榊原紀惠子 のすべての投稿

2010/3/28 週報メッセージ

   クリスチャン生活の実質
                                                              朝位 真士
 キリストを信じて新しい人生を歩み始める人々は、生まれたばかりの
幼子のようなものです。この子に必要な栄養を与え、力を与え育てる働
きをしている方が聖霊なる神です。聖霊なる神は、父なる神、子なる神
と同じように生きた人格をもって働く神です。キリストを信じる者の全
人格に働きかけておられる方なのです。
 キリストを信じ新生を得た人々は、その人間性が聖霊によって新しく
造り変えられていくのです。この人間再創造の働きを「聖化」といいま
す。そして聖化とは神の聖さが信仰者のうちに回復されていくことを示
しています。
 ①聖化(きよめ)への道
 聖化への道は人間の力で実現できるものではありません。聖霊なる神
の働きによって信じる者に与えられる一歩的な祝福だからです。聖化の
働きは瞬間的に人間が完成されるというものではなく、少しずつ、新し
い人間性の成長と共に与えられていくのです。聖霊に満たされることに
よって、初めて神に捕らえられ、きよめられ、神のよき器とされ、賛美
に満ち、霊的実を結ぶ生き生きとしたダイナミックなキリスト者の人生
がおとずれるのです。次回へ続く。

2010/3/21 週報メッセージ

   キリスト者生活の出発点                                                                 
                                                                                                                                                                             朝位 真士
 信仰の結果、五つのことが与えられます。
 ①新生 キリストを信じることによって人間の内側に神から永遠の命が与えられ、新しく生まれ変わることです。信仰によって人間は永遠の世界、神の国に生きる命をもつようになるのです。死と滅亡の世界から永遠の命の世界へ移されることでもあります。
 ②義認 罪人が神の前に無罪とされ、義と認められることです。人間のもっている原罪には二つの要素があります。それは罪の性質と、さばきを受けるべき「とが」の二つです。前者は新生によって救われます。永遠の命が与えられることで、罪の性質が造り変えられ、清められていくからです。後者は義認によって解決されます。
 ③神の子となること 神の子として生きる新しい力のことです。神の子となるということは、神の家族の一員に加えられることであり、また神の国を受け継ぐ者とされることです。
 ④神との平和 人間の神に対する敵意がまったく取り除かれることです。そして神の前に絶対的な平安をもつことです。
 ⑤救いの確信 信仰によって与えられた祝福が決して変わるものでないことを、人間の知性、感情、意志のすべての人格的な機能をもって確認することです。キリストの福音を伝える手段、方法は変わっても、福音そのものは変わることがありません。神は真実であり、その愛と力において変わることがないからです。キリストの約束も不変です。この確信を、パウロはローマ8・35~39に語っています。ぜひ聖書を開いて見てください。
 次回はクリスチャン生活の実質を記します。                                                     

2010/3/14 週報メッセージ

   キリスト者生活の出発点
                                                           朝位 真士
 クリスチャン生活の出発点で、何を信じたらクリスチャンになるのか。まず第一に真の神を信じること。第二に神の前に罪を認め悔い改める。その中で肉の働きをローマ1章18~31節を引用します。
 悔い改めとは何かということです。それは、自分の心を神に向け、罪の赦しを願うこと(回心)です。人間は誰でも罪の性質をもっており、ゲーテも言ったように、「人は努力をするかぎり罪を犯してしまう」からです。
悔い改めとは、罪から神への心の方向転換をすることです。そして、神の力と愛を心を開いて真剣に求めることです。
 キリスト者生活の出発点の第三は、キリストを救い主として認めること。聖書は、キリストを人間の罪と死からの救い主であると明言しています。その救い主キリストの働きとは、端的に言えば、神の大いなる愛のゆえに十字架にかかり、人間の身代わりとして死という刑罰を受け、三日後に復活され、死に勝利されたことです。キリストは復活されたからこそ、人を罪と死の世界から救うことができるのです(ヨハネ11・25)。復活の主キリストは天に帰られましたが、また再びこの地上に来られ、救われた者がすべてよみがえり、神の国を完成させると約束しております。
 第四に、キリストを自分の救い主と信じる。
 第五に、信仰を告白する。「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心に信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。」(ローマ10・9~10)
 第六に、信仰の結果、新生、義認、神のことなる。神との平和が与えられ、救いの確信が与えられます。人間の知性、感情、意志が人格的な機能をもって確認するのです。

