9月25日(日)午後2時半より、キリスト伝道会東京地域主催のチャペル・コンサートが行われ、ナザレン青葉台教会牧師の江上環先生をお迎えしてのメッセージ、黄氏のチェロ演奏、小西優子先生のピアノ演奏があります。
 12月18日(日)、クリスマス・チャペルコンサートでベアンテ・ボーマン先生、ルリ子先生をお迎えします。 どうぞ祈って、ご出席ください。                                          

6月の中で

イメージ 1過日の岸先生のチャペルコンサートでは、言葉の質というお話から、長い聖書の話を一言でお伝えするとしたら、
この御言葉であると話されました。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネによる福音書第3章16節
 
神様の愛について、考えるとき、感謝しきれないほどの恵みを感じます。
「永遠の命」について、思いを巡らす時に、永遠という時間は全く未知なるものですから、その恵みの大きさがはかりしれないほどの大きなものであることを思います。
 
地震と原発の影響が、いつまで続くのかと考えながら、自分にできることを、力を入れすぎずにやっていこうと思う毎日です。
 
それぞれの日常の中で、神様の愛を思いつつ過ごさせてまいりましょう。

2011/6/12 週報メッセージ

   聖霊の降臨(ペンテコステ)
                                                                                                         朝位 真士
  「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒1・8)
 新しい備えをして、エルサレムの二階座敷で120人の人々が10日間、熱心に祈っていた時、ペンテコステ(五旬節)に約束の聖霊が与えられた。旧約以来語られてきた神の約束が、聖霊の降臨というかたちで成就されたのである。聖霊の降臨は新しい時代の実現、すなわち地上の神の国である新しい教会を生み出し、福音の宣教の基礎を築く原動力であった。このペンテコステの日が、キリスト教の世界的発展の出発点となったのである。
 私共の教会も1923年6月1日、板井康裕牧師がアメリカから帰国して自宅で開拓伝道が始まり、その後教会の場所を転々とし、牧師も二十数人変わった。前任牧師西海静雄・満希子先生によって26年間、現在の会堂建設の基礎ができた。
 今日はペンテコステ礼拝であるが、使徒2章にあるように、教会が誕生するために約束通り聖霊が注がれた。それに続いてペトロの説教が明快に力強くなされた。その説教に対して正しく応答した者によって教会は建て上げられていく。三つの形に現れる。①罪の自覚である(2・37)。②求道心である(2・37)。③回心である(2・41)。
 救われるためには二つある。一つは「悔い改めなさい」、二つは「バプテスマを受けなさい」である。知的面でも生活面でも180度の変化を遂げる。そして、イエスの十字架の死を自分の罪のためと信じて受洗することである。