2018/10/14 週報メッセージ

   伝道に熱くなる教団へ
                                                                                                             朝位 真士
  私は「船の右側」一〇号の日本基督教団議長石橋秀雄先生の対談を読んで感動したので、ここに少しく記したい。全国に一七〇七の教会、礼拝出席者数五万一千人を擁する日本基督教団。「社会派」と「教会派」の長い戦いを経て、伝道路線に大きく舵を切った同教団は、石橋議長のリーダーシップのもと「伝道に熱くなる教団へ、伝道に熱くなる教会」とのビジョンを掲げている。牧師と信徒の高齢化により信徒数の大幅な減少にも直面する同教団は、この時代にあってどのように伝道の使命を果たそうとしているのだろうか。石橋先生にインタビューした記事である。
  教団伝道推進基本方針を定めました。大まかに言うと、①祈祷運動ー共に祈ろう、②信徒運動ー共に伝えよ
 う、③献金運動ー共に献げよう、の三つです。①の祈祷運動では、毎月第三主日を「日本伝道を祈る日」とし
 て、全教会挙げて祈ります。②の信徒運動ですが、信徒が養われるのは、やはり礼拝です。信徒一人ひとりが
 礼拝において力を受け、聖書を読み、熱心に祈り、喜びをもって主の恵みと福音を宣べ伝える者とされる。そ
 のために、信徒の学びや役員の研修を教会、教区、教団において行います。③の献金運動ですが、財政的な
 危機を抱えながら日夜苦闘している教会・伝道所を覚えて献げること、また献身者を生み出す教会となるため
 に献げていくこと。祈りと共に実際の支援もしていくということです。この伝道推進基本方針が決議され、それ
 に基づいて教団の機構改正を行うことになりました。
 私は石橋先生と何十回もお会いしているが、いつも明るく前向きであり、信仰的・実践的伝道者、牧師リーダーである。キリスト教会の将来を思うと、まことに暗いニュースばかりだが、福音の宣教・牧会のリーダーは、全能の父なる神、御子なるイエス・キリスト、聖霊の三位一体の神である。不可能を可能としてくださる神を信じて前進していきたい。勇気と励ましを与えられて感動であった。

10月を迎えて

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9月も過ぎて10月を迎えました。

まだまだ暑さが続いていますが、秋の気配は感じることができます。
実りの秋ですが、自分の歩みの中で何か実れるものがあるかどうかと考えると、どうかなあと考えてしまいます。
しかし、日々主に新たにしていただくお恵みを味わいながら過ごすことができていることは、感謝です。
心配をして悔やんでしまうこともあります。
人に対していつも穏やかにしていることができるとは限りません。
そのようなダメな私を主はご存じで、それでも新たにさせていただき、次の1日を迎えることができています。
本当に感謝です。
10月も3分の1を過ぎました。
どうぞ、各日曜日、10時半~、教会でご一緒に礼拝を捧げてみませんか。

2018/08/19 週報メッセージ

   幼な子を私のもとへ                                                                 
                                                                                                               朝位 真士
  聖書のマタイ一八章一~五節に、「そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、『いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか』と言った。そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。『はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである』」(マルコ九・三三~三七、ルカ九・四六~四八)と聖書に記されている。
 弟子たちはしばしば互いの順位争い(誰が誰より上の地位か)に心を奪われた。マタイは地上での順位争いを語る伝承を「だれが、天の国で一番偉いか」に改めているが、これでは弟子たちは天の国でも序列があるという前提をもっており、彼らの「天の国」理解が浅いものであることになる。偉い人の基準を求める弟子たち(二~五)に対し、イエスは序列という発想自体を否定し「子供を呼び寄せ」「子供のようにならなければならない」と教える。こうしたイエスの言葉は、彼の思想の中核と関連している。当時、子供は一般に愚かで不完全、無価値な者と見られていた。このような当時の常識に反して、イエスは子供の姿をあるべき信仰者のモデルとする。それは子供が親に対して無条件の信頼を抱き、親と一緒にいるとき大きな安心感をもつからであろう。
 私共の教会学校は、人数は少数であるが、毎週二~三家族の子供たちが出席している。そして、子供たちが献金の奉仕をし、お祈りをしている。先日は五歳の幼女が献金の奉仕をしたいと言って、電車で一時間以上かけて母親と出席した。車で一時間以上かけて家族で毎週出席している者もいる。教会の近くからも姉妹で出席している。この幼な子たちの姿に、私は前記のイエス様の御言葉が浮かんできた。子供たちに見習いたいものである。