2010年度カレンダーについて

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写真:3月7日礼拝お花

教会員の皆様、3月を迎えて、桜咲く春が待ち遠しい日々です。
お仕事や病気など、様々なご事情で御会いできない方々もいらっしゃいますが、4月イースターももう直ぐですね。

教会では、ただ今カレンダーを作成中です。
売り上げは金は、教会建物補修などの費用に献金として捧げさせていただきます。
3月21日には、ご希望の方々にお渡しできるように進めております。
2009年度カレンダーも好評のうちに完売いたしました。
どうぞ、2010年度も、日々ご利用くださいますよう、作成の件お知らせいたします。

2010/3/7 週報メッセージ

   キリスト者生活の出発点
                                                          朝位 真士

 福音とは、喜びの知らせであり、救い主キリストの働きをいいます。では何を信じるのでしょうか。
 ①真の神を信じること。その理由は、人間が神によって造られたからです。私たちは母の胎内において神から命の息吹を受けて生まれました。ですから人間はだれでも神との生きた人格的な関係をもたなければ真の平安と意義のある人生を送ることはできません。その生きた交わりとは、神を信じ、神を愛し、神の栄光のために生きる時に体験されるのです。次に何をすべきでしょうか。
 ②神の前に罪を認め悔い改める。その理由は、人間が生まれつき神に背いてしまう罪の性質(原罪)をもって生まれてきているからです。では、罪とは具体的にどのような内容をもっているのでしょうか。不義、悪、むさぼり、悪意、ねたみ、殺意、争い、欺き、悪だくみ、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者など(ローマ1章参照、新改訳)。また、人間の「肉の働き」のリストも記されています。肉の働きとは、人間の心と体が罪の法則に支配されていることから生じる罪です。
 それらは、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、争い、そねみ、酩酊、遊興、そういった類のものです(ガラ5・19~21)。しかもその罪の働きのゆえに、人間にはすべて死という神のさばきが与えられています。死とは、魂の死(神との交わりを失ってしまう)、肉体の死、第二の死(死後に神のさばきを受け、信じない者は永遠の滅亡と苦しみに落とされる)です。
 次回もこの続きを記します。

2010/2/28 週報メッセージ

   キリスト者生活の出発点
                                   朝位 真士
 最近、教会に求道者(未だ信仰していない者)の方が何人か、毎週礼
拝に出席されています。そこで、信者ももう一度信仰の原点に帰ってみ
たいと思います。
 何を信じたらクリスチャンになるのか。一般的に考えられている道徳
教や自己修養というイメージで測れないことは、これまでの聖書の主張
から確かです。また、聖書の膨大な真理をすべて学習し、それをみな信
じなければクリスチャンになれないのかというとそうではありません。
クリスチャンの道には「出発点の信仰」というものがあります。キリス
トご自身や使徒たちが最も大事なこととして伝えた、これだけは信じて
クリスチャン生活を始めるのだという基本的な信仰があります。
 それは、天地の創造主である唯一の真の神を信じ、その神の前に自分
の罪を認めて悔い改め、イエス・キリストが十字架のあがないと復活に
より救いの働きを全うされた、自分の罪と死からの救い主であることを
信じることです。それによって初めてクリスチャンとしての歩みを一歩
踏み出すことになるのです。これはまた一言で、「キリストの福音を信
じる」とか「受け入れる」とか言います。福音とは、喜びの知らせであ
り、救い主キリストの働きをいいます。
次回はこの続きを記します。

