2010/9/12 週報メッセージ

   敬老の日を迎えるにあたって
                                                                                                         朝位 真士
 「老い」を感じる時期は人によって違います。ある調査では、自らの「老い」を自覚するのは60歳から69歳の人で38%、80歳以上になると54%と増加しますが、85歳以上になっても自分は中年だと思っている人が
37%、まだ自分は若いと思っている人が11%もいると言われています。
 
 ○漫然と死を待つ老いであってはならない。
  生かされている一日一日を充実して生きたいものです。
 ○「老い」の生活の中心はキリスト。
  「老い」の生活の中心は召してくださったキリストです。このキリストに従い、キリストを見上げて生きるという
 ことが「老い」を支えてゆくのです。長い人生経験のなかで、だれも味わったことのないさまざまな苦悩や失敗
 や挫折を通して、信仰を貫いてきた歩みの跡を顧みるとき、若い人々に語ることが多くあるでしょう。
 ○老人の総合的な判断力、豊富な経験は多くの人々の励ましとなる。
  多くの試練の経験をもちながら、それに耐えて生き抜いた人々の経験は、多くの人々の励ましとなるので
 す。 「老人」が世話になるだけの存在としてではなく、人間として成熟した者としての良い面を後世に残す者と
 して生きることが大切ではないかと思うのです。
 
 老人になってくるとだんだん交わりがなくなります。そして孤独になります。もちろん神様と毎日交わっている方も多くおられると思いますが、教会での交わりは孤独を癒します。私もなるべく老人の方々を訪問いたしますが、もう少し機能的になればと思っています。教会でもチームを作成して周期的に訪問し、主にある交わりを深められると感謝だと思います。高齢化の波がおしよせてくるこの頃、本当に主にある交わりの重要性をひしひしと感じています。