信仰生活の手引き
朝位 真士
ジョン・ウェスレーは「恵みの手段」として、ディボーション(神との交わり)を守りました。ヘンリ・ナウエンも「気がかりなこと、憂い、痛みが常に襲いかかる日常の生活の中で神を見いだすことがなければ、そうした日ごとの雑事から解き放たれたなら神を見いだせるだろうと考えるのは意味のないことです。仕事の最中にも霊的な営みが成長し深まることがなければ、働く時間の前後に持つディボーションが深まっていくことなどあるでしょうか」と述べています。
ウェスレーにとって主要な恵みの手段は祈りでした。祈りを重ねる生涯をウェスレーは送っていたと言っても過言ではありません。祈りをこれほどまでに重要視した背景には、「クリスチャン信仰とはイエス・キリストを通して神と生き生きとした関係を過ごしていくことである」とウェスレーが理解していたことがあります。祈りとは、神と自分の関係を保つための方法だからです。祈りは神との関係をつくり、また豊かにしていくために神から与えられた賜物です。さらに、霊性の潤いを失い渇いてしまうケースの多くは、祈りが欠けていることから起こってくるとウェスレーは理解していました。
ウェスレーは一人で祈りました。彼はいつも朝4時半から5時に起床して祈ることを習慣としていました。第二にウェスレーは声に出して祈ったり、また沈黙のうちに祈ったりもしました。第三にウェスレーはあらゆる種類の事柄を祈りました。賛美し、告白し、感謝し、とりなしをし、そして自分の願いを神に知ってもらうようにしていました。第四にウェスレーは他の人の祈りを読み、学び、そして自分の祈りに応用しました。
私たちの信仰生活の手引きのまず最初は「祈り」から始めましょう。密室、祈祷会、礼拝、例会等で大いに祈りましょう。
「旧週報メッセージ」カテゴリーアーカイブ
2010/11/7 週報メッセージ
朝位 真士
「愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。」(Ⅰペトロ2・11)
今日は、召天者記念礼拝として守っている。葬儀の後の記念の集いについては、私的・家族的な記念礼拝あるいは記念会が考えられる。どのような時に記念会をもつかについて特別の基準はないが、キリスト教の歴史と伝統の中では、死後3日目、9日目、40日目など、主の復活の告知を表す3またはそれをさらに3倍にした9、それに聖書的に象徴的な40に基づいた日数・年数などによる考え方があったようである。しかし日取りについて特別な基準がない現状においては、適当な期間をおいた後、教会の暦に関連させて選ぶことが意義深いと思われる。それは、死者を記念することがキリストにあって意味づけられ、関係者が集まってもつ記念会に、「主にあって共に生き、共に主をあかしする」性格が明らかにされるであろうからである。教会として公同の記念礼拝をもつことは、聖徒の日(11月初め)、復活節(3~5月)、あるいは地方によっては8月中旬など、関係者が集まりやすい時を選んで行われている。
今年は3人の方々が召天された。一人はY長老である。1月21日に87歳6ヶ月の生涯を終えて天国へ旅立った。二人目はT姉である。6月15日に99歳4ヶ月の生涯を終えた。3人目はK姉である。7月22日に、87歳6ヶ月の生涯を終えた。私は3人の方々の司式をさせていただきながら、3人とも本当に信仰の生涯を全うされたということを確信している。もちろん、今日この所に写真が飾られる召天者の方々も同様である。
「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」〝霊〟も言う。「然り。彼らは労苦を
解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」(ヨハネ黙示14・13)
2010/10/31 週報メッセージ
秋期特別集会を終えて
朝位 真士 「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」(ローマ1・16~17)
過ぐる10月24日、私共の教会にK牧師をお招きして、素晴らしいメッセージを聞くことができた。私はK牧師の教会に行ってきた。当日はいろいろ都合が悪く、普段の礼拝人数より数は少なく感じた。しかし礼拝後の愛餐会には20名前後の方々が出席し、いろいろな意見や質問が出た。自分の牧師に質問できないこともフランクに質問された様子であった。私と同年代でまだ信者になっておられない男性が、「先生、私はまだ信仰がフラフラしているので、しっかりしてから受洗したいと思う」というような言葉を語っておられました。私は「Nさん、信仰がしっかりしてから洗礼を受けたいと言われますが、それは逆です。主イエス・キリストを受け入れてから段々信仰が確立するのではありませんか」と答えた。彼は静かにうなずいていた。私は一人の魂が1日も早く救われることを祈り続けたいと思った。