2010/2/21 週報メッセージ

   「四旬節(レント)」を迎えて
                                   朝位 真士
 先週の17日は灰の水曜日。悔い改めのしるしとして額に灰を受け、
四旬節(受難節・レント)に入ったことを味わう教会の習慣がありま
す。2月17日から復活祭までの40日間あまり、特に主の十字架に至
る苦難を覚えて奉仕と克己の生活に努めます。
 私は先週3人の老姉を訪問させていただきました。最初はK姉です。
姉は長く自宅で祈り、また教会のために尊い献金を捧げてくださってい
ます。たえずニコニコとして私たちを迎えてくださり、毎週投函される
週報の記事の一つ一つを注意深く見られて、熱心に祈ってくださってい
ます。私が訪問すると、教会出席を毎週されているように一つ一つの事
柄、内容を把握されています。教会総会の委任状を預かりました。
 次にY姉を訪問しました。転倒されて1ヶ月半、絶対安静という状態
だったので、私は寝ておられると思い玄関のベルを押すと、なんとご本
人が応対されたので大変驚き嬉しく思いました。家に入って少しお話を
して、教会のため、個人のために祈りをして、委任状を預かって帰りま
した。
 最後にN姉です。長く体調を崩されていましたが、家の中に入れてい
ただき、少しの時間いろいろとお話をさせていただきました。お祈りを
して、委任状を預かって帰りました。
 3人の姉妹のご家庭の上に、神の祝福を心よりお祈りいたしました。

2月28日(日)09年度第2回総会について

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写真(横浜TJさん提供)

皆様
お元気に、日々、感謝の中でお過ごしの事と思います。
お仕事や、ご病気などのために、教会にしばらく来ることができない方などもいらっしゃいますが、いつも主にあって、兄弟姉妹として、教会というファミリーの一員であることを覚え、祈らせていただいております。
来る2月28日(日)には、礼拝後に、総会を開催いたします。
2010年度の教会の計画及び予算についてが、主たる議題です。
2009年度の歩みが滞りなく進んでおりますが、イースターを迎えるにあたって、更に充実した歩みがなされるよう、桜ヶ丘教会及び日本のキリスト教会のためにお祈りいただきますようお願いいたします。

2010/2/14 週報メッセージ

   ある教師会に出席して
                                    朝位 真士
 先日、某教師会で私が発題をさせていただいた。内容は先週の週報で
も記載したが、教団、教区、地区、教会が抱えている高齢化、人数の減
少、財政的減少、信者数の減少等、深刻な課題にどう打開策を講じてい
ったらよいかということである。
 私は「伝道しよう」ということを言った某教授の講演資料を参考に語
った。内向傾向にある各個教会が、外に向かって伝道しなくてはならな
いと訴えた。
 日本伝道が充分な成果を上げ得なかった項目のうち、4つを引用する
と、①外来の邪宗として排斥されたキリシタン禁制による反キリストの
国民的感情が潜在意識としてあり、それに加えて民族主義的、国家主義
的教育による反キリスト教活動をみなぎらせている。②神道、儒教、仏
教の3教が根強い伝統的潜在勢力となって庶民階級を支配し、家庭は封
建制を脱し得ないでいることが、キリスト教の浸透を妨げている。日本
文化の異教的、汎神的、現世的性格と、キリスト教の絶対的、倫理的唯
一神観との妥協しがたい相克がある。③第2次大戦後において、虚脱よ
り混乱を経て、思想と生活上の動揺錯覚をきたした日本国民は、一時的
に西洋文化とキリスト教とを混同したように、キリスト教の門に集まっ
たが、今やしばらくその反動期に入って離反的傾向を見せている。④宗
教的素養を欠いているために、不安な時代に流行する新興宗教または類
似宗教に幻惑されて、迷信にとらわれている者が多い。

2010/2/7 週報メッセージ

   西東京教区研修会に参加して
                              朝位 真士
 2月1日~2日迄、高尾の森わくわくビレッジで、「1%を超える
道ー日本における伝道を考える」というテーマで行われました。主講
師F教授が熱く語ってくださいました。参加者は教師32名でした。
詳細は教区通信でまとめが出されると思います。
 参加者の一人として感じたことは、教団、教区、地区、教会が抱え
ている、高齢化、人数の減少、財政的減少、信者数の減少等のマイナ
ス要素ばかりでした。私共の教会も一つ一つの項目は共通することば
かりです。しかし、楽観的な考え方かもしれませんが、このマイナス
要素をプラスにチェンジする方法があると思います。私を含め、一人
一人がこの現状を素直に神の前に悔い改めると同時に教団、教区、地
区、教会の主は誰かということを考えることです。それは牧師、信徒
ではなく、全能の神である主イエス・キリストの父なる神です。その
主人公にもう一度主導権をお返しして、牧師も信者も、教会関係者全
員が主の僕として神の前に再献身して、ミッショディとして神の宣教
に徹することです。そして主がイニシアティヴをとっていただく時、
この2010年に新しい神の業がなされることを期待したいと思いま
す。