2016/4/17 週報メッセージ

   Y姉の葬儀に出席して
                                                               朝位 真士
  Y姉が4月7日(木)午後4時30分、小淵沢の御自宅で召天されました。
93歳6ヶ月でした。姉は幼児洗礼を受けられ、1993年3月28日に西海
静雄師の司式で信仰告白式を行いました。
 私共は1994年4月から桜ヶ丘教会でお会いしています。温厚な御婦人
で、聖歌隊で奉仕をされていました。その存在は大変貴重で、いつも前向
きで積極的であり、人々に対して愛をもって接し、よく気がつかれる方でし
た。2011年11月、小淵沢に転居され、娘さんと生活をされていました。
ミッションスクール(東洋英和女学院)を出ておられ、外国の銀行に応募し
て一〇〇倍の倍率を突破し、キャリアウーマンの先駆者として働かれた
方でした。昨年12月28日、教会員のS姉と私共が御見舞に伺いました。
その時すでに医者から余命3ヶ月と宣告されていましたが、そのような様
子はなく、クリスチャン女性として、優しくにこやかに接待してくださいました。
 4月10日に前夜式、11日に告別式が厳粛に行われ、私が司式をさせて
いただきました。御近所の方が二〇数名出席され、寂しさの中にも晴れや
かな気持ちで賛美をして、天国に送らせていただきました。
 「主の聖徒の死はそのみ前において尊い。」(詩126・15)
 御遺族の上に神の慰めと祝福をお祈りします。アーメン。

4月10日特別礼拝

イメージ 1写真:k・kさん提供
求めよさらば与えられん
説教者は、志木教会の牧師、横山基生先生でした。桜ヶ丘教会にホーリネスの群れからの問案ということで、おいでいただき、お話をしていただきました。
「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」マタイによる福音書7章7節
求め続けること、探し続けること、門をたたきつ続けること、この継続し続けることが必要であるというメッセージでした。
「与えられない、遅れる、与えられる」という3つの結果が予測されますが、神が時にかなう形で、私たちに必要なもの、良いものを、ご用意くださるということです。
継続して求め続け、探し続け、門をたたき続ける中で、若者は幻を見、老人は夢を見る。
求めるものは、成長する。健康になる。愛の人になる。この時代の真理がわかってくるということです。
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」
マタイによる福音書7章12節
お互いに求め続ける中で、成長できる、愛の人になる鍵は、このような行為をしていけることなのだと思わされました。

2016/4/10 週報メッセージ

   2016年度ホ群年会に出席して
                                                               朝位 真士
  過ぐる4月4日(月)~6日(水)まで、ホーリネスの群年会が東京聖書
学校および越谷コミュニティセンターで開催された。主題は「起きて、
光を放て」、副題は「ホーリネスの群結成70周年、結成への経緯を問
いつつ」であった。全国より議員ならびに関係者200名近くが出席した。
 開会礼拝の説教は久多良木師、司会永家姉。聖会Ⅰ、説教村上義治
師、立証五味明子師、司会山口英希師。聖会Ⅱ、説教島隆三師、司会横
山好江師、合唱東京聖書学校神学生。派遣式、司会・説教横山基生師。
その他、レセプション、事務会3回、東京聖書学校後援会等があり、大変
充実した内容であった。特に村上委員長が挨拶で、「七〇周年を迎えて
感慨深さと積み上げられた歴史の豊かさを味わいつつも、危機感を覚
えています。第一は時代から来る危機です。……教会という共同体が事
実上限界集落的な様相を呈し始めています。……この世にある教会は存
続の危機と言えるでしょう。第二は教勢から来る危機です。人数減少・
高齢化だけではなく財政力も入ります。現実問題、今の教会の体力は60
代・70代の信徒で支えられています。第三は献身者の危機です。」と
語られたのが印象的であった。この話は私共の教会にも当てはまると
思い、もっと祈りと信仰を強くして、全能の父、イエス・キリストの父なる
神に祈らなければならないと痛切に感じた。しかし、危機こそチャンスでもある。