我が教会も人数は少なかったが、求道者が数名来られたとの報告を聞いて、主の御名を崇めた。一人の魂が救われるのは、全世界よりも尊いとある。私の教会は大変将来性があり、希望をもてるのではないかと思いつつ、12月19日のクリスマス・チャペルコンサート、ベアンテ先生の集会を期待して祈って行きたいと思った。
2010/10/24 週報メッセージ
秋期特別礼拝を迎えて
朝位 真士
今日はK牧師をお迎えしています。先生が今日語られる聖書箇所はヘブライ11章8~12節、「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出ていくように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。」「神を信じて踏み出す」という題でメッセージを語っていただきます。祈って御言葉をいただきましょう。
K牧師は、1943年京都で誕生して、大学卒業後はサラリーマンとして20年近く働いており、37歳の時献身して神学校で学ばれました。3年間九州で開拓伝道をされ、大阪の教会で数年牧会されました。現在は東京で牧会されています。その間、日本キリスト伝道会エバンジェリスト兼実行委員となり、2009年、首都圏キリスト教大会実行副委員長、音楽集団のユーオーディア(プロの音楽家300人のメンバー)の顧問をしておられます。先生は情熱的で、明るく温かい方です。また先生はコミュニティー・チャーチとして伝道しておられ、「地域の中で全人的な働きを推進したいと願っています」と語っておられます。
今日初めて教会へ来られた皆様方、また求道者の方々(まだイエス様を信じておられない方々)、よくおいでくださいました。引き続き次週の一般礼拝にもご出席ください。歓迎申し上げます。
2010/10/17 週報メッセージ
朝位 真士
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、『わたしにはなんの楽しみもない』と言うようにならない前に。」(伝道の書12章1節)
記念誌を見るといろいろな思い出が走馬灯のように映し出される。信仰をもって、9年間サラリーマンとして仕事をし、献身して聖書学校で4年間、伝道者として35年間、まだまだ欠けだらけであるが、本当に毎日毎日神様に喜びと感謝と希望を与えられて歩んでいる。伝道者となり、母教会での19年間、按手礼を受けて30年間に約50名近くの方々に洗礼を授けさせていただいた。もちろん教会を離れた方も、召天した方も数多くいる。しかし今なお忠実に生活をして、教会のため、社会のため、有為な人生を送っておられる方のお話を聞くと、感謝、感謝の一語につきる。もし私が十代の若き日にイエス様に出会い、クリスチャンとなっていなければ、このような素晴らしい恵みを体験することはできなかった。母教会の方々との素晴らしい出会いと別れもあったが、桜ヶ丘教会での17年間にも、素晴らしい出会いと別れがあった。
今私共がこうしていられるのも、皆様方の祈りと支援の賜物であるが、何よりも主イエス・キリストの愛なる神様のおかげであると信じている。なお桜ヶ丘教会にリバイバルの奇跡が起き、会堂に多くの人々があふれ、救われる方々が起こされるように祈ってください。
2010/10/10 週報メッセージ
伝道する信徒
朝位 真士
「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。」
(Ⅰコリ1・26~27)
この10月31日はルターの宗教改革記念日です。多くの教会で、記念行事をすることがあり、特にルターのメッセージを引用して語る牧師も多いと聞いています。宗教改革の三大原理は、①聖書のみ、②信仰のみ、③万人祭司です。私は特に万人祭司を強調したいと思います。牧師や神父の祈りが聞かれるというのではなく、すべてのキリスト者が祈ることによって、神は聞いてくださいます。それと同時に、牧師や司祭が伝道するだけではなく、すべての信徒は伝道すべきという持論です。よく「自分は特に伝道と言えるようなことはしていない。私のような立場で、伝道できるだろうか。伝道する自信がない」という言葉を聞きます。私は、救われた信徒は全員伝道すべきだと思います。
日本基督教団も現在約3分の1程の教会が無牧、兼牧(牧師が複数の教会を牧会している)ということを聞いています。あと10年もすれば、半数位の教会がそのようになるようです。そうしたら誰が牧会伝道(宣教)するのでしょうか。皆様方信徒一人一人の上にかかっているといっても過言ではありません。桜ヶ丘教会の10年後はどうなっているでしょうか。さあ皆さん、立ち上がって主の福音を伝道しましょう。10月24日に一人が一人を主のもとにお導きさせていただきましょう。
2010/10/3 週報メッセージ
伝道する教会
朝位 真士
