榊原紀惠子 のすべての投稿

2011/9/18 週報メッセージ

   もと僧侶 いま牧師
                                                               朝位 真士
 「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2章8節)
 秋は伝道の時期です。勿論、伝道は毎回がチャンスです。その絶好のチャンスを与えてくださるのが松岡広和先生です。1年前より先生にお願いし、10月30日(日)午前10時半に桜ヶ丘教会でメッセージを語っていただくようになりました。
 先生は寺の住職の息子として1962年に誕生されて、高校生の頃から「なぜ私は生まれてきたのか。なぜ生きていかなければならないのか」といった疑問が先生の心を支配するようになったそうです。生きる目的とは何かを見出そうと自ら望んで僧侶の道に入られ、大学では仏教の研究をされたようです。先生は、仏教は深遠で、その思想、哲学の中には偉大な真理が隠されているように思え、いつかきっと真理に目覚める時が来るだろうという期待を持ち、山に行ってさまざまな修行もしたようです。そのような人生の問題の解決を得たのは、「仏教を究めるため渡った韓国でイエス・キリストに出会った」ことからでした。先生は1988年に韓国仏教を研究するためにソウルに留学され、クリスマスの時にソウルにあるキリスト教会に行かれました。僧侶としての宗教的教養として聖書も学ぶ必要があるのではないかと考え、その教会で聖書の勉強を始められました。聖書の言葉が先生の心に響いてきて、「神さまはいらっしゃる」という力強い確信が心に刻まれ、「イエスさまこそ真理だ。私の人生はこのイエスさまのものだ。イエスさまが人生を導いていらっしゃる」という喜びで心がいっぱいになり、クリスチャンになられました。やがて神学校に行かれ、キリスト教の牧師となられて、現在全国を福音のために回り、イエス・キリストのメッセージを語っておられます。どうぞお祈りと同時に期待してください。

2011/9/11 週報メッセージ

   東京チャペル・コンサートを期待して
                                                                                                        朝位 真士
  日本キリスト伝道会東京地域主催で、「東京チャペル・コンサート」が9月25日(日)午後2時半に桜ヶ丘教会を会場として開催されます。
 講師は江上環先生(ナザレン教団青葉台教会牧師)です。先生は50代のまさに油の乗った器です(勿論聖霊の油です)。ナザレン教団の中で一番成長している教会の牧師です。特に青年伝道には大きな賜物が与えられ、家族伝道にも祝福されている教会の牧師先生です。期待しましょう。
 黄原亮司兄はチェロの名手です。東京芸大大学院修了、JT音楽賞を受賞され、ジュリアード音楽院に留学。第2回中国国際コンクール弦楽部門第2位。現在、東京交響楽団副首席奏者(近い将来に首席になられます。なぜなら、ボーマン・ベアンテ先生が東京交響楽団の首席を引退されました)。私は黄原先生のチェロの演奏を何回も聴かせていただきましたが、本当にベアンテ先生と同じように優れた演奏です。期待してください。小西優子先生は伝道者でありピアノ演奏家です。大阪音楽大学ピアノ科卒業後、米国に留学して演奏活動をされています。超教派の大集会には、必ず先生のピアノ伴奏があります。細身の体ですが大変大胆で、エネルギッシュな奏法です。乞うご期待です。
 今回は桜ヶ丘教会が会場ですが、ただ会場教会というだけではなく、桜ヶ丘教会の秋期伝道として、私達たちは受け止めたいと思います。1万枚のチラシを各教会、施設に配布しましたが、そのうち4千枚は桜ヶ丘教会で使用させていただき、3千枚は三つの大手の新聞折込に入れる予定です。どうぞ皆様一人が一人をお導きして、会場に百名以上の人達が与えられるように祈ってください。その十分の一が教会にとどまって信仰に導かれればと祈っています。収穫の秋です。主に期待して全員で伝道しましょう。

東京チャペルコンサート

イメージ 19月に入り、台風の影響による被害が西日本を中心に発生し、日曜日の今日、その被害の大きさをあらためてニュースで確認しました。
被害にあわれた方々には、主の慰めが豊かに伴ってくださり、どうぞ最善の方法により、日常生活を取り戻すことができるように、お祈りいたします。
 