2018/10/07 週報メッセージ

   恵みの後期高齢者

                                                                                                             朝位 真士

  「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』と言う年齢にならないうちに。」(コヘレト一二・一一)
  私は十月六日で後期高齢者になりました。一九六一年一二月二四日、北九州復興教会で、山中日出刃牧師によって受洗しました。若い一八歳でした。高卒後、商社に入社して九年間勤務し、一九六八年、東京支社勤務後に淀橋教会小原十三司師の指導を受け、一九七〇年、箱根のケズィック集会にてジョージ・ダンカン博士のメッセージを聞き、献身を決意しました。一年間、淀橋教会の小原・峰野両師より献身者見習として訓練を受け、一九七一年、東京聖書学校に入学しました。一九七五年三月卒業と同時に北九州復興教会の伝道師として、山中日出刃師の指導を受け、同時に一二キロ離れた曽根の開拓伝道をしました。その間、二回民家を借用し、母教会の祈りと助力により、曽根に三百四十坪の土地を取得し、建坪五〇坪の鉄骨三階建の会堂兼牧師館を建設しました。
 一九九四年、ホーリネスの群人事により、妻フミ子師、憲義牧師(当時高校二年生)、娘真奈(当時中学二年生)の四人で、旧会堂、パールハイツ桜上水のマンション教会に赴任しました。一階が会堂で、四階に教育館、五階が牧師館でした。一九九七年一二月一七日、現会堂(敷地五九坪、建坪一七七平米の鉄骨三階建)に移転しました。その間、四十数名の方々を天国に送りました。結婚式も、受洗式もあり、現在は二十数名の礼拝を守っています。
 私は牧会四三年目を迎え、将来の桜ヶ丘教会のことを祈っています。救われる人が与えられるように、礼拝人数が増加するように、教会学校を始め、各会が祝福されるように。また特に、良きホーリネス信仰を実践される後継者が与えられるように、私は神に毎日祈っています。皆様もお祈りしてください。主に栄光を帰しつつ。ハレルヤ!!

2018/9/30 週報メッセージ

   キリスト教発祥の地 横浜とふれあい会
                                                                                                            朝位 真士
  九月二一日、右記の題のもとにU姉の発案で一〇名余の兄姉が横浜に集合した。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」(詩一三三・一)
 日本大通り駅三番出口に集合して、まず日本最初のプロテスタント教会「横浜海岸教会」の礼拝に出席した。一八五九年、日本にキリスト教の福音を伝えたいとの熱意を持っていた米国長老派教会のJ・C・ヘボン、米国改革派教会のS・R・ブラウン、一八六一年、米国改革派教会のJ・H・バラ夫妻がまず横浜で英語私塾を開き、聖書をテキストとして英語を教えながら、キリスト教の伝道を始めた。一八六八年に、現在の横浜海岸教会が建つ場所に石造りの小会堂が建設された。一八七五年に教会堂が建設されて横浜海岸教会と改称され、一九二三年の関東大震災で会堂は倒壊したが、一九三三年に現在の会堂が再建された。毎週の礼拝は、第二次大戦中のキリスト教弾圧の時代にあっても継続されてきた。受洗者総数は関東大震災の記録消失のため詳細が不明であるが、累計すれば六〇〇〇名を下らないと推測される。そこでK牧師のメッセージを聞いた。
 その後、一九六五年創立の横浜「アルテリーベ」にて昼食。生演奏付きの高級なレストランであった。M役員の妹さんのご主人が経営する店である。フランス料理と会話に楽しい一時を過ごした。個人的になるが、M役員と妹さん、弟さんは、私共が九州で牧会をしていた時に中学生・小学生で、私が洗礼を授けさせていただいた。
 食事の後、横浜開港資料館でヘボンの資料等を見て、横浜公園付近の散策に時を過ごした。横浜のキリスト教の歴史に触れながら、伝統ある異国情緒の建物や港、公園を散策して、記念すべき一日を過ごした。桜ヶ丘教会の方々との楽しい思い出の一コマを過ごしたことを、主と皆様に感謝します。