2010年度も上半期が過ぎて、下半期に入ってまいりました。秋に入り、今年も特別集会の時期となり、10月24日(日)、K牧師を迎えて集会をもとうとしています。先生は1943年、京都で誕生して、大学卒業後はサラリーマンとして20年近く働いており、37歳の時献身して神学校で学ばれました。3年間九州で開拓伝道をされ、大阪の教会で数年牧会されました。現在は東京で牧会されています。その間、日本キリスト伝道会エバンジェリスト兼実行委員となり、2009年、首都圏キリスト教大会実行副委員長、音楽集団のユーオーディア(プロの音楽家300人のメンバー)の顧問をされておられます。先生は情熱的で、明るく温かい方です。また先生はコミュニティー・チャーチとして伝道しておられ、「地域の中で全人的な働きを推進したいと願っています」と語っておられます。どうぞ、お祈りして期待して出席しましょう。
聖書に「また、イエスは言われた。『神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。』」(マルコ4・26~29)とあります。ここに二つの点が語られています。
1、「おのずから実を結ばせる」ということが強調されている。
2、主イエスは、この御言葉をほかならぬご自身の弟子たちに語られた。
御言葉を聞く必要があります。秋の特伝に一人でも多くの方々が桜ヶ丘教会に来られることを強く希望する一人であります。
2010/9/26 週報メッセージ
朝祷会に出席して
朝位 真士
「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。」(ヨハネ17・21)
これは朝祷会の中心聖句です。朝祷会の祈りのテーマは、①密室の祈り、②教会の一致、③キリストの平和、④若者の救いと四つあります。全国約130ヶ所で行われています。私は信者になった1961年頃よりこの運動に参加しています。この特徴の一つは信徒運動であり、教職も一クリスチャンとして参加しています。勿論、メッセージは主に教職が担当します。そして、カトリックとプロテスタントの一致のためにも、両教派の信者、教職が共に祈っています。過日、私はカトリック教会で朝祷会のメッセージを語らせていただきましたが、その際プロテスタントだけでなく、ブラザー(修道士)やカトリックの信者、教職も参加されました。
私が朝祷会に出席する理由を述べると、一つは自分の霊性向上のためです。二つは、エキメニカル(協力一致)ムーブメントのためです。三つは、自分の属している教団、群、桜ヶ丘教会の牧会運営のため。特に会堂建設のために朝祷会のメンバーの方に祈っていただきます。また具体的に献金の協力もしてくださいます。さらに特別集会(チャペルコンサート等)のために、また私の外部奉仕(特伝、聖会、教誨師活動)のためにも祈っていただいています。
私は牧師の前に一人の信者として、主の僕として、主の前に忠実に仕えていきたいと思います。皆様も朝祷会の働きのためにお祈りください。
2010/9/19 週報メッセージ
朝位 真士
私共の教会の75歳以上の方々は13人おられます。日本では百歳以上の方々が全国に2万3269万人おられるそうです。本当に高齢化の時代になってまいりました。
故本田弘慈先生は「グッドニュース」という伝道新聞でこのような事を語っておられました。
私は本田弘慈先生を知っています。先生は1952年より50年間、巡回伝道者として日本全国、海外12ヶ所で講演されました。私の父は本田クルセードで初めてキリスト教の集会に出席して、70歳を過ぎて決心して、受洗しました。北九州復興教会の信者となり、晩年私共家族と教会に住み、礼拝、祈祷会、伝道会(夕拝)等の集会に励み、最後は平安のうちに召天しました。本田弘慈先生を大変尊敬していました。もし先生のメッセージを聞かなかったら、彼は救われなかったでしょう。敬老感謝礼拝の時、彼が礼拝に静かに出席していた姿を想い出します。
2010/9/12 週報メッセージ
朝位 真士
「老い」を感じる時期は人によって違います。ある調査では、自らの「老い」を自覚するのは60歳から69歳の人で38%、80歳以上になると54%と増加しますが、85歳以上になっても自分は中年だと思っている人が
生かされている一日一日を充実して生きたいものです。
○「老い」の生活の中心はキリスト。
「老い」の生活の中心は召してくださったキリストです。このキリストに従い、キリストを見上げて生きるという
○老人の総合的な判断力、豊富な経験は多くの人々の励ましとなる。
多くの試練の経験をもちながら、それに耐えて生き抜いた人々の経験は、多くの人々の励ましとなるので
老人になってくるとだんだん交わりがなくなります。そして孤独になります。もちろん神様と毎日交わっている方も多くおられると思いますが、教会での交わりは孤独を癒します。私もなるべく老人の方々を訪問いたしますが、もう少し機能的になればと思っています。教会でもチームを作成して周期的に訪問し、主にある交わりを深められると感謝だと思います。高齢化の波がおしよせてくるこの頃、本当に主にある交わりの重要性をひしひしと感じています。