2026/7/19 週報メッセージ

キリスト者という呼び名

川﨑 信二

「……アンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった。」(使徒言行録11:26)

 学生の頃、「おしん」という渾名で呼ばれていた。「しんじ」という名前と、戦中戦後を生き抜いた女性の人気ドラマから「我慢強い」イメージで、そう付けられたようだ。我慢強くはないが、人に声をかけられても恥ずかしくて言葉が出てこなかったために、何を言われても口答えしないで「耐えている人」と映ったのかもしれない。

 「キリスト者」という渾名はパウロたちが熱心に伝道する姿から、ユダヤ人から揶揄されて付けられたとも言われている。主の弟子たちがいつもキリストの名を呼び(キリストは名前ではなく救い主という意味)、口にし、主を褒め称えていたのでそう呼ばれるようになったのだろう。

 聖書学校の学生時代に宮崎県に伝道キャラバン隊を組んで実習に行ったことを思い出す。路傍伝道の一環で「わたしはクリスチャン」と描かれたTシャツを着させられ、真夏の商店街で踊りながら「ハレルヤ!わたしはクリスチャン」と歌わされた。恥ずかしかった。先輩たちは笑顔で主を賛美し、喜びに満ちていた。使徒たちがキリストの名で呼ばれる喜びと誇りを伝道の力に変えたように、私も恥ずかしがらずに「わたしはクリスチャンです」と告白できる者になりたい、と思わされた。

 一人では心細い。キリストの名によって呼ばれる「キリスト隊」こそが教会の姿であるはずだ。

 毎朝、「桜上水」と描かれたTシャツを着てジョギングをしている。笑顔でスキップもしている。周りからどんな目で見られているのだろうか(朝早いので人は少ないが)。

 「わたしはキリスト者」と描かれたTシャツに替えてみようかな、と思うこの頃である。