2016/4/3 週報メッセージ

   ある少年院での卒業式
                                                               朝位 真士
  私の奉仕しているA女子少年院での中学生の卒業式に出席した。出身校
の中学校校長先生が一人の卒業式のため出席され、出身中学校の卒業
証書を授与された。その後、少年院の院長先生の祝辞、校長の祝辞、卒業
生の言葉があった。少年の少年院での生活の一場面が写し出され、非行
当時の心理状況と現在の心理的変化がうかがわれた。式が終わって一人
のキリスト教教誨師の先生のお話を伺う時が与えられ、大変感動したので
皆様にお伝えしたい。
 先生は長く教誨師・篤志面接委員をしておられる、80歳を超えた温厚な
先生である。少年院の授業でキリスト教的教養講話をしていた時、ある少年
がその話に感動して、少年院を出た後、母親にキリスト教の話をされた。
その少年の母親は感動して、キリスト教を求道して信者となり、教会生活を
送られるようになった。ある時、神様から牧師・伝道者になるように召命を受
けて献身し、某神学校に行かれ、現在は都内のある教会の牧師として御用
されているということである。今もその少年と母親との交流が継続していると
いうことを伺った。
 「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを
見いだすだろう。」(コヘレト11・1)
 「朝、種を蒔け。夜にも手を休めるな。実を結ぶのはあれかこれか。」
                                  (コヘレト11・6)

イースター

イメージ 1イースター
イエス様の復活の喜びを心から嬉しく思います。
イエス様の復活は、死に勝利したイエス様が、私たちの中に生きてくださる恵みでもあります。
イエス様の十字架の死によって、すべてを失ってしまったような喪失感で使徒たち、婦人たちは、悲しみのどん底にあったことと思います。
しかし、復活という人間の思いや知恵を超えて、私たちの前にイエス様は現れました。
喪失感から、希望をもって歩むむことができる道をご用意くださいました。
イエス様と共にあることによって、私たちは新しく生まれ変わることができるのです。
イエス様は、昨日も、今日も、そしていつまでも変わることがなく、いてくださいます。
復活されたからです。
死に勝利されたのです。

2016/3/27 週報メッセージ

   最近の恵まれた出来事
                                                                                                         朝位 真士
 最近90歳を過ぎた一人の姉妹が召天された。その姉が私に1冊の本をプレゼントしてくださった。『世界最大のもの』(ヘンリー・ドラモンド著、新屋徳治・順子共訳)である。
 
  たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシ
 ンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動か
 すほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽く
 そうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
  愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求め
 ず、いらだたず、不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
                                                  (コリントⅠ 13章、口語訳)
 
 宗教の世界で最大のものは「信仰」であると言われてきたが、コリントの信徒への手紙1の13章はキリスト教の根源について述べている。そこに「その中で最も大いなるものは、愛である」と結論付けられている。90歳を超えた姉は、教会でも家庭でもいつもニコニコして笑顔で若い者たちに接して、前向きな生き方、愛を実践された。
 もう一人、桜ヶ丘教会の会堂建築の時、献金をしてくださった元歯科医の女性がいる。彼女は90歳を超えておられるが、横浜のホームから毎週タクシーで礼拝に出席されている。お金を神様第一に使用されている。
 私はこの二人の婦人たちの熱心な信仰とキリストに対する愛の行為に大変恵まれ、まず神を第一とした晩年を送り、天国へ帰りたいと祈りながら、二人の姉妹たちと別れた。

3月の陽射しを浴びて

イメージ 13月の陽光が、こころにも柔らかく感じるこの頃です。
イースター、イエス様の復活の喜びを思いながら道々を歩きました。
十字架につけられたイエス様のこと思います時に、私たちの罪のいっさいを引き受けてくださったということについて、深く深く考え、復活の勝利の意味をも、しっかりと心で味わいたいと思います。
わたしたちは、それぞれ、皆改革を自分の内に求め、改革できるところはしていく必要があると先日某研修会でお聞きしました。
多様性を踏まえ、教会を見ていくことも大切であるとのこと。
角度を違えてみれば、違って見えることがあるとのこと。
違いを尊重し、調和していくことができるということを、教えていただきました。
ルターの宗教改革から500年を迎える前に、いま、私たちは、改革を自分の内に求めていくことが必要であることを感じます。改革は継続して行われて行かなければならない。
日常の生活に埋没することなく、霊に燃えて、主が語られる御言葉に耳を傾け、与えていただいている生命を大切に燃焼させたいと思います。