なお、まだまだ、残暑が厳しそうですが、上空には、秋の空が感じられます。
「世も世にある欲も、過ぎ去っていきます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。」(ヨハネの手紙第2章17節)
本日の礼拝説教の聖書の一節です。
一瞬にして、わたしたちのつくり上げたものは失われてしまうことがあることを体験しました。
生命もわたし達の思いのままなんとかできるものではないことも知っています。
「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」(ヤコブの手紙第4章15節)
そういう思いで、この1週間も過ごしてまいりましょう。
 
<東京チャペルコンサートのご案内>
日時 9月25日(日)14:30~ 場所 桜ケ丘教会
講師:江上環先生(日本ナザレン教団青葉台教会牧師)
音楽:黄原亮司先生(チェロ)、小西優子先生(ピアノ)
どなたも、ご自由にご出席いただくことができます。どうぞ、音楽の美しい音色で、ご一緒に来る秋を味わいましょう。
 
 
 

2011/9/4 週報メッセージ

   牧会雑感
                                                                                                           朝位 真士
  「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサ5・16~18)
 今年の元旦礼拝でこの御言葉が与えられて、九ヶ月目に入った。私は最近一つのことを始めた。ある尊敬する老姉が100歳の記念に、私にマンドリンの演奏をしてくださいというリクエストがあった。高校時代にマンドリン・クラブに3年間在籍して練習に励んだことがよみがえった。私は20年近く前に友人からプレゼントされたマンドリンを取り出して練習を始めている。しかし、もう50年前にやっていた楽器の練習である。なかなかうまく上達しないので、意を決して先生に指導していただくようになった。月2回、プロの先生に教授していただくことになった。しかしなかなか思うように上達しない。自分は少しガッカリしていた。しかし前述の老姉の依頼に、私は意を決して練習しているのである。曲目は2~3曲であるが、練習中ときどき手を休めて、神様に感謝している。なぜなら、私には趣味というものが何もないからである。しかしマンドリンという素晴らしい楽器演奏が与えられている(勿論現在は、未だ人前でお聴かせする迄にはいたっていない)。
 聖書のマタイ25章14~30節に「タラントンのたとえ」がある。5タラントン、2タラントン、1タラントンの賜物を与えられた人達が神(主人)の前に精算する記事である。私は1タラントンかもしれないが、その賜物を地に埋めていた。活用していなかった。これからは、時間があれば積極的に活用したいと祈るものである。皆様方も賜物を地に埋めないで、主のために大いに活用してください。主はあなたを祝福してくださいます。

2011/8/28 週報メッセージ

   N兄の召天に際して
                                                                                                           朝位 真士
  過ぐる8月14日(日)朝、礼拝前にK兄より電話があった。「N兄が13日召天した」という内容であった。私は受話器を置いた時、まだ信じられないことであった。日曜日の礼拝と役員会を終えてすぐ、私はN兄が入院されている病院に向かった。担当看護師の案内で霊安室でN兄と対面した。安らかな死顔であった。私は式文に基づいて簡単なセレモニーを終えて、病院を後にした。教会に戻り、翌日病院の担当者(ソーシャル・ワーカーのKさん)と葬儀について電話で打ち合わせをした。病院の事情と高齢の兄さんが遠方におられることのため、病院から出棺するということになり、8月16日午前11時、私とフミ子師は病院に行き、N兄の葬儀・告別式を行った。親族は参加されなかったが、病院側の配慮でN兄の病院関係者20名近くが出席して、キリスト教式による葬儀・告別式を私が行った。幡ヶ谷斎場で火葬と収骨式の司式をさせていただき、葬儀社にN兄の御遺骨を親族へ送っていただいた。N兄は生前、彼の自分史を私に語っていた。国立大学教育学部を卒業して数年教師をされ、人間関係で悩み、20代のとき沖縄で洗礼を受けられた。その後数十年間病院を転々として、現在のS病院に入院された。治療に専念され、日曜日にはタクシーでK兄と教会の礼拝に出席されて、タクシーで帰って行かれた姿を思い出す。元気で体が動くときは毎週会堂清掃をしてくださった。プライベートの時間には、よく教会に電話をされていた。76歳6ヶ月の生涯であった。
 「『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。然り、彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」(ヨハネ黙示14・13)

