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2008年最後の礼拝、2009年元旦礼拝について

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(上記写真は教会員K・Kさんの「2008 冬の中の風景」から提供いただきました)

12月28日(日)10:30~12:00は2008年最後の礼拝になります。
過ぎ行く2008年に感謝いたします。

桜ヶ丘教会では、朝位真士先生の力強いメッセージを毎週の礼拝でうかがうことができました。
また、特別礼拝を数回持つことができました。
6月に岸義紘先生、11月に金山良雄先生、12月にボーマン・ベアンテ、ルリ子先生をお招きし素晴らしいメッセージをいただきました。

お忙しい先生方が、桜ヶ丘教会に来てくださいました。岸先生、ボーマン先生ご夫妻には、毎年当教会で素晴らしいチャペルコンサートを開催していただいています。お話もわかりやすくて、感動します。
ムラサキスポーツ(株)代表の金山先生は今年初めてでしたが、「生きがいやりがい」という話から「恥は我が物、誉は主のもの」という先生の思いをお話いただき、何故かその言葉がついて出てくるこのごろです。

こんな素晴らしい贈りものを、わたしたち桜ヶ丘教会では、2008年にも神様からいただきました。

2009年1月1日(木)11:00~元旦礼拝があります。
毎年、牧師の朝位先生が、その年の桜ヶ丘教会が掲げる聖書の御言葉を発表されます。どうぞ、どなたもご参加できますので、元旦も教会へお出かけください。
 
2008年最後に、聖書の御言葉をお送りします。<マリアの賛歌 ルカによる福音書第1章47・48節>

「わたしの魂は主をあがめ わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです。
今からのち、いつの世の人も、わたしを幸いな者と言うでしょう」

クリスマスイブキャンドルサービス

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「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。」

クリスマスは、主イエスキリストがお生まれになられたことを祝うときです。
桜ヶ丘教会では、今日、12月24日クリスマスイブ、いつものようにキャンドルサービスをしました。
また、午後6時から、30分間、京王線桜上水駅前でクリスマスの歌を歌いました。(キャロリング)
クリスマスイブのひととき、主にあって平安の時をご一緒に過ごすことができました。当教会の家庭的な雰囲気の、小さな教会らしいイブの夜でした。朝位憲義神学生のクリスマスメッセージ、朝位フミ子牧師のピアノ演奏「音楽をあなたに」、キャンドルサービスにはマザーテレサの言葉の朗読がありました。

クリスマスイブキャンドルサービス

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12月24日(水) 午後7時から
どなたでもお気軽にご参加ください。
当日は写真のキャンドルに灯がともります。

【クリスマスメッセージ】
朝位憲義神学生

題名「誕生してくださった方」

キャンドルサービス前に、午後6時からは、京王線桜上水駅前でキャロリングをいたします。どなたも参加できます。

キャンドルサービスの後には、朝位フミ子先生のピアノ独奏による音楽のひと時をご一緒に過ごし、イブの夜を楽しんでいただきます。

12月21日朝位先生の週報メッセージ

   私の47回目のクリスマス            朝位真士

 「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(ルカ2章11節)
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3章16節)
 今年もクリスマスを迎えることができ、心から感謝いたします。
 私は1961年12月24日、クリスマス礼拝において北九州復興教会山中日出刃牧師より受洗いたしました。私を導いてくれた人は持田倫生君です。彼は高校の同級生で、同じマンドリン・クラブにいた非常に真面目で優しい人物でした。残念ながら2007年9月26日召天されました。しかし彼の長男、持田M君が横浜から教会に出席しています。さて話を戻しますが、私の受洗のきっかけとなったのは、1961年8月の高校生特別集会での牧師の説教でした。その年の12月、クリスマス礼拝でバプテスマを受けました。現代のように信仰講座も洗礼準備会もなく、ただ聖霊の導きとしか言いようのない導かれ方でした。本当に神様の一方的な恩寵であると心から感謝しています。
  現代社会は大変不安な要素が多くあり、悩んでいる人が多くおられ、自殺者や犯罪が多発している先行き不透明な時代です。明日何が起こるかわからない時代です。私はこのクリスマスの時期に、一人でも多くの方が理屈を言わず、不信仰な気持ちにならず、マリヤの如く「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と、また天使が「神にできないことは何一つない」(ルカ1・37-38)と語ったように、信仰の決断をされることを願っています。この時期にイエス・キリストを心の中にお迎えいたしましょう。

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい

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「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と、私たちの救い主であるイエス・キリストは皆様方を招いておられます。
 現在人はさまざまな重荷を負って、苦しんでおられると思います。例えば、生きることに対する重荷、老いる事への重荷、病気に対する重荷、死に対する重荷等。様々な重荷、不安・労苦を取り除いて下さり、魂に真の平安を与えようと、救い主は、皆様を招いておられます。