2016/3/20 週報メッセージ

   十字架上の7つのおことば                                                              
                                                                                                        朝位 真士
  十字架上の6時間にイエスがお語りになった「7つのおことば」を四福音書から見よう。まず十字架上でヘブル時刻第3時(午前9時)からヘブル時刻第6時(正午)までの3時間に語られた3つのおことば。
 (1)「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。」(ルカ23・34、口語訳)
 (2)「イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に『女の方。そこに、あなたの息子がいます』と言われた。それからその弟子に『そこに、あなたの母がいます』と言われた。」(ヨハネ19・26~27、口語訳)                                                               
  (3)「イエスは、彼に言われた。『まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。』」(ルカ23・43、口語訳)
 次に、十字架上でヘブル時刻第6時(正午)からヘブル時刻第9時(午後3時)までの3時間は暗黒と沈黙の時間。主の御苦しみがクライマックスを迎えた最後の瞬間、午後3時に語られた最も重要な4つのおことば。
 (4)「三時に、イエスは大声で『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』と叫ばれた。それは訳すと『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」(マルコ15・34、口語訳)
 (5)「この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、『わたしは渇く』と言われた。」(ヨハネ19・28、口語訳)
 (6)「イエスは酸いぶどう酒を受けられると、『完了した』と言われた。」(ヨハネ19・30、口語訳)
 (7)「イエスは大声で叫んで、言われた。『父よ。わが霊を御手にゆだねます。』こう言って息を引き取られた。」(ルカ23・46、口語訳)
 3時間の暗黒の締めくくりには、エルサレムの神殿の幕を上から2つに裂く、偉大な最期の祈りがあった。ヨハネには「完了した」と言われた直後に「頭をたれて、霊をお渡しになった」(19・30)とある。
           

3月13日の礼拝

イメージ 1写真:3月13日礼拝の花
説教題
「死刑の判決を受ける」
マルコによる福音書第15章
6節~15節
過ぎ越しの祭りの時期には、囚人を赦すという特赦があったということです。
その時期に、総督ピラトは、イエスを特赦で赦すという選択もできたが、祭司長たちの扇動によって群衆が囚人バラバを赦すように求めたため、ピラトは群衆を満足させようと思い、
バラバを釈放したという話でした。
イエスは死刑の判決を受け、大悪人が許されたという出来事は、イエスが十字架にかかることによって、罪人がゆるされるという十字架の福音のひな型であるということです。
日々、私たちの心は、神の義、愛に反するような思い持つことがあります。
神を敬い愛し、自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさいという主の御言葉を思い出すときに、何と遠いところに身を置いているのかと反省させられます。
主が、十字架の刑をどのように受け止められ、恐怖の時を過ごされたのか。
この痛みを、我がことのように思い過ごすことは、とても緊張を覚え、持続できません。逃げたくなります。
しかし、十字架の現実をしっかり見つめ、お赦しいただき、前に向かって進みたいと思います。
桜ヶ丘教会を主が用いてくださり、どうぞ、一人でも多くの方が、当教会でイエス様にお会いになることができますように。
祈りつつ、お待ち申し上げます。

3月13日週報メッセージ

ある老牧師の手紙を受け取って
                                                                                                       朝位 真士

  「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」(Ⅱテモテ4・2)
 最近、私は退任をされる高齢の先生の手紙に大変感動いたしました。先生はいくつかの御言葉を記しておられました。
 「福音を恥としない。……福音は……信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」(ローマ1・16)
  「この方以外に救いはない。」(使徒4・12)
 「十字架の言葉は滅びる者には愚かなれど、救われる我らには神の力なり。」(Ⅰコリ1・18)
  「わたしは、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています。……キリストがわたしを通して働かれたこと……わたしの言葉と行いを通して、また……神の霊の力によって働かれました。」(ローマ15・17)
 先生は御年85歳になられます。「伝道を最優先する教会」を願って伝道してこられました、教団能代教会で
16歳の時に洗礼を受けられ、19歳で献身され、昭和25年(1950年)4月、日本ホーリネス教団東京聖書学院第一期生として入学され、65年間伝道者として生きてこられたことを感謝しておられる先生です。私も九州時代に先生にお会いして、いつも前向きで積極的な姿勢に頭が下がっています。隠退前には母教会の能代教会で大変良い牧会をされて、後任に委ねることになったと文面から読み取ることができました。4月から千葉県習志野市の超教派「祈りの家」の牧師として御用されることになったと、手紙に記しておられた。最後まで伝道者、牧師としての生涯を全うされる御覚悟であることを感じました。先生は一言で表現するならば祈りの人であり、世界宣教にヴィジョンに燃えておられ、海外宣教も実践され、教会の牧者として模範的な先生だと思います。
私もそういう終わり方をしたいと願っています。

1923年6月1日創立