八月ももう過ぎていきます

イメージ 1暑い夏も心穏やかに過ごしておりますが、8月はもう過ぎ去ろうとしています。
緑豊かな夏の風景に、わたしたちは何とも言えない喜びを味わうことができます。
 
特に、田園風景を見渡しながら各駅列車に乗って下車し、田園風景に囲まれた駅舎で、列車を待ちながら、緑の風を体に感じるときなどは、何とも言えない夏の恵みを味わえるものです。
 
福島原発事故で様々な放射能による影響が言われておりますが、風景は変わることなく豊かに目の前に存在しています。
そのことを思う時に、美しい風景に無条件に抱かれて過ごすこができてきた3.11前の幸を思わずには居られません。
美しい日本の懐に抱かれて安心して過ごすことができる日を構築できるように、一人ひとりが、できることに目をむけたいものですね。
必ずや、主が、その日をわたしたちにくださることを待ち望みつつ、日本の英知が結集され、この艱難の事態が解決に向かうことができるようにと祈りつつ、希望を持って過ごしております。
桜ケ丘教会では、9月25日に、東京チャペルコンサートが開催されます。チェロ、ピアノの美しい音楽とメッセージを待ち望みつつ、多くの方とこの惠のひとときをご一緒できたらと願っております。
まだまだ残暑も予想されますが、少し秋空を感じるこの頃です。
夏の教会堂で、主の御言葉に触れることも、わたしたちのこころを涼しくしてくださいます。どうぞ、どなたもご自由に教会にいらしてみてください。お待ちしております。
 
 
 

2011/8/21 週報メッセージ

   天のとびらを開く                                                                 
                                                                                                           朝位 真士
  私は最近ハ・ヨンジョ牧師の『祈り・天のとびらを開く』を読んで大変恵まれました。先生はその中の「あなたにも祈れます」の中で、「一、祈りは私たちのライフ・ラインです。二、祈りは神と私たちをつなぐ無線機です。三、祈りとは神と日常の出来事を話すことです。四、祈りは祝福の通り管です。五、偉大な働きの背景には祈りがあります。六、祈りは自分のためのものではありません。七、力ある祈りとは聖霊が導かれる祈りです。八、とりなしの祈りはこの世で最も尊いことです」と語っています。「なぜ祈らなければならないのでしょうか」の中では、「一、神に会うためには祈らなければなりません。二、祈らない信仰はにせ物です。三、祈らなければ人を傷つけます。四、祈りは愛の証拠です。五、イエスが祈られるので、私たちも祈るのです。六、祈るときにイエスの慰めを経験します。七、祈りの生活の成功が人生の成功につながります。八、教会は祈りの家です。九、宣教も教会開拓も、祈りによります。祈る人は危機のときにも揺るがされません」と語り、「祈りは力です」の中で、「一、祈るときに神の摂理を知ります。二、祈る人はこの世のことに縛られません。三、祈りは理性と不信仰を超えます。四、祈る人は歴史を動かします。五、つたない祈りでもかまいません。六、最悪の状況の中でこそ祈る時です。七、祈りの秘密を知る人が神の子どもです。八、祈りは自我に打ち勝つ秘密兵器です。九、祈るとき、私たち自身が変わります。十、信仰の祈りは神を動かします」等と書かれていました。
 ハ先生は、8月2日、65歳の生涯を全うして天国へ旅立たれました。先生はラブ・ソナタを全国で開催され、自費で日本の救霊のために命を捧げた愛の人、祈りの人、実践的な牧会者であり、霊的な著書も多数あります。本当に惜しい人を天国へ送りました。神に栄光あれ!!