2018/9/16 週報メッセージ

   高齢者の生き方                                                                 
                                                                                                    朝位 真士
  高齢者になるということは、弱ってくるということです。一つは肉体的機能が衰え、疲れやすくなり、病気がちになります。二つは退かなければならないということです。たとえ、体力的にあるいは能力的に可能であっても、後進に道を譲るなどの意味において退く必要もあります。三つは、終わりに近づくということです。高齢者になるということは、何重もの意味で終わりに近づき、終わりが来るということです。
 高齢者としてのより良い生き方について考えると、(一)整理する、(a)身辺の整理、(b)人間関係の整理、(c)信仰の整理ー聖書を読み直し、神との関係を修復し、それまでの信仰を点検することによって、信仰の確立をはかることができます。どんなに年をとっても成長し続けることができるのは、霊性が高められるからです。「年老いた男には、節制し、品位を保ち、分別があり、信仰と愛と忍耐の点で健全であるように勧めなさい。同じように年老いた女には、聖なる務めを果たす者にふさわしくふるまい、中傷せず、大酒のとりこにならず、善いことを教える者となるように勧めなさい。」(テトス二・二~三)(二)準備する、(a)健康面の備え、(b)精神面の備え、(c)環境面の備え、(d)経済面の備え、(e)死に対する備え。(三)挑戦する、(a)労働において、(b)趣味や学習において、(c)教会の奉仕においてーある人は晩年になってから神学校に学び、伝道者として働いています。そうでないまでも、それまでの経験を生かして、教会の働きの一部を担うことができたら、どんなに幸いでしょうか。
 最後に、高齢者にとっての幸いな教会生活ー礼拝に出席する、歌う、聴く、人と交わり、祈り合うということによって、心身に刺激が与えられ、霊性に祝福がもたらされます。教会出席は、すばらしい老化対策であると言えます。たとえ健康の理由で出席が許されないとしても、教会の祈りに覚えられていることは、それはそれでいかに大きな祝福でありましょうか。(クリスチャン生活百科より)                                       

2018/9/9 週報メッセージ

   日本伝道の幻を語る会五〇回記念大会
                                                                                                               朝位 真士
  八月二九日(水)~三一日(金)迄、市川サンシティホテルで開催された。今回は記念大会で、主題『福音の実を結ぼう!』「御言葉を聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ。」(マルコ四・二〇)出席者数は、
申し込み分で九五名であった。
  講師は近藤勝彦師(東京神学大学前学長、銀座教会協力牧師、東京神学大学名誉教授)、池田博師(本郷台キリスト教会アドバイザー牧師、本郷台キリスト教会開拓伝道)、藤井圭子先生(小児科医、尼僧校舎監よりキリスト教信者となり、キリスト伝道会のエバンジェリスト)。日本をキリストへの三大宣教事業。一、全国教会強化伝道。二、日本伝道の幻を語る会。三、国際的信仰交流。主題聖句「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」
  池田博師は本郷キリスト教会の開拓伝道をされて、今日大教会となった。牧会五〇年のベテラン牧師であり、先生の御苦労が喜びと感謝に変わり、輝いたお顔をされていた。地域に仕える教会と、さまざまな事業もされて、時代のニードに応えておられた。近藤勝彦師は学者であり、牧会者であられ、マタイ一四・二二~三三より、主イエスと共に行く旅路について、組織神学者の立場と牧師・牧会者としての立場から、学問と実践の体験を通して力強く語られた。藤井圭子先生は、仏教からキリスト教伝道者として、日本並びに世界における一五〇〇回の講演を実践しておられた。ガンの克服をもって、喜びに輝いて語った姿は、多くの会衆を魅了した。
 当日は、会場に入りきらないほど集まり、補助イスを数十脚出した。献金は、席上が四〇九、四七〇円、予約
が一、〇五七、〇〇〇円、合計一、四六六、四七〇円与えられた。私は皆様に祈っていただき、教会や朝祷会等で祈りの願いをさせていただき、神様は祈りに答えてくださった。神様と皆様方に感謝を申し上げたい。

2018/9/2 週報メッセージ

   神の存在と働き
                                                                                                            朝位 真士
  「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに。また『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に」(伝道一二・一)
 よく、「神なんかいない」と否定する人がいますが、それは自分で考え出した神概念を自分で否定しているにすぎません。神を知ることは、神のみことばに聞くことです。神を論じる前に、神を知る道を歩むことです。
 神はどのような方かと問われるとき、まず聖書が示す重要な教理の一つに「神は三位一体の神である」という答えがあります。神は本質において唯一ですが、三つの人格をもつ存在であるという意味です。聖書には、父なる神、子なる神、聖霊なる神と、父・子・聖霊がすべて神であると示されています。しかし、これは三つの神ではなく、本質的に唯一の神の三つの人格的働きのあり方を示しています。また聖書の中には、三人格の神の名が同時に出ている例もあります。「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように彼らを教えなさい。」(マタイ二八・一九~二〇)三位一体の教理は、聖書に啓示されているままに信じられている真理であり、人間の理性によって完全に認識できるものではありません。
  次に神の本性について簡単に記します。①神は霊である。②神は人格である。③神は絶対である。次に神の属性について。①神は全知である。②神は全能である。③神は聖である。④神は義である。⑤神は愛である(Ⅰヨハネ四・一六)。愛という言葉は日本語では一つですが、聖書ではエロス、フィリア、アガペーという三つの言葉が使われています。エロスは人間の自我中心の愛であり、フィリアは隣人愛といえるものを指しています。アガペーは神にあり、神から発し、神に帰するのです。この神の愛が人間に対して現わされるとき、①恵み、②あわれみ、③寛容という三つの言葉で表現しています。