2011/8/14 週報メッセージ

   礼拝者の心得
                                                                                                        朝位 真士
  8月1日~2日、最寄牧師会で各教会(M、KK、KM、S、SK、C教会)の近況を語り合い、学びの時をもった際に、KM教会の「礼拝者の心得」という手引きが私の心に大変強くとどまったので転記します。
 礼拝者の心得 ー 教会の礼拝は、聖書に示された神とイエス・キリストを、神の民の共同体として礼拝する時です。教会は、初代教会時代から今日まで、主日ごとに礼拝を守り、代々の教会員はその礼拝に加わることを、信仰生活の基本としてきました。その重要な礼拝を守る上で、以下の事柄を心にとめましょう。
 (1)礼拝のために祈りましょう ー 礼拝のことを祈りおぼえることはキリスト者にとって基本的なことです。
 (2)礼拝に遅れないようにしましょう。
 (3)前から順に座りましょう。
 (4)聖書朗読や祈りの間は、礼拝堂の入口でお待ちください。
 (5)感謝と献身のしるしとして献金を捧げましょう。ー献金は、神様とご自身を十字架によってお与えくださったキリストに対する感謝の献げものです。献身のしるしとして、祈りつつ心を込めて捧げましょう。
 (6)アーメンと唱和しましょう。ー「確かにその通りです」という意味です。
 (7)聖書と讃美歌(聖歌)はもとの場所に戻しましょう。
 (8)お子様は、遠慮なくお連れください。
 私はこの「礼拝者の心得」を改めて読み直して、礼拝に対する気持ちが変わってまいりました。1週間、本当に神様のお助けとお守りがなければ、礼拝に出席することができません。「兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそあなたがたのなすべき礼拝です。」(ローマ12・1)

2011/8/7 週報メッセージ

   牧会雑感
                                                                                                           朝位 真士
  「万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。」(Ⅰペトロ4・7~8a)
 最近は自然災害が頻繁に起こっています。地震や、台風の影響による大雨洪水、土砂崩れ、川の氾濫など不安要素が多くあります。私は最近一つの小冊子に出会って大変感銘を覚えています。その名は「人生の基盤が揺るがされる時」で、著者は神田英輔先生(前日本国際飢餓対策機構総主事)です。先生は東日本大震災の大地震・大津波発生の様子を現地視察に行かれ、この小冊子を書かれたようでした。その中で「安全が崩れ去った」と語っており、「安全志向」の裏にあるものは不安・恐れであると言っています。「日本研究の大家リチャード・サムエルスは『不安・恐れの心』が日本社会を動かす基本的な力であると結論づけている」と語り、「この時、新たな生き方への飛躍は安全志向を超えるもの、愛である」と語っています。そして、「大胆な生き方への転換は『創造主である神』を信じて生きることであり、その幸いを味わうことはなんと素晴らしいことでしょう」と語っていました。信仰をもつことによって労苦がむだにならないと、聖書の引用がなされていました。
 「私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」(Ⅱコリ15・59)
 「主のわざ」とは何か。「あなたがたが神が遣わした者を信じること。それが、神のわざです。」(ヨハネ6・29b)
 是非皆様この冊子を手に取ってお読みくださり、他の人にもお渡しください。無料(献金)です。私はこの年、このトラクト三百五十部を配布するつもりです。お祈りください。

2011/7/31 週報メッセージ

   ホ群首都圏夏期聖会に出席して
                                                                                                           朝位 真士
  第22回(通算58回)ホーリネスの群夏期聖会が、7月25日~27日まで、ハートピア熱海で、首都圏ホ群22教会、神学校、73名出席で開催された。今年の主題「あなたがたは聖なる者となりなさい」(Ⅰペトロ1一・16「『あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである。』と書いてあるからです。」)のもと、5回の聖会、聖化講演、早天祷告会、2回の分団が行われた。
 聖会Ⅰでは、Y牧師がⅠペトロ1章を通して「賛美と命令に生きるキリスト者の生き方」と題して語られた。まずペトロの手紙一の全体的な緒論で、特にキリスト者達が試練の中にあるにもかかわらず、主なる神の恵みを味わい知り、信仰に堅く立ち、善を行い、励ますために書かれたことを述べられた。教会のメンバーがただキリスト者であるという理由で意地悪され憎まれることに対して、苦難のキリストの模範を示して試練に耐えるように勧めています。
 聖会ⅡではO牧師がペトロ二章より「聖なる者となるために、慕い求めなさい。主のもとに来なさい」と語られ、聖会Ⅲではペトロ3章より「弱い者に対する配慮」、特に妻に対する配慮を強く訴えておられました。また震災にあわれた教会の被災状況を生々しく語られました。
 聖化講演では、Y牧師が「聖きに生きる」というテーマで、学識高い内容のレジメを用意してくださりました。聖会Ⅳでは、ペトロ4章を通して、終末期に生きるキリスト者の生き方を詳しく語られました。「万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。何よりもまず心を込めて愛し合いなさい。」(7~8節)祈り、愛し、賜物を用いよというメッセージに強く反応がありました。
 私の担当した聖会Ⅴは、皆様がお聞きになっていますので、割愛させていただきます。