2018/9/23 週報メッセージ

    東京聖書学校公開講座に出席して
                                                                                                             朝位 真士
  今回は「キリスト教葬儀の理論と実際」というテーマで、久多良木先生(実践神学)と奥田幸平兄(キリスト教専門葬儀社輝会長)の二人の講師による学びでした。
 まず講演Ⅰ「キリスト教葬儀の理論的側面」について、久多良木先生が語ってくれました。先生は、聖書詩編二三編・九〇編、イザヤ四〇章、ルカ一六章、ヨハネ六章・一一章・一四章、Ⅰテサ四章、Ⅱテサ一章、ヨハネ黙示二〇~二一章等、多くの聖書箇所と、『牧師の仕事』(鈴木崇巨著)第二二章「葬式、諸式」を引用され、「一人の人の死に臨んで牧師が語るべきことは、その死者がこの世でなした良いことへの賛辞や人間的な慰めの言葉ではなく、イエス・キリストの福音です。」「葬式の主目的は神に栄光を帰することです。このために他の礼拝式と同じように聖書(神の言葉)と祈りが中心になります。葬式の背後には永遠の神がおられます。それが遺族への本当の慰めになります。あくまでも神を中心にすることにより、聖書による深い慰めが流れ出てきます。」「死と復活の中で、死とはアダムとエバの罪の結果。そしてイエス・キリストを信じることによってこの罪は赦され、永遠の生命を得て復活します。」と語られた。
 次に奥田兄が「キリスト教葬儀の実際」を、パソコンのデータを画面に映して説明してくださいました。「キリスト教の葬儀は礼拝として行われます。故人の一生を守り導かれた創造主である神を礼拝するため、悲しみの中にあるご遺族の慰めとなるため、参列された方が葬儀を通して自分の人生と死について考えるきっかけとなるため、故人に敬意を表し、ご遺体を丁寧に葬ります。しかし、故人を拝むことはしません。」その他、様々な具体的な実例について、わかりやすく語ってくださいました。
 高齢化社会の中で、私達もやがて召天します。そのための予備知識として、私にとって大きな学びとなったことを感謝しています。

2018/8/26 週報メッセージ

   『生きるのが楽しくなる脳に効く言葉』(中野信子著)
                                                                                                                                       朝位 真士
  私は最近、脳科学者であり医学博士の著者が記した本を読んだので、感銘を受けた言葉を列記したいと思います。その本の八八頁~八九頁にある、「怒りのホルモンを抑えるのは、笑顔で行う祈り」という見出しに心が止まりました。「前向きな心でいる時、笑顔の時、感謝の気持ちを持っている時の脳内には、ベーターエンドルフィン、オキシトシンなどの脳内快楽物質が分泌されます。そのため、『良い祈り』をしている人の脳には良い影響が表れ、幸福感に満たされるのです。ただし、ポジティブだからといって、『良い祈り』とは限りません。スポーツなどの勝負に勝つための祈りでも、その力点が『ライバルを蹴落し、叩きのめす』ことに向けられると、アドレナリンなど怒りのホルモンが分泌されます。」と書いてありました。私は「怒りのホルモンを抑えるのは、笑顔で行う祈り」という文面が心に止まりました。
 パウロはⅠテサロニケ五・一六~一八に、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」と記しました。クリスチャンの特徴はいろいろありますが、「祈る」ことがクリスチャンの重要な要素であります。私は一九六一年一二月二四日にクリスチャンになって、今日迄、この大切な「祈り」について学び、実践してきたことを神に感謝しています。今迄、本当に困難な出来事に数多く直面してまいりました。勿論、他のクリスチャンの方々の祈りの支援は大きいことでしたが、ただ祈られるだけではなく、クリスチャン自身も祈りを実践しなくてはなりません。どう祈ってよいのかわからない時は、「主の祈り」を模範として祈りをしていくと良いと思います。
 桜ヶ丘教会において、私達は今こそ、この祈りに重点を置くと同時に、実践していくクリスチャンとして、なすべきことを神様から示されたら、それを実践に移すことが大事であると私は今も信じています。

1923年6月1日創立